今度はホント、諸富先生登場 ~ 次回のフィロソフィアのご案内
明日からいよいよ集中講座、その準備も大詰めで、
少しでもいい内容にしたいため、ちょっと余裕のない状況ですので、
お知らせが続きますが、5月13日(日)に開かれる、
次回のフィロソフィアのご案内をさせていただきます。
前回、結局インフルエンザだったとのことで已む無く中止となった
諸富祥彦先生にもお越しいただけることになり、
大いに盛り上がること、必至です。
是非、お越しください!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第42回 フィロソフィア
2012年5月13日(日)15:30(開場15:15)~
「気の科学と現代日本のスピリチュアリティ」
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
6月3日のシンポジウム
「地球時代のスピリチュアリティと宗教
―本山博氏の仕事をめぐって―」を前にして、
第42回フィロソフィアでは 、
第1部でその発題者の1人、
影山教俊氏に、「気の科学」の観点から
瞑想技術について語っていただきます。
また、第2部では
日本トランスパーソナル学会会長などとして
大活躍されている諸富祥彦氏に、
現代の縮小社会日本におけるスピリチュアリティについて
語っていただきます。
多くの方々に参集していただければ幸いです。
★プログラム★
☆第1部 (15:30~17:30)
影山教俊氏(日蓮宗釈迦寺住職、仏教瞑想道場主宰)
「心身分離の社会からみた仏教・宗教・スピリチュアリティ
―体験を軽視する現代諸学の問題を考える―」
現代ほどヴィパッサナーやヨーガなどの瞑想技術
(Meditation Technique)が注視されている時代はない。
それは現代諸学が観念化の過程を重要視するために、
体験的な認知を軽視するからである。
伝統的な身体技法について、
「気の科学」から話してみたい。
☆休憩 17:30-18:00
☆第2部 (18:00~20:00)
諸富祥彦氏(明治大学・教授)
「縮小社会日本における新たな生き方としての諦めと、
スピリチュアリティ」
縮小社会日本における新たな生き方として、
スピリチュアルな観点と諦めという考えを提示し、
皆さんで一緒に対話したいと思います。
★会場★
東京工業大学 田町キャンパス内
『キャンパスイノベーションセンター(CIC東京)』
5F:リエゾンコーナー509AB
※所在地 … 〒108-0023 東京都港区芝浦3-3-6
★アクセス★
☆JR線 田町駅 下車徒歩1分 または
☆都営線 三田駅 下車徒歩3分
★地図★
※下記のいずれかの地図でご確認ください。
☆東京工業大 田町キャンス
http://www.titech.ac.jp/about/campus/t.html
☆キャンパスイノベーションセンター東京
http://www.isl.or.jp/campusinnovation.html
★参加費★
☆資料代 1,000円
☆公共活動割引 700円
(対象:平和運動など公共的運動のスタッフの方)
☆ 学生割引 500円
※寄付など歓迎。
第1部
【講師プロフィール】
影山教俊(かげやまきょうしゅん)
日蓮宗釈迦寺住職、仏教瞑想道場主宰
1951年、東京に生まれる。
立正大学大学院文学部修士課程仏教学専攻科修了、
南カリフォルニア大学大学院
(Southern California Institute Japan Branch)
博士課程人間行動学科修了、
学位請求論文「天台止観業の生理学的、心理学的研究」
にて人間行動学博士(PH.D)取得。
日蓮宗釈迦寺住職、仏教瞑想道場主催、
(社福)立正福祉会「すこやか家庭児童相談室」室長、
インド中央政府公認sVYSA認定ヨーガ療法士、
社団法人日本ヨーガ療法学会認定ヨーガ療法士。
立正大学大学院在学中、
堀之内妙法寺茗谷栴檀林にて四ヶ年修行し
日蓮宗信行道場を経て1983年日蓮宗教師。
1996年日蓮門下伝統修行道場、
遠壽院大荒行堂にて五行皆伝し伝師相承を継承し、
十余年に亘り伝統行堂で修行の指導に専心する。
その間、本山博博士に師事し
「気の科学」について研究指導を受け、
瞑想修行の生理心理学的な研究をおこなう。
瞑想状態によって誘導される変性意識状態と
脳波などの生理学的指標と、AMIによる
気エネルギー(BP値)の相関関係を明らかした。
更に日蓮宗現代宗教研究所主任として、
伝統的な修行法の生理心理学的研究を宗門内外に発表する。
現在、日本心理学会、日本仏教心理学会、統合医療学会、
日本ヨーガ療法学会、日本アーユルヴェーダ学会などで、
瞑想の心理療法としての効用、並びに気の科学を踏まえた
瞑想と東洋医療などについて論文を発表している。
近著に「日蓮宗とは何か」仏教の身体技法」
「寺と仏教の大改革」「祈りで病気が治る」などがある。
第2部
【講師プロフィール】
諸富 祥彦(もろとみ よしひこ)
明治大学文学部教授。教育学博士。
日本トランスパーソナル学会会長、
教師を支える会代表。
日本カウンセリング学会常任理事、
日本教育カウンセリング学会常任理事、
日本産業カウンセリング学会理事、
日本生徒指導学会理事。1963年福岡県生まれ。
1986年筑波大学人間学類、1992年同大学院博士課程修了。
英国イーストアングリア大学、
米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、
千葉大学教育学部講師、助教授(11年)を経て、現在に至る。
時代の精神(ニヒリズム)と闘うカウンセラー、
現場教師の作戦参謀。
臨床心理士、上級教育カウンセラー、
学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。
著作 単著、編著あわせて100冊以上。
民放、NHK問わず、テレビ、ラジオ出演多数。
ホームページ:http://morotomi.net/
★URL★
フィロソフィアHP http://global-spirituality.net/
地球平和公共ネットワークHP http://global-public-peace.net/
スピリチュアルな世界の健全な発展を願う会HP
http://soundspirituality.org/
ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★
♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜
≪フィロソフィアより≫
フィロソフィアで取り上げられる思想には、
必ずしも本会の基本的思想と同じではないものや、
学問的に確証することは困難なものも含まれます。
この点にはご留意の上、ご参加ください。
♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#
≪フィロソフィア連絡先≫ cpp1@shd.chiba-u.ac.jp
※土・日・祝ならびに緊急連絡には対応致しかねます旨、
ご了解ください。
♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#
少しでもいい内容にしたいため、ちょっと余裕のない状況ですので、
お知らせが続きますが、5月13日(日)に開かれる、
次回のフィロソフィアのご案内をさせていただきます。
前回、結局インフルエンザだったとのことで已む無く中止となった
諸富祥彦先生にもお越しいただけることになり、
大いに盛り上がること、必至です。
是非、お越しください!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第42回 フィロソフィア
2012年5月13日(日)15:30(開場15:15)~
「気の科学と現代日本のスピリチュアリティ」
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
6月3日のシンポジウム
「地球時代のスピリチュアリティと宗教
―本山博氏の仕事をめぐって―」を前にして、
第42回フィロソフィアでは 、
第1部でその発題者の1人、
影山教俊氏に、「気の科学」の観点から
瞑想技術について語っていただきます。
また、第2部では
日本トランスパーソナル学会会長などとして
大活躍されている諸富祥彦氏に、
現代の縮小社会日本におけるスピリチュアリティについて
語っていただきます。
多くの方々に参集していただければ幸いです。
★プログラム★
☆第1部 (15:30~17:30)
影山教俊氏(日蓮宗釈迦寺住職、仏教瞑想道場主宰)
「心身分離の社会からみた仏教・宗教・スピリチュアリティ
―体験を軽視する現代諸学の問題を考える―」
現代ほどヴィパッサナーやヨーガなどの瞑想技術
(Meditation Technique)が注視されている時代はない。
それは現代諸学が観念化の過程を重要視するために、
体験的な認知を軽視するからである。
伝統的な身体技法について、
「気の科学」から話してみたい。
☆休憩 17:30-18:00
☆第2部 (18:00~20:00)
諸富祥彦氏(明治大学・教授)
「縮小社会日本における新たな生き方としての諦めと、
スピリチュアリティ」
縮小社会日本における新たな生き方として、
スピリチュアルな観点と諦めという考えを提示し、
皆さんで一緒に対話したいと思います。
★会場★
東京工業大学 田町キャンパス内
『キャンパスイノベーションセンター(CIC東京)』
5F:リエゾンコーナー509AB
※所在地 … 〒108-0023 東京都港区芝浦3-3-6
★アクセス★
☆JR線 田町駅 下車徒歩1分 または
☆都営線 三田駅 下車徒歩3分
★地図★
※下記のいずれかの地図でご確認ください。
☆東京工業大 田町キャンス
http://www.titech.ac.jp/about/campus/t.html
☆キャンパスイノベーションセンター東京
http://www.isl.or.jp/campusinnovation.html
★参加費★
☆資料代 1,000円
☆公共活動割引 700円
(対象:平和運動など公共的運動のスタッフの方)
☆ 学生割引 500円
※寄付など歓迎。
第1部
【講師プロフィール】
影山教俊(かげやまきょうしゅん)
日蓮宗釈迦寺住職、仏教瞑想道場主宰
1951年、東京に生まれる。
立正大学大学院文学部修士課程仏教学専攻科修了、
南カリフォルニア大学大学院
(Southern California Institute Japan Branch)
博士課程人間行動学科修了、
学位請求論文「天台止観業の生理学的、心理学的研究」
にて人間行動学博士(PH.D)取得。
日蓮宗釈迦寺住職、仏教瞑想道場主催、
(社福)立正福祉会「すこやか家庭児童相談室」室長、
インド中央政府公認sVYSA認定ヨーガ療法士、
社団法人日本ヨーガ療法学会認定ヨーガ療法士。
立正大学大学院在学中、
堀之内妙法寺茗谷栴檀林にて四ヶ年修行し
日蓮宗信行道場を経て1983年日蓮宗教師。
1996年日蓮門下伝統修行道場、
遠壽院大荒行堂にて五行皆伝し伝師相承を継承し、
十余年に亘り伝統行堂で修行の指導に専心する。
その間、本山博博士に師事し
「気の科学」について研究指導を受け、
瞑想修行の生理心理学的な研究をおこなう。
瞑想状態によって誘導される変性意識状態と
脳波などの生理学的指標と、AMIによる
気エネルギー(BP値)の相関関係を明らかした。
更に日蓮宗現代宗教研究所主任として、
伝統的な修行法の生理心理学的研究を宗門内外に発表する。
現在、日本心理学会、日本仏教心理学会、統合医療学会、
日本ヨーガ療法学会、日本アーユルヴェーダ学会などで、
瞑想の心理療法としての効用、並びに気の科学を踏まえた
瞑想と東洋医療などについて論文を発表している。
近著に「日蓮宗とは何か」仏教の身体技法」
「寺と仏教の大改革」「祈りで病気が治る」などがある。
第2部
【講師プロフィール】
諸富 祥彦(もろとみ よしひこ)
明治大学文学部教授。教育学博士。
日本トランスパーソナル学会会長、
教師を支える会代表。
日本カウンセリング学会常任理事、
日本教育カウンセリング学会常任理事、
日本産業カウンセリング学会理事、
日本生徒指導学会理事。1963年福岡県生まれ。
1986年筑波大学人間学類、1992年同大学院博士課程修了。
英国イーストアングリア大学、
米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、
千葉大学教育学部講師、助教授(11年)を経て、現在に至る。
時代の精神(ニヒリズム)と闘うカウンセラー、
現場教師の作戦参謀。
臨床心理士、上級教育カウンセラー、
学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。
著作 単著、編著あわせて100冊以上。
民放、NHK問わず、テレビ、ラジオ出演多数。
ホームページ:http://morotomi.net/
★URL★
フィロソフィアHP http://global-spirituality.net/
地球平和公共ネットワークHP http://global-public-peace.net/
スピリチュアルな世界の健全な発展を願う会HP
http://soundspirituality.org/
ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★
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≪フィロソフィアより≫
フィロソフィアで取り上げられる思想には、
必ずしも本会の基本的思想と同じではないものや、
学問的に確証することは困難なものも含まれます。
この点にはご留意の上、ご参加ください。
♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#
≪フィロソフィア連絡先≫ cpp1@shd.chiba-u.ac.jp
※土・日・祝ならびに緊急連絡には対応致しかねます旨、
ご了解ください。
♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#. *・゜♪. *・゜#
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太陽叢のコントロール ~ GW“エソテリック・ヒーリング”集中講座!! 迫る
いよいよ3日間の集中講座が、今週末に迫ってきました。
これまで半年以上、集中してやってきたこととはいえ、連続講座計7回の中から、エッセンスを取り出して3回でいかにまとめるか?
適当にやるのはいくらでもできたとして、最善の選択は何か、考えるところは山ほどあります。
そんな中、家族のことなどでこの2週間、突発的に色んなことが起き、なかなか前に進めない状況が続いてましたが、何とかメドはたってきました。
こんなとき、やはり問題になるのはアストラル体のコントロール。それができれば、「大変な事態」と思えることでも、実質的にはそれほど時間とエネルギー・ロスなく、クリアできるものです。
チャクラでいえば、太陽神経叢のエネルギーをいかにコントロールできるかが試されてということですが、私、お恥ずかしながら、太陽神経叢のエネルギーというのがどれなのか、最近まで、あまりよく分かっていませんでした。
しかし、EH連続講座を始め、いよいよ自分でもそういうエネルギーを少しは感じ分けられるようにならないと、ということで最近試みているワーク(と言えるかどうか分からない代物ですが、実に効果の高いものです)のお陰で、
太陽神経叢のエネルギーを他に動かすことが多少できるようになり、それとともに、自分が今までいかに太陽神経叢のエネルギーにコントロールされてきたかに、初めて気づきました。
太陽神経叢のエネルギー、私の場合、6-6-6光線ということもあってか、溜まりに溜まってた、っていう感じでしたが、それが解消されると、横隔膜の下あたり、ホントに軽くて楽ですね。
まだ効果を出すまで時間が掛かるため、時間のないときはいつも成功するまでに至るとは限りませんが、ゆっくりじっくり取り組んでいくと、あるとき(ときにはミシミシと音を立てて)全身・頭の骨まで動いて(結果的に「頭蓋仙骨療法、受けたことないけど、受けて効果が出たときはこんな感じなのかな?」って感じです)、スウーッと身体が緩み、私にとっては慢性的に悩まされている目や頭の重さも抜けていきます。
こういうのも講座の中に入れたいとは思ってますが、メソッドは簡単ですが、ちょっと時間がかかりすぎるので、そのうち合宿とかでやるしかないでしょうね。
でも、話は戻りますが、集中講座成功のための秘訣の一つは、いかに疲れをためないで取っていくか、にあります。
1日の講座でもヘトヘトになる場合があるので、3日間、講師も参加者も集中力を持続させるためには、内容の組み立てだけでなくペース配分を十分に考え、疲れを随時とるような要素(図表解説・瞑想・ボディーワークなど)を組み込んでやっていく必要もあるため、細部まで検討した上で、当日の様子をみて、臨機応変に対応できるようにしないといけません。
3日楽しく充実して終わったら、次の日から熱を出して寝込んじゃうなんてこともないように、したいとは思ってます。
それでいて、3日終わったら、本当に世界の見え方が変わった、と多くの人にいわれるようなものには絶対したいですね。
根本からの自己変革にチャレンジしたい人は是非、ご参加ください!
以下、開催要項を、再掲させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ゴールデン・ウィーク特別企画★ 集中講座!!
「人間のエネルギー・システムとエソテリック・ヒーリング」
4月28日(土)13:30 ~ 20:00
概要 / エーテル体とチャクラ(前)
29日(日)10:00 ~ 16:30
アストラル体 / メンタル体(終了後・懇親会)
30日(月・祭)10:00 ~ 16:30
チャクラ(後)と魂 / ヒーリングの実際
参加費:1日ごと5000円および入会回数チケット
(『秘教治療』上・下巻5,775円+4回回数券=20,000円
テキストなしの場合、15,000円)の他、
今回しか出れそうにない関東地方以外にお住まいの方には特別に、
集中講座一括・テキスト・懇親会費:20,000円、
テキストが不要の場合は、15,000円
(要するに、懇親会費、おごっちゃおう! です)
を、設けます。お申し出ください。
会場案内 三田いきいきプラザ 集会室A
港区芝4-1-17 TEL:03-3452-9421(場所確認のみ)
地下鉄三田線:三田駅A9番出口から左方徒歩1分
(羽田空港からは、こちらが便利です。)/
JR山手線・京浜東北線:田町駅西口から徒歩5分
(一度、地下鉄三田駅に降りてから、A9番出口から
出られた方が、迷いません。)
これまで半年以上、集中してやってきたこととはいえ、連続講座計7回の中から、エッセンスを取り出して3回でいかにまとめるか?
適当にやるのはいくらでもできたとして、最善の選択は何か、考えるところは山ほどあります。
そんな中、家族のことなどでこの2週間、突発的に色んなことが起き、なかなか前に進めない状況が続いてましたが、何とかメドはたってきました。
こんなとき、やはり問題になるのはアストラル体のコントロール。それができれば、「大変な事態」と思えることでも、実質的にはそれほど時間とエネルギー・ロスなく、クリアできるものです。
チャクラでいえば、太陽神経叢のエネルギーをいかにコントロールできるかが試されてということですが、私、お恥ずかしながら、太陽神経叢のエネルギーというのがどれなのか、最近まで、あまりよく分かっていませんでした。
しかし、EH連続講座を始め、いよいよ自分でもそういうエネルギーを少しは感じ分けられるようにならないと、ということで最近試みているワーク(と言えるかどうか分からない代物ですが、実に効果の高いものです)のお陰で、
太陽神経叢のエネルギーを他に動かすことが多少できるようになり、それとともに、自分が今までいかに太陽神経叢のエネルギーにコントロールされてきたかに、初めて気づきました。
太陽神経叢のエネルギー、私の場合、6-6-6光線ということもあってか、溜まりに溜まってた、っていう感じでしたが、それが解消されると、横隔膜の下あたり、ホントに軽くて楽ですね。
まだ効果を出すまで時間が掛かるため、時間のないときはいつも成功するまでに至るとは限りませんが、ゆっくりじっくり取り組んでいくと、あるとき(ときにはミシミシと音を立てて)全身・頭の骨まで動いて(結果的に「頭蓋仙骨療法、受けたことないけど、受けて効果が出たときはこんな感じなのかな?」って感じです)、スウーッと身体が緩み、私にとっては慢性的に悩まされている目や頭の重さも抜けていきます。
こういうのも講座の中に入れたいとは思ってますが、メソッドは簡単ですが、ちょっと時間がかかりすぎるので、そのうち合宿とかでやるしかないでしょうね。
でも、話は戻りますが、集中講座成功のための秘訣の一つは、いかに疲れをためないで取っていくか、にあります。
1日の講座でもヘトヘトになる場合があるので、3日間、講師も参加者も集中力を持続させるためには、内容の組み立てだけでなくペース配分を十分に考え、疲れを随時とるような要素(図表解説・瞑想・ボディーワークなど)を組み込んでやっていく必要もあるため、細部まで検討した上で、当日の様子をみて、臨機応変に対応できるようにしないといけません。
3日楽しく充実して終わったら、次の日から熱を出して寝込んじゃうなんてこともないように、したいとは思ってます。
それでいて、3日終わったら、本当に世界の見え方が変わった、と多くの人にいわれるようなものには絶対したいですね。
根本からの自己変革にチャレンジしたい人は是非、ご参加ください!
以下、開催要項を、再掲させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ゴールデン・ウィーク特別企画★ 集中講座!!
「人間のエネルギー・システムとエソテリック・ヒーリング」
4月28日(土)13:30 ~ 20:00
概要 / エーテル体とチャクラ(前)
29日(日)10:00 ~ 16:30
アストラル体 / メンタル体(終了後・懇親会)
30日(月・祭)10:00 ~ 16:30
チャクラ(後)と魂 / ヒーリングの実際
参加費:1日ごと5000円および入会回数チケット
(『秘教治療』上・下巻5,775円+4回回数券=20,000円
テキストなしの場合、15,000円)の他、
今回しか出れそうにない関東地方以外にお住まいの方には特別に、
集中講座一括・テキスト・懇親会費:20,000円、
テキストが不要の場合は、15,000円
(要するに、懇親会費、おごっちゃおう! です)
を、設けます。お申し出ください。
会場案内 三田いきいきプラザ 集会室A
港区芝4-1-17 TEL:03-3452-9421(場所確認のみ)
地下鉄三田線:三田駅A9番出口から左方徒歩1分
(羽田空港からは、こちらが便利です。)/
JR山手線・京浜東北線:田町駅西口から徒歩5分
(一度、地下鉄三田駅に降りてから、A9番出口から
出られた方が、迷いません。)
本山博先生を招いてのシンポジウム
この度、日頃「フィロソフィア」として
活動しているスタッフ
(小林正弥・樫尾直樹・本山一博・神尾学)
が発起人となり、日本のスピリチュアル界に
金字塔を打ち立てられてきた
本山博先生の業績を称え、紹介するとともに、
その継承と発展のための指針を打ち出すべく、
シンポジウムを行うことになりました。
本山博先生の直接のご講演を伺える
希少で貴重な機会ですので、
下記にご案内させていただきます。
(私は光栄にも、「開会の辞」と、
「鼎談」の司会をやらせていただきます。)
≪ 転送・転載 歓迎 ≫
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
シンポジウム
「地球時代のスピリチュアリティと宗教
―本山博氏の仕事をめぐって―」
2012年6月3日(日)13:30 ~ 18:00(開場13:00)
会場:慶応義塾大学三田キャンパス北館1階ホール
入場料:一般 前売り3,000円 当日4,000円
学生 前売り1,000円 当日2,000円
主催:地球公共霊性学会
後援:フィロソフィア+IARP(国際宗教・超心理学会)
お申込み・お問合せ先:
メール:global_spirituality@yahoo.co.jp
ホームページ:http://global-spirituality.net/
(専用の申し込みフォームよりお申し込みください)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プログラム(概要)
第一部:13:30-14:40
発題「本山博氏の業績の学問的意義」
小林正弥「政治哲学と地球公共霊性・平和
―人文社会科学への示唆」
影山教俊「気の科学―AMI研究の可能性」
樫尾直樹「開かれた宗教の核としての瞑想
―宗教対話と比較行論の視座」
第二部:15:10-16:40
講演「自らの仕事について語る」
本山 博「人間に魂はあるか?
