「フィロソフィア」と「ホリスティック教育」勉強会のご案内
私が最近、司会を務めさせていただいている、
小林正弥・千葉大教授・主宰の「フィロソフィア」、
および、ホリスティック教育協会の東京勉強会の、
ご案内をさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第40回 フィロソフィア
「スピリチュアルと現実社会の統合に向けて(仮)」
★プログラム★
☆第1部 (13:30~15:00)
テディ小泉氏からの問題提起
「(日本では誤解を生むことの多い)
“スピリチュアル”に代わる言葉を模索する」
☆休憩 15:00-15:15
☆第2部 (15:15~17:15)
平松園枝氏 (総合内科専門医)
「現代社会におけるサイコシンセシスの意義」
☆第3部「総括的議論」(時間・内容未定)
★会場★
東京工業大学 田町キャンパス内
『キャンパスイノベーションセンター(CIC東京)』
5F:リエゾンコーナー501(AとB)
※所在地 … 〒108-0023 東京都港区芝浦3-3-6
★アクセス★
☆JR線 田町駅 下車徒歩1分 または
☆都営線 三田駅 下車徒歩3分
★地図★
※下記のいずれかの地図でご確認ください。
☆東京工業大 田町キャンス
http://www.titech.ac.jp/about/campus/t.html
☆キャンパスイノベーションセンター東京
http://www.isl.or.jp/campusinnovation.html
★参加費★
☆資料代 1,000円
☆公共活動割引 700円
(対象:平和運動など公共的運動のスタッフの方)
☆ 学生割引 500円
※寄付など歓迎。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京ホリスティック教育研究会(3月例会)のご案内
3月の集まりはシュタイナーの若手研究者であり、
日本ホリスティック教育協会の運営委員でもある
河野桃子さんにお話をしていただきます。
「シュタイナー教育の実践は、
『見えるもの』と『見えないもの』の二元論を背景としていることから、
神秘主義的であるとの批判を受けることが少なくありません。
しかし、そうした批判では、シュタイナーの二元論の奥に
『思考一元論』というホリスティックな人間観が
根付いていることが見逃されているように思います。
本報告では、シュタイナーの思想において二元論と一元論が
どう関係しているのかをまず明らかにし、その上で、
そうした一元論を背景とする二元論があるからこそ
可能になっている子どもの見え方について、
考えてみたいと思います。」(河野さんからのメッセージ)
記
1 日 時:2012年3月10日(土)
14:00~17:00頃 お話と話し合い
17:00頃~ 市ヶ谷駅近くで懇親会
2 場 所:大妻女子大学千代田キャンパス 大学校舎1階171教室※
東京都千代田区三番町12
※171教室へは、「正面玄関」又は「北口」よりお入りください。
千代田キャンパスへのアクセスと地図
http://www.gakuin.otsuma.ac.jp/university/access/map_chiyoda.html
最寄り駅 市ヶ谷(JR・地下鉄)、九段下(地下鉄)、半蔵門(地下鉄)
3 テーマ:シュタイナー思想がひらく子どもの見え方
~一元論と二元論の重ね合わせで子どもの個性を考える~
4 提案者:河野桃子さん(東京大学大学院 院生)
5 参加費:会員・一般 500円、学生 無料
6 申 込:当日でも結構ですが、資料準備の都合上できるだけ事前にお申込ください
東京ホリスティック教育研究会のML
または etsu20@nifty.com 03-3672-1454(山浦 恵津子)
当日の連絡先:090-6549-1269(金田 卓也)
小林正弥・千葉大教授・主宰の「フィロソフィア」、
および、ホリスティック教育協会の東京勉強会の、
ご案内をさせていただきます。
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第40回 フィロソフィア
「スピリチュアルと現実社会の統合に向けて(仮)」
★プログラム★
☆第1部 (13:30~15:00)
テディ小泉氏からの問題提起
「(日本では誤解を生むことの多い)
“スピリチュアル”に代わる言葉を模索する」
☆休憩 15:00-15:15
☆第2部 (15:15~17:15)
平松園枝氏 (総合内科専門医)
「現代社会におけるサイコシンセシスの意義」
☆第3部「総括的議論」(時間・内容未定)
★会場★
東京工業大学 田町キャンパス内
『キャンパスイノベーションセンター(CIC東京)』
5F:リエゾンコーナー501(AとB)
※所在地 … 〒108-0023 東京都港区芝浦3-3-6
★アクセス★
☆JR線 田町駅 下車徒歩1分 または
☆都営線 三田駅 下車徒歩3分
★地図★
※下記のいずれかの地図でご確認ください。
☆東京工業大 田町キャンス
http://www.titech.ac.jp/about/campus/t.html
☆キャンパスイノベーションセンター東京
http://www.isl.or.jp/campusinnovation.html
★参加費★
☆資料代 1,000円
☆公共活動割引 700円
(対象:平和運動など公共的運動のスタッフの方)
☆ 学生割引 500円
※寄付など歓迎。
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東京ホリスティック教育研究会(3月例会)のご案内
3月の集まりはシュタイナーの若手研究者であり、
日本ホリスティック教育協会の運営委員でもある
河野桃子さんにお話をしていただきます。
「シュタイナー教育の実践は、
『見えるもの』と『見えないもの』の二元論を背景としていることから、
神秘主義的であるとの批判を受けることが少なくありません。
しかし、そうした批判では、シュタイナーの二元論の奥に
『思考一元論』というホリスティックな人間観が
根付いていることが見逃されているように思います。
本報告では、シュタイナーの思想において二元論と一元論が
どう関係しているのかをまず明らかにし、その上で、
そうした一元論を背景とする二元論があるからこそ
可能になっている子どもの見え方について、
考えてみたいと思います。」(河野さんからのメッセージ)
記
1 日 時:2012年3月10日(土)
14:00~17:00頃 お話と話し合い
17:00頃~ 市ヶ谷駅近くで懇親会
2 場 所:大妻女子大学千代田キャンパス 大学校舎1階171教室※
東京都千代田区三番町12
※171教室へは、「正面玄関」又は「北口」よりお入りください。
千代田キャンパスへのアクセスと地図
http://www.gakuin.otsuma.ac.jp/university/access/map_chiyoda.html
最寄り駅 市ヶ谷(JR・地下鉄)、九段下(地下鉄)、半蔵門(地下鉄)
3 テーマ:シュタイナー思想がひらく子どもの見え方
~一元論と二元論の重ね合わせで子どもの個性を考える~
4 提案者:河野桃子さん(東京大学大学院 院生)
5 参加費:会員・一般 500円、学生 無料
6 申 込:当日でも結構ですが、資料準備の都合上できるだけ事前にお申込ください
東京ホリスティック教育研究会のML
または etsu20@nifty.com 03-3672-1454(山浦 恵津子)
当日の連絡先:090-6549-1269(金田 卓也)
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霊的成長と、ゲーミフィケーションの是非を巡って
「ゲームについてのブログ興味深いけど、
ゲームを楽しいと思ったことのない私は、
大事なところがいまいち理解ができませんでした。
人類の頭脳の発展には貢献するかも知れないけど、
ゲームで競って、どうする~って感じで。
どうもゲームを介すると、人間の深いところが見えてこない感じがするんです。」
というコメントを、読者からいただきました。
ゲーミフィケーションをどこまで理解できているか分からないけど、
とりあえず考えたことを書いてみます。
ゲーミフィケーションが是か非か、という問題、
まず、気づかれているように、
個人の問題と、社会の問題にわけましょうね。
そして、個人の問題も、
1人称=私自身の問題と、
3人称=他人(一般人)の問題に、わけましょう。
(ウィルバー概念と少し違う使い方をしてます。)
つまり3つの問題に分かれたわけですが、
私は、このどれにも有効だと感じています。
社会問題は、認められているように、
一番有効性が認められやすいと思います。
もちろん、正しい方向に適用した場合ですが。
アリス・ベイリーには
「科学の人類に対する関係は、
瞑想の個人に対する関係と同じである。」
という言葉があります。それと同じような意味で、
ゲーミフィケーションは今の人類に対して、
大きな気づきを与える手法になりうると感じています。
ハイアラーキーの知恵を用いれば、
(結果的に避けられず起こってしまった)戦争でさえ
有効活用できるくらいですから、
ブームになった(なってしまった?)ゲームを、
有効活用するくらいは、わけないことでしょう。
その結果、生まれたのがゲーミフィケーションかもしれません。
個人の問題に関しては、まず一般的に、
ゲーミフィケーションは、
願望成就から自己放棄への転換の、
移行過程をスムーズに進ませる、
という意味で、画期的なものだと思います。
通常、その移行過程には、断絶があります。
ある問題に関して、これ以上ない成功をおさめ、
願望成就を味わいながらも、
それが満たされても幸せを得られない虚しさを知ったとき、
