ユング思想における「意識化の重要性」
昨日のユング・セミナーで、白田先生が語られていたことの中で、私にとってもう一つ重要なポイントに感じた点を紹介しておきましょう。
それは、「ユングは“意識化”を重要なものと考えていた」ということです。
これは、私がそれまでもっていたユングに対する印象・・・それは他の人によって書かれたり語られてきたことから受けたものですが・・・とは、まったく逆でした。
ユングというと、フロイトを引き継ぎ、無意識の世界の探求を進め、無意識には個人的な無意識のほかに、集団や人類全体が生み出してきた集合無意識を発見した、ということが強調されてきましたから。
精神世界を学んでいると、それによってシンクロニシティとか、トランスパーソナル心理学の誕生につながった、という話が多いので、「ユングというと集合無意識」という観念が出来あがっていました。
もちろん、無意識を重要なテーマにして探求していたということには変わりはないのですが、彼が重要視していた方向性は、私あるいはおそらく一般の人がもっている印象とは逆であって、無意識を意識化することが、彼にはとても重要なことのように思えたのがゆえに、無意識の探求をしていた、ということのようです。
なぜなのか・・・これは昨日書いた話と関係があります。
白田先生が昨日つくられた資料から引用させていただくと、
「ユングの思想のすべては、最終的には「意識と無意識との関係」というテーマに収斂するが、この問題は『この世とあの世の関係』という問題に重ね合わされている。それは、「私はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」という、『私』が生きる意味の問題であり、ユング思想の存在意義をささえるものでもあった。」
ということなのです。
無意識の世界は、意識の世界を飲み込む広大な世界です。その中からわずかなものがすくい上げられ、意識化されていきます。
無意識が無意識のままでは、同じ状態が続きますが、そうやって意識化されたときに、現実を変える力をもつとユングは考えました。「気づき」というやつですね。
これは、『チベットの死者の書』とパラレルな関係にあります。
死んだら何もできない。死者には自動的な反応が起こるだけです。そこを、生きている人が経典を読み上げることによって、より良い方向に導くことができる。生きている人は意識の世界におり、死んだ人は無意識の世界にいるからです。
『チベットの死者の書』の存在は、ユングが自説を確立する上で重要な役割を果たしていたことが、改めて確認できますね。
再び昨日の資料から、
「ユングによれば、あの世たる『一なる世界』にはすべてが存在するが、しかし区別のない世界であり、それゆえに方向付けを欠いて成長できない世界でもある。様々に限定された存在である人間のみが、葛藤や問題を解決していくことを通して、『あの世』に方向づけを与えることができる。それゆえに『あの世』は、変化のために意識的な人間を必要とする。
意識化による自己実現、個性化過程は、『あの世』から私に与えられた『使命』なのである。」
ユングは東洋から強い影響を受けつつ、しかし、健全な距離を保ちながら晩年は(西洋)錬金術の研究に力を注ぎました。
白田先生は、その辺のユング内に起きたであろう心の変遷を、業績などの細かな年表を用意していただいて、参照しつつ示されました。
「キリスト教文化圏で育ち生活している自分の使命を、ユングは強く感じていたようです。意識化に重要な価値を見出した彼は、西洋的なマインドの持ち主であったと思います」とのこと。
その年表からは、いつも論じられるフロイトとや学会・社会との関係だけでなく、神智学の流れやシュタイナー、そしてアサジオリ、ブーバーといった、これまで一連のセミナーで取り上げてきた人たちとも影響しあい、さまざまな葛藤のなかでユングが自分のポジションを確立してをいったことが、垣間見れた気がして、とても興味深いものでした。
ユング・・・私にとって、心理療法だけだとそれほど興味がなかったのですが、今回「ユング思想」という観点で紹介していただき、一躍大きな関心の対象になってきました。
それは、「ユングは“意識化”を重要なものと考えていた」ということです。
これは、私がそれまでもっていたユングに対する印象・・・それは他の人によって書かれたり語られてきたことから受けたものですが・・・とは、まったく逆でした。
ユングというと、フロイトを引き継ぎ、無意識の世界の探求を進め、無意識には個人的な無意識のほかに、集団や人類全体が生み出してきた集合無意識を発見した、ということが強調されてきましたから。
精神世界を学んでいると、それによってシンクロニシティとか、トランスパーソナル心理学の誕生につながった、という話が多いので、「ユングというと集合無意識」という観念が出来あがっていました。
もちろん、無意識を重要なテーマにして探求していたということには変わりはないのですが、彼が重要視していた方向性は、私あるいはおそらく一般の人がもっている印象とは逆であって、無意識を意識化することが、彼にはとても重要なことのように思えたのがゆえに、無意識の探求をしていた、ということのようです。
なぜなのか・・・これは昨日書いた話と関係があります。
白田先生が昨日つくられた資料から引用させていただくと、
「ユングの思想のすべては、最終的には「意識と無意識との関係」というテーマに収斂するが、この問題は『この世とあの世の関係』という問題に重ね合わされている。それは、「私はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」という、『私』が生きる意味の問題であり、ユング思想の存在意義をささえるものでもあった。」
ということなのです。
無意識の世界は、意識の世界を飲み込む広大な世界です。その中からわずかなものがすくい上げられ、意識化されていきます。
無意識が無意識のままでは、同じ状態が続きますが、そうやって意識化されたときに、現実を変える力をもつとユングは考えました。「気づき」というやつですね。
これは、『チベットの死者の書』とパラレルな関係にあります。
死んだら何もできない。死者には自動的な反応が起こるだけです。そこを、生きている人が経典を読み上げることによって、より良い方向に導くことができる。生きている人は意識の世界におり、死んだ人は無意識の世界にいるからです。
『チベットの死者の書』の存在は、ユングが自説を確立する上で重要な役割を果たしていたことが、改めて確認できますね。
再び昨日の資料から、
「ユングによれば、あの世たる『一なる世界』にはすべてが存在するが、しかし区別のない世界であり、それゆえに方向付けを欠いて成長できない世界でもある。様々に限定された存在である人間のみが、葛藤や問題を解決していくことを通して、『あの世』に方向づけを与えることができる。それゆえに『あの世』は、変化のために意識的な人間を必要とする。
意識化による自己実現、個性化過程は、『あの世』から私に与えられた『使命』なのである。」
ユングは東洋から強い影響を受けつつ、しかし、健全な距離を保ちながら晩年は(西洋)錬金術の研究に力を注ぎました。
白田先生は、その辺のユング内に起きたであろう心の変遷を、業績などの細かな年表を用意していただいて、参照しつつ示されました。
「キリスト教文化圏で育ち生活している自分の使命を、ユングは強く感じていたようです。意識化に重要な価値を見出した彼は、西洋的なマインドの持ち主であったと思います」とのこと。
その年表からは、いつも論じられるフロイトとや学会・社会との関係だけでなく、神智学の流れやシュタイナー、そしてアサジオリ、ブーバーといった、これまで一連のセミナーで取り上げてきた人たちとも影響しあい、さまざまな葛藤のなかでユングが自分のポジションを確立してをいったことが、垣間見れた気がして、とても興味深いものでした。
ユング・・・私にとって、心理療法だけだとそれほど興味がなかったのですが、今回「ユング思想」という観点で紹介していただき、一躍大きな関心の対象になってきました。
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