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雑草からの警告
昨日の「クローズ・アップ現代」では、「スーパー雑草の脅威」というのをやっていました。
除草剤がまったく効かない雑草が、猛烈な勢いで繁殖していて、手で1本1本抜いていかないといけない。
それが生え始め、放置しておくとあっという間に収量が20%くらい落ちてしまう。
日本では高齢化した農家にとって大きな労働負担となり、世界に食料を供給している巨大な規模のアメリカの農場ではとても手作業でカバーできる範囲ではないので、お手上げ状態のようです。
農業、食料に関しては、異常気象が最大の脅威と思っていたら、また、とんでもない問題が起きてきたものです。
このスーパー雑草、遺伝子の突然変異によって従来の除草剤に対する耐性を身につけたのですが、新しい除草剤を開発してもまたすぐにそれに対する耐性を身につけてしまうので、いたちゴッコだとのこと。
遺伝子組み換えの大豆畑などの被害が多いことも、皮肉です。人間の開発した新技術も、自然の叡智からすると浅知恵だったことが思い知らされてているようです。
先日のプロセス・ワーク・セミナーの参加者で、自然農をやられている人が、「農業と心理療法とは共通性がある」というようなことをチラッと漏らしてました。
そのとき聞きかじったことと、農業に関してはほとんど理解がないので浅知識ですが、を組み合わせて、ちょっと考えてみたいと思います。
そもそも、農業にとって一番重要なのは、土作り。
「団粒構造」と呼ばれる植物の育成に適する、保水力のある土壌の微細な構造を作り上げ、必要なミネラルを入れ込めば、(土壌中にプラーナも蓄積されて)そこに植物の成長に好ましい微生物が繁殖し、あとは放っておいても(というといいすぎかもしれませんが)天候や病虫害にも強い植物が育って、収量も期待できる、ということだったと思います。
現代の一般的な農業は、その根本の土作りに手を省き、結果のところだけに目を向けて、除草剤・殺虫剤をバンバン使って、さらには遺伝子組み換えを行って収量を上げようとしたわけです。
現代の教育システムや産業構造とも通底する価値観を感じますね。
顕在意識で目に見えて現れてくる部分の成績・数字だけをよくしようとしてきた結果、大本を支える土壌(潜在意識・無意識)がメチャクチャになってしまった。その結果「影」の部分が肥大化して目に見える悪となってはびこり手に負えなくなってきたわけです。
でも、そもそもそれは悪だったのか?
スーパー雑草を駆逐するために、別の雑草の力を借りることが有効ではないか、ということで研究が始められた、といいます。
しかし、そんなことなら日本にはすでに、雑草との共生を目指した「自然農法」や、さらには雑草の力を引き出しより有効に活用しようという試みである「雑草農法」に取り組まれている人たちがたくさんいます。
そこには、表面的・自己中心的な善悪の基準を捨てて、影の部分も温かく見守り、あるがままの流れにまかせてそれと和解・協力・融合していく、という発想があります。
そういった方向に切り替えていかなければ、抑圧されたネガティヴなエネルギーは、今後も防御壁の弱点をついてゲリラ的に様々なところ(チャンネル)に噴出していくことでしょう。
これまでは、異常気象が原因というとそれは農業だけの問題ではないと目をつぶることができたし、食糧不足・食品問題が騒がれていてもソッポを向いていた農業関係者が多かったと思いますが、スーパー雑草のおかげで農業は根本的なところからの見直しが迫られているとのこと。
ある意味で、これも変革への大きなチャンスですね。
日本の農業は全体としてはひどい状態にありますが、そういうひどい状態だからこそ、日本的繊細さをもった人たちがそこに危機感を感じて必死に努力される中、民間レベルではすでに素晴らしい農法をたくさん編み出してきています。
私の推測ですが、地球を救う自然との調和のとれた革新的農業技術という意味では、日本は世界の最先端を走っているのではないでしょうか。
新政権になって農家を支援するための多額の予算が組まれるようですが、単に基本的な生活保障というだけでは、働かなくても食っていける、という安易に流れてしまう人たちも出てくると思います。
日本が培ってきた優れた革新的農業技術が普及し、自然が回復し、食料自給率も高まり、都市生活者も安心して食べられる食材が流通するような形での支援に、お金が回っていくような仕組みをつくって欲しいものです。
そのためには、私たち自身も、半農半Xというような形での農業に取り組めれば一番でしょうし、そこまでいかなくとも、おいしいレストランを探すだけでなく、おいしい食材を供給してくれる農業に興味の目を向けていくことが必要でしょう。
それは、未だ生きるに十分なプラーナを直接空間から摂取できる独立栄養生物に進化せず、舌を楽しませ胃を満たし、この肉体=食物鞘を維持するために、植物からの供給されたエネルギーに頼らざるをえない私たちにとっての、カルマ(義務)ともいえます。