その問題を卒業し、無執着を獲得して、
次のテーマに移っていきます。
これが、通常の人間の移行過程ですね。
この場合、願望成就と自己放棄の間には、
苦しみの時間があります。
ところが、ゲーミフィケーションの場合は、
(良い霊的指導者が介在している場合)
その苦しみの時間がほとんどなしに、
移行できるように思います。
(それが、霊的成長にとって、
真に良いことかは分かりませんが、
移行が早まるという意味で、
現在のような火急の時には、
とても有効だと思います。)
ちょっと武道・格闘技で例えると、
相手の攻撃に対して受けてから攻撃する、
というのが普通の方法ですが、
受けがそのまま攻撃になっている、
「受け即攻」という技術があります。
普通は2拍子なのですが、
ゲーミフィケーションは「受け即攻」と同じく、
ほぼ1拍子になり得ると思います。
具体的に個人の問題を考えていく場合には、
ケース分けが必要ですね。
『秘教治療』でもよく出てきますが、
「進化段階」と「タイプ」の問題です。
「進化段階」が相当進めば、
通常のゲームに興味を示すことは、
あまりなくなると思います。
しかし、その場合でも、「タイプ」によって、
競争好きと競争嫌いのタイプはいますから、
競争好きの人は、より高度なゲーム的なものを、
自分で作り出して、それにチャレンジする、
ということを、いつもやっていると思います。
これも、ゲーミフィケーションの範疇内だと思います。
このタイプがゲームを卒業するときは、
それこそ解脱のときしかないかもしれませんね。
あるいはマスターになってもタイプはあるわけですから、
その後も引き続くかもしれません。
一方で、競争嫌いのタイプの人は、
最初からゲームは興味がわかず、
すぐに卒業すると思います。
こういうタイプは、
無意識にゲーミフィケーションを
応用することも少ないでしょうが、
活力不足に陥る可能性は競争好きに比べ高いでしょうね。
現在のような競争社会の中で、
平均的な進化段階の人にとって、
モチベーションを高く保ち、
脳の活性化レベルを上げるためには、
ゲーミフィケーションはとても有効な手法です。
そうでないと、沈滞してしまったり、
あるいは過剰に攻撃的になったり、
競争に負けて敗北感にうちのめされそうになるとき、
通常の競争とは違った枠での
ゲーミフィケーションを設定することによって、
それをうまく乗り越えることができる可能性が、
出てきます。
それがなければ生き残れない人たちを救済し、
単に勝ち残るだけでなく、
いい方向にもっていける可能性がでてくるわけで、
これは、その人たちにとって、
とても有効なものだと言えます。
さて、1人称、私自身の話に移ります。
私は、(体癖というのは、やはりあるのだと思います)
潜在的に、競争好き・ゲーム好きの人間だと思います。
講座の準備をしているときでも、
目標を細かく立てたりしてますが、
それを達成するのはある程度ゲーム的な要素があります。
それから、講座用に考えた回数券制度なんかも、
ゲーミフィケーションに近いかもしれません。
普通の意味でのゲームには興味は感じませんが、
もっと高度なゲーミフィケーションを創造し、
自分の内・外に適用したいと思っています。
ただ、自分の中に適用するといっても、
仕事の、ある場面において、ということで、
自分自身の霊的な成長に関しては、
おっしゃられるように、
その逆にゲーム的な要素を排除していくことが
必要だと思っています。
その使い分け・・・結構、難しそう。
ゲームを楽しいと思ったことのない私は、
大事なところがいまいち理解ができませんでした。
人類の頭脳の発展には貢献するかも知れないけど、
ゲームで競って、どうする~って感じで。
どうもゲームを介すると、人間の深いところが見えてこない感じがするんです。」
というコメントを、読者からいただきました。
ゲーミフィケーションをどこまで理解できているか分からないけど、
とりあえず考えたことを書いてみます。
ゲーミフィケーションが是か非か、という問題、
まず、気づかれているように、
個人の問題と、社会の問題にわけましょうね。
そして、個人の問題も、
1人称=私自身の問題と、
3人称=他人(一般人)の問題に、わけましょう。
(ウィルバー概念と少し違う使い方をしてます。)
つまり3つの問題に分かれたわけですが、
私は、このどれにも有効だと感じています。
社会問題は、認められているように、
一番有効性が認められやすいと思います。
もちろん、正しい方向に適用した場合ですが。
アリス・ベイリーには
「科学の人類に対する関係は、
瞑想の個人に対する関係と同じである。」
という言葉があります。それと同じような意味で、
ゲーミフィケーションは今の人類に対して、
大きな気づきを与える手法になりうると感じています。
ハイアラーキーの知恵を用いれば、
(結果的に避けられず起こってしまった)戦争でさえ
有効活用できるくらいですから、
ブームになった(なってしまった?)ゲームを、
有効活用するくらいは、わけないことでしょう。
その結果、生まれたのがゲーミフィケーションかもしれません。
個人の問題に関しては、まず一般的に、
ゲーミフィケーションは、
願望成就から自己放棄への転換の、
移行過程をスムーズに進ませる、
という意味で、画期的なものだと思います。
通常、その移行過程には、断絶があります。
ある問題に関して、これ以上ない成功をおさめ、
願望成就を味わいながらも、
それが満たされても幸せを得られない虚しさを知ったとき、
その問題を卒業し、無執着を獲得して、
次のテーマに移っていきます。
これが、通常の人間の移行過程ですね。
この場合、願望成就と自己放棄の間には、
苦しみの時間があります。
ところが、ゲーミフィケーションの場合は、
(良い霊的指導者が介在している場合)
その苦しみの時間がほとんどなしに、
移行できるように思います。
(それが、霊的成長にとって、
真に良いことかは分かりませんが、
移行が早まるという意味で、
現在のような火急の時には、
とても有効だと思います。)
ちょっと武道・格闘技で例えると、
相手の攻撃に対して受けてから攻撃する、
というのが普通の方法ですが、
受けがそのまま攻撃になっている、
「受け即攻」という技術があります。
普通は2拍子なのですが、
ゲーミフィケーションは「受け即攻」と同じく、
ほぼ1拍子になり得ると思います。
具体的に個人の問題を考えていく場合には、
ケース分けが必要ですね。
『秘教治療』でもよく出てきますが、
「進化段階」と「タイプ」の問題です。
「進化段階」が相当進めば、
通常のゲームに興味を示すことは、
あまりなくなると思います。
しかし、その場合でも、「タイプ」によって、
競争好きと競争嫌いのタイプはいますから、
競争好きの人は、より高度なゲーム的なものを、
自分で作り出して、それにチャレンジする、
ということを、いつもやっていると思います。
これも、ゲーミフィケーションの範疇内だと思います。
このタイプがゲームを卒業するときは、
それこそ解脱のときしかないかもしれませんね。
あるいはマスターになってもタイプはあるわけですから、
その後も引き続くかもしれません。
一方で、競争嫌いのタイプの人は、
最初からゲームは興味がわかず、
すぐに卒業すると思います。
こういうタイプは、
無意識にゲーミフィケーションを
応用することも少ないでしょうが、
活力不足に陥る可能性は競争好きに比べ高いでしょうね。
現在のような競争社会の中で、
平均的な進化段階の人にとって、
モチベーションを高く保ち、
脳の活性化レベルを上げるためには、
ゲーミフィケーションはとても有効な手法です。
そうでないと、沈滞してしまったり、
あるいは過剰に攻撃的になったり、
競争に負けて敗北感にうちのめされそうになるとき、
通常の競争とは違った枠での
ゲーミフィケーションを設定することによって、
それをうまく乗り越えることができる可能性が、
出てきます。
それがなければ生き残れない人たちを救済し、
単に勝ち残るだけでなく、
いい方向にもっていける可能性がでてくるわけで、
これは、その人たちにとって、
とても有効なものだと言えます。
さて、1人称、私自身の話に移ります。
私は、(体癖というのは、やはりあるのだと思います)
潜在的に、競争好き・ゲーム好きの人間だと思います。
講座の準備をしているときでも、
目標を細かく立てたりしてますが、
それを達成するのはある程度ゲーム的な要素があります。
それから、講座用に考えた回数券制度なんかも、
ゲーミフィケーションに近いかもしれません。
普通の意味でのゲームには興味は感じませんが、
もっと高度なゲーミフィケーションを創造し、
自分の内・外に適用したいと思っています。
ただ、自分の中に適用するといっても、
仕事の、ある場面において、ということで、
自分自身の霊的な成長に関しては、
おっしゃられるように、
その逆にゲーム的な要素を排除していくことが
必要だと思っています。
その使い分け・・・結構、難しそう。
もうちょっと、ゲーミフィケーション
昨日に続いて、ゲーミフィケーションについて書きたいと思います。
というのは、この動き、私はまったく知らなかったのですが、かなりのインパクトを感じました。
ゲームをまったくやらない私は、正直言うと、ゲームをやっている人のことを「何をつまらんことで時間を潰しているんだ」というような眼で、結構見てました。
ところがそのゲームが、今やいい方向に大きく社会を動かしていく力をもつに至っていたのです。これは驚きです。ちょっと前に、一生懸命に取り組んでいた真面目な“ワールドシフト”の活動なんかより、こちらのほうがはるかに強力に、社会を根底から変える力をもっていると感じます。
ということで、ネットで検索し、
①:なぜゲーミフィケーションは効果的なのか?(Why Gamification Works?)
