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「私が世界なのだから」・・・当事者意識
昨日書いた医療費問題、想像以上に実務レベルの世界は酷い状況のため、もう少し書かせていただきます。
今年度の国家予算、歳入の中で最も基礎的な租税及印紙収入額を調べてみたら、37兆3,960億円でした。
医療費は、これと対等の額ということです。
この医療費の中には、制度に則って支払われるものしか含まれていません。
我が家では、歯医者以外はほとんど医者にかからず、運動や食事などのレベルで健康を維持するように心掛けており(生活習慣病予防指導士の資格を取得したり、太極拳をはじめたのも、ヨーガ療法士の勉強をしているのも、ボディワーク研究会を主催していのも、酵素ジュースをつくったりしているのも、そういった努力の一環です)、それはある意味では医療的行為ですが、そういったものは含まれていないのです。
西洋医を中心にした医療費だけで国家予算の主要な歳入に相当する額が掛かるという異常な事態が、全然論議されず、既存のベースに乗った議論しかなされないというのは、個人の家計や企業などで見たら考えられないことです。
しかもこの事態、多くの人が既に早期から指摘し、私も2001年に出した『智のフロンティア』で既に書いているのですが、それがこの10年間で状況がまったく変わっていない、というか悪化しているわけです。
現在の状況を俯瞰して、大きな意味での事業仕分けの最大の対象となるべきは、中立な立場からみれば、どうみても防衛費とこの医療費でしょう。抜本的な改革が必要なのですが、未だに議論の俎上にも昇りません。
昨日も、地域医療の専門家がとてもいい話をされました。
また、医師で民主党の参議院議員の方は、当日会場で「なぜ、医者から政治家への道を歩まれたのですか?」と聞かれたとのことで、当初の「永田町から見た医療・社会保障」というテーマを変更して、本人の5代前の先祖の関寛斎という素晴らしい蘭学医の話をされました。
どれも、それだけを取り出してみれば、素晴らしい話でした。
関寛斎という方の話のはじめは、蘭学医を志して御殿医となり、他に10名いた漢方医がまったく手を出せなかったお姫様の病気に果敢に取組んで、喜ばれた、という話が出てきました。その後も、自分の達成したことにまったく執着せず、次々に世のため人のため新しい仕事に取り組んでいったとの話をされました。そして、自分はその関寛斎の影響を受け、今日のような道を選んだのだと。
この話を聞いた人は、ダメな伝統医療と素晴らしい西洋医、というイメージも同時に刷りこまれたと思います。
このブログを読まれている方には、代替医療やヒーリング、その他医療・健康関係に携わられている方も多いと思いますが、おそらく昨日からの記事を読んで、私同様、憤慨されている方も多いかと思います。
ただそれは、ハッキリいってお門違いです。
私たち、気づいた人たちが声を上げないから、こういう事態が続いているのです。昨日の主催者には私が書いているようなことには気づいている方たちも複数名いるわけですが、しかし、社会状況が許さないから、ああいったレベルの討議になってしまうのです。
昨日、私は最後に会場からの発言が許されたので、ここで黙っていてはいけないと思い、少しだけ、意見を述べました。
しかし、私以外には誰もこの問題に触れませんでした。
会場には、西洋医療や介護関係の方は多数来ておられましたが、代替医療の方は、鍼灸・指圧マッサージ・柔道整復などの国家資格をもつ人も含め、ほとんど来られていませんでした。
おそらく、文部副大臣が1日付合い、講演のほか最後のパネルディスカッションの司会を務める会合に一般市民が参加できる昨日のような場は、これまでほとんど無かったと思います。開かれたこと自体が大きな前進と考えなければいけないと思います。
そういう場に進んで参加し、意見を述べていかなければ、社会が変わっていくわけはありません。
問題を感じたら、気づいた人が(十分検討した上で)即、現実の行動に移せるような対策を講じていかなければ、とても間に合わないのです。
当事者意識をもつことです。「私が世界」なのだから、この世界に問題があるのは、私の責任なのです。
特に、自分に関連のあることに関しては、自分が責任をもって動いていかなければなりません。ただ、やみくもに動いても、効果は少ないでしょう。
福祉・医療に関する突破口は、私は何度も述べるように、清水康之氏が道を開いた自殺問題、および、「べてるの家」のような障害者など、一番の弱者、虐げられたところにあると思っています。
昨日のようなトップの会合の中に、そういう弱者から起きた草の根的なものがドンドン入ってきて、言葉は悪いかもしれませんが、上と下がつながり、その間の中間層である国民全体を巻き込んで行くような動きを起こしていく必要があります。
早い時期に、このようの会合が再び開かれることを、期待します。
そしてその際には、関寛斎を先祖にもつ先の議員には、今、関寛斎が生きていたら、何に挑戦するかを考えて欲しいと思います。私は、関寛斎は現代に生まれていたらそもそも西洋医にならなかったと思います。彼には傑出したフロンティア・スピリットがありましたから。そして彼が素晴らしかったのは、西洋医だからではなく、そのようなフロンティア・スピリットをもっていたからです。
それと同程度のフロンティア・スピリットをもって、今議員であれば、おそらく命懸けで医療改革に取り組んだでしょう。
自らの西洋医としての権威や利権をすべて投げ打って、本当に全医療のために、国民の健康のために、闘ったと私は思います。
そのような心意気を、是非、聞かせてもらいたいものです。
また、地域医療に関しては、4月19日のブログで紹介したホリスティック医学協会理事で、富士宮に移られて朝霧高原診療所を開かれ、同地域の他の施設と連携した「富士山! カラダの学校」を始め地域医療に携わられている山本竜隆氏のような方を取り上げていただきたいと思いました。