―現代科学のフロンティア」
第三部:16:40-18:00
鼎談「地球時代のスピリチュアリティと宗教
―本山博氏の仕事の継承と発展」
小林正弥・影山教俊・樫尾直樹 司会・神尾学
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
スピリチュアル・ブームが終焉した今こそ、
「スピリチュアリティ」や「宗教」について
各々が自由に語り、共に深く議論することができます。
むしろ、3・11の原発震災以降の生を生きる私たちには、
そうすることが強く要請されているのではないでしょうか。
本山博氏は、『スピリチュアリティの真実』をはじめ
多くの著作を執筆し、領域横断的な科学者かつ宗教者
として、世界的な影響を与えてきました。
そこに、今後の新しい学問の出発点を
見ることができるでしょう。
この「スピリチュアリティの巨人」、
本山博氏の歴史的ともいえる業績を検討することを通して、
これからの世界=「地球時代」に求められる
スピリチュアリティと宗教のあり方について
根本的に考えてみたいと思います。
スピリチュアリティや宗教に関心のある皆様の
ふるってのご参加をお待ちしています。
【講演・登壇者:プロフィール】
●本山博氏:
1925年香川県生まれ。玉光神社宮司、
カリフォルニア・ヒューマンサイエンス大学院
(CIHS)学長、宗教心理学研究所所長、
国際宗教・超心理学会会長。
東京文理科大学(現、筑波大学)
大学院博士課程修了、
文学博士(哲学・生理心理学)。
比較宗教学・宗教哲学、電気生理学、
および超心理学専攻。宗教的、霊的世界の
実在と人間存在の身・心・霊という多層性を、
電気生理学、生物物理学、量子力学
および分子生物学的に解明。
その研究過程で発明したAMI
(経絡-臓器機能測定器)等によって、
精神的身体のエネルギーセンタ?としての
チャクラと経絡の存在を
世界で初めて科学的に実証した。
また、60年以上にわたるヨーガの
瞑想行による宗教体験を基礎としながら、
世界の諸宗教を比較宗教学的に研究する
ことを通して、包括的な宗教哲学を確立し、
『本山博著作集』が刊行されている。
(宗教心理出版、全13巻、別巻2)
●樫尾直樹氏:
1963 年、富山生。
慶應義塾大学文学部准教授。宗教学専攻。
東京大学大学院博士課程修了。
早稲田大学、東京外国語大学助手、
フランス国立高等研究院客員教授
などを経て現職。
坐禅や気修練等の瞑想実践と比較瞑想論
/宗教間対話論を軸に、
宗教の核心(スピリチュアリティ)と
未来のあり方を探求。
著書:「スピリチュアリティ革命」
「スピリチュアル・ライフのすすめ」
●影山教俊氏
日蓮宗釈迦寺住職
仏教瞑想道場主催
社会福祉法人立正福祉会
「すこやか家庭児童相談室」室長
南カリフォルニア大学大学院にて
「天台止観業の生理学的、心理学的研究」で
博士号取得
著書:「日蓮宗とは何か」
「仏教の身体技法」
「寺と仏教の大改革」
「祈りで病気が治る」
●小林正弥氏
千葉大学大学院人文社会科学研究科教授
東京大学法学部卒。
ケンブリッジ大学セルウィン・カレッジ
準フェローを経て現職。
公共哲学・コミュニタリアニズムの研究を通じ、
マイケル・サンデルと交流を持ち、
NHK教育テレビ「ハーバード白熱教室」で
解説者を務める。
著書:「対話型講義 原発と正義」
「友愛革命は可能か」
「サンデルの政治哲学」
「日本版白熱教室 サンデルに
ならって正義を考えよう」
活動しているスタッフ
(小林正弥・樫尾直樹・本山一博・神尾学)
が発起人となり、日本のスピリチュアル界に
金字塔を打ち立てられてきた
本山博先生の業績を称え、紹介するとともに、
その継承と発展のための指針を打ち出すべく、
シンポジウムを行うことになりました。
本山博先生の直接のご講演を伺える
希少で貴重な機会ですので、
下記にご案内させていただきます。
(私は光栄にも、「開会の辞」と、
「鼎談」の司会をやらせていただきます。)
≪ 転送・転載 歓迎 ≫
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
シンポジウム
「地球時代のスピリチュアリティと宗教
―本山博氏の仕事をめぐって―」
2012年6月3日(日)13:30 ~ 18:00(開場13:00)
会場:慶応義塾大学三田キャンパス北館1階ホール
入場料:一般 前売り3,000円 当日4,000円
学生 前売り1,000円 当日2,000円
主催:地球公共霊性学会
後援:フィロソフィア+IARP(国際宗教・超心理学会)
お申込み・お問合せ先:
メール:global_spirituality@yahoo.co.jp
ホームページ:http://global-spirituality.net/
(専用の申し込みフォームよりお申し込みください)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プログラム(概要)
第一部:13:30-14:40
発題「本山博氏の業績の学問的意義」
小林正弥「政治哲学と地球公共霊性・平和
―人文社会科学への示唆」
影山教俊「気の科学―AMI研究の可能性」
樫尾直樹「開かれた宗教の核としての瞑想
―宗教対話と比較行論の視座」
第二部:15:10-16:40
講演「自らの仕事について語る」
本山 博「人間に魂はあるか?
―現代科学のフロンティア」
第三部:16:40-18:00
鼎談「地球時代のスピリチュアリティと宗教
―本山博氏の仕事の継承と発展」
小林正弥・影山教俊・樫尾直樹 司会・神尾学
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
スピリチュアル・ブームが終焉した今こそ、
「スピリチュアリティ」や「宗教」について
各々が自由に語り、共に深く議論することができます。
むしろ、3・11の原発震災以降の生を生きる私たちには、
そうすることが強く要請されているのではないでしょうか。
本山博氏は、『スピリチュアリティの真実』をはじめ
多くの著作を執筆し、領域横断的な科学者かつ宗教者
として、世界的な影響を与えてきました。
そこに、今後の新しい学問の出発点を
見ることができるでしょう。
この「スピリチュアリティの巨人」、
本山博氏の歴史的ともいえる業績を検討することを通して、
これからの世界=「地球時代」に求められる
スピリチュアリティと宗教のあり方について
根本的に考えてみたいと思います。
スピリチュアリティや宗教に関心のある皆様の
ふるってのご参加をお待ちしています。
【講演・登壇者:プロフィール】
●本山博氏:
1925年香川県生まれ。玉光神社宮司、
カリフォルニア・ヒューマンサイエンス大学院
(CIHS)学長、宗教心理学研究所所長、
国際宗教・超心理学会会長。
東京文理科大学(現、筑波大学)
大学院博士課程修了、
文学博士(哲学・生理心理学)。
比較宗教学・宗教哲学、電気生理学、
および超心理学専攻。宗教的、霊的世界の
実在と人間存在の身・心・霊という多層性を、
電気生理学、生物物理学、量子力学
および分子生物学的に解明。
その研究過程で発明したAMI
(経絡-臓器機能測定器)等によって、
精神的身体のエネルギーセンタ?としての
チャクラと経絡の存在を
世界で初めて科学的に実証した。
また、60年以上にわたるヨーガの
瞑想行による宗教体験を基礎としながら、
世界の諸宗教を比較宗教学的に研究する
ことを通して、包括的な宗教哲学を確立し、
『本山博著作集』が刊行されている。
(宗教心理出版、全13巻、別巻2)
●樫尾直樹氏:
1963 年、富山生。
慶應義塾大学文学部准教授。宗教学専攻。
東京大学大学院博士課程修了。
早稲田大学、東京外国語大学助手、
フランス国立高等研究院客員教授
などを経て現職。
坐禅や気修練等の瞑想実践と比較瞑想論
/宗教間対話論を軸に、
宗教の核心(スピリチュアリティ)と
未来のあり方を探求。
著書:「スピリチュアリティ革命」
「スピリチュアル・ライフのすすめ」
●影山教俊氏
日蓮宗釈迦寺住職
仏教瞑想道場主催
社会福祉法人立正福祉会
「すこやか家庭児童相談室」室長
南カリフォルニア大学大学院にて
「天台止観業の生理学的、心理学的研究」で
博士号取得
著書:「日蓮宗とは何か」
「仏教の身体技法」
「寺と仏教の大改革」
「祈りで病気が治る」
●小林正弥氏
千葉大学大学院人文社会科学研究科教授
東京大学法学部卒。
ケンブリッジ大学セルウィン・カレッジ
準フェローを経て現職。
公共哲学・コミュニタリアニズムの研究を通じ、
マイケル・サンデルと交流を持ち、
NHK教育テレビ「ハーバード白熱教室」で
解説者を務める。
著書:「対話型講義 原発と正義」
「友愛革命は可能か」
「サンデルの政治哲学」
「日本版白熱教室 サンデルに
ならって正義を考えよう」
結論 ~ 『魂とそのメカニズム』 (14)
さて、最後の「第七章 結論」の書き出しの部分、以前少し紹介しましたがもう少し先まで書きますと(P172)、
「本書では心理学の二つの体系について、つまり、東洋と西洋の心理学について考察してきた。これらを一つにして考えることで、あるメカニズムを通して機能している、生きている魂としての人間についての全体像が得られた。
このメカニズムの一部である、センターを持つエーテル体は、精妙で目に見えず、五感で捉えられる範囲を超えており、もう一つの部分は、濃密な肉体領域のもの、つまり、内分泌腺および神経系であり、これらが濃密な肉体的な顕現の残りの部分を統御している。この二つの部分が一つの全体を形成しているということを私たちは信じている。」
と、これまでまとめてきたことが、要約されています。
アリス・ベイリーによって接ぎ木された東西心理学、興味深い仮説ではありますが、厳密科学的にいうと未解決の問題だらけではあります。
ただそれは、アリス・ベイリーの問題というよりも、現在の科学の限界の問題です。
東・西の接合部分に関しては、前回取り上げましたが、東洋の心理学の領域に入ったあとは、今の西洋科学では実証し得ません。
(前にも書きましたが、本山博先生のチャクラ研究などが、取っ掛かり口をつける研究になりますが、これについては、いずれまた。)
しかし、厳密科学的な証明はできない問題でも、少しでも客観性を高める努力をすることはできます。
それを、アリス・ベイリーは本書では、東西の聖典や、聖者・賢者・修行者などの体験に基づく言説や記録を照合することによって、随所で行っています。
ただ、この最終章は、ジュワル・クール大師がこのテーマで語られたことの要約的な内容で、調査によって調べてきた引用文も少なく、アリス・ベイリー独自の貢献はあまり見られません。
第六章までで打ち立てた東西心理学の接合仮説が成り立つとすると、それはジュワル・クール大師の諸説と整合性があり、両者とも正統である可能性が高くなるだろう、というような主張になっているのだと思います。
ジュワル・クール大師の仮説(的著作)はもちろんのこと、本書でアリス・ベイリーが提示した仮説でさえも、科学的に厳密な検証を試みるにはあまりに大きすぎる仮説ではありますが、それらは証明できないからといって頭ごなしに否定すべきものではなく、本書のようなアプローチによって少しずつでも現実に近づける努力がなされ、妥当性が検討されるべきものだと思います。
ジュワル・クール大師の著作とアリス・ベイリーの著作を比べると、ちょうど、地球最高の霊的センターといわれるシャンバラから発せられる「大目的」と、シャンバラと人類をつなぐ役割を果たしているハイアラーキーから発せられる「大計画」のような関係があるように感じました。
シャンバラから発せられる「大目的」は(その上の太陽系の進化の計画に沿って、それに協力する形で作成されますが)非常に抽象的で言語化できるようなものではないと言われています。
ハイアラーキーの「大計画」は、それを地球・人類の状況にあわせ、より具体的なものにされたものですが、まだ高位のイニシエートにしか把握できない形のものです。
しかし、ハイアラーキーの人類への指導はそれに基づいて、それを地球上で具現化すべく、行われていくわけです。
両者の著作を見ると、その縮小版が、大師と弟子の間で行われていることが分かります。
この最終章で、(多少)オリジナリティーのある部分を、抜き出しておきましょう。
「私たちの研究の結果として、三つの理論がはっきりと浮かび上がり、この三つの理論から、生命、自我意識、知的な目的を実際に表わす有機体としての人間を説明する三重の仮説が成り立つ。
一つ目の理論は、人間はその人の腺と神経系の状態通りのものであるというものである。
・・・西洋ではこのように言われている。
二つ目の理論は、人間はその人の諸センターの状態通りのものであるというものである。
・・・西洋ではこのように言われている。
三つ目の理論は、センターだけではなく腺や神経系も、魂が支配力を発揮しているかしていないかに条件づけられているというものである。・・・
・・・
自分が実際に魂であるということを確認でき、したがって、自分の表現の道具、つまり三つの部分からなる低位の性質、サイキック的な状態とメンタル的な状態全体を統御できるようになる方法は存在する。この方法によって、東洋の知恵と西洋の知識の融合を成し遂げることが可能であり、その結果、それぞれの体系の最高の面を人類全体が活用できるようになる。
人間が魂を発見する可能性を考察する際には、まず最初に、仮説を進んで受け入れなければならない。・・・
魂の存在事実と、活力を吹き込むその装置の存在事実をこれまで確かめようとしてきた人々は、二つのグループに分けることができる。肉体的な手段に加えて、熱誠と感情を用いてきた神秘家たちがいる。
また、力量がより純粋にメンタル的な人々で、霊的な知識に達するために知性とマインドを活用してきた人々がいる。・・・
どちらのグループも魂の存在の真実性を証言してはいるが、彼ら特有の傾向と方法に限定されているため、彼らの証言は偏ったものである。・・・(しかし今日、その)融合が一般的に起こることが初めて可能になった。両半球の哲学者たちと聖人たちが過去に下した結論から、私たちは、私たちの時代と世代にとって霊的な達成の様式になるような体系と方法を作り上げることができるはずである。
したがって、まず最初にいくつかのステップを踏むことが実際的であるということになる。そのステップを次のように要約することができる。
(a)西洋の知識、特に予防医学と内分泌系の全体的な健康に関する知識を活用して、肉体を健全に扱うこと。
(b)現代心理学と良識ある精神分析の基本的な事実を知的に理解し応用すること。そうすることで、
魂が表現しようとするときに用いるメンタル的、情緒的、肉体的なメカニズムについての知識に達する。
(c)肉体が欲求や情緒的な性質に反応し、それらによって統御される自動装置であるのと同じように、(…)
このような情緒的な意識状態は、論理的に考えるマインドによって統御することができる
という事実を認識すすること
(d)以上述べたことから、マインドの法則についての研究が生まれるであろう。
その結果、マインドと脳の関係が理解され活用されるようになるであろう。
この四つの点が理解され、人間のパーソナリティーの中でこれらの効果が感じられるようになったとき、私たちの有機体は統合され調整されるであろう。そのようになったとき、その構造体は魂に方向づけられる準備ができたとみなすことができる。
・・・
今までは、神秘家の方法が大多数の人々のやり方であり、知的な方法は少数の人々のためのものであった。しかし、人類はいま、多くの人々の神秘主義的な体験に基づいた仮説を立て、感情と崇拝から知識へと、神を愛することから神を知ることへと前進できる段階にいる。
東洋の知恵が西洋の知識に加えられ、魂の科学のテクニックが私たち西洋の知的タイプの人々に課されるときに、そのようになるであろう。」
として、ラージャ・ヨーガの八つの段階的方法に基づくメソッドが示されています。そして、
「まず最初に、活力を与える魂に関して東洋哲学を学ぶ人が主張することを実証もしくは反証できるような研究室を設立することができるはずである。」
と記しています。
ジュワル・クール大師とアリス・ベイリーによって企画された計画は、今日、予定をどの程度までクリヤーしてきているのでしょうか?
「本書では心理学の二つの体系について、つまり、東洋と西洋の心理学について考察してきた。これらを一つにして考えることで、あるメカニズムを通して機能している、生きている魂としての人間についての全体像が得られた。
このメカニズムの一部である、センターを持つエーテル体は、精妙で目に見えず、五感で捉えられる範囲を超えており、もう一つの部分は、濃密な肉体領域のもの、つまり、内分泌腺および神経系であり、これらが濃密な肉体的な顕現の残りの部分を統御している。この二つの部分が一つの全体を形成しているということを私たちは信じている。」
と、これまでまとめてきたことが、要約されています。
アリス・ベイリーによって接ぎ木された東西心理学、興味深い仮説ではありますが、厳密科学的にいうと未解決の問題だらけではあります。
ただそれは、アリス・ベイリーの問題というよりも、現在の科学の限界の問題です。
東・西の接合部分に関しては、前回取り上げましたが、東洋の心理学の領域に入ったあとは、今の西洋科学では実証し得ません。
(前にも書きましたが、本山博先生のチャクラ研究などが、取っ掛かり口をつける研究になりますが、これについては、いずれまた。)
しかし、厳密科学的な証明はできない問題でも、少しでも客観性を高める努力をすることはできます。
それを、アリス・ベイリーは本書では、東西の聖典や、聖者・賢者・修行者などの体験に基づく言説や記録を照合することによって、随所で行っています。
ただ、この最終章は、ジュワル・クール大師がこのテーマで語られたことの要約的な内容で、調査によって調べてきた引用文も少なく、アリス・ベイリー独自の貢献はあまり見られません。
第六章までで打ち立てた東西心理学の接合仮説が成り立つとすると、それはジュワル・クール大師の諸説と整合性があり、両者とも正統である可能性が高くなるだろう、というような主張になっているのだと思います。
ジュワル・クール大師の仮説(的著作)はもちろんのこと、本書でアリス・ベイリーが提示した仮説でさえも、科学的に厳密な検証を試みるにはあまりに大きすぎる仮説ではありますが、それらは証明できないからといって頭ごなしに否定すべきものではなく、本書のようなアプローチによって少しずつでも現実に近づける努力がなされ、妥当性が検討されるべきものだと思います。
ジュワル・クール大師の著作とアリス・ベイリーの著作を比べると、ちょうど、地球最高の霊的センターといわれるシャンバラから発せられる「大目的」と、シャンバラと人類をつなぐ役割を果たしているハイアラーキーから発せられる「大計画」のような関係があるように感じました。
シャンバラから発せられる「大目的」は(その上の太陽系の進化の計画に沿って、それに協力する形で作成されますが)非常に抽象的で言語化できるようなものではないと言われています。
ハイアラーキーの「大計画」は、それを地球・人類の状況にあわせ、より具体的なものにされたものですが、まだ高位のイニシエートにしか把握できない形のものです。
しかし、ハイアラーキーの人類への指導はそれに基づいて、それを地球上で具現化すべく、行われていくわけです。
両者の著作を見ると、その縮小版が、大師と弟子の間で行われていることが分かります。
この最終章で、(多少)オリジナリティーのある部分を、抜き出しておきましょう。
「私たちの研究の結果として、三つの理論がはっきりと浮かび上がり、この三つの理論から、生命、自我意識、知的な目的を実際に表わす有機体としての人間を説明する三重の仮説が成り立つ。
一つ目の理論は、人間はその人の腺と神経系の状態通りのものであるというものである。
・・・西洋ではこのように言われている。
二つ目の理論は、人間はその人の諸センターの状態通りのものであるというものである。
・・・西洋ではこのように言われている。
三つ目の理論は、センターだけではなく腺や神経系も、魂が支配力を発揮しているかしていないかに条件づけられているというものである。・・・
・・・
自分が実際に魂であるということを確認でき、したがって、自分の表現の道具、つまり三つの部分からなる低位の性質、サイキック的な状態とメンタル的な状態全体を統御できるようになる方法は存在する。この方法によって、東洋の知恵と西洋の知識の融合を成し遂げることが可能であり、その結果、それぞれの体系の最高の面を人類全体が活用できるようになる。
人間が魂を発見する可能性を考察する際には、まず最初に、仮説を進んで受け入れなければならない。・・・
魂の存在事実と、活力を吹き込むその装置の存在事実をこれまで確かめようとしてきた人々は、二つのグループに分けることができる。肉体的な手段に加えて、熱誠と感情を用いてきた神秘家たちがいる。
また、力量がより純粋にメンタル的な人々で、霊的な知識に達するために知性とマインドを活用してきた人々がいる。・・・
どちらのグループも魂の存在の真実性を証言してはいるが、彼ら特有の傾向と方法に限定されているため、彼らの証言は偏ったものである。・・・(しかし今日、その)融合が一般的に起こることが初めて可能になった。両半球の哲学者たちと聖人たちが過去に下した結論から、私たちは、私たちの時代と世代にとって霊的な達成の様式になるような体系と方法を作り上げることができるはずである。
したがって、まず最初にいくつかのステップを踏むことが実際的であるということになる。そのステップを次のように要約することができる。
(a)西洋の知識、特に予防医学と内分泌系の全体的な健康に関する知識を活用して、肉体を健全に扱うこと。
(b)現代心理学と良識ある精神分析の基本的な事実を知的に理解し応用すること。そうすることで、
魂が表現しようとするときに用いるメンタル的、情緒的、肉体的なメカニズムについての知識に達する。
(c)肉体が欲求や情緒的な性質に反応し、それらによって統御される自動装置であるのと同じように、(…)
このような情緒的な意識状態は、論理的に考えるマインドによって統御することができる
という事実を認識すすること
(d)以上述べたことから、マインドの法則についての研究が生まれるであろう。
その結果、マインドと脳の関係が理解され活用されるようになるであろう。
この四つの点が理解され、人間のパーソナリティーの中でこれらの効果が感じられるようになったとき、私たちの有機体は統合され調整されるであろう。そのようになったとき、その構造体は魂に方向づけられる準備ができたとみなすことができる。
・・・
今までは、神秘家の方法が大多数の人々のやり方であり、知的な方法は少数の人々のためのものであった。しかし、人類はいま、多くの人々の神秘主義的な体験に基づいた仮説を立て、感情と崇拝から知識へと、神を愛することから神を知ることへと前進できる段階にいる。
東洋の知恵が西洋の知識に加えられ、魂の科学のテクニックが私たち西洋の知的タイプの人々に課されるときに、そのようになるであろう。」
として、ラージャ・ヨーガの八つの段階的方法に基づくメソッドが示されています。そして、
「まず最初に、活力を与える魂に関して東洋哲学を学ぶ人が主張することを実証もしくは反証できるような研究室を設立することができるはずである。」
と記しています。
ジュワル・クール大師とアリス・ベイリーによって企画された計画は、今日、予定をどの程度までクリヤーしてきているのでしょうか?
新しい時代の医学と心理学の関係 ~ 『魂とそのメカニズム』 (13)
さて、昨日からの検討を続けます。
私が本書に今回注目したのは、(すでに終了してしまいましたが)EH連続講座第7回の準備をしていて、その該当範囲を読んだ時に、本書のタイトルが思い浮かび、副読本的なものとして書いたのかな? と思い至ったからです。
そして今回改めて読んでみて、実際にそのような位置づけのものだと感じました。
ここで、一つの疑問が浮かびました。『秘教治療』は新しい時代の“医学”のテキストとして用意されたものといえます。新しい時代の“心理学”のテキストとしては『秘教心理学』が用意されています。
本書は、『秘教心理学』の副読本ともいえますが、内分泌腺など肉体に属する器官は、『秘教心理学』ではほとんど取りあげられておらず、やはり『秘教治療』の方により関係している問題が扱われています。
しかし、一方で本書は、「東西心理学の融合」が目的とされています。
これは、どういうことなのか? (医学と心理学の関係はどうなっているのか?)
このシリーズの(6)で紹介した文章に、
「私は、内分泌系について考察する上で、例えば、身体の成長、髪、心臓、血液、生殖器官との関係といった、普通の生理学的な観点や作用という点から述べるつもりはない。・・・
私が意図することはむしろ、進歩した現代の研究者、医師、心理学者たちが内分泌腺の研究からどのような推論を下しているか、人間の行動に内分泌腺がどのような影響を与えていると判断しているかを確かめることであり、神秘的な内分泌物が人間の行動、感情、思考――つまり、人間そのもの――の原因であるというしばしば行われる主張を検証することである。腺を理解せよ、そして人間を見よ、と言われている。」(P35)
というものがありました。また(6)と(7)の間に挿入した「『内分泌腺』の常識」という記事の際に検索して調べてみて、現在の日本の状況では、医学の世界では内分泌腺については肉体に及ぼす作用の方に焦点が当たっていて、内分泌腺が感情や思考に関する影響は、(少なくとも一般人が触れられるような形では)本格的には論じられていない、と思いました。
おそらく、医学界では内分泌腺の感情や思考に及ぼす影響を調べる研究はマイナーで、アカデミックな心理学(以前は、「大学の心理学はつまらないよ」と聞いていました。一番オーソドックスと認められる研究は、ラットなどで心理的な刺激を与えたときの生理的な反応を追う研究だったからだと思います。)が、この領域を担当していたのだと思います。
もちろん、精神科・神経内科・心療内科などでは、こういった分野の研究を進めてきただろうと思いますし、ほとんどの病気は心身症というような考え方もかなり認められるようになってきた現在、医学界も取り組み方を変えてきているでしょうが、内分泌腺と感情や思考の関係に関する研究のベースをつくってきたのは、西洋医学界ではなく、西洋心理学界だったのでしょう。
この辺り、医学と心理学の接合・統合にも関わる問題ですね。(そういえば、日本のトランスパーソナル界は2つの組織に分断してしまっていますが、よりアカデミックな方向を探求している団体の名称は、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 http://www.jatp.info/index.html でした。ここに関係している方々が、研究を進めているのでしょうか?)
これに関して、『秘教治療』には、次のような、とても重要な記述が見られます。([上]P236 )
「心理学という科学が、次の二世紀の間に、次の章で扱う範疇の病気――結核・性病・癌といった集団生活から発生する病気――以外で、現代医学の中心になるのは、このような理由からである。」
それもあって、内分泌腺の研究の動向が、現在の日本ではどうなっているのか、気になって調べてみようと思いましたが、こういうのを検索するのは、なかなか難しいですね。
でも、「内分泌腺の研究の動向」と入力してみると、「内分泌系の研究の動向」というのが下に出てきて、その中に
「行動神経内分泌研究会」というのがあったので、これはいいかもと思って当たってみると、「行動神経内分泌研究室」というのが出てきました。http://www.kansei.tsukuba.ac.jp/~ogawalab/?category=1
(息子の行っている、筑波大でした。何か最近、筑波に当たることが多いです。)
ちょっと見てみると、予想通り、まだホルモンのレベルの研究が中心ですね。
一通り、構成する要素(この場合はホルモン)の研究が進み、より大きなシステムに興味が移って、はじめて内分泌系全体が問題になり、チャクラ・システムとの関係が議論できるようになる、という形で、科学的研究は進んでいかざるを得ないのでしょうね。
私は、研究は好きですが、そこまではシビレガが切れて、やはりお付き合いできそうもありません。
もうかなりの年齢になってますし、仮説を認めた上で次の段階の研究や実践の方に時間を使うことを、選択したいと思ってます。
私が本書に今回注目したのは、(すでに終了してしまいましたが)EH連続講座第7回の準備をしていて、その該当範囲を読んだ時に、本書のタイトルが思い浮かび、副読本的なものとして書いたのかな? と思い至ったからです。
そして今回改めて読んでみて、実際にそのような位置づけのものだと感じました。
ここで、一つの疑問が浮かびました。『秘教治療』は新しい時代の“医学”のテキストとして用意されたものといえます。新しい時代の“心理学”のテキストとしては『秘教心理学』が用意されています。
本書は、『秘教心理学』の副読本ともいえますが、内分泌腺など肉体に属する器官は、『秘教心理学』ではほとんど取りあげられておらず、やはり『秘教治療』の方により関係している問題が扱われています。
しかし、一方で本書は、「東西心理学の融合」が目的とされています。
これは、どういうことなのか? (医学と心理学の関係はどうなっているのか?)