http://hiromikubota.tumblr.com/post/7921791774/why-gamification-works
② ゲーム嫌いも知らないと損するゲーミフィケーション入門
http://www.atmarkit.co.jp/fsmart/articles/gamification/01.html
という2点を読んでみました。
2つとも、かなり読み応えのあるものでした。
まずは②の方から紹介すると、最後に、
「ゲーミフィケーションは、さまざまな分野への可能性を持っていると考えています。それはマーケティングだけでなく、開発手法やワークスタイル、果ては毎日の生活にまでおよびます。
人は楽しいことが大好きで、ゲームは人を楽しませるためのものだからです。」
と書かれています。確かにそうですよね。
私も、今じゃ時間がもったいなくて、めんどくさくて、やりませんが、子供のころは人一倍ゲームが好きでした。
だからゲームを楽しんでいる人の感覚は、もちろん分かります。
「ゲーミフィケーションのための典型的な手法が、ゲーム業界のノウハウを応用することです。なぜならば、ゲーム業界には、ユーザーから愛されるためのノウハウが多く存在すると考えられているからです。
ゲームは、多くの場合“娯楽”であり、暮らしていくだけなら必要性の薄いものです。冷蔵庫や洗濯機などの必需品は多少使いづらくても我慢して使わざるを得ませんが、娯楽であるゲームは気に入ってもらえなければ、すぐに使われなくなってしまいます。多くのゲームでは、この問題を解決するために、ユーザーを『ハマらせ』、そのゲームを『好きになってもらう』ための“仕掛け”を用意しているのです。
ゲーミフィケーションは、特に人間の心理面に注目することが多いようです。例えば、人が『ハマる』状態になるための条件や、継続的に『利用したい』と思わせる手段などです。」
言われてみれば当然ですが、当たれば巨額の富が得られるゲーム業界、そんなノウハウが蓄積されていたのですね。
ゲーム業界だけでなく、その開発したゲームをやった人たちは、ゲームに操られながらも、そのノウハウを多かれ少なかれ無意識のうちにも吸収していくわけです。
ビジネスという面から考えても、そういうところから孤立している人間は、かなり苦しい立場に追い込められていたわけです。
「Webでよく使われるゲーミフィケーションの3要素」として、以下のものが挙げられていました。
課題(クエスト、ミッション、ランキング、難易度設定など)
報酬(バッジ、経験値、レベルアップ、クーポン、ポイントなど)
交流(チャット、対戦、アバター、ソーシャル、アンケート、GMなど)
また、「今すぐ試せるゲーミフィケーション事例、10選」として、以下のものが取り上げられていました。
位置ゲー系「ロケタッチ」
位置ゲー系「foursquare」
位置ゲー系「Gowalla」
Tumblr+BBS「ANKER」
ニュース評価「楽天ソーシャルニュース」
フィットネス系「計るだけダイエット」
フィットネス系「Arookoo」
ラーニング系「ココネ」
ラーニング系「Codecademy」
オンラインストレージ「Dropbox」
①の方に移ってみますと、
「ゲーミフィケーションはゲームそのものではありません。
ゲーミフィケーションは、ゲームの力学=メカニズムをゲームではない分野に応用しようというコンセプトです。
現在のところ、もっとも相性のよいアプリケーションやWeb・モバイルサイトで多く応用されており、その利用や閲覧をユーザーに促すことでエンゲージメントを高めることに効果を上げています。
ゲーミフィケーションの主なテクニックは次のようなものです。ゲーミフィケーションの主なテクニックとして
・達成の度合いによってゲットできるバッジ、またはレベル分け(achievement “badges”/ achievement levels)
・現時点の競争相手の名前とスコアをリアルタイムに掲示するリーダーボード(leader boards)
・グラフィカルなインターフェイスでタスクの進行具合を伝えるプログレスバー(progress bar)
・バーチャルグッズの購入等に使う仮想通貨(virtual currency)
・報酬、クーポン、交換、ギフト、ポイント交換などのシステム
(systems for awarding, redeeming, trading, gifting, and otherwise exchanging points)
・ユーザー間の課題(challenges between users)
・アクティビティの間にミニゲームを挟む(embedding small casual games within other activities.)
が、挙げられています。
具体的にイメージがわくテクニックも多いと思います。foursquareのバッジや、食べログのレビュアーランキングなどに見られるリーダーボード、楽天にログインすると「○○○○会員になるには○/○までにあと○○○ポイント」というアナウンスとともに表示されるプログレスバーなど、現在でもすでに応用されている例はたくさんあります。
ここからが本題です。では、なぜこうしたテクニックがうまれたのでしょうか? そこには行動経済学(behavioral economics)との関連性の深い“人間の感情や習性”を巧みに利用したゲームのメカニズムがあるのです。このメカニズムを理解できれば、バッジを乱造するだけの退屈なアプリケーションやWebサイトをつくって恥をかくこともありません。うまく応用すれば社会に役立つアプリケーションだってつくれます。簡単に解説します。・・・」
ということで、知らない言葉ばかりでてきて、今浦島になったみたいな感じがしてますが、社会の多くの人たちを巻き込んで、こんな文化ができていたなんて、本当に驚きです。
私はミクシーでアプリというのを見て、「みんなでケンテイ(´∀`)」というのだけ、ちょっと覗いてみましたが、よく分からず、めんどくさくて、すぐやめました。
その「アプリ」が「アプリケーション」のことだったって、今気づいたくらいで、まったくついていけてません。
でも、②には、
「実は昔からある『ゲーミフィケーション』
ところで、ゲーミフィケーションで利用される要素は、最近新しく誕生したものではありません。
例えば実生活においての典型的な例に、小学生の夏休みのラジオ体操があります。これは、『早起きして体操をする』という、小学生ならずともあまり積極的に参加したいと思えないイベントですが、参加することでスタンプがもらえたり、集めたスタンプの数によって夏休みの最後に“ご褒美”がもらえたり、といったゲーミフィケーション要素を用意することで、モチベーションの向上を狙っています。」
という文章があり、アナログ人間でも何か工夫ができそうな気がして、ちょっと安心したところです。
というのは、この動き、私はまったく知らなかったのですが、かなりのインパクトを感じました。
ゲームをまったくやらない私は、正直言うと、ゲームをやっている人のことを「何をつまらんことで時間を潰しているんだ」というような眼で、結構見てました。
ところがそのゲームが、今やいい方向に大きく社会を動かしていく力をもつに至っていたのです。これは驚きです。ちょっと前に、一生懸命に取り組んでいた真面目な“ワールドシフト”の活動なんかより、こちらのほうがはるかに強力に、社会を根底から変える力をもっていると感じます。
ということで、ネットで検索し、
①:なぜゲーミフィケーションは効果的なのか?(Why Gamification Works?)
http://hiromikubota.tumblr.com/post/7921791774/why-gamification-works
② ゲーム嫌いも知らないと損するゲーミフィケーション入門
http://www.atmarkit.co.jp/fsmart/articles/gamification/01.html
という2点を読んでみました。
2つとも、かなり読み応えのあるものでした。
まずは②の方から紹介すると、最後に、
「ゲーミフィケーションは、さまざまな分野への可能性を持っていると考えています。それはマーケティングだけでなく、開発手法やワークスタイル、果ては毎日の生活にまでおよびます。
人は楽しいことが大好きで、ゲームは人を楽しませるためのものだからです。」
と書かれています。確かにそうですよね。
私も、今じゃ時間がもったいなくて、めんどくさくて、やりませんが、子供のころは人一倍ゲームが好きでした。
だからゲームを楽しんでいる人の感覚は、もちろん分かります。
「ゲーミフィケーションのための典型的な手法が、ゲーム業界のノウハウを応用することです。なぜならば、ゲーム業界には、ユーザーから愛されるためのノウハウが多く存在すると考えられているからです。
ゲームは、多くの場合“娯楽”であり、暮らしていくだけなら必要性の薄いものです。冷蔵庫や洗濯機などの必需品は多少使いづらくても我慢して使わざるを得ませんが、娯楽であるゲームは気に入ってもらえなければ、すぐに使われなくなってしまいます。多くのゲームでは、この問題を解決するために、ユーザーを『ハマらせ』、そのゲームを『好きになってもらう』ための“仕掛け”を用意しているのです。
ゲーミフィケーションは、特に人間の心理面に注目することが多いようです。例えば、人が『ハマる』状態になるための条件や、継続的に『利用したい』と思わせる手段などです。」
言われてみれば当然ですが、当たれば巨額の富が得られるゲーム業界、そんなノウハウが蓄積されていたのですね。
ゲーム業界だけでなく、その開発したゲームをやった人たちは、ゲームに操られながらも、そのノウハウを多かれ少なかれ無意識のうちにも吸収していくわけです。
ビジネスという面から考えても、そういうところから孤立している人間は、かなり苦しい立場に追い込められていたわけです。
「Webでよく使われるゲーミフィケーションの3要素」として、以下のものが挙げられていました。
課題(クエスト、ミッション、ランキング、難易度設定など)
報酬(バッジ、経験値、レベルアップ、クーポン、ポイントなど)
交流(チャット、対戦、アバター、ソーシャル、アンケート、GMなど)
また、「今すぐ試せるゲーミフィケーション事例、10選」として、以下のものが取り上げられていました。
位置ゲー系「ロケタッチ」
位置ゲー系「foursquare」
位置ゲー系「Gowalla」
Tumblr+BBS「ANKER」
ニュース評価「楽天ソーシャルニュース」
フィットネス系「計るだけダイエット」
フィットネス系「Arookoo」
ラーニング系「ココネ」
ラーニング系「Codecademy」
オンラインストレージ「Dropbox」
①の方に移ってみますと、
「ゲーミフィケーションはゲームそのものではありません。
ゲーミフィケーションは、ゲームの力学=メカニズムをゲームではない分野に応用しようというコンセプトです。
現在のところ、もっとも相性のよいアプリケーションやWeb・モバイルサイトで多く応用されており、その利用や閲覧をユーザーに促すことでエンゲージメントを高めることに効果を上げています。
ゲーミフィケーションの主なテクニックは次のようなものです。ゲーミフィケーションの主なテクニックとして
・達成の度合いによってゲットできるバッジ、またはレベル分け(achievement “badges”/ achievement levels)
・現時点の競争相手の名前とスコアをリアルタイムに掲示するリーダーボード(leader boards)
・グラフィカルなインターフェイスでタスクの進行具合を伝えるプログレスバー(progress bar)
・バーチャルグッズの購入等に使う仮想通貨(virtual currency)
・報酬、クーポン、交換、ギフト、ポイント交換などのシステム
(systems for awarding, redeeming, trading, gifting, and otherwise exchanging points)
・ユーザー間の課題(challenges between users)
・アクティビティの間にミニゲームを挟む(embedding small casual games within other activities.)
