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サトル秋の大会報告(4)
今回の大会、パネル・ディスカッションがなぜ成功できたのか?
(スミマセン、自慢したいのではありません。その原因をきちんと分析して、次の成功につなげたいのです)、
火曜日夜に次期・春の大会委員長の矢島実理事主催のヒーリング分科会があり、そこで招かれた春の大会・講師の岩月淳理事(健康グッズの通販で有名なトータルヘルスデザイン社長)の「いやしろ地」に関する興味深いセミナーのあとの懇親会の場での話で、気づいたことがありました。
岩月さんとは、彼が近藤・前社長(現会長)と交代して理事になられてから1年くらいのお付き合いですが、今回の大会に向けた私の準備を一番高く評価してくれた一人です。
それで、パネル・ディスカッションが予期せぬ展開にも拘らず、なぜうまくいったのか、というときに、やはり「神尾さんのあれにかけた情熱が、あそこまでのものを引き出せたのだと思う。とてもいい勉強をさせてもらえました」といってくださいました。
確かにああいった展開は、そういった情熱、エネルギーの注入なしにはあり得なかったと、自分でも思います。私がもっと実力があって、何の準備もせずに、話合いの展開の筋道も用意せずに本番に出向いたらああなったか、というと、ならなかったと思うのです。
パネル・ディスカッションは、いわばあのイヴェントのカオス・ポイントでした。パネル・ディスカッションをやると決めた時点で、大成功か大失敗か、ブレークスルーかブレークダウンか、どちらかしかあり得ないところに、追い込まれることは必至だったのだと思います。
ですから私には、日が近づくにつれ、それが重くのしかかってきました。
前週には、逃げ出したいところまで追い込まれてしまいました。
パネル・ディスカッションなんか入れなければ良かった、とは思わなかったのですが、(というのは、それなら大会などやる必要がないとも思ったので)大変は大変でした。
昨日書いたように、事前に理事MLに相談をはかって、一応のラインは出て落ち着いたのですが、実際に本番が始まる前にまたパニックに近い状況が起きたのです。
リンを入れる位置を動かしたことが、大きな要因だったと思います。
それによって、8月15日に書いた 「『進化の総合真理』(9)」に書いた第3状態における「閉鎖系」から「開放系」への飛躍が可能になったのです。
自分のみならず各講師が追い詰められ、極めてエネルギーが高まった状態で、リンによって会場を「いやしろ地」化することによって、ブレークスルーへの道が開かれたのです。
エネルギーを十分注入し、可能な限りの準備をした後で、あとは放下すること、手放すこと、起こるに任せること。これが大成功の秘訣ではなかったか、という話に、岩月氏も大いに共感してくれました。
彼の会社では最近、出版もやっており、生きるためのヒントを分かりやすく薄い冊子にまとめたものがバカ売れしているとのこと。
最初に出した『ホ・オポノポノ』は、書店に流さずに13万部売れているそうです。驚異的です。
そのシリーズで最近出したのが『セレンディピティ』。
最近割と良く耳にする言葉ですが、ウィキペディアで調べてみると、
「セレンディピティ(英語:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の一節「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。」
この『セレンディピティ』という本に、そういうことが書いてあるとか。自分自身でも、確かにセミナーなどでもの凄くうまくいったときというのは、よく準備していって、それを手放したときに起こることが多いのです。
それで思い出したのは、シュタイナー教育でも講義の準備は2週間くらい前に始めて1週間やって筋書きをつくって、直前の1週間は手放す、というようなことが言われていたと思います。
まあこんなことで、大会のカオスポイントが乗り越えられたのではないか、と思います。
そして話は変わりもう一つ別の観点から。
実は大会前に紹介したいと思いつつ、自分で読むのも紹介するのもタイムアップでできなかった本が、鈴木秀子先生の講演テーマそのままの『愛と癒しのコミュニオン』(文藝春秋)ですが、このコミュニオンづくりを私は個人の内面からのワールドシフトの決め手だと思っているのです。
この本は新書でありながら、大変な名著だと思っており、明日から紹介したいと思っていますが、その前書きに、
「相手の立場に立ち、共感をもって聞くことに徹するのである。この聞き方こそ、コミュニオンの世界に入っていくための鍵なのである。」
と書いてあったのを昨日、発見。これを読んで、私はパネル・ディスカッションをやって、良かったとつくづく思いました。
もしやらずに、各講師が自分の話をして帰るだけだったら、講師は他の人の話をそんなに熱心には聞かなかったでしょう。各自のワールドシフトを聴いて、それをもとにパネル・ディスカッションを行うという前提があったために、(不遜ないい方かもしれませんが)講師陣も傾聴せざるを得ない状況に追い込まれたのです。
それぞれ実力があり、忙しい講師陣、たまたま自分の仕事の流れで出会った興味のあるものでないと、他の分野の人の話を真剣に聴く機会は意外と少ないと思います。ああいった方々がお互いの話を聴きあったことは、スピリチュアルな分野の人たちが今後協力してワールドシフトを起こしていく上で、とても意義深いことではなかったかと、僭越ながら考えています。
激動の世界全体から見れば、サトルの秋のイヴェントなど蝶の羽ばたきのように小さなことだったかもしれませんが、その小さなカオスポイントをブレークスルーすることを積み重ねていくことによってのみ、ワールドシフト実現の道が開かれるのだと思っています。
25日の最後に書いた、谷崎さんからの「ワールドシフトのひとつの流れができたと思いました」というメールも、そのような意味ではないか、と解釈しています。