このシリーズの(6)で紹介した文章に、
「私は、内分泌系について考察する上で、例えば、身体の成長、髪、心臓、血液、生殖器官との関係といった、普通の生理学的な観点や作用という点から述べるつもりはない。・・・
私が意図することはむしろ、進歩した現代の研究者、医師、心理学者たちが内分泌腺の研究からどのような推論を下しているか、人間の行動に内分泌腺がどのような影響を与えていると判断しているかを確かめることであり、神秘的な内分泌物が人間の行動、感情、思考――つまり、人間そのもの――の原因であるというしばしば行われる主張を検証することである。腺を理解せよ、そして人間を見よ、と言われている。」(P35)
というものがありました。また(6)と(7)の間に挿入した「『内分泌腺』の常識」という記事の際に検索して調べてみて、現在の日本の状況では、医学の世界では内分泌腺については肉体に及ぼす作用の方に焦点が当たっていて、内分泌腺が感情や思考に関する影響は、(少なくとも一般人が触れられるような形では)本格的には論じられていない、と思いました。
おそらく、医学界では内分泌腺の感情や思考に及ぼす影響を調べる研究はマイナーで、アカデミックな心理学(以前は、「大学の心理学はつまらないよ」と聞いていました。一番オーソドックスと認められる研究は、ラットなどで心理的な刺激を与えたときの生理的な反応を追う研究だったからだと思います。)が、この領域を担当していたのだと思います。
もちろん、精神科・神経内科・心療内科などでは、こういった分野の研究を進めてきただろうと思いますし、ほとんどの病気は心身症というような考え方もかなり認められるようになってきた現在、医学界も取り組み方を変えてきているでしょうが、内分泌腺と感情や思考の関係に関する研究のベースをつくってきたのは、西洋医学界ではなく、西洋心理学界だったのでしょう。
この辺り、医学と心理学の接合・統合にも関わる問題ですね。(そういえば、日本のトランスパーソナル界は2つの組織に分断してしまっていますが、よりアカデミックな方向を探求している団体の名称は、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 http://www.jatp.info/index.html でした。ここに関係している方々が、研究を進めているのでしょうか?)
これに関して、『秘教治療』には、次のような、とても重要な記述が見られます。([上]P236 )
「心理学という科学が、次の二世紀の間に、次の章で扱う範疇の病気――結核・性病・癌といった集団生活から発生する病気――以外で、現代医学の中心になるのは、このような理由からである。」
それもあって、内分泌腺の研究の動向が、現在の日本ではどうなっているのか、気になって調べてみようと思いましたが、こういうのを検索するのは、なかなか難しいですね。
でも、「内分泌腺の研究の動向」と入力してみると、「内分泌系の研究の動向」というのが下に出てきて、その中に
「行動神経内分泌研究会」というのがあったので、これはいいかもと思って当たってみると、「行動神経内分泌研究室」というのが出てきました。http://www.kansei.tsukuba.ac.jp/~ogawalab/?category=1
(息子の行っている、筑波大でした。何か最近、筑波に当たることが多いです。)
ちょっと見てみると、予想通り、まだホルモンのレベルの研究が中心ですね。
一通り、構成する要素(この場合はホルモン)の研究が進み、より大きなシステムに興味が移って、はじめて内分泌系全体が問題になり、チャクラ・システムとの関係が議論できるようになる、という形で、科学的研究は進んでいかざるを得ないのでしょうね。
私は、研究は好きですが、そこまではシビレガが切れて、やはりお付き合いできそうもありません。
もうかなりの年齢になってますし、仮説を認めた上で次の段階の研究や実践の方に時間を使うことを、選択したいと思ってます。
批判的検討とその必要性 ~ 『魂とそのメカニズム』 (12)
思いがけなく長らく続けてきた本書の紹介も、いよいよ最後の「第七章 結論」に辿り着きました。
アリス・ベイリーは、論文を意図してこの作品を書いていますから、どれくらいしっかりとしたものになっているか、論旨・論理展開をチェックすることが一番大切だと思います。
また、(4)で取り上げた「まえがき」のオーバーストリート氏による評価が正当なものであったかどうかを、評価することも必要だと思います。
もし読者を騙そうというような意図を持っていた場合、都合のいい過大評価の文章を最初に載せて欺こうとしているかもしれないのです。
実際にその手のことは、精神世界やビジネスの世界では日常茶飯事ですので、自分の「ごひいき」になったものであっても、いつもそれくらい厳しい批判的な目で見続ける習慣をつけなければいけません。
人間や組織は、すぐに変わります。特に精神世界では、「あんなに素晴らしいと思っていた人がぁ~?!」っということが、頻繁に起きます。
周囲の人が、いつもメンタル的で霊性・冷静を保って見守っていれば、道を大きく逸れる危険性は少なくなります。
また、問題点を見つけた場合、それをどのように表現するかは、また別の問題です。
いきなり喧嘩ごしに、批判的な態度をとる必要はなく、「不必要な批判は避ける」智恵もまた、必要なことです。
さて、オーバーストリート氏の主要な評価ポイントは、以下のようなものでした。
1.この本は、西洋に対して東洋を説明し、東洋に対して西洋を説明するだけではなく、二つの思考過程を一つの観点へと調和させる一つの試みとして意義深い。
2.この本を特に意義あるものにしているのは、腺についての西洋の研究と「センター」についての東洋の研究との、独自の比較検討である。・・・腺の研究に重点を置くことによって、個人の訓練を一層適切なものにする提案をしているだけではなく、さらなる研究への可能性を開くようなやり方で、肉体とマインドの関係を提示している。
3.この本の結論は修正する必要があるかもしれず、拒否することさえ必要かもしれない。しかし、いずれは深遠な意義のある生理学や心理学の研究につながると思われる新しい可能性を著者が開いたことは全く疑う余地はない。
4.この本は挑戦的であるだけではなく、非常に啓蒙をもたらすものである。それは西洋人のマインドには驚きであろうが、その驚きには東洋人の思考プロセスに対する賞賛が入り混じっているように思える。
今、コピペ~要約作業をしていて、(この一連の記事では紹介できなかった部分もありますが)ほぼ同意できる評価で、安心しました。
念のために、検証してみたいと思います。
前回見た第六章までで、アリス・ベイリーは西洋と東洋の(宗教を含む)心理学を紹介しつつ、西洋側から内分泌腺、そして東洋側からチャクラを両者の隣接点と見なして、そこで接ぎ木するような形で両者をつないだのでした。
その接着剤が昨日あげた2点、
1.腺とセンターの位置の共通性
2.人類の大半が目覚めているといわれるセンターに対応する内分泌腺のホルモンは発見されており、
人類の大半では未だ眠っているとされるセンターに対応する内分泌腺のホルモンはまだ発見されていない。
というのは、少し弱い感じはしますので、科学的には「興味深い仮説の提示」ということになると思います。
この背景には、このシリーズ(5)で引用した(P18・19)、
「東西の異なった科学と思想と推論を結びつけることで、新しい心理学が姿を現すであろう。それは、西洋が慣れ親しんでいる、人間が用いる構造に関する理解と、東洋が慣れ親しんでいる、自らの構造に生命を吹き込んで方向づけるエネルギーや霊についての理解に基づくものになるであろう。これら――構造と動機づけるエネルギー――は対立するものではなく、相互に依存しあうものである。それらは本質的には一つである。」
あるいは、(7)で引用した(P66)、
「東洋の心理学者は、西洋の心理学者が仮説と見なすところから始めている。東洋の心理学者は、人間の霊的な本質に重点を置き、物質性質そのものは霊的な活動の結果であると考える。目に見える客観的なものはすべて、内部の主観的なエネルギーが外部に現われたものにすぎないと断言する。また、宇宙と人間の全システムを結果とみなし、科学者たちはただ結果だけを扱っていると考える。」
が、より根本的な仮説として、存在していたわけです。
この全体像が分かると、それぞれの引用が、より明確な意味をもって理解できますね。
そしてこの仮説が事実だったとすると、人間の仕組みの素晴らしさとともに、人類の歴史の見事さ(それはつまり、人類を導いている存在=ハイアラーキーがあったとすると、その存在が人類に施した非常にスケールの大きい教育の見事さ、東・西に分けて少なくとも数千年、別々に育成し、それを現在統合しようというプランの見事さ)とともに、現在の時点の重要性を、感じざるを得ません。
また、長くなってしまいましたので、今日はここまでにします。
アリス・ベイリーは、論文を意図してこの作品を書いていますから、どれくらいしっかりとしたものになっているか、論旨・論理展開をチェックすることが一番大切だと思います。
また、(4)で取り上げた「まえがき」のオーバーストリート氏による評価が正当なものであったかどうかを、評価することも必要だと思います。
もし読者を騙そうというような意図を持っていた場合、都合のいい過大評価の文章を最初に載せて欺こうとしているかもしれないのです。
実際にその手のことは、精神世界やビジネスの世界では日常茶飯事ですので、自分の「ごひいき」になったものであっても、いつもそれくらい厳しい批判的な目で見続ける習慣をつけなければいけません。
人間や組織は、すぐに変わります。特に精神世界では、「あんなに素晴らしいと思っていた人がぁ~?!」っということが、頻繁に起きます。
周囲の人が、いつもメンタル的で霊性・冷静を保って見守っていれば、道を大きく逸れる危険性は少なくなります。
また、問題点を見つけた場合、それをどのように表現するかは、また別の問題です。
いきなり喧嘩ごしに、批判的な態度をとる必要はなく、「不必要な批判は避ける」智恵もまた、必要なことです。
さて、オーバーストリート氏の主要な評価ポイントは、以下のようなものでした。
1.この本は、西洋に対して東洋を説明し、東洋に対して西洋を説明するだけではなく、二つの思考過程を一つの観点へと調和させる一つの試みとして意義深い。
2.この本を特に意義あるものにしているのは、腺についての西洋の研究と「センター」についての東洋の研究との、独自の比較検討である。・・・腺の研究に重点を置くことによって、個人の訓練を一層適切なものにする提案をしているだけではなく、さらなる研究への可能性を開くようなやり方で、肉体とマインドの関係を提示している。
3.この本の結論は修正する必要があるかもしれず、拒否することさえ必要かもしれない。しかし、いずれは深遠な意義のある生理学や心理学の研究につながると思われる新しい可能性を著者が開いたことは全く疑う余地はない。
4.この本は挑戦的であるだけではなく、非常に啓蒙をもたらすものである。それは西洋人のマインドには驚きであろうが、その驚きには東洋人の思考プロセスに対する賞賛が入り混じっているように思える。
今、コピペ~要約作業をしていて、(この一連の記事では紹介できなかった部分もありますが)ほぼ同意できる評価で、安心しました。
念のために、検証してみたいと思います。
前回見た第六章までで、アリス・ベイリーは西洋と東洋の(宗教を含む)心理学を紹介しつつ、西洋側から内分泌腺、そして東洋側からチャクラを両者の隣接点と見なして、そこで接ぎ木するような形で両者をつないだのでした。
その接着剤が昨日あげた2点、
1.腺とセンターの位置の共通性
2.人類の大半が目覚めているといわれるセンターに対応する内分泌腺のホルモンは発見されており、
人類の大半では未だ眠っているとされるセンターに対応する内分泌腺のホルモンはまだ発見されていない。
というのは、少し弱い感じはしますので、科学的には「興味深い仮説の提示」ということになると思います。
この背景には、このシリーズ(5)で引用した(P18・19)、
「東西の異なった科学と思想と推論を結びつけることで、新しい心理学が姿を現すであろう。それは、西洋が慣れ親しんでいる、人間が用いる構造に関する理解と、東洋が慣れ親しんでいる、自らの構造に生命を吹き込んで方向づけるエネルギーや霊についての理解に基づくものになるであろう。これら――構造と動機づけるエネルギー――は対立するものではなく、相互に依存しあうものである。それらは本質的には一つである。」
あるいは、(7)で引用した(P66)、
「東洋の心理学者は、西洋の心理学者が仮説と見なすところから始めている。東洋の心理学者は、人間の霊的な本質に重点を置き、物質性質そのものは霊的な活動の結果であると考える。目に見える客観的なものはすべて、内部の主観的なエネルギーが外部に現われたものにすぎないと断言する。また、宇宙と人間の全システムを結果とみなし、科学者たちはただ結果だけを扱っていると考える。」
が、より根本的な仮説として、存在していたわけです。
この全体像が分かると、それぞれの引用が、より明確な意味をもって理解できますね。
そしてこの仮説が事実だったとすると、人間の仕組みの素晴らしさとともに、人類の歴史の見事さ(それはつまり、人類を導いている存在=ハイアラーキーがあったとすると、その存在が人類に施した非常にスケールの大きい教育の見事さ、東・西に分けて少なくとも数千年、別々に育成し、それを現在統合しようというプランの見事さ)とともに、現在の時点の重要性を、感じざるを得ません。
また、長くなってしまいましたので、今日はここまでにします。
GW集中講座に関して
明日は早朝に出かけ、明後日いっぱい、
ホリ協主催の、スピエネット=富士山ツアー合宿です。
出がけ前に、この前の講座のご報告と、
次回の講座のご案内を、させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第7回の「魂とその使用するメカニズム」も、
お陰さまで無事終わりました。
受講していただいた方は、
「同感」と言っていただけると思いますが、
今回の内容が、これまで7回の、
そしてエネルギー・システム全体を俯瞰し、
「なぜ、7つのチャクラに焦点を絞った
ヒーリングで、必要十分なのか」
を論理的に説明する、一番重要なところでした。
私自身がそれを読み解けたのが、
今回の初日の3日前だったので、事前に十分、
その点をご紹介することができませんでしたが、
実力のあるヒーリングの専門家の方からも、
「ヒーリングをやるんだったら、ここのところを
絶対に理解しておかなきゃダメですね。」
という発言をいただきました。
今回ご参加いただけなかった方は、
再度やるのは来年になってしまいますが、
集中講座の最終日、4月30日に、
今回の内容の半分はやりますので、
ご都合がつけば、是非、その日だけでも、
ご参加ください。
その他、集中講座では、これまでやった中で、
28日=0回目(概論)
1回目(エーテル体)
4回目
(チャクラ)
29日=2回目(アストラル体)
3回目(メンタル体)
5回目(パーソナリティー)
30日=6回目(魂の進化)
7回目(魂とそのメカニズム)
を、エネルギー・システムに焦点を当てながら
振り返り、まとめる予定です。
お休みして、抜けている回があれば、是非、
また、そうでなくても、復習により、
一層理解が深まりますので、
GWを有意義に活用いただければ、と思います。
1日だけでも、全日程のご参加でも、結構です。
お待ちしております。
下記に、詳細を再度貼り付けます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ゴールデン・ウィーク特別企画★ 集中講座!!
「人間のエネルギー・システムとエソテリック・ヒーリング」
4月28日(土)13:30 ~ 20:00
概要 / エーテル体とチャクラ(前)
29日(日)10:00 ~ 16:30
アストラル体 / メンタル体(終了後・懇親会)
30日(月・祭)10:00 ~ 16:30
チャクラ(後)と魂 / ヒーリングの実際
参加費:1日ごと5000円および入会回数チケット
(『秘教治療』上・下巻5,775円+4回回数券=20,000円
テキストなしの場合、15,000円)の他、
今回しか出れそうにない関東地方以外にお住まいの方には特別に、
集中講座一括・テキスト・懇親会費:20,000円、
テキストが不要の場合は、15,000円
(要するに、懇親会費、おごっちゃおう! です)
を、設けます。お申し出ください。
これは出たら、ハッキリ言って、人生、変わると思います。
(私自身が、それを期待しています。)
遠方からのご参加、この際、是非是非、お待ちしてま~す。
ホリ協主催の、スピエネット=富士山ツアー合宿です。
出がけ前に、この前の講座のご報告と、
次回の講座のご案内を、させていただきます。
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第7回の「魂とその使用するメカニズム」も、
お陰さまで無事終わりました。
受講していただいた方は、
「同感」と言っていただけると思いますが、
今回の内容が、これまで7回の、
そしてエネルギー・システム全体を俯瞰し、
「なぜ、7つのチャクラに焦点を絞った
ヒーリングで、必要十分なのか」
を論理的に説明する、一番重要なところでした。
私自身がそれを読み解けたのが、
今回の初日の3日前だったので、事前に十分、
その点をご紹介することができませんでしたが、
実力のあるヒーリングの専門家の方からも、
「ヒーリングをやるんだったら、ここのところを
絶対に理解しておかなきゃダメですね。」
という発言をいただきました。
今回ご参加いただけなかった方は、
再度やるのは来年になってしまいますが、
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今回の内容の半分はやりますので、
ご都合がつけば、是非、その日だけでも、
ご参加ください。
その他、集中講座では、これまでやった中で、
28日=0回目(概論)
1回目(エーテル体)
4回目
(チャクラ)
29日=2回目(アストラル体)
3回目(メンタル体)
5回目(パーソナリティー)
30日=6回目(魂の進化)
7回目(魂とそのメカニズム)
を、エネルギー・システムに焦点を当てながら
振り返り、まとめる予定です。
お休みして、抜けている回があれば、是非、
また、そうでなくても、復習により、
一層理解が深まりますので、
GWを有意義に活用いただければ、と思います。
1日だけでも、全日程のご参加でも、結構です。
お待ちしております。
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「人間のエネルギー・システムとエソテリック・ヒーリング」
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概要 / エーテル体とチャクラ(前)
29日(日)10:00 ~ 16:30
アストラル体 / メンタル体(終了後・懇親会)
30日(月・祭)10:00 ~ 16:30
チャクラ(後)と魂 / ヒーリングの実際
参加費:1日ごと5000円および入会回数チケット
(『秘教治療』上・下巻5,775円+4回回数券=20,000円
テキストなしの場合、15,000円)の他、
今回しか出れそうにない関東地方以外にお住まいの方には特別に、
集中講座一括・テキスト・懇親会費:20,000円、
テキストが不要の場合は、15,000円
(要するに、懇親会費、おごっちゃおう! です)
を、設けます。お申し出ください。
これは出たら、ハッキリ言って、人生、変わると思います。
(私自身が、それを期待しています。)
遠方からのご参加、この際、是非是非、お待ちしてま~す。
内分泌腺とチャクラの関係 ~ 『魂とそのメカニズム』 (11)
この本でアリスは、できるだけフォーマルな論文に近い形式を取るように努力しながら書いています。
そのため、たくさんの引用がなされていますが、論旨に関しては、引用の部分を取り去って、アリスの言葉だけをつなげていくと、その骨格が見えてきます。
昨日は、それをやってみました。
この本に関して言うと、本を真中で上下に割って2段組みにして、上段にアリスの文章、下段に引用文を入れたものをつくると、とても分かりやすいな、と思いました。
アリスの文章だけを追っていくと、論理の骨格とともに、アリスがジュワル・クール大師の作品や表現をどう捉えて、その仮説を実証するためにはどういう部分を補って論理を組み立てていったらいいと考えているのかが分かって、また(前にも書きましたが)ジュワル・クール大師の語られていたことが少し違った表現で語られているので、大師の使われる言葉の意味が確認できたりして、(アリス・ベイリーを深く学びたいと思っている人にとっては)とても興味深いです。
今日は、「第六章 七つのフォース・センター」に入りますが、例えば、以下のような表現が、それに当たります。
「活力体(エーテル体)はまた、実際には魂と呼ばれる感覚的原理を体現している。もっと正確に言えば、活力体は魂の表現であり、魂の媒体である。
魂の主な特性は意識である。生命としての魂は『ハートに座して』おり、理性を備えた霊的な意識としては『眉間の玉座に座して』いる。」
「生命フォースには肉体との主要な接点が七つあり、それらは七つのセンターと呼ばれる。
この七つのフォース・センターは生命フォースを伝えるものであり、魂の仲介者である。それらは肉体的な存在を維持し、その活動を生み出している。」
アリス・ベイリー(ジュワル・クール大師の作品)をそれほど読まれていない方には、ピンとこないと思いますが、私のように半年以上ずっと『秘教治療』に集中してきた人間には、ちょっとした表現の違いが、とても新鮮で興味深く、新たな発見があるのです。
まあ、とてもマニアックな世界ともいえますが、これが人間やこの宇宙の本質を語る真理であるとするならば、単なる趣味の世界とは違い、とても生産的なものを生み出してくれるように思うのです。
一方で、引用の部分は、1,900年代初頭の時点で、欧米では既に、西洋科学(生理学)と東洋(インド)の心理学~サトル・エネルギー理論との間をつなぐための、かなりレベルの高い研究が既に進められていたことに、驚かされます。特に、昨日ご紹介したアーサー・アヴァロンの著書に見られる記述は素晴らしい。
日本では未だ、このレベルまで研究が及んでいるのは本山博先生のところとアーユルヴェーダ関係のごく僅かではないか、と思います。
軽い精神世界やヒーリングの裾野は非常に拡がっているのですが、本質的な部分の理解では、日本と欧米・インドでは1世紀近い開きがあるように感じます。
講座などを通じエソテリック・ヒーリングの理解を拡め深めることによって、少しでもその差を縮めることに貢献できれば、という思いを新たにしました。
さてテキストの方に戻り、本章の次は「結論」の章なので、この章は本書のメイン・テーマである「西洋と東洋の心理学の融合」が、データ(といっても当時の時点で出版されていた専門的研究書からの引用)に基づいて探究される大詰めの部分です(P161・162)。
「七つのセンターについての東洋の教義と、腺についての西洋の教義を比較すると、まず最初に、位置関係に関して顕著な事実に気づく。七つのフォース・センターは、腺が位置しているところと同じ部位に見られ、それぞれのフォース・センターは、対応する腺にパワーと生命を与える源であると言ってもよいであろう(インドの教えではそのように言われている)。次の比較に関する表には、それらの位置が一致していることが示されている。・・・
二番目の事実、それは一番目の事実よりもさらに顕著なものであるが、目覚めているフォース・センターと一致する腺は、その機能が知られており、その大部分の分泌物つまりホルモンが発見されているということである。眠っているセンター、あるいは人類のうちの進歩した人々の場合には目覚めているセンターと一致する腺は、その機能が比較的知られておらず、その大部分の分泌物がまだ発見されていない。」
そして、これを受けて、次のように述べるのです。上記2点からの推論としては、科学的には根拠が足りませんが、問題提起ということでしょう。
「したがって、人はその人の腺が作り上げるものであり、私たちは自分に固有の内分泌系の状態よりも良くもなければ悪くもないと西洋の心理学者たちが言うとき、彼らは正しいことを言っているのである。しかし彼らが正しい理由は、フォース・センターに関する東洋の理論が正しいからであると言える。・・・
腺は外的な象徴にすぎず、遥かに偉大で複雑なシステムの目に見える物質的な側面にすぎない。腺は、腺を通して働く魂生命の特徴によって、そしてすべてを統御し支配する魂によって決まる。
そうすると、センターの状態は、センターを通して振動している魂フォースのタイプと特質によって決まるということになる。発達していない人間の場合、活動的で効果が表われるのは、生命フォースつまりプラーナだけである。このプラーナが動物的な生命を育み、低位のセンター(脊柱基底センターと仙骨センター)を活動させる。
後に、人間が発達するにつれて、魂の様相である意識が徐々にその存在を感じさせ、太陽叢センターを活動させる。このセンターは、人間と動物のどちらにおいても、低位のサイキック的な知覚力のある生命の座であり、しばしば本能的な脳と呼ばれる。
・・・
人間は今日、ほとんどの場合、この三つのセンターを通して機能している。肉体のフォースは生殖腺を通して性生活に活力を与え、刺激する役割を果たしており、戦いと苦闘の腺である副腎を通して、戦い進化する衝動を作り出している。肉体のフォースは太陽神経叢を通してサイキック的な本能的生命を支配している。
このようにして、個々の人間はフォースを結集し、意識を持つ感覚のある人間になるのである。進化が進むにつれて、自己つまり魂は、人間の中で、そしてその肉体的存在の中で、ますます活発かつ支配的になり、少しずつエーテル構造のすべての部分が活発に目覚めるようになる。
次第に高位センターがますます活動的になり、肉体を通して注がれるフォースの重点が横隔膜より上にあるセンターに移行する。
喉センターが目覚め、創造的な働きを行う器官になり、ハート・センターが活気づけられ、その人は、自分の魂の様々な関係、グループに対する責任、生命魂の包括性に気づくようになる。最終的にヘッド・センターが目覚め、別の知覚範囲が意識に入ってくるようになる。そして、自分自身が魂であることを自覚し、パーソナリティーとして統合されたものになり、さらに後には、霊の世界、神聖なる生命、霊の見えざる世界、そして魂生命のリアリティーについて証言する『数多くの証人』に気づくようになる。
人間進化の目標の一つは、これを達成することである。脊柱基底センター、ハート・センター、ヘッド・センターが、完全に活発に機能するようにならなくてはならない。そうして、物質そのものに潜在し脊柱基底センターに蓄積されたエネルギー、ハートにその座を持つ魂のエネルギー、そしてヘッドに集中された霊のエネルギーが混ぜ合わされることによって、人間は最高の完成点へと至る。
このエネルギーの融合によって、人間は神を活発に表現するものになる。――つまり、霊、魂、肉体が混ざり合って一つになり、肉体はまさに魂の乗り物になり、魂はまさに霊の意志と目的を表現するものになるのである。」