が、挙げられています。
具体的にイメージがわくテクニックも多いと思います。foursquareのバッジや、食べログのレビュアーランキングなどに見られるリーダーボード、楽天にログインすると「○○○○会員になるには○/○までにあと○○○ポイント」というアナウンスとともに表示されるプログレスバーなど、現在でもすでに応用されている例はたくさんあります。
ここからが本題です。では、なぜこうしたテクニックがうまれたのでしょうか? そこには行動経済学(behavioral economics)との関連性の深い“人間の感情や習性”を巧みに利用したゲームのメカニズムがあるのです。このメカニズムを理解できれば、バッジを乱造するだけの退屈なアプリケーションやWebサイトをつくって恥をかくこともありません。うまく応用すれば社会に役立つアプリケーションだってつくれます。簡単に解説します。・・・」
ということで、知らない言葉ばかりでてきて、今浦島になったみたいな感じがしてますが、社会の多くの人たちを巻き込んで、こんな文化ができていたなんて、本当に驚きです。
私はミクシーでアプリというのを見て、「みんなでケンテイ(´∀`)」というのだけ、ちょっと覗いてみましたが、よく分からず、めんどくさくて、すぐやめました。
その「アプリ」が「アプリケーション」のことだったって、今気づいたくらいで、まったくついていけてません。
でも、②には、
「実は昔からある『ゲーミフィケーション』
ところで、ゲーミフィケーションで利用される要素は、最近新しく誕生したものではありません。
例えば実生活においての典型的な例に、小学生の夏休みのラジオ体操があります。これは、『早起きして体操をする』という、小学生ならずともあまり積極的に参加したいと思えないイベントですが、参加することでスタンプがもらえたり、集めたスタンプの数によって夏休みの最後に“ご褒美”がもらえたり、といったゲーミフィケーション要素を用意することで、モチベーションの向上を狙っています。」
という文章があり、アナログ人間でも何か工夫ができそうな気がして、ちょっと安心したところです。
ゲームが未来を救う!? ~広がるゲーミフィケーション~
長く続いたチャクラの話も終わり、別の話題に移りたいと思います。
ちょっと前のことですが、1月25日(水)に放送された「クローズアップ現代」、「ゲーミフィケーション」という動きが紹介されていて、とても興味をそそり、考えさせられるものでした。
「人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外”の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。その名も“ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を搭載した新型車が登場。ゲーム的な手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界のグローバル企業の70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかったエイズ治療のカギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決するアイデアを競わせるゲームを通じて、人類が直面する課題の克服に役立てていこうという試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。」
「タンパク質の構造解析をゲーム化することで、3週間で解明」というのは、本当に衝撃的でした。
ゲーム化することで、世界中から一般市民10万人が参加し、素人でも理解できる「より良い変化の方向性」を共有し、協力することによって、一気に解明に至ったのです。
まさに個人の脳を超えた「グローバル・ブレイン」の恰好の実例でした。
その他に番組で印象的だったのは、紹介文にもある、企業での適用例。
若者が、給与や地位とは関係なく、なかなか評価に乗りにくいけれども企業にとって、人間関係の向上にとって有効なことを、ゲーム感覚で楽しみながら競うことによって、積極的に取り組み、それが結果的に企業や個人の業績を伸ばしている場面でした。
ヨーガや秘教の観点から見ると、そういうことは、無執着によって達成すべきだということになるのですが、最初からそれだとハードルが高く、「そんなことやってらんないよ」ということになるところ、ゲームを介在することによって、達成感や自分の利益と関わりなく他に奉仕・貢献することの喜びを味わう経験ができるわけです。
そこで終ってしまっては、スピリチュアルな意味では中途半端なのですが、それを超えて、ゲームがないところでも自分でゲームを設定することによって同じことができるようになり、やがてゲームが必要なくなって人に奉仕することこそが最大の喜びとなれば、大成功なわけです。
「願望成就の道」と「自己放棄の道」のギャップを、ゲームが埋めてくれる可能性がある、ということになります。
そうすると、(カルマ)ヨーガの道もグーッとハードルが低くなり、誰でも取り組めるようになる、というヨーガの歴史でも画期的なことが、起こっているように感じました。
このゲーミフィケーション、検索してみると、もうかなり普及しているみたいです。さすが産業界、企業業績の向上につながるとあれば積極的で、スピードが違いますね。
「大衆を動かす工夫」というのは、こういうものなのでしょう。
間違った方向に行く危険性もありますが、皆で気をつけていい方向にもっていけば、個人だけでなく、企業、そして社会の変容にもつながる、凄い可能性を感じました。
ちょっと前のことですが、1月25日(水)に放送された「クローズアップ現代」、「ゲーミフィケーション」という動きが紹介されていて、とても興味をそそり、考えさせられるものでした。
「人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外”の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。その名も“ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を搭載した新型車が登場。ゲーム的な手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界のグローバル企業の70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかったエイズ治療のカギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決するアイデアを競わせるゲームを通じて、人類が直面する課題の克服に役立てていこうという試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。」
「タンパク質の構造解析をゲーム化することで、3週間で解明」というのは、本当に衝撃的でした。
ゲーム化することで、世界中から一般市民10万人が参加し、素人でも理解できる「より良い変化の方向性」を共有し、協力することによって、一気に解明に至ったのです。
まさに個人の脳を超えた「グローバル・ブレイン」の恰好の実例でした。
その他に番組で印象的だったのは、紹介文にもある、企業での適用例。
若者が、給与や地位とは関係なく、なかなか評価に乗りにくいけれども企業にとって、人間関係の向上にとって有効なことを、ゲーム感覚で楽しみながら競うことによって、積極的に取り組み、それが結果的に企業や個人の業績を伸ばしている場面でした。
ヨーガや秘教の観点から見ると、そういうことは、無執着によって達成すべきだということになるのですが、最初からそれだとハードルが高く、「そんなことやってらんないよ」ということになるところ、ゲームを介在することによって、達成感や自分の利益と関わりなく他に奉仕・貢献することの喜びを味わう経験ができるわけです。
そこで終ってしまっては、スピリチュアルな意味では中途半端なのですが、それを超えて、ゲームがないところでも自分でゲームを設定することによって同じことができるようになり、やがてゲームが必要なくなって人に奉仕することこそが最大の喜びとなれば、大成功なわけです。
「願望成就の道」と「自己放棄の道」のギャップを、ゲームが埋めてくれる可能性がある、ということになります。
そうすると、(カルマ)ヨーガの道もグーッとハードルが低くなり、誰でも取り組めるようになる、というヨーガの歴史でも画期的なことが、起こっているように感じました。
このゲーミフィケーション、検索してみると、もうかなり普及しているみたいです。さすが産業界、企業業績の向上につながるとあれば積極的で、スピードが違いますね。
「大衆を動かす工夫」というのは、こういうものなのでしょう。
間違った方向に行く危険性もありますが、皆で気をつけていい方向にもっていけば、個人だけでなく、企業、そして社会の変容にもつながる、凄い可能性を感じました。
チャクラ情報の起源を探る(14)リードビーターの『チャクラ』より――その4
このリードビーターの著作は、チャクラの研究史上やはり重要な価値をもっているので、昨日までに語り残していたことを2点、ちょっと追加しておきます。
☆昨日まで書いてきたのは、エーテル体のチャクラに関してでしたが、リードビーターはこの本の中で、アストラル次元のチャクラにも言及しています。
「第四章 チャクラの発達と覚醒」に次のような文章があります。
「『目覚めたチャクラの働き』
チャクラは肉体の機能を活発にさせるはたらきの他に、もっと別なはたらきを有している。ただしそのはたらきは、チャクラが目覚めて全面的に活動し始めるときにのみ現われるものである。
エーテル的身体の中枢であるチャクラのそれぞれは、より高次のアストラル的身体の各中枢と対応しているものであるが、アストラル的次元の中枢は四次元の渦巻なので、下位のエーテル的次元の中枢とは全くちがった方向にひろがっている。したがって両者は、ある部分では常に一致しているものの、全面的に同じ方向を示すことは決してない。