今年度の国家予算、歳入の中で最も基礎的な租税及印紙収入額を調べてみたら、37兆3,960億円でした。
医療費は、これと対等の額ということです。
この医療費の中には、制度に則って支払われるものしか含まれていません。
我が家では、歯医者以外はほとんど医者にかからず、運動や食事などのレベルで健康を維持するように心掛けており(生活習慣病予防指導士の資格を取得したり、太極拳をはじめたのも、ヨーガ療法士の勉強をしているのも、ボディワーク研究会を主催していのも、酵素ジュースをつくったりしているのも、そういった努力の一環です)、それはある意味では医療的行為ですが、そういったものは含まれていないのです。
西洋医を中心にした医療費だけで国家予算の主要な歳入に相当する額が掛かるという異常な事態が、全然論議されず、既存のベースに乗った議論しかなされないというのは、個人の家計や企業などで見たら考えられないことです。
しかもこの事態、多くの人が既に早期から指摘し、私も2001年に出した『智のフロンティア』で既に書いているのですが、それがこの10年間で状況がまったく変わっていない、というか悪化しているわけです。
現在の状況を俯瞰して、大きな意味での事業仕分けの最大の対象となるべきは、中立な立場からみれば、どうみても防衛費とこの医療費でしょう。抜本的な改革が必要なのですが、未だに議論の俎上にも昇りません。
昨日も、地域医療の専門家がとてもいい話をされました。
また、医師で民主党の参議院議員の方は、当日会場で「なぜ、医者から政治家への道を歩まれたのですか?」と聞かれたとのことで、当初の「永田町から見た医療・社会保障」というテーマを変更して、本人の5代前の先祖の関寛斎という素晴らしい蘭学医の話をされました。
どれも、それだけを取り出してみれば、素晴らしい話でした。
関寛斎という方の話のはじめは、蘭学医を志して御殿医となり、他に10名いた漢方医がまったく手を出せなかったお姫様の病気に果敢に取組んで、喜ばれた、という話が出てきました。その後も、自分の達成したことにまったく執着せず、次々に世のため人のため新しい仕事に取り組んでいったとの話をされました。そして、自分はその関寛斎の影響を受け、今日のような道を選んだのだと。
この話を聞いた人は、ダメな伝統医療と素晴らしい西洋医、というイメージも同時に刷りこまれたと思います。
このブログを読まれている方には、代替医療やヒーリング、その他医療・健康関係に携わられている方も多いと思いますが、おそらく昨日からの記事を読んで、私同様、憤慨されている方も多いかと思います。
ただそれは、ハッキリいってお門違いです。
私たち、気づいた人たちが声を上げないから、こういう事態が続いているのです。昨日の主催者には私が書いているようなことには気づいている方たちも複数名いるわけですが、しかし、社会状況が許さないから、ああいったレベルの討議になってしまうのです。
昨日、私は最後に会場からの発言が許されたので、ここで黙っていてはいけないと思い、少しだけ、意見を述べました。
しかし、私以外には誰もこの問題に触れませんでした。
会場には、西洋医療や介護関係の方は多数来ておられましたが、代替医療の方は、鍼灸・指圧マッサージ・柔道整復などの国家資格をもつ人も含め、ほとんど来られていませんでした。
おそらく、文部副大臣が1日付合い、講演のほか最後のパネルディスカッションの司会を務める会合に一般市民が参加できる昨日のような場は、これまでほとんど無かったと思います。開かれたこと自体が大きな前進と考えなければいけないと思います。
そういう場に進んで参加し、意見を述べていかなければ、社会が変わっていくわけはありません。
問題を感じたら、気づいた人が(十分検討した上で)即、現実の行動に移せるような対策を講じていかなければ、とても間に合わないのです。
当事者意識をもつことです。「私が世界」なのだから、この世界に問題があるのは、私の責任なのです。
特に、自分に関連のあることに関しては、自分が責任をもって動いていかなければなりません。ただ、やみくもに動いても、効果は少ないでしょう。
福祉・医療に関する突破口は、私は何度も述べるように、清水康之氏が道を開いた自殺問題、および、「べてるの家」のような障害者など、一番の弱者、虐げられたところにあると思っています。
昨日のようなトップの会合の中に、そういう弱者から起きた草の根的なものがドンドン入ってきて、言葉は悪いかもしれませんが、上と下がつながり、その間の中間層である国民全体を巻き込んで行くような動きを起こしていく必要があります。
早い時期に、このようの会合が再び開かれることを、期待します。
そしてその際には、関寛斎を先祖にもつ先の議員には、今、関寛斎が生きていたら、何に挑戦するかを考えて欲しいと思います。私は、関寛斎は現代に生まれていたらそもそも西洋医にならなかったと思います。彼には傑出したフロンティア・スピリットがありましたから。そして彼が素晴らしかったのは、西洋医だからではなく、そのようなフロンティア・スピリットをもっていたからです。
それと同程度のフロンティア・スピリットをもって、今議員であれば、おそらく命懸けで医療改革に取り組んだでしょう。
自らの西洋医としての権威や利権をすべて投げ打って、本当に全医療のために、国民の健康のために、闘ったと私は思います。
そのような心意気を、是非、聞かせてもらいたいものです。
また、地域医療に関しては、4月19日のブログで紹介したホリスティック医学協会理事で、富士宮に移られて朝霧高原診療所を開かれ、同地域の他の施設と連携した「富士山! カラダの学校」を始め地域医療に携わられている山本竜隆氏のような方を取り上げていただきたいと思いました。
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