後半は、東洋心理学~インドのチャクラ理論の要約という感じですが、とても分かりやすかったので、長くなりますが、引用させていただきました。
この後、キリスト教『新約聖書』の記述との対比がなされており、スワミ・ユクテスワの『聖なる科学』の続きのような印象を受ける文章が続いていました。
そのため、たくさんの引用がなされていますが、論旨に関しては、引用の部分を取り去って、アリスの言葉だけをつなげていくと、その骨格が見えてきます。
昨日は、それをやってみました。
この本に関して言うと、本を真中で上下に割って2段組みにして、上段にアリスの文章、下段に引用文を入れたものをつくると、とても分かりやすいな、と思いました。
アリスの文章だけを追っていくと、論理の骨格とともに、アリスがジュワル・クール大師の作品や表現をどう捉えて、その仮説を実証するためにはどういう部分を補って論理を組み立てていったらいいと考えているのかが分かって、また(前にも書きましたが)ジュワル・クール大師の語られていたことが少し違った表現で語られているので、大師の使われる言葉の意味が確認できたりして、(アリス・ベイリーを深く学びたいと思っている人にとっては)とても興味深いです。
今日は、「第六章 七つのフォース・センター」に入りますが、例えば、以下のような表現が、それに当たります。
「活力体(エーテル体)はまた、実際には魂と呼ばれる感覚的原理を体現している。もっと正確に言えば、活力体は魂の表現であり、魂の媒体である。
魂の主な特性は意識である。生命としての魂は『ハートに座して』おり、理性を備えた霊的な意識としては『眉間の玉座に座して』いる。」
「生命フォースには肉体との主要な接点が七つあり、それらは七つのセンターと呼ばれる。
この七つのフォース・センターは生命フォースを伝えるものであり、魂の仲介者である。それらは肉体的な存在を維持し、その活動を生み出している。」
アリス・ベイリー(ジュワル・クール大師の作品)をそれほど読まれていない方には、ピンとこないと思いますが、私のように半年以上ずっと『秘教治療』に集中してきた人間には、ちょっとした表現の違いが、とても新鮮で興味深く、新たな発見があるのです。
まあ、とてもマニアックな世界ともいえますが、これが人間やこの宇宙の本質を語る真理であるとするならば、単なる趣味の世界とは違い、とても生産的なものを生み出してくれるように思うのです。
一方で、引用の部分は、1,900年代初頭の時点で、欧米では既に、西洋科学(生理学)と東洋(インド)の心理学~サトル・エネルギー理論との間をつなぐための、かなりレベルの高い研究が既に進められていたことに、驚かされます。特に、昨日ご紹介したアーサー・アヴァロンの著書に見られる記述は素晴らしい。
日本では未だ、このレベルまで研究が及んでいるのは本山博先生のところとアーユルヴェーダ関係のごく僅かではないか、と思います。
軽い精神世界やヒーリングの裾野は非常に拡がっているのですが、本質的な部分の理解では、日本と欧米・インドでは1世紀近い開きがあるように感じます。
講座などを通じエソテリック・ヒーリングの理解を拡め深めることによって、少しでもその差を縮めることに貢献できれば、という思いを新たにしました。
さてテキストの方に戻り、本章の次は「結論」の章なので、この章は本書のメイン・テーマである「西洋と東洋の心理学の融合」が、データ(といっても当時の時点で出版されていた専門的研究書からの引用)に基づいて探究される大詰めの部分です(P161・162)。
「七つのセンターについての東洋の教義と、腺についての西洋の教義を比較すると、まず最初に、位置関係に関して顕著な事実に気づく。七つのフォース・センターは、腺が位置しているところと同じ部位に見られ、それぞれのフォース・センターは、対応する腺にパワーと生命を与える源であると言ってもよいであろう(インドの教えではそのように言われている)。次の比較に関する表には、それらの位置が一致していることが示されている。・・・
二番目の事実、それは一番目の事実よりもさらに顕著なものであるが、目覚めているフォース・センターと一致する腺は、その機能が知られており、その大部分の分泌物つまりホルモンが発見されているということである。眠っているセンター、あるいは人類のうちの進歩した人々の場合には目覚めているセンターと一致する腺は、その機能が比較的知られておらず、その大部分の分泌物がまだ発見されていない。」
そして、これを受けて、次のように述べるのです。上記2点からの推論としては、科学的には根拠が足りませんが、問題提起ということでしょう。
「したがって、人はその人の腺が作り上げるものであり、私たちは自分に固有の内分泌系の状態よりも良くもなければ悪くもないと西洋の心理学者たちが言うとき、彼らは正しいことを言っているのである。しかし彼らが正しい理由は、フォース・センターに関する東洋の理論が正しいからであると言える。・・・
腺は外的な象徴にすぎず、遥かに偉大で複雑なシステムの目に見える物質的な側面にすぎない。腺は、腺を通して働く魂生命の特徴によって、そしてすべてを統御し支配する魂によって決まる。
そうすると、センターの状態は、センターを通して振動している魂フォースのタイプと特質によって決まるということになる。発達していない人間の場合、活動的で効果が表われるのは、生命フォースつまりプラーナだけである。このプラーナが動物的な生命を育み、低位のセンター(脊柱基底センターと仙骨センター)を活動させる。
後に、人間が発達するにつれて、魂の様相である意識が徐々にその存在を感じさせ、太陽叢センターを活動させる。このセンターは、人間と動物のどちらにおいても、低位のサイキック的な知覚力のある生命の座であり、しばしば本能的な脳と呼ばれる。
・・・
人間は今日、ほとんどの場合、この三つのセンターを通して機能している。肉体のフォースは生殖腺を通して性生活に活力を与え、刺激する役割を果たしており、戦いと苦闘の腺である副腎を通して、戦い進化する衝動を作り出している。肉体のフォースは太陽神経叢を通してサイキック的な本能的生命を支配している。
このようにして、個々の人間はフォースを結集し、意識を持つ感覚のある人間になるのである。進化が進むにつれて、自己つまり魂は、人間の中で、そしてその肉体的存在の中で、ますます活発かつ支配的になり、少しずつエーテル構造のすべての部分が活発に目覚めるようになる。
次第に高位センターがますます活動的になり、肉体を通して注がれるフォースの重点が横隔膜より上にあるセンターに移行する。
喉センターが目覚め、創造的な働きを行う器官になり、ハート・センターが活気づけられ、その人は、自分の魂の様々な関係、グループに対する責任、生命魂の包括性に気づくようになる。最終的にヘッド・センターが目覚め、別の知覚範囲が意識に入ってくるようになる。そして、自分自身が魂であることを自覚し、パーソナリティーとして統合されたものになり、さらに後には、霊の世界、神聖なる生命、霊の見えざる世界、そして魂生命のリアリティーについて証言する『数多くの証人』に気づくようになる。
人間進化の目標の一つは、これを達成することである。脊柱基底センター、ハート・センター、ヘッド・センターが、完全に活発に機能するようにならなくてはならない。そうして、物質そのものに潜在し脊柱基底センターに蓄積されたエネルギー、ハートにその座を持つ魂のエネルギー、そしてヘッドに集中された霊のエネルギーが混ぜ合わされることによって、人間は最高の完成点へと至る。
このエネルギーの融合によって、人間は神を活発に表現するものになる。――つまり、霊、魂、肉体が混ざり合って一つになり、肉体はまさに魂の乗り物になり、魂はまさに霊の意志と目的を表現するものになるのである。」
後半は、東洋心理学~インドのチャクラ理論の要約という感じですが、とても分かりやすかったので、長くなりますが、引用させていただきました。
この後、キリスト教『新約聖書』の記述との対比がなされており、スワミ・ユクテスワの『聖なる科学』の続きのような印象を受ける文章が続いていました。
エネルギーの3つの様相 ~ 『魂とそのメカニズム』 (10)
昨日、「第五章 魂、エーテル、エネルギーに関する東洋の教え」が終わらず、重要なところが残っているので、引き続き紹介しておきたいと思います。
一昨日から書いている魂の位置に関連して、P137には、西洋の諸説と合致する次のような記述も見られます。
「アートマンつまり自己は心臓の中に見られ、そこから血液を通して生命原理として自らを表わすという事実が様々な聖典で数多く述べられている。
魂の性質、つまり理性的なマインド、自我意識をもつ個人は、頭の中に自らを表現し、その位置から神経系を支配する。」
要約すれば、心臓は生命に関係し脳は意識に関係するという、ほとんど意味のないごく当たり前のことになってしまいますが、これは根本的には次のようなエネルギー・システムを反映して起きてくる現象なのです(P130・133)。
「宇宙においてアカーシャ(エーテル)を利用するエネルギーは、不朽の知恵によると、三つの主な区分に分けられる。
1 フォーハットは、キリスト教徒が霊と見なすものに類似している。それは、存在しようという意志であり、神の決定的な生命原理である。神とはすべての形態の総和であり、あらゆる意識状態の総和であると断言することができる。フォーハットは、活動的に機能している神聖なる目的である。
2 プラーナは、意識原理の活動、つまり、キリスト教徒の言う魂に類似している。このプラーナは、霊つまり生命と物質つまり質料が結合した結果として生じるものであり、凝集性、生気、感受性を生み出す形態のエネルギーとして現われ、神の目的を遂行する。
3 クンダリーニは、人間という形態との関連においてはこのように呼ばれているが、物質そのものに潜在するフォースである。クンダリーニは、その原子がその小さな経験周期にどのような形態に関係しているかに関わらず、原子の不可欠な生命である。
・・・
したがって、この三つのタイプのエネルギーは、太陽系を通して自らを表現する唯一なる普遍的生命の様相であり、活動の媒体つまり活動の場としてエーテルを利用し、そこから、すべての客観的な形態を生み出す。ヒンズー哲学によると、そのプロセスは人間においても繰り返される。
肉体は、第三タイプのエネルギーの構成要素つまり原子で表現されたものであり、その原子エネルギーの総和がクンダリーニと呼ばれる。
・・・
肉体それ自体はしばしば、人間王国という肉体の一つの原子と見なされる。この場合、脊柱基底センターに集まっているクンダリーニのエネルギーが陽の核であり、肉体のその他の原子は事実上、電子と見なされる。
活力体つまりエーテル体は生命魂を表現するための媒体であり、この生命魂は、私たちがプラーナと呼んでいる生気を与える知覚力のある二重のものである。この二重のエネルギーには、活力体に、その結果として肉体に、二つの陽のセンターがある。
一つは、感情や感覚が集中していると言われている心臓にあり、もう一つは、マインドと霊的な意識が表現される頭部にある。」
今日は、引用だけになってしまいましたが、重要な部分なので、備忘録として書き写させていただきました。
一昨日から書いている魂の位置に関連して、P137には、西洋の諸説と合致する次のような記述も見られます。
「アートマンつまり自己は心臓の中に見られ、そこから血液を通して生命原理として自らを表わすという事実が様々な聖典で数多く述べられている。
魂の性質、つまり理性的なマインド、自我意識をもつ個人は、頭の中に自らを表現し、その位置から神経系を支配する。」
要約すれば、心臓は生命に関係し脳は意識に関係するという、ほとんど意味のないごく当たり前のことになってしまいますが、これは根本的には次のようなエネルギー・システムを反映して起きてくる現象なのです(P130・133)。
「宇宙においてアカーシャ(エーテル)を利用するエネルギーは、不朽の知恵によると、三つの主な区分に分けられる。
1 フォーハットは、キリスト教徒が霊と見なすものに類似している。それは、存在しようという意志であり、神の決定的な生命原理である。神とはすべての形態の総和であり、あらゆる意識状態の総和であると断言することができる。フォーハットは、活動的に機能している神聖なる目的である。
2 プラーナは、意識原理の活動、つまり、キリスト教徒の言う魂に類似している。このプラーナは、霊つまり生命と物質つまり質料が結合した結果として生じるものであり、凝集性、生気、感受性を生み出す形態のエネルギーとして現われ、神の目的を遂行する。
3 クンダリーニは、人間という形態との関連においてはこのように呼ばれているが、物質そのものに潜在するフォースである。クンダリーニは、その原子がその小さな経験周期にどのような形態に関係しているかに関わらず、原子の不可欠な生命である。
・・・
したがって、この三つのタイプのエネルギーは、太陽系を通して自らを表現する唯一なる普遍的生命の様相であり、活動の媒体つまり活動の場としてエーテルを利用し、そこから、すべての客観的な形態を生み出す。ヒンズー哲学によると、そのプロセスは人間においても繰り返される。
肉体は、第三タイプのエネルギーの構成要素つまり原子で表現されたものであり、その原子エネルギーの総和がクンダリーニと呼ばれる。
・・・
肉体それ自体はしばしば、人間王国という肉体の一つの原子と見なされる。この場合、脊柱基底センターに集まっているクンダリーニのエネルギーが陽の核であり、肉体のその他の原子は事実上、電子と見なされる。
活力体つまりエーテル体は生命魂を表現するための媒体であり、この生命魂は、私たちがプラーナと呼んでいる生気を与える知覚力のある二重のものである。この二重のエネルギーには、活力体に、その結果として肉体に、二つの陽のセンターがある。
一つは、感情や感覚が集中していると言われている心臓にあり、もう一つは、マインドと霊的な意識が表現される頭部にある。」
今日は、引用だけになってしまいましたが、重要な部分なので、備忘録として書き写させていただきました。
「肉体機械論」の衝撃 ~ 『魂とそのメカニズム』 (9)
この本の紹介、講座に合わせてその予習・復習にしていただくために、
毎日1作ずつアップしたかったのですが、昨日は夜の帰りが遅く、
アップの作業をしたときは日付が変わっていた上に、
今見たら、アップに失敗して下書きのままになってましたから、
今日は立て続けに2つ目アップすることになりますが、
「第五章 魂、エーテル、エネルギーに関する東洋の教え」に、入ります。
ジュワル・クール大師がアリス・ベイリーを通して伝えた本を、一人で完読するのは、なかなか容易ではないと思います。
アリス・ベイリー自身が書いた本は、それに比べればかなり読みやすいですね。中でも特に、『未完の自叙伝』はアリスに興味をもっている人にはお薦めですし、『ベツレヘムからカルバリーへ』は、『新約聖書』をはじめキリスト教に親しまれている方には、興味深いと思います。
アリス・ベイリーがまったく初めての方が独学で『秘教治療』を攻略するには、その辺から入って行って、次には本書を、今私が書いているペースに合わせて1日1章(2・30ページ)ずつ読まれると、かなり良い導入になるかもしれません。
あとは、土方三羊氏の『アリス・ベイリー入門』『アリス・ベイリーを読む』『トランス・ヒマラヤ密教入門』(全4巻)は、見ておいた方がいいと思います。
私の『人間理解の基礎としての神智学』等も、役立つと思います。
こういったもののサポートなしに読もうとしても、ほぼ確実に挫折しますので、ヒーリングなどをやられていて「『秘教治療』を読みこなしたい!」と思われている方は、EH連続講座に出ないならば、そういったステップを踏んで、学んでください。
そういえば、アリス・ベイリーを読みこなすための読書法に関して書いたのが『ホリスティック・リーディング』(Ⅰ・Ⅱ)でした。こちらも是非、ご参考に。(またちょっとコマーシャルで、失礼いたしました。でも事実です。)
さて、昨日最後に「西洋世界では、ほぼ全員が魂の座を脳のどこかに置いて」いたと述べましたが、東洋(インド)ではどうだったのか? というところから始めていきましょう。
リードビーターと並んで、西洋に最も早くチャクラやクンダリーニのことを伝えたアーサー・アヴァロン(検索してみたら、アーサー王伝説が出てきました。それにちなんでつけたペン・ネームだったようです。本名は、ジョン・ウッドロフ卿。P121で、アリス・ベイリーはその業績を高く評価しています。)によれば(P140)、
「様々な人々が古代には、血液や心臓や呼吸といった肉体の様々な部位を『魂の座』つまり生命の座としてきた。一般には脳は魂の座とは見なされなかった。ヴェーダ体系は心臓を意識の主要中枢であると仮定している。その考えの名残が「take it to heart(胸に深く刻む)」とか「learn by heart(暗記する)」というような表現に残っている。
サーダカはピッタの五つの機能のうちの一つであり、心臓に位置するものであるが、リズミカルな心臓の収縮を持続させることによって間接的に認識機能の作動を助けている。おそらく心臓の構造に関するこの見解によって、インドの生理学者たちは心臓を認識の座と見なすようになったのであろうと言われてきた。
しかしながら、タントラ教徒によると、心臓はプラーナとしての様相において、ジヴァートマの座、つまり具現化した霊の座と認めているが、意識の主要中枢は、脳脊髄系の複数のチャクラと脳の上部(サハスラーラ)に見られるということである。」
ということです。魂は頭に宿るとした西洋との対比が、興味深いですね。ピッタは、アーユルヴェーダで体質などを論じるときに出てくる3つのエネルギー・タイプ=ドーシャのうちの熱性タイプ(他は、ヴァータとカファ)です。
この文章をみただけでも、西洋と比べて、インドはチャクラをはじめとする精妙な(=サトル・)エネルギー的な見方が遥かに進んでいることが、分かります。
それは、現在の西洋科学では実証不可能な領域に及んでいるものですが、西洋科学に相応するくらい精密なものなのです。
ジュワル・クール大師の仕事を受け、アリス・ベイリーが本書で取っ掛かりをつけたのは、西洋の粗大物質科学と東洋のサトル・エネルギー科学を結びつけようという、試みなのです。
西洋でも神秘主義の伝統から、新しい医療が目指されていて、シュタイナー医学はある意味その代表とも言えますが、その試みが真に成功するかどうかは、心を開いてこの精緻な東洋のサトル・エネルギー科学を取り入れられるかどうかにかかっているといえます。
しかし、おそらくそれは難しいでしょう。シュタイナー自身が、インド思想を拒否していましたから。
そうなるとシュタイナー医学は、現段階では西洋医学をサトル・エネルギーの方向に一歩進めるホリスティック医学の先導役として先頭を切っていますが、数十年のうちに、アーユルヴェーダと西洋医学を融合する試みや、エソテリック・ヒーリングの仮説を基に研究を進めた西洋医学の流れに、抜き越されることになるでしょう。
方向性を変えないならば、(残念ながら)これは、論理的必然のことです。
先の引用に続けてアリス・ベイリーは、次のように書いています(P140・141)。
「この二つの観点から、おそらく人間という現象が説明できるであろう。物質的な形態の生命にとっての陽のセンターつまり核になるものは脊柱基底に位置しており、感覚的意識的な人間の生命にとっての陽のセンターは心臓にあり、一方、マインドと霊的な生命原理にとっての陽のセンターは頭部にあるということが、進化するにつれて発見され、証明されるであろう。
人間の諸センターに関する東洋の教えの体系とテクニックは全体として、プラーナつまり生命魂のエネルギーをますます発揮させることを意図している。このことを理解することを通して、人間は、霊的人間つまり魂の生得財産である魂のパワーと霊的な特質を(肉体という自動装置を通して)発揮できるようになる。
したがって、すべての方法と実践の目的は、魂と意識的に合一することであり、二つの低位のエネルギー、つまり物質のエネルギーと感覚的メンタル的性質のエネルギーを、三つのエネルギーのうち最高位のエネルギーである霊的な生命に従属させることである。」
こういった文章を読んでいて、私は(少し前に)衝撃的なことに気づいていました。
エソテリック・ヒーリングなどを通してジュワル・クール大師が伝えた人間観というのは、(私がこの30年間、ずっと否定する側に回ってきた)「人間機械論」に共通するところがあるのです!
それは、「真の人間は魂、あるいは霊である」とする秘教の立場からは正確に「肉体機械論」と呼ぶべきものですが、未だ人間を肉体と考えている西洋科学では「肉体機械論」=「人間機械論」なのです。
しかし、現実の人間では、この等式だけでなく両者とも成り立たず、様々な問題を生じます。それは人間が進化の途上にあるからです。やがて、人間が進化したとき、そのときでも等式は成り立たないけれど、「肉体機械論」は成り立つようになるのです。
今まで分かっていたつもりになっていましたが、これは現在まだ先進的な身体観を再度ひっくり返す衝撃的な仮説だったのです。
毎日1作ずつアップしたかったのですが、昨日は夜の帰りが遅く、
アップの作業をしたときは日付が変わっていた上に、
今見たら、アップに失敗して下書きのままになってましたから、
今日は立て続けに2つ目アップすることになりますが、
「第五章 魂、エーテル、エネルギーに関する東洋の教え」に、入ります。
ジュワル・クール大師がアリス・ベイリーを通して伝えた本を、一人で完読するのは、なかなか容易ではないと思います。
アリス・ベイリー自身が書いた本は、それに比べればかなり読みやすいですね。中でも特に、『未完の自叙伝』はアリスに興味をもっている人にはお薦めですし、『ベツレヘムからカルバリーへ』は、『新約聖書』をはじめキリスト教に親しまれている方には、興味深いと思います。
アリス・ベイリーがまったく初めての方が独学で『秘教治療』を攻略するには、その辺から入って行って、次には本書を、今私が書いているペースに合わせて1日1章(2・30ページ)ずつ読まれると、かなり良い導入になるかもしれません。
あとは、土方三羊氏の『アリス・ベイリー入門』『アリス・ベイリーを読む』『トランス・ヒマラヤ密教入門』(全4巻)は、見ておいた方がいいと思います。
私の『人間理解の基礎としての神智学』等も、役立つと思います。
こういったもののサポートなしに読もうとしても、ほぼ確実に挫折しますので、ヒーリングなどをやられていて「『秘教治療』を読みこなしたい!」と思われている方は、EH連続講座に出ないならば、そういったステップを踏んで、学んでください。
そういえば、アリス・ベイリーを読みこなすための読書法に関して書いたのが『ホリスティック・リーディング』(Ⅰ・Ⅱ)でした。こちらも是非、ご参考に。(またちょっとコマーシャルで、失礼いたしました。でも事実です。)
さて、昨日最後に「西洋世界では、ほぼ全員が魂の座を脳のどこかに置いて」いたと述べましたが、東洋(インド)ではどうだったのか? というところから始めていきましょう。
リードビーターと並んで、西洋に最も早くチャクラやクンダリーニのことを伝えたアーサー・アヴァロン(検索してみたら、アーサー王伝説が出てきました。それにちなんでつけたペン・ネームだったようです。本名は、ジョン・ウッドロフ卿。P121で、アリス・ベイリーはその業績を高く評価しています。)によれば(P140)、
「様々な人々が古代には、血液や心臓や呼吸といった肉体の様々な部位を『魂の座』つまり生命の座としてきた。一般には脳は魂の座とは見なされなかった。ヴェーダ体系は心臓を意識の主要中枢であると仮定している。その考えの名残が「take it to heart(胸に深く刻む)」とか「learn by heart(暗記する)」というような表現に残っている。
サーダカはピッタの五つの機能のうちの一つであり、心臓に位置するものであるが、リズミカルな心臓の収縮を持続させることによって間接的に認識機能の作動を助けている。おそらく心臓の構造に関するこの見解によって、インドの生理学者たちは心臓を認識の座と見なすようになったのであろうと言われてきた。
しかしながら、タントラ教徒によると、心臓はプラーナとしての様相において、ジヴァートマの座、つまり具現化した霊の座と認めているが、意識の主要中枢は、脳脊髄系の複数のチャクラと脳の上部(サハスラーラ)に見られるということである。」
ということです。魂は頭に宿るとした西洋との対比が、興味深いですね。ピッタは、アーユルヴェーダで体質などを論じるときに出てくる3つのエネルギー・タイプ=ドーシャのうちの熱性タイプ(他は、ヴァータとカファ)です。
この文章をみただけでも、西洋と比べて、インドはチャクラをはじめとする精妙な(=サトル・)エネルギー的な見方が遥かに進んでいることが、分かります。
それは、現在の西洋科学では実証不可能な領域に及んでいるものですが、西洋科学に相応するくらい精密なものなのです。
ジュワル・クール大師の仕事を受け、アリス・ベイリーが本書で取っ掛かりをつけたのは、西洋の粗大物質科学と東洋のサトル・エネルギー科学を結びつけようという、試みなのです。
西洋でも神秘主義の伝統から、新しい医療が目指されていて、シュタイナー医学はある意味その代表とも言えますが、その試みが真に成功するかどうかは、心を開いてこの精緻な東洋のサトル・エネルギー科学を取り入れられるかどうかにかかっているといえます。
しかし、おそらくそれは難しいでしょう。シュタイナー自身が、インド思想を拒否していましたから。
そうなるとシュタイナー医学は、現段階では西洋医学をサトル・エネルギーの方向に一歩進めるホリスティック医学の先導役として先頭を切っていますが、数十年のうちに、アーユルヴェーダと西洋医学を融合する試みや、エソテリック・ヒーリングの仮説を基に研究を進めた西洋医学の流れに、抜き越されることになるでしょう。
方向性を変えないならば、(残念ながら)これは、論理的必然のことです。
先の引用に続けてアリス・ベイリーは、次のように書いています(P140・141)。
「この二つの観点から、おそらく人間という現象が説明できるであろう。物質的な形態の生命にとっての陽のセンターつまり核になるものは脊柱基底に位置しており、感覚的意識的な人間の生命にとっての陽のセンターは心臓にあり、一方、マインドと霊的な生命原理にとっての陽のセンターは頭部にあるということが、進化するにつれて発見され、証明されるであろう。
人間の諸センターに関する東洋の教えの体系とテクニックは全体として、プラーナつまり生命魂のエネルギーをますます発揮させることを意図している。このことを理解することを通して、人間は、霊的人間つまり魂の生得財産である魂のパワーと霊的な特質を(肉体という自動装置を通して)発揮できるようになる。
したがって、すべての方法と実践の目的は、魂と意識的に合一することであり、二つの低位のエネルギー、つまり物質のエネルギーと感覚的メンタル的性質のエネルギーを、三つのエネルギーのうち最高位のエネルギーである霊的な生命に従属させることである。」
こういった文章を読んでいて、私は(少し前に)衝撃的なことに気づいていました。
エソテリック・ヒーリングなどを通してジュワル・クール大師が伝えた人間観というのは、(私がこの30年間、ずっと否定する側に回ってきた)「人間機械論」に共通するところがあるのです!