エーテル的次元の渦巻は常にエーテル的身体の表面上に出ているが、アストラル的次元の中枢は、しばしばアストラル的身体の内部に蔵されていることが多い。
エーテル的身体の中枢であるチャクラが全面的に目覚め、活動し始める場合には、それに対応した高次のアストラル的身体の中枢にそなわった諸特質を――それがどんなものであれ――肉体の意識にまでもたらすはたらきをするのである。」(P91・92)
☆この本に対する評価に関して、
本山博氏と共訳された湯浅泰雄氏は、巻末の「解説(2)」で本書を評して、
「一般的にいって、本書がもっている価値は、著者(および彼の仲間)の修行の体験にもとづいて書かれているところにある。・・・
本書の一つの価値は、古典にみえる説明だけではわかりにくいチャクラの問題を現代人にわかりやすい形で説明しているところにある・・・。
・・・著者自身の個人的体験や、著者がインドで見聞した種種の挿話なども語られていて興味をそそる。
最後の第五章では、チャクラに関するインドの古典の主なものについて紹介すると共に、ヒンドゥー教の修行者(ヨギ)が用いるチャクラの象徴的図形の意味について説明している。
この章は、ヨーガ研究の権威として有名なウッド教授の協力を得たものであるだけに、学問的にもしっかりした内容をもっている。
のみならず、著者がインドにおけるヨーガの修行の実際についてよく知っているだけに、説明も的を射ている。ヨーガに関する文献を読むのに、大変参考になると思う。」(P173・174)
これに関連して、リードビーターはチャクラの象徴図の説明のところで、次のようなことを書いています。
「ただしこの場合、次のような点に困難がある。これらのシンボルにはさまざまな解釈があること、インドのヨギたちは外部の質問者に対しては徹底して沈黙を守るということ、さらに、ラヤ・ヨーガの修行に身を捧げるために孤独の中に歩き、必要とあればその修行の完成のために全生涯をかける決心をした弟子に対してでなければ、彼らはその知識も考え方も断じて語ろうとはしない、ということである。」(P124)
ということです。
こういう分野の情報が、今では当たり前のように入手できるようになっていますが、パイオニアがその情報を得るためには、そのような修行者たちを説得できるだけの努力と熱意を見せ、彼らに匹敵する覚悟をもった存在として認められなければ、不可能であったということを、いつも念頭に置いておかなければいけませんね。
ということで、20世紀前半までのチャクラ情報は、かなり整理できましたが、後半以降、現在のヒーリング関係の“チャクラ”につながる情報までは(講座では話しているのですが、ブログ記事としては)手が届きませんでした。
次のテーマの準備に進まないといけないので、それらに関しては、また次の「チャクラ」をテーマとする講座の前にでも、予習的に取り上げるということで、一先ずここで、このシリーズは切り上げさせていただきます。
☆昨日まで書いてきたのは、エーテル体のチャクラに関してでしたが、リードビーターはこの本の中で、アストラル次元のチャクラにも言及しています。
「第四章 チャクラの発達と覚醒」に次のような文章があります。
「『目覚めたチャクラの働き』
チャクラは肉体の機能を活発にさせるはたらきの他に、もっと別なはたらきを有している。ただしそのはたらきは、チャクラが目覚めて全面的に活動し始めるときにのみ現われるものである。
エーテル的身体の中枢であるチャクラのそれぞれは、より高次のアストラル的身体の各中枢と対応しているものであるが、アストラル的次元の中枢は四次元の渦巻なので、下位のエーテル的次元の中枢とは全くちがった方向にひろがっている。したがって両者は、ある部分では常に一致しているものの、全面的に同じ方向を示すことは決してない。
エーテル的次元の渦巻は常にエーテル的身体の表面上に出ているが、アストラル的次元の中枢は、しばしばアストラル的身体の内部に蔵されていることが多い。
エーテル的身体の中枢であるチャクラが全面的に目覚め、活動し始める場合には、それに対応した高次のアストラル的身体の中枢にそなわった諸特質を――それがどんなものであれ――肉体の意識にまでもたらすはたらきをするのである。」(P91・92)
☆この本に対する評価に関して、
本山博氏と共訳された湯浅泰雄氏は、巻末の「解説(2)」で本書を評して、
「一般的にいって、本書がもっている価値は、著者(および彼の仲間)の修行の体験にもとづいて書かれているところにある。・・・
本書の一つの価値は、古典にみえる説明だけではわかりにくいチャクラの問題を現代人にわかりやすい形で説明しているところにある・・・。
・・・著者自身の個人的体験や、著者がインドで見聞した種種の挿話なども語られていて興味をそそる。
最後の第五章では、チャクラに関するインドの古典の主なものについて紹介すると共に、ヒンドゥー教の修行者(ヨギ)が用いるチャクラの象徴的図形の意味について説明している。
この章は、ヨーガ研究の権威として有名なウッド教授の協力を得たものであるだけに、学問的にもしっかりした内容をもっている。
のみならず、著者がインドにおけるヨーガの修行の実際についてよく知っているだけに、説明も的を射ている。ヨーガに関する文献を読むのに、大変参考になると思う。」(P173・174)
これに関連して、リードビーターはチャクラの象徴図の説明のところで、次のようなことを書いています。
「ただしこの場合、次のような点に困難がある。これらのシンボルにはさまざまな解釈があること、インドのヨギたちは外部の質問者に対しては徹底して沈黙を守るということ、さらに、ラヤ・ヨーガの修行に身を捧げるために孤独の中に歩き、必要とあればその修行の完成のために全生涯をかける決心をした弟子に対してでなければ、彼らはその知識も考え方も断じて語ろうとはしない、ということである。」(P124)
ということです。
こういう分野の情報が、今では当たり前のように入手できるようになっていますが、パイオニアがその情報を得るためには、そのような修行者たちを説得できるだけの努力と熱意を見せ、彼らに匹敵する覚悟をもった存在として認められなければ、不可能であったということを、いつも念頭に置いておかなければいけませんね。
ということで、20世紀前半までのチャクラ情報は、かなり整理できましたが、後半以降、現在のヒーリング関係の“チャクラ”につながる情報までは(講座では話しているのですが、ブログ記事としては)手が届きませんでした。
次のテーマの準備に進まないといけないので、それらに関しては、また次の「チャクラ」をテーマとする講座の前にでも、予習的に取り上げるということで、一先ずここで、このシリーズは切り上げさせていただきます。
チャクラ情報の起源を探る(13)リードビーターの『チャクラ』より――その3
このシリーズ、途中になってたので、とりあえず切りのいいところまで、あと2作、続けたいと思います。
リードビーターの『チャクラ』に関しては、その後手元に置いて、『秘教から科学へ』の原稿をまとめていた15年近く前に、一度は読んだのですが、当時はまだ理解力に乏しく、内容はほとんど記憶に残っていませんでした。
今回、改めて読んでみて、思った以上に、ヒーリング関係者が使っているチャクラと従来からのインドのものとの関係を解明するのに重要な情報が書かれていました。
引用、紹介させていただきます。
「『諸力の結婚』
チャクラの花型の開口部はエーテル的身体の表面にあるが、トランペット状の花の茎に当たる部分は常に、脊髄の中心部から出ている。
ヒンドゥーの文献でチャクラと言っているのは、元来はそれらの表面に現われた部分をいうのではなく、脊柱の中にある中心部を指しているのである。
どの場合にも、エーテル質の茎がふつう下方に曲がりながら、脊柱内の根と表面のチャクラを結びつけている。すべてのチャクラの茎はこのように脊髄から出ているので、この力は当然、これらの茎を流れ下って開いた花弁部に至り、そこでチャクラに流入してくる神的生命の流れと出会う。
そのとき、この出会いによって生じる圧力が、チャクラのスポークに沿って水平方向に、複合した力の放射をひき起こすのである。」(P49・50)
西洋のヒーラーたちが扱っているチャクラがこの「トランペット状の花」で、ヒンドゥーの伝統でチャクラと言っているのは、「脊柱の中にある中心部」だというわけです。
で、この本にカラーで載せられているチャクラの絵はどちらなのかというと、「トランペット状の花」の方です。
この絵は、チョー・コク・スイ大師の書いた『現代プラニック・ヒーリングの科学と技術 基礎編プラニックヒーリング教科書』(IHM出版)に載せられている絵に、(一見みた色彩の印象はかなり違うのですが)よく見比べるとほぼ対応していました。
チョー・コク・スイ大師は、かなりレベルの高い方だったと思いますので、リードビーターのを写したのではないと思われ、2人がほぼ同じものを見ていた、つまりチャクラにはそのように見える相が、確かに存在する、と言っていいのではないか、と思います。
それに対し、他のヒーラーたちの描いているチャクラの図や描写は、かなり単純なものです。
彼らは花弁の枚数や象徴図形などに関して触れることはほとんどなく、色は一様に例のレインボー・カラーの7色が配当されています。
リードビーターの絵は、花弁が分かれて描かれ、花弁ごとに色が変わっていて、そういった細部を捨象してぼやかし全体的傾向を見ると、ほぼ虹の7色に近いものになるという感じです。
先の文中、「チャクラに流入してくる神的生命」というのは、太陽からのプラーナだと思われます。それが、脊柱内の根から茎を通して上がってくるクンダリニー的性質のエネルギーと、花弁部で合流して複数の花弁状の模様が現われるというわけですが、霊視力の優れたリードビーターや古来のヨーギには細部まで読み取れるものの、そこまでの視力のないヒーラーたちには、漠然としか読み取れない、ということかもしれません。
関連して、「第五章 ラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)」には、