(スミマセン、自慢したいのではありません。その原因をきちんと分析して、次の成功につなげたいのです)、
火曜日夜に次期・春の大会委員長の矢島実理事主催のヒーリング分科会があり、そこで招かれた春の大会・講師の岩月淳理事(健康グッズの通販で有名なトータルヘルスデザイン社長)の「いやしろ地」に関する興味深いセミナーのあとの懇親会の場での話で、気づいたことがありました。
岩月さんとは、彼が近藤・前社長(現会長)と交代して理事になられてから1年くらいのお付き合いですが、今回の大会に向けた私の準備を一番高く評価してくれた一人です。
それで、パネル・ディスカッションが予期せぬ展開にも拘らず、なぜうまくいったのか、というときに、やはり「神尾さんのあれにかけた情熱が、あそこまでのものを引き出せたのだと思う。とてもいい勉強をさせてもらえました」といってくださいました。
確かにああいった展開は、そういった情熱、エネルギーの注入なしにはあり得なかったと、自分でも思います。私がもっと実力があって、何の準備もせずに、話合いの展開の筋道も用意せずに本番に出向いたらああなったか、というと、ならなかったと思うのです。
パネル・ディスカッションは、いわばあのイヴェントのカオス・ポイントでした。パネル・ディスカッションをやると決めた時点で、大成功か大失敗か、ブレークスルーかブレークダウンか、どちらかしかあり得ないところに、追い込まれることは必至だったのだと思います。
ですから私には、日が近づくにつれ、それが重くのしかかってきました。
前週には、逃げ出したいところまで追い込まれてしまいました。
パネル・ディスカッションなんか入れなければ良かった、とは思わなかったのですが、(というのは、それなら大会などやる必要がないとも思ったので)大変は大変でした。
昨日書いたように、事前に理事MLに相談をはかって、一応のラインは出て落ち着いたのですが、実際に本番が始まる前にまたパニックに近い状況が起きたのです。
リンを入れる位置を動かしたことが、大きな要因だったと思います。
それによって、8月15日に書いた 「『進化の総合真理』(9)」に書いた第3状態における「閉鎖系」から「開放系」への飛躍が可能になったのです。
自分のみならず各講師が追い詰められ、極めてエネルギーが高まった状態で、リンによって会場を「いやしろ地」化することによって、ブレークスルーへの道が開かれたのです。
エネルギーを十分注入し、可能な限りの準備をした後で、あとは放下すること、手放すこと、起こるに任せること。これが大成功の秘訣ではなかったか、という話に、岩月氏も大いに共感してくれました。
彼の会社では最近、出版もやっており、生きるためのヒントを分かりやすく薄い冊子にまとめたものがバカ売れしているとのこと。
最初に出した『ホ・オポノポノ』は、書店に流さずに13万部売れているそうです。驚異的です。
そのシリーズで最近出したのが『セレンディピティ』。
最近割と良く耳にする言葉ですが、ウィキペディアで調べてみると、
「セレンディピティ(英語:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の一節「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。」
この『セレンディピティ』という本に、そういうことが書いてあるとか。自分自身でも、確かにセミナーなどでもの凄くうまくいったときというのは、よく準備していって、それを手放したときに起こることが多いのです。
それで思い出したのは、シュタイナー教育でも講義の準備は2週間くらい前に始めて1週間やって筋書きをつくって、直前の1週間は手放す、というようなことが言われていたと思います。
まあこんなことで、大会のカオスポイントが乗り越えられたのではないか、と思います。
そして話は変わりもう一つ別の観点から。
実は大会前に紹介したいと思いつつ、自分で読むのも紹介するのもタイムアップでできなかった本が、鈴木秀子先生の講演テーマそのままの『愛と癒しのコミュニオン』(文藝春秋)ですが、このコミュニオンづくりを私は個人の内面からのワールドシフトの決め手だと思っているのです。
この本は新書でありながら、大変な名著だと思っており、明日から紹介したいと思っていますが、その前書きに、
「相手の立場に立ち、共感をもって聞くことに徹するのである。この聞き方こそ、コミュニオンの世界に入っていくための鍵なのである。」
と書いてあったのを昨日、発見。これを読んで、私はパネル・ディスカッションをやって、良かったとつくづく思いました。
もしやらずに、各講師が自分の話をして帰るだけだったら、講師は他の人の話をそんなに熱心には聞かなかったでしょう。各自のワールドシフトを聴いて、それをもとにパネル・ディスカッションを行うという前提があったために、(不遜ないい方かもしれませんが)講師陣も傾聴せざるを得ない状況に追い込まれたのです。
それぞれ実力があり、忙しい講師陣、たまたま自分の仕事の流れで出会った興味のあるものでないと、他の分野の人の話を真剣に聴く機会は意外と少ないと思います。ああいった方々がお互いの話を聴きあったことは、スピリチュアルな分野の人たちが今後協力してワールドシフトを起こしていく上で、とても意義深いことではなかったかと、僭越ながら考えています。
激動の世界全体から見れば、サトルの秋のイヴェントなど蝶の羽ばたきのように小さなことだったかもしれませんが、その小さなカオスポイントをブレークスルーすることを積み重ねていくことによってのみ、ワールドシフト実現の道が開かれるのだと思っています。
25日の最後に書いた、谷崎さんからの「ワールドシフトのひとつの流れができたと思いました」というメールも、そのような意味ではないか、と解釈しています。
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