それは、「真の人間は魂、あるいは霊である」とする秘教の立場からは正確に「肉体機械論」と呼ぶべきものですが、未だ人間を肉体と考えている西洋科学では「肉体機械論」=「人間機械論」なのです。
しかし、現実の人間では、この等式だけでなく両者とも成り立たず、様々な問題を生じます。それは人間が進化の途上にあるからです。やがて、人間が進化したとき、そのときでも等式は成り立たないけれど、「肉体機械論」は成り立つようになるのです。
今まで分かっていたつもりになっていましたが、これは現在まだ先進的な身体観を再度ひっくり返す衝撃的な仮説だったのです。
魂とその位置に関する諸説 ~ 『魂とそのメカニズム』 (8)
さて、今日は「第四章 魂の性質とその位置」です。
1日1章、というペースが定着しちゃいましたので、最後までそれで進めて行こうと思います。ということは、(11)までは続けるのかな?
アリス・ベイリーは、魂に関する『ウェブスター辞典』に載せられた文章を、「極めて興味深い言葉で、東洋の知恵の見地から、非常に正確に魂を定義している」(P94、さすが権威ある辞書って、スゴイものですね)として紹介した上で、世界各地で使われてきた“魂”概念を、次のように要約して紹介しています(P95・96)。
「エジプト人は、魂を特有の流動体のような混合物を通して働く神聖な光線であると考え、ユダヤ人は魂を生命原理と見なしていた。
ヒンズー教徒は、人間の魂は、不変の原理、世界の魂、アニマ・ムンディ、すべてに浸透している空間のエーテル(アカーシャ)の一部であると説く。このエーテルはいくつかのタイプのエネルギーを伝導するものにすぎず、本質的な霊と触知可能な物質を相互に関連づける媒介の役目を果たしている。
ピタゴラスは、その生涯において東洋と西洋の哲学を結びつけるために大きな貢献をした人物であるが、同じような教えを述べている。
中国では老子が、霊的な魂が半物質的な活力魂と結びつき、その相互間で肉体を活動させると教えた。
ギリシャ人もまた、(あらゆる知的能力を備えている)魂を肉体と分離できるものと考え、ローマ人は魂を三重のもの――霊的な魂、知的な魂つまりマインド、活力体――と見なしていた。多くの人々が、テオフラストスのように、魂を『情熱の真の原理』と見なしていた。」
として、以下、ストア学派・プラトン・アリストテレス・プロティノス・キリスト教神秘主義者・初期キリスト教教父たち・聖グレゴリウスらの考えを紹介しています。とても重要ですが、長くなるので割愛させていただきます。
5世紀から17世紀まではさしたる発展はなかったとして、17世紀のシュタールという研究者が当時残っていた大量の教えを要約してまとめた“アニミズム論(物活論)”まで、飛びます。
その後、バークリー・フライエンフェルスといった人の説を紹介した上で、『シークレット・ドクトリン』を中継ぎにして東洋の説に移り『バガヴァッド・ギータ』・ウパニシャッド哲学をはじめとしたインド思想における魂の紹介
があります。
重要過ぎて、とても紹介できないので、飛ばします。
その次に、「肉体上、魂の存在するとされる位置」に関して、
プラトン・ストラト・ヒポクラテス・ヘロフィロス・エラシストラトスヒッポリュトス・聖アウグスティヌス・デカルト・ベーコン・ビーベス・ムンディヌス・ベサリウス・セルベトゥス・テレジオ・ウィリス・ビユサンス・スウェデンボルグ・ホリス・ボネ・ゼンメリング・カーペンター
というような人たちの説を紹介しています。
西洋世界では、ほぼ全員が魂の座を脳のどこかに置いており、胸という人がほとんどいないことは、多少、意外ではありました。
1日1章、というペースが定着しちゃいましたので、最後までそれで進めて行こうと思います。ということは、(11)までは続けるのかな?
アリス・ベイリーは、魂に関する『ウェブスター辞典』に載せられた文章を、「極めて興味深い言葉で、東洋の知恵の見地から、非常に正確に魂を定義している」(P94、さすが権威ある辞書って、スゴイものですね)として紹介した上で、世界各地で使われてきた“魂”概念を、次のように要約して紹介しています(P95・96)。
「エジプト人は、魂を特有の流動体のような混合物を通して働く神聖な光線であると考え、ユダヤ人は魂を生命原理と見なしていた。
ヒンズー教徒は、人間の魂は、不変の原理、世界の魂、アニマ・ムンディ、すべてに浸透している空間のエーテル(アカーシャ)の一部であると説く。このエーテルはいくつかのタイプのエネルギーを伝導するものにすぎず、本質的な霊と触知可能な物質を相互に関連づける媒介の役目を果たしている。
ピタゴラスは、その生涯において東洋と西洋の哲学を結びつけるために大きな貢献をした人物であるが、同じような教えを述べている。
中国では老子が、霊的な魂が半物質的な活力魂と結びつき、その相互間で肉体を活動させると教えた。
ギリシャ人もまた、(あらゆる知的能力を備えている)魂を肉体と分離できるものと考え、ローマ人は魂を三重のもの――霊的な魂、知的な魂つまりマインド、活力体――と見なしていた。多くの人々が、テオフラストスのように、魂を『情熱の真の原理』と見なしていた。」
として、以下、ストア学派・プラトン・アリストテレス・プロティノス・キリスト教神秘主義者・初期キリスト教教父たち・聖グレゴリウスらの考えを紹介しています。とても重要ですが、長くなるので割愛させていただきます。
5世紀から17世紀まではさしたる発展はなかったとして、17世紀のシュタールという研究者が当時残っていた大量の教えを要約してまとめた“アニミズム論(物活論)”まで、飛びます。
その後、バークリー・フライエンフェルスといった人の説を紹介した上で、『シークレット・ドクトリン』を中継ぎにして東洋の説に移り『バガヴァッド・ギータ』・ウパニシャッド哲学をはじめとしたインド思想における魂の紹介
があります。
重要過ぎて、とても紹介できないので、飛ばします。
その次に、「肉体上、魂の存在するとされる位置」に関して、
プラトン・ストラト・ヒポクラテス・ヘロフィロス・エラシストラトスヒッポリュトス・聖アウグスティヌス・デカルト・ベーコン・ビーベス・ムンディヌス・ベサリウス・セルベトゥス・テレジオ・ウィリス・ビユサンス・スウェデンボルグ・ホリス・ボネ・ゼンメリング・カーペンター
というような人たちの説を紹介しています。
西洋世界では、ほぼ全員が魂の座を脳のどこかに置いており、胸という人がほとんどいないことは、多少、意外ではありました。
東洋の心理学 ~ 『魂とそのメカニズム』 (7)
一昨日の内分泌腺の話を受けて、「第三章 エーテル体の理論」が書かれていますが、その冒頭では(P66)、
「東洋の心理学者は、西洋の心理学者が仮説と見なすところから始めている。東洋の心理学者は、人間の霊的な本質に重点を置き、物質性質そのものは霊的な活動の結果であると考える。目に見える客観的なものはすべて、内部の主観的なエネルギーが外部に現われたものにすぎないと断言する。また、宇宙と人間の全システムを結果とみなし、科学者たちはただ結果だけを扱っていると考える。東洋の心理学者の見解を次のように要約してもよいであろう。」
と述べられています。そういえば、私は最近はもう慣れてしまったのですが“東洋の心理学者”というのも、最初に見たころはどんな人たちのことか? と思いました。
ラージャ・ヨーガをはじめとするヒンドゥー思想、唯識をはじめとする仏教思想の専門家、つまりほとんどはヨーギ・バラモン・僧侶たち、ということになると思います。
この文章に続いて箇条書きにされている項目は(P66・67)、
1.エネルギー以外のものは存在しない。
2.あらゆる形態にはエーテルが浸透しており、すべての形態がエーテル形態、つまりエーテル体を持っている。
3.極めて小さな原子には陰の面だけではなく、陽の原子核があるように、すべてのエーテル体には、陰の質料に囲まれた陽のフォース・センターがある。
4.人間のエーテル体には、七つの主要なエネルギーの核があり、それに様々なタイプのエネルギーが流れ込み、人間のサイキック的な活動を引き起こす。
5.人間の場合、今はいくつかのセンターだけが機能しており、残りのセンターは活動していない。
というようなもので、その後の文章を読んでも、“東洋の心理学者の見解”を要約すると、ジュワル・クール大師の語っていることになる、という感じです。
ジュワル・クール大師は、ご自分を「チベット人」と名乗っておられ、アジア人としてのアイデンティティーを持たれているようですが、ジュワル・クール大師の伝えた情報は、東洋伝統の諸宗教のエッセンスだった(少なくともご自身は、そう考えられていた)ということですね。
次のところも、興味深い記述です(P69・70)。
「質料に内在し、質料に永久に対応するものが、生命、つまり絶え間なく続く生命である。生命と質料は一つであり同一のものである。それらは一体であり永久に不可分であるが、唯一なるリアリティーの別々の様相である。生命は陽電子のようなものであり、質料は陰電子のようなものである。生命は動的であり、質料は静的である。生命は活動あるいは霊であり、質料は形態あるいは物質である。生命は父であり子をもうけ、質料は母であり子を宿す。
生命と質料というこの二つの様相に加えて、さらに三番目の様相がある。生命は理論上のあるいは潜在的な活動であり、活動するための場が必要である。質料がその場を提供し、また、生命と質料が結合することで活動的なエネルギーが燃え上がる。
このように、ただ一つのリアリティーつまり普遍的質料が存在するのであるが、それは同時に、生命と質料という共存する二重性であり、共存する三位一体でもある。つまり、生命、質料、その結果として生じる相互作用である。
私たちはこの相互作用を意識とか魂とか呼んでいる。
顕現している世界全体は、エネルギー(そして、共同要因である質料と意識)から生じる。」
東洋思想の代表ともいえる、中国思想の“陰陽論”つまり陰陽2元論と、インド思想の各所で登場する3元論の関係、あるいはラージャ・ヨガの思想的部分を担うサーンキャ哲学を思い浮かべられる方もいるかと思います。
(「ヨーガ学派」はこの「サーンキヤ哲学」を取り入れたので、理論に関しては「サーンキヤ」とほぼ同じもの。
この世の原理を「プルシャ」と「プラクリティ」という二つの原理を立てる、いわゆる「ニ元論」の立場をとる。
この二つは永久に一つになることはない。
「プルシャ」は生き物の数だけある個人の「核」のようなもの。
「プルシャ」はただ「プラクリティ」を見るだけの消極的な存在で、なんの感情も持たず思惟活動もしない。
「プラクリティ」は、三つの「グナ」の働きによって「プルシャ」の前で自らを作り変えては(これを「転変」という)現象世界を開いていく。[http://www.hi-ho.ne.jp/yjpt/Wizardry/yogo/yogo_300.htm より。 3つのグナは、サットヴァ/ラジャス/タマス])
アリスはこの後、エーテル体をはじめとする東洋心理学的な考え方を受け入れる西洋の一流の研究者の説を紹介した上で、次のように記しています(P87)。
「私たちの見解を要約し、以下のようにまとめてもよいであろう。
客観的な肉体の背後には、エーテル物質で構成されている主観的な形態があり、エネルギーの生命原理、つまりプラーナ、の伝導体の役目を果たしている。
この生命原理は魂のフォース様相であり、魂はエーテル体を通して形態に生命を吹き込み、特有の特質と属性を与え、魂の欲求を印象づけ、やがてはマインドの活動を通して形態に方向性を与える。
脳を通して、魂は肉体を刺激して意識的な活動をさせ、また、心臓を通して、生命は肉体のすべての器官に行き渡る。」
アリス・ベイリーをあまり読まれたことのない方には、ぼやーっとした分かったような分からないような文章だと思いますが、シンプルにまとめられたとても重要な文章だと思います。意地悪でいっているわけではなく、勉強を積まないと分からないし、勉強を積めば積むほど、一つひとつの言葉の意味が明確になっていって、この文章の重要性が感じられるようになると思います。(EH連続講座に、是非、ご参加ください! ・・・ちょっとコマーシャルでした。)
私自身、まだその途上に過ぎませんので、ジュワル・クール大師とは違った角度からの表現でまとめられた、その一番の理解者と思しきアリスの言葉は、貴重なのです。
このすぐ後に、
「この理論は西洋のアニミズム理論とよく一致している。この理論については後に定義するつもりである。今まではアニミズムという用語で十分にこと足りてきたが、人間の意識そのものの内で起こる発達により、『ダイナミズム(力動説)という用語に取って代わられそうである。』
という文章も見られます(P87)。さらに、この章のまとめとして(P89・90)、
「東洋と西洋の心理学が融合し、活力体と腺の関係がそのフォース・センターと共に研究され理解されたとき、人間が、魂として、メカニズムと生命と目的の統一体として機能する可能性は大いに加速されるのではないかと思う。」
と書かれています。この場合の“西洋の心理学”というのは、このシリーズの(5)でも書いたように、日本の“心理愛好者”にはどちらかというと評判の良くない、行動主義を中心とするアカデミックな機械論的心理学を指します。アリスの企てた、ダイナミックな東西心理学の融合が真に成功しているのか、さらに追跡を続けたいと思います。
「東洋の心理学者は、西洋の心理学者が仮説と見なすところから始めている。東洋の心理学者は、人間の霊的な本質に重点を置き、物質性質そのものは霊的な活動の結果であると考える。目に見える客観的なものはすべて、内部の主観的なエネルギーが外部に現われたものにすぎないと断言する。また、宇宙と人間の全システムを結果とみなし、科学者たちはただ結果だけを扱っていると考える。東洋の心理学者の見解を次のように要約してもよいであろう。」
と述べられています。そういえば、私は最近はもう慣れてしまったのですが“東洋の心理学者”というのも、最初に見たころはどんな人たちのことか? と思いました。
ラージャ・ヨーガをはじめとするヒンドゥー思想、唯識をはじめとする仏教思想の専門家、つまりほとんどはヨーギ・バラモン・僧侶たち、ということになると思います。
この文章に続いて箇条書きにされている項目は(P66・67)、
1.エネルギー以外のものは存在しない。
2.あらゆる形態にはエーテルが浸透しており、すべての形態がエーテル形態、つまりエーテル体を持っている。
3.極めて小さな原子には陰の面だけではなく、陽の原子核があるように、すべてのエーテル体には、陰の質料に囲まれた陽のフォース・センターがある。
4.人間のエーテル体には、七つの主要なエネルギーの核があり、それに様々なタイプのエネルギーが流れ込み、人間のサイキック的な活動を引き起こす。
5.人間の場合、今はいくつかのセンターだけが機能しており、残りのセンターは活動していない。
というようなもので、その後の文章を読んでも、“東洋の心理学者の見解”を要約すると、ジュワル・クール大師の語っていることになる、という感じです。
ジュワル・クール大師は、ご自分を「チベット人」と名乗っておられ、アジア人としてのアイデンティティーを持たれているようですが、ジュワル・クール大師の伝えた情報は、東洋伝統の諸宗教のエッセンスだった(少なくともご自身は、そう考えられていた)ということですね。
次のところも、興味深い記述です(P69・70)。
「質料に内在し、質料に永久に対応するものが、生命、つまり絶え間なく続く生命である。生命と質料は一つであり同一のものである。それらは一体であり永久に不可分であるが、唯一なるリアリティーの別々の様相である。生命は陽電子のようなものであり、質料は陰電子のようなものである。生命は動的であり、質料は静的である。生命は活動あるいは霊であり、質料は形態あるいは物質である。生命は父であり子をもうけ、質料は母であり子を宿す。
生命と質料というこの二つの様相に加えて、さらに三番目の様相がある。生命は理論上のあるいは潜在的な活動であり、活動するための場が必要である。質料がその場を提供し、また、生命と質料が結合することで活動的なエネルギーが燃え上がる。
このように、ただ一つのリアリティーつまり普遍的質料が存在するのであるが、それは同時に、生命と質料という共存する二重性であり、共存する三位一体でもある。つまり、生命、質料、その結果として生じる相互作用である。
私たちはこの相互作用を意識とか魂とか呼んでいる。
顕現している世界全体は、エネルギー(そして、共同要因である質料と意識)から生じる。」
東洋思想の代表ともいえる、中国思想の“陰陽論”つまり陰陽2元論と、インド思想の各所で登場する3元論の関係、あるいはラージャ・ヨガの思想的部分を担うサーンキャ哲学を思い浮かべられる方もいるかと思います。
(「ヨーガ学派」はこの「サーンキヤ哲学」を取り入れたので、理論に関しては「サーンキヤ」とほぼ同じもの。
この世の原理を「プルシャ」と「プラクリティ」という二つの原理を立てる、いわゆる「ニ元論」の立場をとる。
この二つは永久に一つになることはない。
「プルシャ」は生き物の数だけある個人の「核」のようなもの。
「プルシャ」はただ「プラクリティ」を見るだけの消極的な存在で、なんの感情も持たず思惟活動もしない。
「プラクリティ」は、三つの「グナ」の働きによって「プルシャ」の前で自らを作り変えては(これを「転変」という)現象世界を開いていく。[http://www.hi-ho.ne.jp/yjpt/Wizardry/yogo/yogo_300.htm より。 3つのグナは、サットヴァ/ラジャス/タマス])
アリスはこの後、エーテル体をはじめとする東洋心理学的な考え方を受け入れる西洋の一流の研究者の説を紹介した上で、次のように記しています(P87)。
「私たちの見解を要約し、以下のようにまとめてもよいであろう。
客観的な肉体の背後には、エーテル物質で構成されている主観的な形態があり、エネルギーの生命原理、つまりプラーナ、の伝導体の役目を果たしている。
この生命原理は魂のフォース様相であり、魂はエーテル体を通して形態に生命を吹き込み、特有の特質と属性を与え、魂の欲求を印象づけ、やがてはマインドの活動を通して形態に方向性を与える。
脳を通して、魂は肉体を刺激して意識的な活動をさせ、また、心臓を通して、生命は肉体のすべての器官に行き渡る。」
アリス・ベイリーをあまり読まれたことのない方には、ぼやーっとした分かったような分からないような文章だと思いますが、シンプルにまとめられたとても重要な文章だと思います。意地悪でいっているわけではなく、勉強を積まないと分からないし、勉強を積めば積むほど、一つひとつの言葉の意味が明確になっていって、この文章の重要性が感じられるようになると思います。(EH連続講座に、是非、ご参加ください! ・・・ちょっとコマーシャルでした。)
私自身、まだその途上に過ぎませんので、ジュワル・クール大師とは違った角度からの表現でまとめられた、その一番の理解者と思しきアリスの言葉は、貴重なのです。
このすぐ後に、
「この理論は西洋のアニミズム理論とよく一致している。この理論については後に定義するつもりである。今まではアニミズムという用語で十分にこと足りてきたが、人間の意識そのものの内で起こる発達により、『ダイナミズム(力動説)という用語に取って代わられそうである。』
という文章も見られます(P87)。さらに、この章のまとめとして(P89・90)、
「東洋と西洋の心理学が融合し、活力体と腺の関係がそのフォース・センターと共に研究され理解されたとき、人間が、魂として、メカニズムと生命と目的の統一体として機能する可能性は大いに加速されるのではないかと思う。」
と書かれています。この場合の“西洋の心理学”というのは、このシリーズの(5)でも書いたように、日本の“心理愛好者”にはどちらかというと評判の良くない、行動主義を中心とするアカデミックな機械論的心理学を指します。アリスの企てた、ダイナミックな東西心理学の融合が真に成功しているのか、さらに追跡を続けたいと思います。
「内分泌腺」の常識
「内分泌腺」について、現在、一般に語られていることを調べておかないのは片手落ち、と思い、検索してトップにあがっていたものから、紹介させていただきます。 http://www.hi-ho.ne.jp/m_sakurai/newpage45.htm
【内分泌腺(ホルモン)】
腺のうちで導管がなく、分泌物が毛細血管を解して血液中に放出されるものを内分泌腺と呼ぶ。内分泌腺から出される分泌物はホルモンと呼ばれ、これは血流に乗って全身にまわり、遠く離れた器官や細胞の機能に影響を与える。
下垂体(脳下垂体)
下垂体(脳下垂体)は脳底の中央に近く、間脳と呼ばれる部分の下面に細かい柄でぶら下がっている丸い器官で、内頭蓋底のトルコの鞍のへこみの上に乗っている。下垂体は、前葉と後葉と呼ばれるものがあり、前葉は咽頭の粘膜の冗費が落ち込んでできた上皮細胞の集まりであるのに対し、後葉は脳が伸び出してできたもので、神経組織である。
前葉
前葉は間脳と呼ばれる脳の部分からの調節を受けている
・ 成長ホルモン{growth hormone}
体の細胞の増殖を促すことにより、成長を促進するホルモンである。とくに骨の成長腺である骨端軟骨の活動を支配するので、血液中のこのホルモンの量が一定のレベルを割ると、骨端軟骨の閉鎖が起こり、骨の長さの伸びが止まることになる。分泌不足で、小人症(こびと)、過剰で巨人症、末端巨大症などを起こす。
以下、他の内分泌腺についても、同様に肉体に及ぼす影響が書かれていますが、副腎皮質の
・ アドレナリン、ノルアドレナリン{noradrenalin,adrenalin}
副腎髄質は交感神経の組織から分化してできたもので、クロム塩によって褐色と黄色に染色される2種の細胞からなり、それぞれノルアドレナリンやアドレナリンを分泌する。これらのホルモンは血圧と血糖の上昇、心臓拍動の促進、平滑筋の収縮による毛細血管の収縮や立毛筋の起立(とりはだ)などを起こす。副腎髄質には交感神経から多量の神経線維が侵入しており、強いおどろき、恐怖、興奮の際に、交感神経からの刺激が副腎髄質のホルモン分泌を引き起こし、上記のような一連の反応が起こるのである。
以外は、感情面との関係は記されていませんでした。
そこで、「内分泌腺 感情」で検索してみました。
大半は、(おそらく『秘教治療』の情報を起点として広まった)精神世界系のものでしたが、それだと意味がないので、普通の医療関係をある程度踏まえている、他の出所からの情報と思しきものとして、
「感情をコントロールする - 健康的生活便り」
http://june-rose.com/kenko/Kenko12.html から、見ておきます。
・・・
脳の仕組みと心の身体の関係によりますと、脳の指示のもとにホルモンを分泌する内分泌系が気分の善し悪しや脳の機能を左右するようです。
感情を左右するのは、思考だと思っている人が多いと思います。
実際は思考が内分泌系を左右し、内分泌系が感情を左右します。
内分泌系から分泌されるホルモンが興奮させたり、憂鬱にさせたり、楽しい気分にさせたり、怒らせたりします。
このことはとても大切なことです。思考をコントロールすることによって、 内分泌系をコントロールできることが理解できるからです。
内分泌系を生理的にコントロールすることにより、感情をコントロールできるのです。
人はいつも鬱な状態よりも幸せな気分でいたいものです。
主な内分泌線は、八つあります(ホルモンを分泌する肝臓と腎臓を除きます)。松果体、下垂体、甲状腺、胸腺、上皮小体、副腎、膵臓、性腺です
認知機能や感情に最も大きな影響を及ぼすのは副腎、性腺、松果体、下垂体です。
性ホルモンは、精神に大きな影響を及ぼします。
どれだけ能率よく考えたり記憶したり肉体作業を行うかは性ホルモンに左右されます。
女性の場合生理の前はホルモンのレベルが不安定になるため感情が高ぶりやすくなります。
松果体から、睡眠や免疫力に関係のあるメラトニンが分泌されています。メラトニンには催眠の効果があります。老人は若者ほど睡眠を必要としないと言われますが、メラトニンが少なくなるために眠れなくなるだけです。
肉体的にも精神的にも若さを保つためには若者と同じくらいの睡眠が必要です。
起きている間は、セロトニンが健全な心身を保つのを助けるように、夜間はメラトニンが心を鎮めてくれます。
歳を取るにつれてメラトニンの分泌が減るのは、松果体がしなびて石灰化するためです。
石灰化は防ぐことができます。
歳を取っても松果体が正常に機能している人がいます。
それは高度な心身訓練と自然の強壮剤によって、松果体の機能を保つのに成功しています。