「今日残されている多くの文献は、ヒンドゥー教のヨギたちのために書かれたものであるが、これらの文献は、身体の生理学的・解剖学的特徴については何の関心も示していない。
それらは、瞑想の訓練をし、クンダリニーの力を目覚めさせて、彼らの意識を高め、より高い存在領域へと上昇してゆくことを目的としている。
サンスクリット文献には、表面に開いたチャクラについてはほとんど述べていないのに、脊柱のチャクラとクンダリニーの力がチャクラを通過する様子についてくわしくのべている。これはおそらく、右にのべた理由によるものであろう。」
という文章が見られます(P143)。
ここから、西洋のヒーラーたちが取り上げているチャクラやそれに関する情報は、おそらくインドのヨーギたちは気づいても相手にしなかったものであるといえます。
以上は、悪口としてではなく、客観的評価として、受け止めてください。
私は、ヒーラーたちの取り組みは、歴史的に意味のあるものだと思っています。
体表のチャクラは、人類(の知識体系)にとっては放置され分野だったのであり、そしてそれは健康の改善等に大きな影響のある分野でもあり、それを探求することはとても意義深いことなのです。
では、アリス・ベイリーのエソテリック・ヒーリングはというと、体表のチャクラは扱っていませんが、脊柱のチャクラを扱いつつ、生理学的なところにも関心を示し、その関係を論じているという意味において、特異な価値をもつものだといえると思います。
リードビーターの『チャクラ』に関しては、その後手元に置いて、『秘教から科学へ』の原稿をまとめていた15年近く前に、一度は読んだのですが、当時はまだ理解力に乏しく、内容はほとんど記憶に残っていませんでした。
今回、改めて読んでみて、思った以上に、ヒーリング関係者が使っているチャクラと従来からのインドのものとの関係を解明するのに重要な情報が書かれていました。
引用、紹介させていただきます。
「『諸力の結婚』
チャクラの花型の開口部はエーテル的身体の表面にあるが、トランペット状の花の茎に当たる部分は常に、脊髄の中心部から出ている。
ヒンドゥーの文献でチャクラと言っているのは、元来はそれらの表面に現われた部分をいうのではなく、脊柱の中にある中心部を指しているのである。
どの場合にも、エーテル質の茎がふつう下方に曲がりながら、脊柱内の根と表面のチャクラを結びつけている。すべてのチャクラの茎はこのように脊髄から出ているので、この力は当然、これらの茎を流れ下って開いた花弁部に至り、そこでチャクラに流入してくる神的生命の流れと出会う。
そのとき、この出会いによって生じる圧力が、チャクラのスポークに沿って水平方向に、複合した力の放射をひき起こすのである。」(P49・50)
西洋のヒーラーたちが扱っているチャクラがこの「トランペット状の花」で、ヒンドゥーの伝統でチャクラと言っているのは、「脊柱の中にある中心部」だというわけです。
で、この本にカラーで載せられているチャクラの絵はどちらなのかというと、「トランペット状の花」の方です。
この絵は、チョー・コク・スイ大師の書いた『現代プラニック・ヒーリングの科学と技術 基礎編プラニックヒーリング教科書』(IHM出版)に載せられている絵に、(一見みた色彩の印象はかなり違うのですが)よく見比べるとほぼ対応していました。
チョー・コク・スイ大師は、かなりレベルの高い方だったと思いますので、リードビーターのを写したのではないと思われ、2人がほぼ同じものを見ていた、つまりチャクラにはそのように見える相が、確かに存在する、と言っていいのではないか、と思います。
それに対し、他のヒーラーたちの描いているチャクラの図や描写は、かなり単純なものです。
彼らは花弁の枚数や象徴図形などに関して触れることはほとんどなく、色は一様に例のレインボー・カラーの7色が配当されています。
リードビーターの絵は、花弁が分かれて描かれ、花弁ごとに色が変わっていて、そういった細部を捨象してぼやかし全体的傾向を見ると、ほぼ虹の7色に近いものになるという感じです。
先の文中、「チャクラに流入してくる神的生命」というのは、太陽からのプラーナだと思われます。それが、脊柱内の根から茎を通して上がってくるクンダリニー的性質のエネルギーと、花弁部で合流して複数の花弁状の模様が現われるというわけですが、霊視力の優れたリードビーターや古来のヨーギには細部まで読み取れるものの、そこまでの視力のないヒーラーたちには、漠然としか読み取れない、ということかもしれません。
関連して、「第五章 ラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)」には、
「今日残されている多くの文献は、ヒンドゥー教のヨギたちのために書かれたものであるが、これらの文献は、身体の生理学的・解剖学的特徴については何の関心も示していない。
それらは、瞑想の訓練をし、クンダリニーの力を目覚めさせて、彼らの意識を高め、より高い存在領域へと上昇してゆくことを目的としている。
サンスクリット文献には、表面に開いたチャクラについてはほとんど述べていないのに、脊柱のチャクラとクンダリニーの力がチャクラを通過する様子についてくわしくのべている。これはおそらく、右にのべた理由によるものであろう。」
という文章が見られます(P143)。
ここから、西洋のヒーラーたちが取り上げているチャクラやそれに関する情報は、おそらくインドのヨーギたちは気づいても相手にしなかったものであるといえます。
以上は、悪口としてではなく、客観的評価として、受け止めてください。
私は、ヒーラーたちの取り組みは、歴史的に意味のあるものだと思っています。
体表のチャクラは、人類(の知識体系)にとっては放置され分野だったのであり、そしてそれは健康の改善等に大きな影響のある分野でもあり、それを探求することはとても意義深いことなのです。
では、アリス・ベイリーのエソテリック・ヒーリングはというと、体表のチャクラは扱っていませんが、脊柱のチャクラを扱いつつ、生理学的なところにも関心を示し、その関係を論じているという意味において、特異な価値をもつものだといえると思います。
EH連続講座の次回の予定と、ヒーリング・タッチ紹介セミナーのお知らせ
さて、1月の講座の後片付けが終わり、2月の講座に向けた準備に移ろう、とし始めたところですが、2月は当初10回シリーズで予定していたちょうど真ん中の5回目、ということで、岡山・福岡でも前・後2回に分けたダイジェスト版を2月11・12日に企画していることもあり(*)、それにも合わせてこれまでの総復習を兼ねて「パーソナリティー」をテーマということにしています。
ただ、このEH(エソテリック・ヒーリング)講座、始めてみると、お伝えしたい内容が最初の想像以上に多く、単なる復習だけではもったいないので、新たな内容も加味した発展編もつくることにしました。
したがって、東京では以下の2種類の講座を行います。
☆復習編「パーソナリティーの諸要素とエソテリック・ヒーリングの実際」
2月5日(日)・6日(月)
第1~4回(エーテル体・アストラル体・メンタル体・チャクラ)でやった内容を、復習します。
・エネルギー的存在としての人間と、その基本構造
・病気の心理的原因と、アストラル体
・メンタル体と、診断・エネルギーを送るための想念形態
・エネルギー伝導の器としてのエーテル体とチャクラ
・EHの基本テクニック(規定5)
テキスト該当箇所:(上)P43~147、(下)P305~323
☆発展編「パーソナリティー諸要素の関係とその統合」
2月23日(木)・26日(日)
個々の要素に分けて見ていった復習編の内容を統合して、EHの全体像をもう一度把握するとともに、諸体を合わせた複合体にして意外と把握しにくい(秘教的な意味での)パーソナリティーについて解説し、EHを支えるエネルギー的な人間観・宇宙観の理解を、今一歩進めます。
・再び、EHの概要を考える : 序文~病気の根本原因
・パーソナリティーとは何か
・法則Ⅴ:「エネルギー以外のものは存在しない・・・」
テキスト該当箇所:(上)P15~53、(下)P239~262
・全回ご参加いただいている方には、復習編は完全に重複する内容ですので、発展編の方にご参加いただければ、基本的には十分です。
・休まれた回がある方、しっかり頭に入っていないのでもう一度概要を復習したい、という方は、復習編にも是非、ご参加ください。
・復習編と発展編は、テキスト該当箇所を見ればお分かりいただけるように、ほとんど重複しない内容になっています。これから勉強を始められるという方でも、両方出れば、次回(第6回)以降、基本的な理解に支障なくご参加いただけると思いますので、身近でご興味お持ちいただける方がいらっしゃれば、是非、お誘いください。
(とは言いつつも、発展編がどうしても出られない、という方でも、基礎編の内容がある程度入っていれば、次回以降の理解がまったくできない、ということはありませんので、ご安心ください。)
(*)岡山・福岡の案内は、こちらをご覧ください。そちら方面にお知り合いがいらっしゃれば、ご紹介いただけると嬉しいです。
http://holisticreading.blog62.fc2.com/blog-entry-809.html
それともう一つ、昨日も名前を出させていただいた講座に参加いただいている仲間でもある、ヒーリングタッチ・プラクティショナーの戸田美紀さんが、「ヒーリングタッチ紹介セミナー」をされます。
ヒーリングタッチに関しては、「広めよう! ヒーリングタッチの会」 http://www.ht-tokyo.jp/about.html
から紹介させていただきますと、
「ヒーリングタッチ(http://www.healingtouchinternational.org/)は、1980年米国の看護師ジャネット・メンゲンによって開発された、健康と癒しのためのエネルギーフィールドを整えるセラピーです。身体、または、身体から数センチ離れたところに存在するといわれているエネルギーフィールドに手でタッチする(触れる)ことで、エネルギーフィールドやそこから身体へ流れるエネルギーを制御するエネルギーセンターに影響を与えます。ヒーリングタッチは、クライアントが自ら癒されていくために、エネルギーシステムの調和とバランスを取り戻すことを目的とする、身体への侵襲性の極めて少ない技術です。