除草剤がまったく効かない雑草が、猛烈な勢いで繁殖していて、手で1本1本抜いていかないといけない。
それが生え始め、放置しておくとあっという間に収量が20%くらい落ちてしまう。
日本では高齢化した農家にとって大きな労働負担となり、世界に食料を供給している巨大な規模のアメリカの農場ではとても手作業でカバーできる範囲ではないので、お手上げ状態のようです。
農業、食料に関しては、異常気象が最大の脅威と思っていたら、また、とんでもない問題が起きてきたものです。
このスーパー雑草、遺伝子の突然変異によって従来の除草剤に対する耐性を身につけたのですが、新しい除草剤を開発してもまたすぐにそれに対する耐性を身につけてしまうので、いたちゴッコだとのこと。
遺伝子組み換えの大豆畑などの被害が多いことも、皮肉です。人間の開発した新技術も、自然の叡智からすると浅知恵だったことが思い知らされてているようです。
先日のプロセス・ワーク・セミナーの参加者で、自然農をやられている人が、「農業と心理療法とは共通性がある」というようなことをチラッと漏らしてました。
そのとき聞きかじったことと、農業に関してはほとんど理解がないので浅知識ですが、を組み合わせて、ちょっと考えてみたいと思います。
そもそも、農業にとって一番重要なのは、土作り。
「団粒構造」と呼ばれる植物の育成に適する、保水力のある土壌の微細な構造を作り上げ、必要なミネラルを入れ込めば、(土壌中にプラーナも蓄積されて)そこに植物の成長に好ましい微生物が繁殖し、あとは放っておいても(というといいすぎかもしれませんが)天候や病虫害にも強い植物が育って、収量も期待できる、ということだったと思います。
現代の一般的な農業は、その根本の土作りに手を省き、結果のところだけに目を向けて、除草剤・殺虫剤をバンバン使って、さらには遺伝子組み換えを行って収量を上げようとしたわけです。
現代の教育システムや産業構造とも通底する価値観を感じますね。
顕在意識で目に見えて現れてくる部分の成績・数字だけをよくしようとしてきた結果、大本を支える土壌(潜在意識・無意識)がメチャクチャになってしまった。その結果「影」の部分が肥大化して目に見える悪となってはびこり手に負えなくなってきたわけです。
でも、そもそもそれは悪だったのか?
スーパー雑草を駆逐するために、別の雑草の力を借りることが有効ではないか、ということで研究が始められた、といいます。
しかし、そんなことなら日本にはすでに、雑草との共生を目指した「自然農法」や、さらには雑草の力を引き出しより有効に活用しようという試みである「雑草農法」に取り組まれている人たちがたくさんいます。
そこには、表面的・自己中心的な善悪の基準を捨てて、影の部分も温かく見守り、あるがままの流れにまかせてそれと和解・協力・融合していく、という発想があります。
そういった方向に切り替えていかなければ、抑圧されたネガティヴなエネルギーは、今後も防御壁の弱点をついてゲリラ的に様々なところ(チャンネル)に噴出していくことでしょう。
これまでは、異常気象が原因というとそれは農業だけの問題ではないと目をつぶることができたし、食糧不足・食品問題が騒がれていてもソッポを向いていた農業関係者が多かったと思いますが、スーパー雑草のおかげで農業は根本的なところからの見直しが迫られているとのこと。
ある意味で、これも変革への大きなチャンスですね。
日本の農業は全体としてはひどい状態にありますが、そういうひどい状態だからこそ、日本的繊細さをもった人たちがそこに危機感を感じて必死に努力される中、民間レベルではすでに素晴らしい農法をたくさん編み出してきています。
私の推測ですが、地球を救う自然との調和のとれた革新的農業技術という意味では、日本は世界の最先端を走っているのではないでしょうか。
新政権になって農家を支援するための多額の予算が組まれるようですが、単に基本的な生活保障というだけでは、働かなくても食っていける、という安易に流れてしまう人たちも出てくると思います。
日本が培ってきた優れた革新的農業技術が普及し、自然が回復し、食料自給率も高まり、都市生活者も安心して食べられる食材が流通するような形での支援に、お金が回っていくような仕組みをつくって欲しいものです。
そのためには、私たち自身も、半農半Xというような形での農業に取り組めれば一番でしょうし、そこまでいかなくとも、おいしいレストランを探すだけでなく、おいしい食材を供給してくれる農業に興味の目を向けていくことが必要でしょう。
それは、未だ生きるに十分なプラーナを直接空間から摂取できる独立栄養生物に進化せず、舌を楽しませ胃を満たし、この肉体=食物鞘を維持するために、植物からの供給されたエネルギーに頼らざるをえない私たちにとっての、カルマ(義務)ともいえます。
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