心身の訓練には、自律神経を調整したり、呼吸法、瞑想法などがあげられます。
・・・
参考文献(『これで脳は若返る』ダルマ・シン・カルサ、キャメロン・スタウト)
【内分泌腺(ホルモン)】
腺のうちで導管がなく、分泌物が毛細血管を解して血液中に放出されるものを内分泌腺と呼ぶ。内分泌腺から出される分泌物はホルモンと呼ばれ、これは血流に乗って全身にまわり、遠く離れた器官や細胞の機能に影響を与える。
下垂体(脳下垂体)
下垂体(脳下垂体)は脳底の中央に近く、間脳と呼ばれる部分の下面に細かい柄でぶら下がっている丸い器官で、内頭蓋底のトルコの鞍のへこみの上に乗っている。下垂体は、前葉と後葉と呼ばれるものがあり、前葉は咽頭の粘膜の冗費が落ち込んでできた上皮細胞の集まりであるのに対し、後葉は脳が伸び出してできたもので、神経組織である。
前葉
前葉は間脳と呼ばれる脳の部分からの調節を受けている
・ 成長ホルモン{growth hormone}
体の細胞の増殖を促すことにより、成長を促進するホルモンである。とくに骨の成長腺である骨端軟骨の活動を支配するので、血液中のこのホルモンの量が一定のレベルを割ると、骨端軟骨の閉鎖が起こり、骨の長さの伸びが止まることになる。分泌不足で、小人症(こびと)、過剰で巨人症、末端巨大症などを起こす。
以下、他の内分泌腺についても、同様に肉体に及ぼす影響が書かれていますが、副腎皮質の
・ アドレナリン、ノルアドレナリン{noradrenalin,adrenalin}
副腎髄質は交感神経の組織から分化してできたもので、クロム塩によって褐色と黄色に染色される2種の細胞からなり、それぞれノルアドレナリンやアドレナリンを分泌する。これらのホルモンは血圧と血糖の上昇、心臓拍動の促進、平滑筋の収縮による毛細血管の収縮や立毛筋の起立(とりはだ)などを起こす。副腎髄質には交感神経から多量の神経線維が侵入しており、強いおどろき、恐怖、興奮の際に、交感神経からの刺激が副腎髄質のホルモン分泌を引き起こし、上記のような一連の反応が起こるのである。
以外は、感情面との関係は記されていませんでした。
そこで、「内分泌腺 感情」で検索してみました。
大半は、(おそらく『秘教治療』の情報を起点として広まった)精神世界系のものでしたが、それだと意味がないので、普通の医療関係をある程度踏まえている、他の出所からの情報と思しきものとして、
「感情をコントロールする - 健康的生活便り」
http://june-rose.com/kenko/Kenko12.html から、見ておきます。
・・・
脳の仕組みと心の身体の関係によりますと、脳の指示のもとにホルモンを分泌する内分泌系が気分の善し悪しや脳の機能を左右するようです。
感情を左右するのは、思考だと思っている人が多いと思います。
実際は思考が内分泌系を左右し、内分泌系が感情を左右します。
内分泌系から分泌されるホルモンが興奮させたり、憂鬱にさせたり、楽しい気分にさせたり、怒らせたりします。
このことはとても大切なことです。思考をコントロールすることによって、 内分泌系をコントロールできることが理解できるからです。
内分泌系を生理的にコントロールすることにより、感情をコントロールできるのです。
人はいつも鬱な状態よりも幸せな気分でいたいものです。
主な内分泌線は、八つあります(ホルモンを分泌する肝臓と腎臓を除きます)。松果体、下垂体、甲状腺、胸腺、上皮小体、副腎、膵臓、性腺です
認知機能や感情に最も大きな影響を及ぼすのは副腎、性腺、松果体、下垂体です。
性ホルモンは、精神に大きな影響を及ぼします。
どれだけ能率よく考えたり記憶したり肉体作業を行うかは性ホルモンに左右されます。
女性の場合生理の前はホルモンのレベルが不安定になるため感情が高ぶりやすくなります。
松果体から、睡眠や免疫力に関係のあるメラトニンが分泌されています。メラトニンには催眠の効果があります。老人は若者ほど睡眠を必要としないと言われますが、メラトニンが少なくなるために眠れなくなるだけです。
肉体的にも精神的にも若さを保つためには若者と同じくらいの睡眠が必要です。
起きている間は、セロトニンが健全な心身を保つのを助けるように、夜間はメラトニンが心を鎮めてくれます。
歳を取るにつれてメラトニンの分泌が減るのは、松果体がしなびて石灰化するためです。
石灰化は防ぐことができます。
歳を取っても松果体が正常に機能している人がいます。
それは高度な心身訓練と自然の強壮剤によって、松果体の機能を保つのに成功しています。
心身の訓練には、自律神経を調整したり、呼吸法、瞑想法などがあげられます。
・・・
参考文献(『これで脳は若返る』ダルマ・シン・カルサ、キャメロン・スタウト)
内分泌腺と人間の行動 ~ 『魂とそのメカニズム』 (6)
今日は「第二章 腺と人間の行動」をご紹介したいと思います。
(この本の紹介、こんなにゆっくりやるつもりはなかったのですが、一度ペースができてしまうと、途中で変更して端折るのも嫌なもので、この際、丁寧に見て行こうと思います。)
ジュワル・クール大師は、『秘教治療』やその他の作品の中でも、医学で認められている7つの内分泌腺が7つのチャクラの肉体における反映であることを、頻繁に書いています。また、『秘教治療』では内分泌腺が特に感情の状態を反映するものである、と一般的に述べられていますが、具体的にどのように作用するのかについては、ほとんど触れられていません。
(これに関しては、「私は、医学で既に明らかになっていることを、繰り返しここで述べるつもりはない」というスタンスを銘記されています。)
これに関して、アリス・ベイリーが1930年くらいの時点で西洋社会で一般に入手できる情報を集め、補ったのが、本章である、といえます。
私も一応、生理学などは過去に何回か学んだのですが、その時点ではさして興味がなかったので、大半のことはすっかり忘れてしまっていました。しかし、エソテリック・ヒーリングを本格的に学び講師までしようとなると、問題意識が違ってきて、今はとても興味深くなっています。
この章を読んでみて、『秘教治療』には書かれていないことがかなり書かれていて、参考になるとともに、この時点でもジュワル・クール大師の説を裏づける研究がかなり進んでいたのだなあ、と思いました。
一方で、ここで示されている説が、その当時、および現在でどれだけ定説として認められているかを確認するまでは、鵜呑みにしてはいけないとも思います。
という前提のものと、アリスが語っていることを、見ていきましょう。
「私は、内分泌系について考察する上で、例えば、身体の成長、髪、心臓、血液、生殖器官との関係といった、普通の生理学的な観点や作用という点から述べるつもりはない。・・・
私が意図することはむしろ、進歩した現代の研究者、医師、心理学者たちが内分泌腺の研究からどのような推論を下しているか、人間の行動に内分泌腺がどのような影響を与えていると判断しているかを確かめることであり、神秘的な内分泌物が人間の行動、感情、思考――つまり、人間そのもの――の原因であるというしばしば行われる主張を検証することである。腺を理解せよ、そして人間を見よ、と言われている。」(P35)
「このように、頭部と胴には重要な腺のネットワークが広がっている。これらの腺は、生理学的には、身体の構造、成長、化学変化を司り、心理学的には、人間の情緒的な反応と思考プロセスを引き起こす原因になっていると主張されている。
したがって、これらの腺は、その人間の良い特質と悪い特質、行動と行為、その人の性格そのものを生み出しているということになるであろう。」(P47)
個々の内分泌腺の特徴については、次のようなことが挙げられています。
松果腺――「光に対する感受性を調節し、性の性質に明確な影響を及ぼし、脳の発達に関係があり、この腺の活発な働きが知的早熟の原因になるとも言われている。」(P49)
「松果腺が魂の座であるという古代の信仰と、松果腺は幼年時代特有の腺であって、後に退化するという、一見確定しているように思われる事実には、ことによると何らかの真の関連性があり、隠れた真実を示すものがあるのではないであろうか。」
脳下垂体――後葉は、母性の性本能とその昇華、社会的創造的な本能を司っている。・・・それは哀れみの心を深く活性化すると言えるかもしれない。
前葉は知性の腺と表現されてきた。・・・知性とは、概念や抽象観念によって自らの環境を制御するマインドの能力を意味する。
バーマン博士はまた、次のようにつけ加えている。「もし知的であるならば、脳下垂体前葉の機能の増大を伴い、もし感情的であるならば、脳下垂体後葉の機能の増大を伴う。」(P53・54)
甲状腺――かつては性腺であったものであり、よく「第三の卵巣」と呼ばれ、常に卵巣に見られる症例と関係がある。・・・
甲状腺がなければ、肉体的な能力や機能は開花せず、しかるべき年頃になっても思春期の兆候が現われず、それ以降も性的な傾向が見られないため、種の繁殖は行われない。それだけではなく、複雑な思考、学習、教育、習慣形成、状況に反応する能力も見ることができない。(P55・56)
胸腺――私たちは何も知らないのも同然であり、すべての腺の中で最も神秘的である。
成年期になって胸腺が機能しすぎると、責任能力のない男女、道徳観念のない人々になる。(P57)
膵臓――腹部に位置し、太陽神経叢(本能的な動物性質の脳)の近くにあり、「肉体的目的や精神的目的のためにエネルギーを動員することに密接に関係している。・・・」(P58)
副腎――主として戦闘の腺である。副腎は、危険に遭遇した時や怒っている時に人が示す即座の活発な反応を生み出す。副腎の分泌は緊急時に刺激される。痛み、激怒、恐怖は分泌物の放出に対して明確な影響を及ぼす。(P59)
生殖腺――性衝動とそれに付随する様々な影響は、肉体的にも精神的にもよく認められており、多くの研究が行われている。この研究の大部分が倒錯や抑圧についての研究であるが、人類を理解する上で最も重要であることが立証されてきた。(P61)
「様々な腺には密接な関係があり、その機能には類似点がある。そして、ほとんどの腺が身体の代謝と成長に関わっており、すべての腺が性生活と密接に関係しているように思われる。結局のところ、腺がパーソナリティーのタイプと気質を決定しているようである。
この科学は実験レベルにあるが、人間は精神分析され、ようやく理解されたように思われる。感情とか知的概念と呼ばれる捉えどころのない触知できない過程が物質の観点から説明されている。腺や神経系、人間の接触器官と反応器官の発達が不十分であるか十分であるかによって、人間存在のすべてが決まるとされている。
聖者は罪人にもなることができ、罪人は聖者にもなることができる。これは単にいくつかの内分泌を増やすか減らすかすることによって可能である。このように、人間はこの世に生まれ持ってきた装備よりも良いこともなく悪いこともなく、メカニズムがその人間の総和なのである。彼はそれを改善することも誤用することもできるが、その器官が決定的である。・・・このように言われている。
私たちがこれらの結論に同意しようが反対しようが、少なくとも私たちは次のことを認めなければならない。つまり、すべての研究の対象であるそのメカニズムがある限り、完全なサイキック性質が機能できる装置になりうる完璧な肉体を構築する法則と方法を突き止めることがいずれはできるようになるはずである。・・・
個人について言えば、腺と腺の働きが根本的な原因なのであろうか。あるいは、それらは単に結果や手段にすぎないのであろうか。・・・
単なるメカニズムが存在の最も大切なものなのであろうか。私たちの唯一の導きの星はそのメカニズムを完成させることなのであろうか。・・・
これらの疑問に答えるため、次に東洋の知恵に目を向けることにしよう。」(P61~64)
ということで、どれくらい中立的な立場から情報が集められているのかは分かりませんが、まだPC検索などできない時代、アリス・ベイリーがかなりの努力を払って内分泌腺に関する資料を収集したことは、間違いないでしょう。
もちろん、ジュワル・クール大師の仕事を手伝っていたということもあっての問題意識ではありますが、当時、それを共有していた人はほとんどいないでしょうから、後でその仮説が正しいと証明された場合には、画期的な先駆的業績、ということになることでしょう。
アリス・ベイリーは読者に対して、人類全体に対して、大師の仕事を応用発展して人類の進化に結びつける仕事にするためにはどのようなことをすればよいかのお手本を、自身の著書を通して示したということになりますね。
(このシリーズ(3)まで、この本を書いた目的・動機を扱ってきましたが、これも重要な要素だったと思います。)
(この本の紹介、こんなにゆっくりやるつもりはなかったのですが、一度ペースができてしまうと、途中で変更して端折るのも嫌なもので、この際、丁寧に見て行こうと思います。)
ジュワル・クール大師は、『秘教治療』やその他の作品の中でも、医学で認められている7つの内分泌腺が7つのチャクラの肉体における反映であることを、頻繁に書いています。また、『秘教治療』では内分泌腺が特に感情の状態を反映するものである、と一般的に述べられていますが、具体的にどのように作用するのかについては、ほとんど触れられていません。
(これに関しては、「私は、医学で既に明らかになっていることを、繰り返しここで述べるつもりはない」というスタンスを銘記されています。)
これに関して、アリス・ベイリーが1930年くらいの時点で西洋社会で一般に入手できる情報を集め、補ったのが、本章である、といえます。
私も一応、生理学などは過去に何回か学んだのですが、その時点ではさして興味がなかったので、大半のことはすっかり忘れてしまっていました。しかし、エソテリック・ヒーリングを本格的に学び講師までしようとなると、問題意識が違ってきて、今はとても興味深くなっています。
この章を読んでみて、『秘教治療』には書かれていないことがかなり書かれていて、参考になるとともに、この時点でもジュワル・クール大師の説を裏づける研究がかなり進んでいたのだなあ、と思いました。
一方で、ここで示されている説が、その当時、および現在でどれだけ定説として認められているかを確認するまでは、鵜呑みにしてはいけないとも思います。
という前提のものと、アリスが語っていることを、見ていきましょう。
「私は、内分泌系について考察する上で、例えば、身体の成長、髪、心臓、血液、生殖器官との関係といった、普通の生理学的な観点や作用という点から述べるつもりはない。・・・
私が意図することはむしろ、進歩した現代の研究者、医師、心理学者たちが内分泌腺の研究からどのような推論を下しているか、人間の行動に内分泌腺がどのような影響を与えていると判断しているかを確かめることであり、神秘的な内分泌物が人間の行動、感情、思考――つまり、人間そのもの――の原因であるというしばしば行われる主張を検証することである。腺を理解せよ、そして人間を見よ、と言われている。」(P35)
「このように、頭部と胴には重要な腺のネットワークが広がっている。これらの腺は、生理学的には、身体の構造、成長、化学変化を司り、心理学的には、人間の情緒的な反応と思考プロセスを引き起こす原因になっていると主張されている。
したがって、これらの腺は、その人間の良い特質と悪い特質、行動と行為、その人の性格そのものを生み出しているということになるであろう。」(P47)
個々の内分泌腺の特徴については、次のようなことが挙げられています。
松果腺――「光に対する感受性を調節し、性の性質に明確な影響を及ぼし、脳の発達に関係があり、この腺の活発な働きが知的早熟の原因になるとも言われている。」(P49)
「松果腺が魂の座であるという古代の信仰と、松果腺は幼年時代特有の腺であって、後に退化するという、一見確定しているように思われる事実には、ことによると何らかの真の関連性があり、隠れた真実を示すものがあるのではないであろうか。」
脳下垂体――後葉は、母性の性本能とその昇華、社会的創造的な本能を司っている。・・・それは哀れみの心を深く活性化すると言えるかもしれない。
前葉は知性の腺と表現されてきた。・・・知性とは、概念や抽象観念によって自らの環境を制御するマインドの能力を意味する。
バーマン博士はまた、次のようにつけ加えている。「もし知的であるならば、脳下垂体前葉の機能の増大を伴い、もし感情的であるならば、脳下垂体後葉の機能の増大を伴う。」(P53・54)
甲状腺――かつては性腺であったものであり、よく「第三の卵巣」と呼ばれ、常に卵巣に見られる症例と関係がある。・・・
甲状腺がなければ、肉体的な能力や機能は開花せず、しかるべき年頃になっても思春期の兆候が現われず、それ以降も性的な傾向が見られないため、種の繁殖は行われない。それだけではなく、複雑な思考、学習、教育、習慣形成、状況に反応する能力も見ることができない。(P55・56)
胸腺――私たちは何も知らないのも同然であり、すべての腺の中で最も神秘的である。
成年期になって胸腺が機能しすぎると、責任能力のない男女、道徳観念のない人々になる。(P57)
膵臓――腹部に位置し、太陽神経叢(本能的な動物性質の脳)の近くにあり、「肉体的目的や精神的目的のためにエネルギーを動員することに密接に関係している。・・・」(P58)
副腎――主として戦闘の腺である。副腎は、危険に遭遇した時や怒っている時に人が示す即座の活発な反応を生み出す。副腎の分泌は緊急時に刺激される。痛み、激怒、恐怖は分泌物の放出に対して明確な影響を及ぼす。(P59)
生殖腺――性衝動とそれに付随する様々な影響は、肉体的にも精神的にもよく認められており、多くの研究が行われている。この研究の大部分が倒錯や抑圧についての研究であるが、人類を理解する上で最も重要であることが立証されてきた。(P61)
「様々な腺には密接な関係があり、その機能には類似点がある。そして、ほとんどの腺が身体の代謝と成長に関わっており、すべての腺が性生活と密接に関係しているように思われる。結局のところ、腺がパーソナリティーのタイプと気質を決定しているようである。
この科学は実験レベルにあるが、人間は精神分析され、ようやく理解されたように思われる。感情とか知的概念と呼ばれる捉えどころのない触知できない過程が物質の観点から説明されている。腺や神経系、人間の接触器官と反応器官の発達が不十分であるか十分であるかによって、人間存在のすべてが決まるとされている。
聖者は罪人にもなることができ、罪人は聖者にもなることができる。これは単にいくつかの内分泌を増やすか減らすかすることによって可能である。このように、人間はこの世に生まれ持ってきた装備よりも良いこともなく悪いこともなく、メカニズムがその人間の総和なのである。彼はそれを改善することも誤用することもできるが、その器官が決定的である。・・・このように言われている。
私たちがこれらの結論に同意しようが反対しようが、少なくとも私たちは次のことを認めなければならない。つまり、すべての研究の対象であるそのメカニズムがある限り、完全なサイキック性質が機能できる装置になりうる完璧な肉体を構築する法則と方法を突き止めることがいずれはできるようになるはずである。・・・
個人について言えば、腺と腺の働きが根本的な原因なのであろうか。あるいは、それらは単に結果や手段にすぎないのであろうか。・・・
単なるメカニズムが存在の最も大切なものなのであろうか。私たちの唯一の導きの星はそのメカニズムを完成させることなのであろうか。・・・
これらの疑問に答えるため、次に東洋の知恵に目を向けることにしよう。」(P61~64)
ということで、どれくらい中立的な立場から情報が集められているのかは分かりませんが、まだPC検索などできない時代、アリス・ベイリーがかなりの努力を払って内分泌腺に関する資料を収集したことは、間違いないでしょう。
もちろん、ジュワル・クール大師の仕事を手伝っていたということもあっての問題意識ではありますが、当時、それを共有していた人はほとんどいないでしょうから、後でその仮説が正しいと証明された場合には、画期的な先駆的業績、ということになることでしょう。
アリス・ベイリーは読者に対して、人類全体に対して、大師の仕事を応用発展して人類の進化に結びつける仕事にするためにはどのようなことをすればよいかのお手本を、自身の著書を通して示したということになりますね。
(このシリーズ(3)まで、この本を書いた目的・動機を扱ってきましたが、これも重要な要素だったと思います。)
東西心理学の真の融合 ~ 『魂とそのメカニズム』 (5)
「魂とその使用するメカニズム(エーテル体・チャクラ~肉体)」をテーマにしたEH連続講座が間近に迫っておりますが、その本質的な部分、問題意識がこの本に書かれているため、自分でも思いもかけず、連続で書いております。
(『秘教治療』には、詳細なメカニズムが書かれているのですが、それはブログで取り上げるには詳しすぎて、また難解なため、全体像が大づかみに描かれている本書からの紹介の方が、分かりやすいということもあります。
これで興味をもたれたら、是非、『秘教治療』をお読みください。でも多分、一人で読まれていると、難解で途中で投げ出されるでしょうから、講座にご参加ください。)
さて、やっと本文に入り、といってもまずは「第一章 序論」で、本書を通して企てられている目的の全体像が描かれています。それは先にも書きましたように、まず第一に、東西(古今東西という言い方がありますが、この場合、古東・今西)の心理学の融合です(P18・19)。
「東西の異なった科学と思想と推論を結びつけることで、新しい心理学が姿を現すであろう。それは、西洋が慣れ親しんでいる、人間が用いる構造に関する理解と、東洋が慣れ親しんでいる、自らの構造に生命を吹き込んで方向づけるエネルギーや霊についての理解に基づくものになるであろう。これら――構造と動機づけるエネルギー――は対立するものではなく、相互に依存しあうものである。それらは本質的には一つである。」
決して、分かりやすい文章ではありませんね。でも、ジュワル・クール大師の文章よりは、(慣れない人にとって)多少分かりやすくなっています。
(こういうことは、他でもよく経験します。例えば、この記事でも以前紹介した天才農業者・佐藤政二氏の話は、独創的概念が使われているので、聞き続けないとほとんど理解できません。でも、それを聞き続けた側近の人が話すと、佐藤用語を少し噛み砕いて話してくれるので、多少分かりやすくなります。
独創的天才はマイペースでやっていただいたとして、その側近の人たちがどこまで一般~日常用語に降ろして語れるかが、普及の一つのポイントになります。)
ジュワル・クール大師の理論を本格的に理解しようと思った場合に、アリス・ベイリーを読む意味は、その辺にもあります。先の文章を続けましょう。
「西洋心理学は主に、構造、触知できる客観的な宇宙、そうした世界に対する客観的な人間の反応に関心がある。それは人間を生命を吹き込まれた肉体として扱い、人間の性質の仕組みと人間が用いる道具を重要視する。そのため、それは機械論的であり、テストと実験の対象になりうるものだけを扱う。それは肉体を研究し、情緒や精神性を、そして魂と呼ぶものさえも、肉体の観点から説明する。」(P19)
「心理学の語源が『ロゴス』あるいはサイキや魂という言葉であることを思い起こすとき、西洋心理学のこの強烈に物質主義的な傾向には一層驚かされる。
しかし、西洋には異議を唱える声もある。それは内観主義的な心理学学派であり、内観主義者とか唯心論者と呼ばれることの方が多い。彼らは意識の事実を認め、意識的な実在を想定する。」(P24)
「西洋の学派と鮮明なコントラストをなすのが東洋の学派である。西洋における内観主義者と唯心論者は、それとは別に生まれたものであるが、東洋の学派を漠然と反映しているにすぎない。東洋の心理学は、形態の背後にあると主張されるものを扱っている。東洋心理学は霊的で超越的である。それは魂と霊を仮定しており、そのすべての推論と結論はこの前提に基づいている。東洋心理学は形態や構造を全面的に認めてはいるが、形態を用いる者と彼が形態を動かす際に用いるエネルギーを重視する。東洋心理学は生命とエネルギーの心理学である。・・・
このように東洋心理学は、原因、創造者、自己を扱う。・・・
エネルギーを与える自己の領域、背後にあり超越している霊の領域においては、彼らの見解は、エネルギーを与えられる形態の領域における西洋の心理学者の見解と同じくらい明快である。
この二つの体系の欠陥ははっきりしており、それぞれの場合において嘆かわしい結果を生んでいる。西洋はメカニズムを重視し、魂や動機を与える知的な力を否定する傾向がある。彼らにとっては、人間はただの地の塵にすぎず、人間の鼻孔に神の息吹が吹き込まれたことなど決してない。