ヒーリングタッチにより、受け手は、心地よさ、リラックス、痛みの軽減、気分の向上、安心感などを得ることができます。また、自分自身に行うこともできます。
ヒーリングタッチは、米国の看護師の間で幅広く利用されています。医療、術後ケア、精神医学、健康増進、ホスピス、小児科、老人病のケアなど、様々な看護の分野で活用されています。1988年に、アメリカンホリスティックナース協会(AHNA)は、ヒーリングタッチの素晴らしい実績に対して、ホリスティック・ナース・オブ・ザ・イヤーを授与しました。現在、ヒーリングタッチは、アメリカ、カナダ、アジア諸国、ヨーロッパ、アフリカなど、世界各国に広まっています。」
ということで、戸田美紀さんの話を伺うと、商業化されたヒーリングではなく、看護師さんがボランタリーに取り組まれている活動が中心のためか、とてもピュアなスピリチュアリティーが保たれている印象を受けています。
創始者のジャネット・メンゲンさんは、終生、アリス・ベイリーの『秘教治療』バイブルのようにして、いつも持ち歩いていた、という嬉しい話を、聞かせていただいてます。
美紀さんによる紹介セミナーの詳細は、以下の通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒーリングタッチ紹介セミナー
日時:2012年2月18日(土)午後1:30ー4:00
場所:東京赤坂(お申し込み後にお知らせいたします)
参加費:2,000円
ファシリテーター:戸田美紀
ヒーリングタッチ東京スタッフ/ヒーリングタッチ・プラクティショナー
主催:Healing Touch Tokyo ~広めよう!ヒーリングタッチの会~
http://www.ht-tokyo.jp/seminar.html
*尚、開催一週間前までに開催最低人数に達しない場合、キャンセルとなる可能性があります。予め、ご了承くださいませ。
お申し込み:ヒーリングタッチ東京 intro@@ht-tokyo.jp
お名前、郵便番号、住所、電話番号(当日連絡がつくもの)、メールアドレス、職業を記載の上、メールにてお申し込みください。
お問い合わせ:ヒーリングタッチ東京 intro@@ht-tokyo.jp
(迷惑メール防止のため、@を2つ記載しておりますが、メール送信時には、@をひとつにしてください。)
ただ、このEH(エソテリック・ヒーリング)講座、始めてみると、お伝えしたい内容が最初の想像以上に多く、単なる復習だけではもったいないので、新たな内容も加味した発展編もつくることにしました。
したがって、東京では以下の2種類の講座を行います。
☆復習編「パーソナリティーの諸要素とエソテリック・ヒーリングの実際」
2月5日(日)・6日(月)
第1~4回(エーテル体・アストラル体・メンタル体・チャクラ)でやった内容を、復習します。
・エネルギー的存在としての人間と、その基本構造
・病気の心理的原因と、アストラル体
・メンタル体と、診断・エネルギーを送るための想念形態
・エネルギー伝導の器としてのエーテル体とチャクラ
・EHの基本テクニック(規定5)
テキスト該当箇所:(上)P43~147、(下)P305~323
☆発展編「パーソナリティー諸要素の関係とその統合」
2月23日(木)・26日(日)
個々の要素に分けて見ていった復習編の内容を統合して、EHの全体像をもう一度把握するとともに、諸体を合わせた複合体にして意外と把握しにくい(秘教的な意味での)パーソナリティーについて解説し、EHを支えるエネルギー的な人間観・宇宙観の理解を、今一歩進めます。
・再び、EHの概要を考える : 序文~病気の根本原因
・パーソナリティーとは何か
・法則Ⅴ:「エネルギー以外のものは存在しない・・・」
テキスト該当箇所:(上)P15~53、(下)P239~262
・全回ご参加いただいている方には、復習編は完全に重複する内容ですので、発展編の方にご参加いただければ、基本的には十分です。
・休まれた回がある方、しっかり頭に入っていないのでもう一度概要を復習したい、という方は、復習編にも是非、ご参加ください。
・復習編と発展編は、テキスト該当箇所を見ればお分かりいただけるように、ほとんど重複しない内容になっています。これから勉強を始められるという方でも、両方出れば、次回(第6回)以降、基本的な理解に支障なくご参加いただけると思いますので、身近でご興味お持ちいただける方がいらっしゃれば、是非、お誘いください。
(とは言いつつも、発展編がどうしても出られない、という方でも、基礎編の内容がある程度入っていれば、次回以降の理解がまったくできない、ということはありませんので、ご安心ください。)
(*)岡山・福岡の案内は、こちらをご覧ください。そちら方面にお知り合いがいらっしゃれば、ご紹介いただけると嬉しいです。
http://holisticreading.blog62.fc2.com/blog-entry-809.html
それともう一つ、昨日も名前を出させていただいた講座に参加いただいている仲間でもある、ヒーリングタッチ・プラクティショナーの戸田美紀さんが、「ヒーリングタッチ紹介セミナー」をされます。
ヒーリングタッチに関しては、「広めよう! ヒーリングタッチの会」 http://www.ht-tokyo.jp/about.html
から紹介させていただきますと、
「ヒーリングタッチ(http://www.healingtouchinternational.org/)は、1980年米国の看護師ジャネット・メンゲンによって開発された、健康と癒しのためのエネルギーフィールドを整えるセラピーです。身体、または、身体から数センチ離れたところに存在するといわれているエネルギーフィールドに手でタッチする(触れる)ことで、エネルギーフィールドやそこから身体へ流れるエネルギーを制御するエネルギーセンターに影響を与えます。ヒーリングタッチは、クライアントが自ら癒されていくために、エネルギーシステムの調和とバランスを取り戻すことを目的とする、身体への侵襲性の極めて少ない技術です。
ヒーリングタッチにより、受け手は、心地よさ、リラックス、痛みの軽減、気分の向上、安心感などを得ることができます。また、自分自身に行うこともできます。
ヒーリングタッチは、米国の看護師の間で幅広く利用されています。医療、術後ケア、精神医学、健康増進、ホスピス、小児科、老人病のケアなど、様々な看護の分野で活用されています。1988年に、アメリカンホリスティックナース協会(AHNA)は、ヒーリングタッチの素晴らしい実績に対して、ホリスティック・ナース・オブ・ザ・イヤーを授与しました。現在、ヒーリングタッチは、アメリカ、カナダ、アジア諸国、ヨーロッパ、アフリカなど、世界各国に広まっています。」
ということで、戸田美紀さんの話を伺うと、商業化されたヒーリングではなく、看護師さんがボランタリーに取り組まれている活動が中心のためか、とてもピュアなスピリチュアリティーが保たれている印象を受けています。
創始者のジャネット・メンゲンさんは、終生、アリス・ベイリーの『秘教治療』バイブルのようにして、いつも持ち歩いていた、という嬉しい話を、聞かせていただいてます。
美紀さんによる紹介セミナーの詳細は、以下の通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒーリングタッチ紹介セミナー
日時:2012年2月18日(土)午後1:30ー4:00
場所:東京赤坂(お申し込み後にお知らせいたします)
参加費:2,000円
ファシリテーター:戸田美紀
ヒーリングタッチ東京スタッフ/ヒーリングタッチ・プラクティショナー
主催:Healing Touch Tokyo ~広めよう!ヒーリングタッチの会~
http://www.ht-tokyo.jp/seminar.html
*尚、開催一週間前までに開催最低人数に達しない場合、キャンセルとなる可能性があります。予め、ご了承くださいませ。
お申し込み:ヒーリングタッチ東京 intro@@ht-tokyo.jp
お名前、郵便番号、住所、電話番号(当日連絡がつくもの)、メールアドレス、職業を記載の上、メールにてお申し込みください。
お問い合わせ:ヒーリングタッチ東京 intro@@ht-tokyo.jp
(迷惑メール防止のため、@を2つ記載しておりますが、メール送信時には、@をひとつにしてください。)
EH連続講座「チャクラ」を終わって
1月15日に初めての方、一昨日・昨日の22・23日に連続講座受講者を対象にした「チャクラ」の講座を終えました。
それまでのテーマ、「エーテル体」「アストラル体」「メンタル体」に比べ、今回の「チャクラ」は焦点の絞れたテーマのため、余裕をもって準備できるかな、と思っていましたが、ブログで書き続けてもまだ終わらないように、延々と調べたいことは出てきますね。
でもまあとにかく、1日実質6時間弱でやるプログラムとしては、自分で今できる最善のことができたという満足感・充実感と、これを積み重ねていくことによって自分自身にも着実に実力がつき、アリス・ベイリーおよびエソテリック・ヒーリングの紹介としてもいいものができつつある、という手応えは感じています。
この講座、やっていて嬉しいのは、とても素晴らしい参加者に恵まれていることです。
今回は講座終了後、連続講座を始めて以来、初めての懇親会として、新年会をやりましたが、一人ひとりの自己紹介などゆっくり伺って、改めてそのことを強く感じました。
ホリスティック医学協会主催の“スピエネット”(スピリチュアル&エネルギー・ケア・ネットワーク)でご一緒している「ヒーリングタッチ東京」スタッフの戸田美紀さんも日曜日参加いただき、メールをいただいた中で、
「EH講座の魅力は、さまざまなヒーリングのバックグラウンドの方々がいらっしゃることでもあります。私も皆さまとの出会いを楽しみにしています。」
と書いていただきました。