東洋は物質的なものを認めはするが、それを軽蔑し、そうすることが東洋の惨めな物質的状態の原因になっている。これらの欠陥は深刻であるため、この分野でも東西を結びつけることが有効であるとは言えないであろうか。・・・
魂をメカニズムという媒体を通して完全に表現するために、形態に関する西洋の科学的な知識と、魂の本質に関して蓄積され受け継がれてきた東洋の知恵を知的に一つにすることはできないであろうか。・・・
まさにこのような希望を抱いて、つまり、物質主義的な心理学と内観心理学を一つに融合し、西洋と東洋を調和させるという希望を抱いて、私はこれを書いているのであり、東西を融合することが有効であり、そうすることでリアリティーが見えてくるということを指摘しているのである。」(P29~32)
これが、アリス・ベイリーが本書を通じて目論んでいる東西の心理学の融合と、その目的です。
書き写していて、今アメリカからケン・ウィルバーなどを起点にして起きている東西の心理学の融合と、少し違った目的意識の上に立っているのではないか、と思いました。
ウィルバーなどによって起こされた現在盛んになっている流れは、主に、西洋から起きた心理療法と東洋の宗教的・霊的修行法の共通点や差異性に注目して、両者を接合・融合していこう、という問題意識のもとに起きてきたものだと思います。
なので、東西心理学の融合といっても、西の方も内観主義に基づく心理療法が中心です。
いわば、親戚同士(親子、あるいは兄弟)の融合です。
それに対して、アリス・ベイリーの場合、西というのは行動主義を中心とする機械論的心理学の手法が対象になっていて、それが次の「第二章 腺と人間の行動」で扱われているのです。
かなり仲の悪い2つを、融合しよう、というのです。
そういう意味で、よりダイナミックな東西心理学の真の融合が企てられているといえるのではないか、と思います。
(思い当るものの中では、わずか本山博先生の研究のみが、そういう意味で、この同じ流れに属するものといえます。)
(『秘教治療』には、詳細なメカニズムが書かれているのですが、それはブログで取り上げるには詳しすぎて、また難解なため、全体像が大づかみに描かれている本書からの紹介の方が、分かりやすいということもあります。
これで興味をもたれたら、是非、『秘教治療』をお読みください。でも多分、一人で読まれていると、難解で途中で投げ出されるでしょうから、講座にご参加ください。)
さて、やっと本文に入り、といってもまずは「第一章 序論」で、本書を通して企てられている目的の全体像が描かれています。それは先にも書きましたように、まず第一に、東西(古今東西という言い方がありますが、この場合、古東・今西)の心理学の融合です(P18・19)。
「東西の異なった科学と思想と推論を結びつけることで、新しい心理学が姿を現すであろう。それは、西洋が慣れ親しんでいる、人間が用いる構造に関する理解と、東洋が慣れ親しんでいる、自らの構造に生命を吹き込んで方向づけるエネルギーや霊についての理解に基づくものになるであろう。これら――構造と動機づけるエネルギー――は対立するものではなく、相互に依存しあうものである。それらは本質的には一つである。」
決して、分かりやすい文章ではありませんね。でも、ジュワル・クール大師の文章よりは、(慣れない人にとって)多少分かりやすくなっています。
(こういうことは、他でもよく経験します。例えば、この記事でも以前紹介した天才農業者・佐藤政二氏の話は、独創的概念が使われているので、聞き続けないとほとんど理解できません。でも、それを聞き続けた側近の人が話すと、佐藤用語を少し噛み砕いて話してくれるので、多少分かりやすくなります。
独創的天才はマイペースでやっていただいたとして、その側近の人たちがどこまで一般~日常用語に降ろして語れるかが、普及の一つのポイントになります。)
ジュワル・クール大師の理論を本格的に理解しようと思った場合に、アリス・ベイリーを読む意味は、その辺にもあります。先の文章を続けましょう。
「西洋心理学は主に、構造、触知できる客観的な宇宙、そうした世界に対する客観的な人間の反応に関心がある。それは人間を生命を吹き込まれた肉体として扱い、人間の性質の仕組みと人間が用いる道具を重要視する。そのため、それは機械論的であり、テストと実験の対象になりうるものだけを扱う。それは肉体を研究し、情緒や精神性を、そして魂と呼ぶものさえも、肉体の観点から説明する。」(P19)
「心理学の語源が『ロゴス』あるいはサイキや魂という言葉であることを思い起こすとき、西洋心理学のこの強烈に物質主義的な傾向には一層驚かされる。
しかし、西洋には異議を唱える声もある。それは内観主義的な心理学学派であり、内観主義者とか唯心論者と呼ばれることの方が多い。彼らは意識の事実を認め、意識的な実在を想定する。」(P24)
「西洋の学派と鮮明なコントラストをなすのが東洋の学派である。西洋における内観主義者と唯心論者は、それとは別に生まれたものであるが、東洋の学派を漠然と反映しているにすぎない。東洋の心理学は、形態の背後にあると主張されるものを扱っている。東洋心理学は霊的で超越的である。それは魂と霊を仮定しており、そのすべての推論と結論はこの前提に基づいている。東洋心理学は形態や構造を全面的に認めてはいるが、形態を用いる者と彼が形態を動かす際に用いるエネルギーを重視する。東洋心理学は生命とエネルギーの心理学である。・・・
このように東洋心理学は、原因、創造者、自己を扱う。・・・
エネルギーを与える自己の領域、背後にあり超越している霊の領域においては、彼らの見解は、エネルギーを与えられる形態の領域における西洋の心理学者の見解と同じくらい明快である。
この二つの体系の欠陥ははっきりしており、それぞれの場合において嘆かわしい結果を生んでいる。西洋はメカニズムを重視し、魂や動機を与える知的な力を否定する傾向がある。彼らにとっては、人間はただの地の塵にすぎず、人間の鼻孔に神の息吹が吹き込まれたことなど決してない。
東洋は物質的なものを認めはするが、それを軽蔑し、そうすることが東洋の惨めな物質的状態の原因になっている。これらの欠陥は深刻であるため、この分野でも東西を結びつけることが有効であるとは言えないであろうか。・・・
魂をメカニズムという媒体を通して完全に表現するために、形態に関する西洋の科学的な知識と、魂の本質に関して蓄積され受け継がれてきた東洋の知恵を知的に一つにすることはできないであろうか。・・・
まさにこのような希望を抱いて、つまり、物質主義的な心理学と内観心理学を一つに融合し、西洋と東洋を調和させるという希望を抱いて、私はこれを書いているのであり、東西を融合することが有効であり、そうすることでリアリティーが見えてくるということを指摘しているのである。」(P29~32)
これが、アリス・ベイリーが本書を通じて目論んでいる東西の心理学の融合と、その目的です。
書き写していて、今アメリカからケン・ウィルバーなどを起点にして起きている東西の心理学の融合と、少し違った目的意識の上に立っているのではないか、と思いました。
ウィルバーなどによって起こされた現在盛んになっている流れは、主に、西洋から起きた心理療法と東洋の宗教的・霊的修行法の共通点や差異性に注目して、両者を接合・融合していこう、という問題意識のもとに起きてきたものだと思います。
なので、東西心理学の融合といっても、西の方も内観主義に基づく心理療法が中心です。
いわば、親戚同士(親子、あるいは兄弟)の融合です。
それに対して、アリス・ベイリーの場合、西というのは行動主義を中心とする機械論的心理学の手法が対象になっていて、それが次の「第二章 腺と人間の行動」で扱われているのです。
かなり仲の悪い2つを、融合しよう、というのです。
そういう意味で、よりダイナミックな東西心理学の真の融合が企てられているといえるのではないか、と思います。
(思い当るものの中では、わずか本山博先生の研究のみが、そういう意味で、この同じ流れに属するものといえます。)
幸せの経済学国際会議【報告会・交流会】4/8夜@下北沢
「懐かしい未来」ネットワーク代表の鎌田陽司さんからのお知らせ、
以下、転載させていただきます。
とても貴重な会の、貴重な報告会です。
私も講座終了後、駆けつけたいと思ってます・・・
(懇親会も重要なので、どうしようか、悩むところですが。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月22から27日にかけ、カリフォルニア州バークレーにて
幸せの経済学国際会議(the Economics of Happiness Conference)が開かれました。
ヘレナさんのISECと懐かしい未来が共催しました。
4月8日に、鎌田と竹重による報告会(第1回)を行うことになりました。
ほかに日本から参加した古沢広祐さん、アズビーブラウンさんによる
報告を含めたサロンも5~7月に予定しています。
期日の迫った開催となりますが、
皆さんにできるだけ新鮮な情報を共有できればと考えております。
ご関心をお持ちの方はぜひ、お気軽にご参加ください。
*********
幸せの経済学国際会議 報告会(第1回)
4月8日(日)18:30~20:30 報告会
20:30~21:30 交流会
参加費 500円 申込不要
場所 下北沢タウンホール 11F らぷらす 研修室3
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00005031.html
*映像・写真を加えた報告と、 質疑応答・対話による進行を予定。
ローカリゼーション宣言草稿の日本語版を配布します。
*終了後はハーブティーを飲みながら、懐かしい未来の交流会(オフ会)
として気軽に歓談できる時間にしてみたいと思います。
*ユーストリーム中継を行う可能性があります。
http://www.ustream.tv/user/ancient_futures
********
会議の様子写真
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.375749562457664.90144.100000678691885&type=1&l=5bd31b0f65
---参加者一部紹介---
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ 『懐かしい未来』著者『幸せの経済学』監督
マイケル・シューマン(アメリカ) BALLE(Business Alliance of Local Living
Economies)
グスタボ・エステバ(メキシコ) 『学校のない社会への招待』などの著者
マニシュ・ジャイン(インド) 教育と開発を再考する民衆研究所
スラック・シワラック(タイ)タイの思想家。社会活動家のエコビレッジを創設。
『しあわせの開発学』などの著者
リチャード・ハインバーグ(アメリカ) 『Party is Over』などの著者
ジョアンナ・メーシー(アメリカ) 仏教エコロジスト
ロス・ジャクソン(デンマーク) グローバル・エコビレッジ・ネットワーク創設者
ビル・マッキベン(アメリカ) 『ディープ・エコノミー:生命を育む経済へ』などの著者
古沢広祐 「環境・持続社会」研究センター
アズビー・ブラウン ” Just Enough”(『江戸に学ぶエコ生活術』)著者
鎌田陽司 NPO法人懐かしい未来 代表
(竹重小夜子 筑波大学3年 懐かしい未来運営委員 ※非プレゼンター)
---------
ホームページでも随時情報をアップしていきますので、
ぜひよろしくお願い致します。
イベント告知ページ http://afutures.net/blog/mainevent/1318
ツイッター @afutures
NPO法人 懐かしい未来 (担当:竹重)
以下、転載させていただきます。
とても貴重な会の、貴重な報告会です。
私も講座終了後、駆けつけたいと思ってます・・・
(懇親会も重要なので、どうしようか、悩むところですが。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月22から27日にかけ、カリフォルニア州バークレーにて
幸せの経済学国際会議(the Economics of Happiness Conference)が開かれました。
ヘレナさんのISECと懐かしい未来が共催しました。
4月8日に、鎌田と竹重による報告会(第1回)を行うことになりました。
ほかに日本から参加した古沢広祐さん、アズビーブラウンさんによる
報告を含めたサロンも5~7月に予定しています。
期日の迫った開催となりますが、
皆さんにできるだけ新鮮な情報を共有できればと考えております。
ご関心をお持ちの方はぜひ、お気軽にご参加ください。
*********
幸せの経済学国際会議 報告会(第1回)
4月8日(日)18:30~20:30 報告会
20:30~21:30 交流会
参加費 500円 申込不要
場所 下北沢タウンホール 11F らぷらす 研修室3
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00005031.html
*映像・写真を加えた報告と、 質疑応答・対話による進行を予定。
ローカリゼーション宣言草稿の日本語版を配布します。
*終了後はハーブティーを飲みながら、懐かしい未来の交流会(オフ会)
として気軽に歓談できる時間にしてみたいと思います。
*ユーストリーム中継を行う可能性があります。
http://www.ustream.tv/user/ancient_futures
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会議の様子写真
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.375749562457664.90144.100000678691885&type=1&l=5bd31b0f65
---参加者一部紹介---
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ 『懐かしい未来』著者『幸せの経済学』監督
マイケル・シューマン(アメリカ) BALLE(Business Alliance of Local Living
Economies)
グスタボ・エステバ(メキシコ) 『学校のない社会への招待』などの著者
マニシュ・ジャイン(インド) 教育と開発を再考する民衆研究所
スラック・シワラック(タイ)タイの思想家。社会活動家のエコビレッジを創設。
『しあわせの開発学』などの著者
リチャード・ハインバーグ(アメリカ) 『Party is Over』などの著者
ジョアンナ・メーシー(アメリカ) 仏教エコロジスト
ロス・ジャクソン(デンマーク) グローバル・エコビレッジ・ネットワーク創設者
ビル・マッキベン(アメリカ) 『ディープ・エコノミー:生命を育む経済へ』などの著者
古沢広祐 「環境・持続社会」研究センター
アズビー・ブラウン ” Just Enough”(『江戸に学ぶエコ生活術』)著者
鎌田陽司 NPO法人懐かしい未来 代表
(竹重小夜子 筑波大学3年 懐かしい未来運営委員 ※非プレゼンター)
---------
ホームページでも随時情報をアップしていきますので、
ぜひよろしくお願い致します。
イベント告知ページ http://afutures.net/blog/mainevent/1318
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NPO法人 懐かしい未来 (担当:竹重)
挑戦を待つ学問のフロンティア ~ 『魂とそのメカニズム』 (4)
このシリーズの(2)では、「第七章 結論」の書き出しで(P172)、本書において東洋と西洋の心理学の融合の試みが成功し、「生きている魂としての人間についての全体像が得られた。」と書かれていることを、お伝えしました。
これは著者の発言ですが、第3者的な評価はどうなのか? 完全な第3者ではないですが、ある程度客観的に書かれていると思われるH・A・オーバーストリート氏による「まえがき」の文章(1930年に書かれたもの)を、見てみましょう。
「東洋の哲学思想と心理学思想に対する私たちの姿勢は、大体の場合、無差別な畏敬を抱くか、同様に無差別の不信を示すかのいずれかである。これは残念なことである。崇拝する人々は不信の念を抱く人々と同様に間違っている。・・・
ベイリー夫人は、この本において、批判的なマインドを東洋思想に向けさせ、東洋思想が、西洋思想と全く同じように、知恵の最終的な言明であると主張するものではないということを認める心の準備を整えさせるという素晴らしい貢献をしている。」(P7・8)
アリスは、東洋思想(の深さ)を批判しているわけではありませんが、それを手放しに崇拝する西洋人の(一部に見られる)姿勢を批判し、東洋思想をより良いものをつくり変えていくために、西洋思想が貢献できる部分があり、立場や見方の異なる両者が協力することにより、完全なものに近づくことができることを、本書で示したのです(ジュワル・クール大師の作品も、もちろん、同じラインに沿った仕事です)。
これは、今日の日本の精神世界を取り巻く状況にも、そのまま当てはまりますね。
議論好きな欧米人でも同じ状況があったわけですから、感性重視の日本人では止むを得ないとは思います。正しく知性を働かせることは、相当に難しいことなのですね。
オーバーストリート氏による「まえがき」から、続けます(P8・9)。
「他に理由がなかったとしても、この本は、西洋に対して東洋を説明し、東洋に対して西洋を説明するだけではなく、二つの思考過程を一つの観点へと調和させる一つの試みとしても意義深い。・・・
とはいえ、この本を特に意義あるものにしているのは、腺についての西洋の研究と「センター」についての東洋の研究との、著者独自の比較検討である。・・・
この本は、私たちのパーソナリティーのいわばペースメーカーである腺の研究に主に重点を置くことによって、個人の訓練を一層適切なものにする予想外に実り豊かな提案をしているだけではなく、さらなる研究への魅力ある可能性を開くようなやり方で、肉体とマインドの関係を提示している。」
これに関しては、私も同感です。そしてこれは、このシリーズの(1)で述べた、今週末に迫った次回のEH連続講座のテーマとも関係しているのです(なので、準備に押し詰まった時期に、この記事を書いているのです)。
エーテル体やチャクラと内分泌腺・神経系・血液との関係のみであれば、(神智学的に言えば)物質界層内の話であり、(チャクラは西洋ではあまり扱われてはいませんが)エーテル=気のレベルの問題は西洋でも色々な人が研究を進めてきた歴史があります。
しかし、エーテル体やチャクラが魂の道具であって、(進化が進んだ場合)それを介して内分泌腺・神経系・血液に影響を与えることにより、魂が肉体をコントロールするようになる。したがって、分泌腺等の状態を調べることによって、魂がどれだけ人間を統御できているかも分かるようになる。その魂の部分を扱ってきたのが東洋の心理学である、というようなところにまで話が及ぶと、確かにそれまでに試みられたことのない、「東洋と西洋の心理学の融合」の試み、ということができると思います。
「まえがき」最後の部分です(P10)
「私はこの本の著者が達した暫定的な結論を弁護しているわけではない。この結論は修正する必要があるかもしれず、拒否することさえ必要かもしれない。しかし、いずれは深遠な意義のある生理学的な研究や心理学的な研究につながると思われる新しい可能性を著者が開いたことは全く疑う余地はない。
この本は挑戦的であるだけではなく、非常に啓蒙をもたらすものである。それは西洋人のマインドには驚きであろうが、その驚きには、西洋の私たちには全くをもってあまりにも馴染みのない東洋人の思考プロセスに対する、まさに心からの賞賛が入り混じっているように思える。」
原著出版以来、80年経過しているのですが、この研究はどれくらい進んでいるのでしょうか?
ホリスティック医学の日本の先端的研究者に聞いてみても、まだ内分泌腺に注目している人は、医師ではほとんどいない、という状況のようです。
(ですからおそらく、研究が進められた結果、この仮説が否定された、という状況には至っていないと思います。)
このテーマは、未だ学問のフロンティアとして、真摯な研究者の挑戦を待ち続けているのです。
これは著者の発言ですが、第3者的な評価はどうなのか? 完全な第3者ではないですが、ある程度客観的に書かれていると思われるH・A・オーバーストリート氏による「まえがき」の文章(1930年に書かれたもの)を、見てみましょう。
「東洋の哲学思想と心理学思想に対する私たちの姿勢は、大体の場合、無差別な畏敬を抱くか、同様に無差別の不信を示すかのいずれかである。これは残念なことである。崇拝する人々は不信の念を抱く人々と同様に間違っている。・・・
ベイリー夫人は、この本において、批判的なマインドを東洋思想に向けさせ、東洋思想が、西洋思想と全く同じように、知恵の最終的な言明であると主張するものではないということを認める心の準備を整えさせるという素晴らしい貢献をしている。」(P7・8)
アリスは、東洋思想(の深さ)を批判しているわけではありませんが、それを手放しに崇拝する西洋人の(一部に見られる)姿勢を批判し、東洋思想をより良いものをつくり変えていくために、西洋思想が貢献できる部分があり、立場や見方の異なる両者が協力することにより、完全なものに近づくことができることを、本書で示したのです(ジュワル・クール大師の作品も、もちろん、同じラインに沿った仕事です)。
これは、今日の日本の精神世界を取り巻く状況にも、そのまま当てはまりますね。
議論好きな欧米人でも同じ状況があったわけですから、感性重視の日本人では止むを得ないとは思います。正しく知性を働かせることは、相当に難しいことなのですね。
オーバーストリート氏による「まえがき」から、続けます(P8・9)。
「他に理由がなかったとしても、この本は、西洋に対して東洋を説明し、東洋に対して西洋を説明するだけではなく、二つの思考過程を一つの観点へと調和させる一つの試みとしても意義深い。・・・
とはいえ、この本を特に意義あるものにしているのは、腺についての西洋の研究と「センター」についての東洋の研究との、著者独自の比較検討である。・・・
この本は、私たちのパーソナリティーのいわばペースメーカーである腺の研究に主に重点を置くことによって、個人の訓練を一層適切なものにする予想外に実り豊かな提案をしているだけではなく、さらなる研究への魅力ある可能性を開くようなやり方で、肉体とマインドの関係を提示している。」
これに関しては、私も同感です。そしてこれは、このシリーズの(1)で述べた、今週末に迫った次回のEH連続講座のテーマとも関係しているのです(なので、準備に押し詰まった時期に、この記事を書いているのです)。
エーテル体やチャクラと内分泌腺・神経系・血液との関係のみであれば、(神智学的に言えば)物質界層内の話であり、(チャクラは西洋ではあまり扱われてはいませんが)エーテル=気のレベルの問題は西洋でも色々な人が研究を進めてきた歴史があります。
しかし、エーテル体やチャクラが魂の道具であって、(進化が進んだ場合)それを介して内分泌腺・神経系・血液に影響を与えることにより、魂が肉体をコントロールするようになる。したがって、分泌腺等の状態を調べることによって、魂がどれだけ人間を統御できているかも分かるようになる。その魂の部分を扱ってきたのが東洋の心理学である、というようなところにまで話が及ぶと、確かにそれまでに試みられたことのない、「東洋と西洋の心理学の融合」の試み、ということができると思います。
「まえがき」最後の部分です(P10)
「私はこの本の著者が達した暫定的な結論を弁護しているわけではない。この結論は修正する必要があるかもしれず、拒否することさえ必要かもしれない。しかし、いずれは深遠な意義のある生理学的な研究や心理学的な研究につながると思われる新しい可能性を著者が開いたことは全く疑う余地はない。
この本は挑戦的であるだけではなく、非常に啓蒙をもたらすものである。それは西洋人のマインドには驚きであろうが、その驚きには、西洋の私たちには全くをもってあまりにも馴染みのない東洋人の思考プロセスに対する、まさに心からの賞賛が入り混じっているように思える。」
原著出版以来、80年経過しているのですが、この研究はどれくらい進んでいるのでしょうか?
ホリスティック医学の日本の先端的研究者に聞いてみても、まだ内分泌腺に注目している人は、医師ではほとんどいない、という状況のようです。
(ですからおそらく、研究が進められた結果、この仮説が否定された、という状況には至っていないと思います。)
このテーマは、未だ学問のフロンティアとして、真摯な研究者の挑戦を待ち続けているのです。
書かれざる真の目的 ~ 『魂とそのメカニズム』 (3)
この本の紹介、1回目から、著者が書いた目的について論じてますが、昨日は多少脇道に逸れてしまって、まだ書きたいことが終わっていません。
「本はなぜ書かれるのか?」・・・このテーマは「ホリスティック・リーディング」を掲げるものとして(「ホリスティック・ライティング」という概念も一緒に提示しているのですが)、また実際に本を出版した経験がないとわからないこともあるので、こだわって書かせていただいています。
昨日引用した部分で、アリス・ベイリーが「東洋と西洋の心理学の融合」などを目的として書いた、という文章がありました。
確かに、これは一つの段階の目的です。しかし、この目的よりももっと根本的な、真の目的というのが、本によってはあるのです。(よく練られた、優れた著者の本では、それがない方が、稀だと思います。)
それはこの本の場合、「自分は(表現面を多少担当した)筆記者にすぎず、実際にはジュワル・クール大師の作品であった『秘教心理学』や『秘教治療』、さらにはジュワル・クール大師の作品群全体を、より早く社会的に認知され、その正統な価値を評価できるような社会が実現する(それは、人類文化の進化を速め、人類社会の福祉に役立つことにつながります)よう貢献したい」というアリス・ベイリー自身の意思に基づくものであっただろう、ということです。
そういうことは、この本には文章としては書かれていません。書いたとしたら、ジュワル・クール大師の存在やその作品に疑念を抱いている人たちから「そういう魂胆で書いてるんだ」ということで、攻撃対象になりかねませんから。
しかし、アリスとしては、最初にジュワル・クール大師から「仕事を手伝って欲しい」というメッセージをもらったときには拒否し、直接の師であったクート・フーミ大師の説得によってその仕事を手伝い始めてから(最終的には)30年間その仕事をすることになり、当然その仕事やその結果として生み出された業績である著作群に愛着(という言葉はふさわしくないかもしれませんが)が湧くでしょうし、大師や人類の役に立ちたいと思うのは、当然でしょう。
アリスの立場に立って見ると、「この一生はジュワル・クール大師の仕事(のお手伝い)に捧げたものだった。それは十分意義深いものであったけれども、自分だけの力で、それをさらに意義深いものにするような仕事をしたい」と考えたに違いありません。
それでまず彼女は、自分自身が霊媒ではなく、つまり自分が伝えた作品群はアストラル的なチェネリング情報とはレベルが違うものであることを示すために、きちんとメンタル体が使えることを示そうと考えて、論文的な作品を書こうと思ったのです。(これに関しては、土方三羊著『アリス・ベイリー入門』に、アリス自身の言葉として、そのような内容のことが書かれていたと思います。)
その後に、限られた人生の時間の中で、何をテーマに選ぶか、という問題が出てくるわけです。そして実際に熟慮・選択した結果生まれた論文的な作品が、本書の他、
『魂の光――パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』
『ベツレヘムからガルバリーへ』
『知性から直観へ』
であった、ということです。(アリス自身の著書はほかに、『未完の自叙伝』と『意識の進化』という講演録があります。)
これらの本の共通性を探ってみると・・・
新約聖書の秘教的解読を示した『ベツレヘムからガルバリーへ』と『魂の光』は、いずれも霊的な進化の道程を示したものです。
また、直観は知性の座である低位具体マインドと魂がつながり、さらにそれが高位抽象マインドとつながる=アンターカラナが建設されることによって生まれる能力ですから、霊的な進化の結果あらわれる現象の一つ(直観を得ようと努力することが、霊的進化を促進することにもなる、という意味では原因にもなり得ますが)であって、結局、四つの作品とも、「魂の性質と、その進化」がテーマになっていることが分かります。
そして、これはジュワル・クール大師の作品群とも共通するものです。
ジュワル・クール大師の作品を筆記しながら、彼女は自身の仕事を選択するに当って当然、自分の進化段階と光線構造に見合ったものを選ぼうと思ったでしょうし、それに関して大師からのアドヴァイスやサポートもあったでしょう。
クレーム氏のイニシエートのリストによれば、彼女は第2光線の魂をもつ第3段階のイニシエートということですが、『未完の自叙伝』を読めば、彼女が第2光線のクートフーミ大師の弟子であり、またジュワル・クール大師との間で(ヘッド・センターの開花が必要な)“魂のレベルのテレパシー”を使って仕事をしていたことが分かり、それからも、第2光線の魂をもつ第3段階のイニシエートであることは、確かだと思います。
第2光線は、霊―魂―体と分けたときの、“魂”の光線と言え、また、第3段階に到達し先のアンターカラナを建設し終えた者として、自分自身の体験を踏まえて魂の進化の道程を一般の人に向けて語る仕事は、彼女に最も適した仕事であった、ということができるわけです。
「本はなぜ書かれるのか?」という問題を考える場合、その1冊の内容だけではなく、それを生み出した人の背景まで考えなければいけないし、それによってその本が生まれた必然性が理解できたときに、その本がグンと親しみをもったものとして、新たに目の前に立ち現われてくるのです。
「本はなぜ書かれるのか?」・・・このテーマは「ホリスティック・リーディング」を掲げるものとして(「ホリスティック・ライティング」という概念も一緒に提示しているのですが)、また実際に本を出版した経験がないとわからないこともあるので、こだわって書かせていただいています。
昨日引用した部分で、アリス・ベイリーが「東洋と西洋の心理学の融合」などを目的として書いた、という文章がありました。
確かに、これは一つの段階の目的です。しかし、この目的よりももっと根本的な、真の目的というのが、本によってはあるのです。(よく練られた、優れた著者の本では、それがない方が、稀だと思います。)
それはこの本の場合、「自分は(表現面を多少担当した)筆記者にすぎず、実際にはジュワル・クール大師の作品であった『秘教心理学』や『秘教治療』、さらにはジュワル・クール大師の作品群全体を、より早く社会的に認知され、その正統な価値を評価できるような社会が実現する(それは、人類文化の進化を速め、人類社会の福祉に役立つことにつながります)よう貢献したい」というアリス・ベイリー自身の意思に基づくものであっただろう、ということです。
そういうことは、この本には文章としては書かれていません。書いたとしたら、ジュワル・クール大師の存在やその作品に疑念を抱いている人たちから「そういう魂胆で書いてるんだ」ということで、攻撃対象になりかねませんから。
しかし、アリスとしては、最初にジュワル・クール大師から「仕事を手伝って欲しい」というメッセージをもらったときには拒否し、直接の師であったクート・フーミ大師の説得によってその仕事を手伝い始めてから(最終的には)30年間その仕事をすることになり、当然その仕事やその結果として生み出された業績である著作群に愛着(という言葉はふさわしくないかもしれませんが)が湧くでしょうし、大師や人類の役に立ちたいと思うのは、当然でしょう。
アリスの立場に立って見ると、「この一生はジュワル・クール大師の仕事(のお手伝い)に捧げたものだった。それは十分意義深いものであったけれども、自分だけの力で、それをさらに意義深いものにするような仕事をしたい」と考えたに違いありません。
それでまず彼女は、自分自身が霊媒ではなく、つまり自分が伝えた作品群はアストラル的なチェネリング情報とはレベルが違うものであることを示すために、きちんとメンタル体が使えることを示そうと考えて、論文的な作品を書こうと思ったのです。(これに関しては、土方三羊著『アリス・ベイリー入門』に、アリス自身の言葉として、そのような内容のことが書かれていたと思います。)
その後に、限られた人生の時間の中で、何をテーマに選ぶか、という問題が出てくるわけです。そして実際に熟慮・選択した結果生まれた論文的な作品が、本書の他、
『魂の光――パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』
『ベツレヘムからガルバリーへ』
『知性から直観へ』
であった、ということです。(アリス自身の著書はほかに、『未完の自叙伝』と『意識の進化』という講演録があります。)
これらの本の共通性を探ってみると・・・
新約聖書の秘教的解読を示した『ベツレヘムからガルバリーへ』と『魂の光』は、いずれも霊的な進化の道程を示したものです。
また、直観は知性の座である低位具体マインドと魂がつながり、さらにそれが高位抽象マインドとつながる=アンターカラナが建設されることによって生まれる能力ですから、霊的な進化の結果あらわれる現象の一つ(直観を得ようと努力することが、霊的進化を促進することにもなる、という意味では原因にもなり得ますが)であって、結局、四つの作品とも、「魂の性質と、その進化」がテーマになっていることが分かります。
そして、これはジュワル・クール大師の作品群とも共通するものです。
ジュワル・クール大師の作品を筆記しながら、彼女は自身の仕事を選択するに当って当然、自分の進化段階と光線構造に見合ったものを選ぼうと思ったでしょうし、それに関して大師からのアドヴァイスやサポートもあったでしょう。
クレーム氏のイニシエートのリストによれば、彼女は第2光線の魂をもつ第3段階のイニシエートということですが、『未完の自叙伝』を読めば、彼女が第2光線のクートフーミ大師の弟子であり、またジュワル・クール大師との間で(ヘッド・センターの開花が必要な)“魂のレベルのテレパシー”を使って仕事をしていたことが分かり、それからも、第2光線の魂をもつ第3段階のイニシエートであることは、確かだと思います。
第2光線は、霊―魂―体と分けたときの、“魂”の光線と言え、また、第3段階に到達し先のアンターカラナを建設し終えた者として、自分自身の体験を踏まえて魂の進化の道程を一般の人に向けて語る仕事は、彼女に最も適した仕事であった、ということができるわけです。
「本はなぜ書かれるのか?」という問題を考える場合、その1冊の内容だけではなく、それを生み出した人の背景まで考えなければいけないし、それによってその本が生まれた必然性が理解できたときに、その本がグンと親しみをもったものとして、新たに目の前に立ち現われてくるのです。
『魂とそのメカニズム』 (2) & 本山博先生講演会
昨日も書きましたが、本を書く場合に、著者はその本を書く目的というものをもっています。
目的(メンタル的、いや出版の容易になった現在においては情緒・欲求的な場合が多いでしょうね)と継続的な強い意志があって、本というのははじめて現象化=出版されます(これも最近は、お金をつぎ込んで気軽に出すという場合もありますが)。
この本に関して、アリス・ベイリーは「第一章 序論」の書き出しのところで(P12)、
「本書を著わそうと思ったのは次のような三つの願いからである。一つは、物質主義的つまり外的な心理学と内観的つまり内的な心理学を一つにしたいという願いである。二つ目は、過去の科学的な心理学から人類の思想と人類の心理というより広範な領域へと目を向けつつ、物質主義的な西洋と内観的な東洋を調和させたいという願いである。最後の願いは、このような相反する様相はすべて、一つの真理の様々な面にすぎず、それらが一緒になって一つのリアリティーを構成しているということを示したいという思いである。
世界の心理学教育の現在の姿勢を見て、このような願いが起こったのである。」
とあります。
そして最後の「第七章 結論」の書き出しでは(P172)、
「本書では心理学の二つの体系について、つまり、東洋と西洋の心理学について考察してきた。これらを一つにして考えることで、あるメカニズムを通して機能している、生きている魂としての人間についての全体像が得られた。」
と、この本(=論文)の成功が、高らかに謳いあげられています。
日本でも、東洋と西洋の心理学の融合をテーマにされる方が、最近増えてきているように思います。
そして、その動きの中心は、アメリカにあるそれをテーマにした大学・大学院を出られた方々のように感じています。日本にも、私が最近個人的に関係が深まっている本山博先生が作られた、IARP(国際宗教・超心理学会)
http://www.iarp.or.jp/ が、先駆的な研究・業績を残されていますが、残念ながら日本国内ではあまり注目されず、本山先生が創設されたアメリカのカリフォルニア人間科学大学院大学 http://www.iarp.or.jp/cihs/index.html
の方に拠点が移ってしまっています。
海外では本山先生は、ヨーガ・超心理学・スピリチュアリティーの分野でビッグ・ネームなのですが、大変残念です。そんなこともあり、6月3日(日)午後に、フィロソフィア関係の小林正弥氏・樫尾直樹氏、それにご子息の本山一博氏と協力して、本山先生をお招きするシンポジウム「地球時代のスピリチュアリティと宗教~本山博氏の仕事をめぐって~」を、慶応義塾大学三田キャンパス北館1階ホールにて、開催することになりました。
これに関しましては、詳細が決まりましたらお知らせさせていただきますし、私も司会をする予定になっているため、本山先生の業績に関しても勉強しつつ、ここで書かせていただくことになると思います。
本山先生は80代後半とご高齢になられ、最近は、IARP等、ご自身の会や大学以外、一般の方の前にはほとんど姿をお見せにならないので、この会は、直接お話しを伺える本当に貴重な機会になると思います。
定員に限りがありますので、ご希望の方は早目にお申込みください。
と、話が横道に逸れてしまいましたが、東洋と西洋の心理学の融合というテーマは、『秘教心理学』においてジュワル・クール大師が7光線理論を啓示的な仮説として打ち出して、根本的な解決策を示しましました。
アリス・ベイリーのこの作品は、昨日も書いたように、そのジュワル・クール大師の仕事(最終的にアカデミックな科学がこれを受け入れるには1世紀かそれ以上掛かるでしょうから)を少しでも多くの人に受け入れてもらえるよう、その中継ぎとして、ジュワル・クール大師の提示された仮説の傍証になるような資料を集めて、魂から肉体に至るメカニズム、エネルギー・システムをある程度納得してもらえるような形で整理した、ということです。
アメリカで東洋と西洋の心理学を学んで帰って来られた方々の話を聞いても、まだアメリカのそういった研究機関でも、アリス・ベイリーを本格的に取り上げるまでは、いっていないように感じます。
それだけ、7光線理論がパーソナリティーレベルの研究や論理的思考からは出てこない大胆な仮説である、ということでしょう。
しかし、1940年代の時点で、このような作品群が出ていたことに、その方面の専門家たちが気づき、驚嘆するときがくるのも、時間の問題、というところまで来ていると思います。
本山博氏のチャクラと経絡の関係を探る(AMIという機械を開発されての)研究は、ある意味その距離を縮める最も正統で重要なものの一つ、といえると思っています。
目的(メンタル的、いや出版の容易になった現在においては情緒・欲求的な場合が多いでしょうね)と継続的な強い意志があって、本というのははじめて現象化=出版されます(これも最近は、お金をつぎ込んで気軽に出すという場合もありますが)。
この本に関して、アリス・ベイリーは「第一章 序論」の書き出しのところで(P12)、
「本書を著わそうと思ったのは次のような三つの願いからである。一つは、物質主義的つまり外的な心理学と内観的つまり内的な心理学を一つにしたいという願いである。二つ目は、過去の科学的な心理学から人類の思想と人類の心理というより広範な領域へと目を向けつつ、物質主義的な西洋と内観的な東洋を調和させたいという願いである。最後の願いは、このような相反する様相はすべて、一つの真理の様々な面にすぎず、それらが一緒になって一つのリアリティーを構成しているということを示したいという思いである。
世界の心理学教育の現在の姿勢を見て、このような願いが起こったのである。」
とあります。
そして最後の「第七章 結論」の書き出しでは(P172)、
「本書では心理学の二つの体系について、つまり、東洋と西洋の心理学について考察してきた。これらを一つにして考えることで、あるメカニズムを通して機能している、生きている魂としての人間についての全体像が得られた。」
と、この本(=論文)の成功が、高らかに謳いあげられています。
日本でも、東洋と西洋の心理学の融合をテーマにされる方が、最近増えてきているように思います。
そして、その動きの中心は、アメリカにあるそれをテーマにした大学・大学院を出られた方々のように感じています。日本にも、私が最近個人的に関係が深まっている本山博先生が作られた、IARP(国際宗教・超心理学会)
http://www.iarp.or.jp/ が、先駆的な研究・業績を残されていますが、残念ながら日本国内ではあまり注目されず、本山先生が創設されたアメリカのカリフォルニア人間科学大学院大学 http://www.iarp.or.jp/cihs/index.html
の方に拠点が移ってしまっています。
海外では本山先生は、ヨーガ・超心理学・スピリチュアリティーの分野でビッグ・ネームなのですが、大変残念です。そんなこともあり、6月3日(日)午後に、フィロソフィア関係の小林正弥氏・樫尾直樹氏、それにご子息の本山一博氏と協力して、本山先生をお招きするシンポジウム「地球時代のスピリチュアリティと宗教~本山博氏の仕事をめぐって~」を、慶応義塾大学三田キャンパス北館1階ホールにて、開催することになりました。
これに関しましては、詳細が決まりましたらお知らせさせていただきますし、私も司会をする予定になっているため、本山先生の業績に関しても勉強しつつ、ここで書かせていただくことになると思います。
本山先生は80代後半とご高齢になられ、最近は、IARP等、ご自身の会や大学以外、一般の方の前にはほとんど姿をお見せにならないので、この会は、直接お話しを伺える本当に貴重な機会になると思います。
定員に限りがありますので、ご希望の方は早目にお申込みください。
と、話が横道に逸れてしまいましたが、東洋と西洋の心理学の融合というテーマは、『秘教心理学』においてジュワル・クール大師が7光線理論を啓示的な仮説として打ち出して、根本的な解決策を示しましました。
アリス・ベイリーのこの作品は、昨日も書いたように、そのジュワル・クール大師の仕事(最終的にアカデミックな科学がこれを受け入れるには1世紀かそれ以上掛かるでしょうから)を少しでも多くの人に受け入れてもらえるよう、その中継ぎとして、ジュワル・クール大師の提示された仮説の傍証になるような資料を集めて、魂から肉体に至るメカニズム、エネルギー・システムをある程度納得してもらえるような形で整理した、ということです。
アメリカで東洋と西洋の心理学を学んで帰って来られた方々の話を聞いても、まだアメリカのそういった研究機関でも、アリス・ベイリーを本格的に取り上げるまでは、いっていないように感じます。
それだけ、7光線理論がパーソナリティーレベルの研究や論理的思考からは出てこない大胆な仮説である、ということでしょう。
しかし、1940年代の時点で、このような作品群が出ていたことに、その方面の専門家たちが気づき、驚嘆するときがくるのも、時間の問題、というところまで来ていると思います。
本山博氏のチャクラと経絡の関係を探る(AMIという機械を開発されての)研究は、ある意味その距離を縮める最も正統で重要なものの一つ、といえると思っています。
出版の意図をつかむ ~ 『魂とそのメカニズム』 (1)
(ジュワル・クール大師からの情報を書きとったものではなく)アリス・ベイリー自身の著書に『魂とそのメカニズム』という作品があります。
ジュワル・クール大師の、圧倒する論理性・体系性のベースの上に散りばめられたきらびやかな直観の輝きと、ときに深い愛を感じさせる作品に比べると、多くの引用がなされた地味な感じのもので、今まで正直、あまり注目してきませんでした。
しかし、前回のEH連続講座の準備中、「弟子道の生活に起因する病気」を次回の範囲まで読み進めて、次回のタイトルを何とつければよいかを検討していたとき、この本の存在が急にクルーズアップされてきました。
その部分はエーテル体やチャクラと内分泌腺・神経系・血液との関係が書かれていて、それまでの繰り返しの部分も多く、なぜこんなに重複した内容を書いているのか? あまり整理された構成ではないか? と最初は感じていたのですが、「弟子道の生活」の中で魂がひらかれパーソナリティーとのつながりが強まっていったときに、魂がそれらのメカニズム=道具を(当初予定していた通り)使いこなせるようになっていく中で生じてくる問題が、新たに追加されていることが分かってきました。
つまり、それまで扱われていたのは、エーテル体・チャクラ・内分泌腺・神経系・血液の間に関係だったのですが、ここではそれに加えて、それらと魂の開花(のプロセス)との関係が論じられていたのです。
それで、「魂とその使用するメカニズム(エーテル体・チャクラ~肉体)」というタイトルにしたわけですが、『魂とそのメカニズム』という作品が、実はその問題を扱っていたのではないか、と思い至ったのです。
そして、目次を開いて見ると、
第一章 序論
第二章 腺と人間の行動
第三章 エーテル体の理論
第四章 魂の性質とその位置
第五章 魂、エーテル、エネルギーに関する東洋の教え
第六章 七つのフォース・センター
第七章 結論
となっていて、「やっぱし!」と思いました。
これは、『秘教治療』を補完するためにアリス・ベイリーが書いた、論文・兼・サブテキストだったのです。
『秘教治療』は、肉体の病気・健康・ヒーリングを対象にしていますから、ジュワル・クール大師の作品としては最も物質界およびそれに近い領域を扱ったものです。(他に政治・社会に関する現実問題を扱ったものもありますが、個人をテーマにしたものとしては、心理など目に見えない、今の科学では実証しえない領域を中心に扱ったものばかりです。)
したがって、西洋科学の成果との整合性が問題になるのですが、その辺に関しては『秘教治療』ではごく大雑把にしか触れられていません。
大体、人間界で通用する論文というのは、先行研究をしっかり押さえて、引用文献をつけて書かないと論文としては認められないのですが、さすが大師、そんな慣行はまったく無視してます。
前回読んだところでも(上P171)、大師は、
「つまり、その提示が当然ながら不十分かつ部分的なものであり、そのため人間らしい軽信性の捌け口を常に求めている人々にとっては不正確で、挑発的であるように思えることを。そのように思えたとしても、私にはどうでもよいことである。時間の経過が、私が述べることの正確さを証明してくれるであろう。」
と、まさに挑発的にというか、唯我独尊的に開き直ってます。
そんな大師と人類の間に入って、弟子=中間管理職であるアリス・ベイリーが、両者の折り合いをつけるべく、たくさんの先行研究を調べ、人間的な基準が満たされるようなスタイルで仕上げた論文が、この本をはじめとする自著4冊(他に、『魂の光』『ベツレヘムからガルバリーへ』『知性から直観へ』)だった、というわけです。
この本の内容に戻って、そんなわけで出版の意図が分かると、面白いことに、それだけで本というのは急に理解しやすくなり、また興味が湧いてくるものなのです。
今回も、それを再確認できました。
ジュワル・クール大師の、圧倒する論理性・体系性のベースの上に散りばめられたきらびやかな直観の輝きと、ときに深い愛を感じさせる作品に比べると、多くの引用がなされた地味な感じのもので、今まで正直、あまり注目してきませんでした。
しかし、前回のEH連続講座の準備中、「弟子道の生活に起因する病気」を次回の範囲まで読み進めて、次回のタイトルを何とつければよいかを検討していたとき、この本の存在が急にクルーズアップされてきました。
その部分はエーテル体やチャクラと内分泌腺・神経系・血液との関係が書かれていて、それまでの繰り返しの部分も多く、なぜこんなに重複した内容を書いているのか? あまり整理された構成ではないか? と最初は感じていたのですが、「弟子道の生活」の中で魂がひらかれパーソナリティーとのつながりが強まっていったときに、魂がそれらのメカニズム=道具を(当初予定していた通り)使いこなせるようになっていく中で生じてくる問題が、新たに追加されていることが分かってきました。
つまり、それまで扱われていたのは、エーテル体・チャクラ・内分泌腺・神経系・血液の間に関係だったのですが、ここではそれに加えて、それらと魂の開花(のプロセス)との関係が論じられていたのです。
それで、「魂とその使用するメカニズム(エーテル体・チャクラ~肉体)」というタイトルにしたわけですが、『魂とそのメカニズム』という作品が、実はその問題を扱っていたのではないか、と思い至ったのです。
そして、目次を開いて見ると、
第一章 序論
第二章 腺と人間の行動
第三章 エーテル体の理論
第四章 魂の性質とその位置
第五章 魂、エーテル、エネルギーに関する東洋の教え
第六章 七つのフォース・センター
第七章 結論
となっていて、「やっぱし!」と思いました。
これは、『秘教治療』を補完するためにアリス・ベイリーが書いた、論文・兼・サブテキストだったのです。
『秘教治療』は、肉体の病気・健康・ヒーリングを対象にしていますから、ジュワル・クール大師の作品としては最も物質界およびそれに近い領域を扱ったものです。(他に政治・社会に関する現実問題を扱ったものもありますが、個人をテーマにしたものとしては、心理など目に見えない、今の科学では実証しえない領域を中心に扱ったものばかりです。)
したがって、西洋科学の成果との整合性が問題になるのですが、その辺に関しては『秘教治療』ではごく大雑把にしか触れられていません。
大体、人間界で通用する論文というのは、先行研究をしっかり押さえて、引用文献をつけて書かないと論文としては認められないのですが、さすが大師、そんな慣行はまったく無視してます。
前回読んだところでも(上P171)、大師は、
「つまり、その提示が当然ながら不十分かつ部分的なものであり、そのため人間らしい軽信性の捌け口を常に求めている人々にとっては不正確で、挑発的であるように思えることを。そのように思えたとしても、私にはどうでもよいことである。時間の経過が、私が述べることの正確さを証明してくれるであろう。」
と、まさに挑発的にというか、唯我独尊的に開き直ってます。
そんな大師と人類の間に入って、弟子=中間管理職であるアリス・ベイリーが、両者の折り合いをつけるべく、たくさんの先行研究を調べ、人間的な基準が満たされるようなスタイルで仕上げた論文が、この本をはじめとする自著4冊(他に、『魂の光』『ベツレヘムからガルバリーへ』『知性から直観へ』)だった、というわけです。
この本の内容に戻って、そんなわけで出版の意図が分かると、面白いことに、それだけで本というのは急に理解しやすくなり、また興味が湧いてくるものなのです。
今回も、それを再確認できました。
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