昨日の懇親会参加者の中には、ヒーリング・治療・整体・ヨーガ・心理療法家等の関係だけでなく、デザイナー・スタイリスト・スポーツカメラマン・占い師から転向して農業をやってる人たちまでいて、本当にバリエーションに富んでおり、皆、深い問題意識をもっていて、しかも実力のある人が多いので、懇親会での話も、講座に負けないくらい興味深いのです。
そんなわけで、私も準備はもちろん大変なところがありますが、毎回、参加者の皆さんと有意義な時間を過ごせることを楽しみにしながら続けている、とてもやり甲斐のある講座になっています。
この講座の感想に関しては、
例によって、「吾輩はライオンである」http://ericababaji.cocolog-nifty.com/blog/で、ゴンちゃんが、早速に今回の感想を「内的な開花」というテーマで書いてくれてます。
その前には、自分の予習用ということで書いてくれた「『魂の光』とチャクラ」の10連作も載ってます。
それと、少し前になりましたが、昨年11月「アストラル体」のときには、ユニークな教育実践をされている高校の生徒さんが(何と!)先生引率のもと10名くらいのグループで参加してくださったのですが、そのときの感想が届いているので、紹介させていただきます。
「お久しぶりです。11月に講座に参加させていただいた、☆☆高校・2年生の○△です。連絡が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。この度、代表2名から感謝のメールを送らせていただきます。
私たちは講義を受けさせてもらう前に、事前学習をしようということになり、アストラル体のことなどを調べていました。そこには心の病気を癒すという言葉があり、とても興味を持ちました。私は精神的な病気で今も薬を飲み続けています。それが少しでも良い方向に向けばいいと思い、今回の講義を心待ちにしておりました。
実際にたくさんのお話を聞き、たくさんの体験をさせてもらい、なんだか気分が変わったように思えます。・・・
貴重な体験をさせていただき、ありがとうございます。また機会があれば、再度神尾様のお話を伺わせていただきたいなと思っております。今回は本当にありがとうございました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
感想を送るのが遅くなって、申し訳ないです。☆☆高校・1年の◇○です。
最初は秘教科学の意味をよくわかっていませんでしたが、講義が終わる頃には、秘教科学に魅了されていました。説明など、ひとつひとつ細かくて、すごくわかりやすかったです。
私が一番印象に残っているのは、水の実験です。1番の水は普通、2番はすごく飲みにくい、3番は飲みやすかったです。他にもテレパシーの話など、すごく興味を持てるお話ばかりだったので、すごく楽しく聞くことができました。
また神尾さんのお話が聞けたらいいなと思っています。今回、いろんなことを教えていただき、ありがとうございました。」
なお、文中の「水の実験」は、「エネルギーの学校」を主宰されている山本ユキさんhttp://homepage3.nifty.com/emeraldnefer/cn41/index.html
にご協力いただきました。
こんな感じで、私ひとりの力では及ばないところを皆さんのご協力のもと運営できていることも、講座の充実度をアップさせている大きな要因です。
本当に、有り難いことであり、ますます充実・発展させていきたいと思っています。
それまでのテーマ、「エーテル体」「アストラル体」「メンタル体」に比べ、今回の「チャクラ」は焦点の絞れたテーマのため、余裕をもって準備できるかな、と思っていましたが、ブログで書き続けてもまだ終わらないように、延々と調べたいことは出てきますね。
でもまあとにかく、1日実質6時間弱でやるプログラムとしては、自分で今できる最善のことができたという満足感・充実感と、これを積み重ねていくことによって自分自身にも着実に実力がつき、アリス・ベイリーおよびエソテリック・ヒーリングの紹介としてもいいものができつつある、という手応えは感じています。
この講座、やっていて嬉しいのは、とても素晴らしい参加者に恵まれていることです。
今回は講座終了後、連続講座を始めて以来、初めての懇親会として、新年会をやりましたが、一人ひとりの自己紹介などゆっくり伺って、改めてそのことを強く感じました。
ホリスティック医学協会主催の“スピエネット”(スピリチュアル&エネルギー・ケア・ネットワーク)でご一緒している「ヒーリングタッチ東京」スタッフの戸田美紀さんも日曜日参加いただき、メールをいただいた中で、
「EH講座の魅力は、さまざまなヒーリングのバックグラウンドの方々がいらっしゃることでもあります。私も皆さまとの出会いを楽しみにしています。」
と書いていただきました。
昨日の懇親会参加者の中には、ヒーリング・治療・整体・ヨーガ・心理療法家等の関係だけでなく、デザイナー・スタイリスト・スポーツカメラマン・占い師から転向して農業をやってる人たちまでいて、本当にバリエーションに富んでおり、皆、深い問題意識をもっていて、しかも実力のある人が多いので、懇親会での話も、講座に負けないくらい興味深いのです。
そんなわけで、私も準備はもちろん大変なところがありますが、毎回、参加者の皆さんと有意義な時間を過ごせることを楽しみにしながら続けている、とてもやり甲斐のある講座になっています。
この講座の感想に関しては、
例によって、「吾輩はライオンである」http://ericababaji.cocolog-nifty.com/blog/で、ゴンちゃんが、早速に今回の感想を「内的な開花」というテーマで書いてくれてます。
その前には、自分の予習用ということで書いてくれた「『魂の光』とチャクラ」の10連作も載ってます。
それと、少し前になりましたが、昨年11月「アストラル体」のときには、ユニークな教育実践をされている高校の生徒さんが(何と!)先生引率のもと10名くらいのグループで参加してくださったのですが、そのときの感想が届いているので、紹介させていただきます。
「お久しぶりです。11月に講座に参加させていただいた、☆☆高校・2年生の○△です。連絡が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。この度、代表2名から感謝のメールを送らせていただきます。
私たちは講義を受けさせてもらう前に、事前学習をしようということになり、アストラル体のことなどを調べていました。そこには心の病気を癒すという言葉があり、とても興味を持ちました。私は精神的な病気で今も薬を飲み続けています。それが少しでも良い方向に向けばいいと思い、今回の講義を心待ちにしておりました。
実際にたくさんのお話を聞き、たくさんの体験をさせてもらい、なんだか気分が変わったように思えます。・・・
貴重な体験をさせていただき、ありがとうございます。また機会があれば、再度神尾様のお話を伺わせていただきたいなと思っております。今回は本当にありがとうございました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
感想を送るのが遅くなって、申し訳ないです。☆☆高校・1年の◇○です。
最初は秘教科学の意味をよくわかっていませんでしたが、講義が終わる頃には、秘教科学に魅了されていました。説明など、ひとつひとつ細かくて、すごくわかりやすかったです。
私が一番印象に残っているのは、水の実験です。1番の水は普通、2番はすごく飲みにくい、3番は飲みやすかったです。他にもテレパシーの話など、すごく興味を持てるお話ばかりだったので、すごく楽しく聞くことができました。
また神尾さんのお話が聞けたらいいなと思っています。今回、いろんなことを教えていただき、ありがとうございました。」
なお、文中の「水の実験」は、「エネルギーの学校」を主宰されている山本ユキさんhttp://homepage3.nifty.com/emeraldnefer/cn41/index.html
にご協力いただきました。
こんな感じで、私ひとりの力では及ばないところを皆さんのご協力のもと運営できていることも、講座の充実度をアップさせている大きな要因です。
本当に、有り難いことであり、ますます充実・発展させていきたいと思っています。
チャクラ情報の起源を探る(12)リードビーターの『チャクラ』より――その2
このシリーズ、思い当ったものを取り上げて書いていったら、延々と続いちゃってますが、1月9日に書いた(1)で一番最初に取り上げた『チャクラ』(C.W.リードビーター著、本山博・湯浅泰雄訳、平河出版社)に関する、翻訳者の本山博氏による紹介に行き当たり、再度ここから紹介することにしたいと思います。
まず、この本の「訳者序文」に、1900年代初頭のチャクラ情報に関する興味深い記述があったので、それを引用させていただきますね(P2・3)。
「チャクラという言葉を明治以来の日本で書物に記載しているのは、幸田露伴が初めてであろうか。
チャクラに関する本がインドのサンスクリット語から英語に訳されたのは、このリードビーターの本が一九二七年に出るより数年前であり、それはアーサー・アヴァロンが訳した『サーペント・パワー』(蛇の力)という本である。
しかしそれ以来この五十年余り、世界中でもごく限られたヨーガの研究家や修行者がこれらの本を読み、チャクラについて知っていたにすぎない。
ところが、インドのカシミールでヨーガの独修をしていたゴーピ・クリシュナがクンダリニー(生命の根源力)の目覚め、チャクラの目覚めを体験し、霊的進化の道を歩み始めた体験を記した本『…』を英語で一九六七年に出版して以来、それ迄、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、瞑想ヨーガを行ってある程度、クンダリニーの目覚め、チャクラの目覚めを体験していた、アメリカ、ヨーロッパの若者達の間に、このゴーピ・クリシュナの本がみるみる内に拡がり、読まれ、ここ数年の間に、アメリカ、ヨーロッパではクンダリニー・ヨーガつまり、クンダリニーを目覚めさせ、チャクラを目覚めさせ、霊的進化を促すヨーガ行法を行なう者が数十万、数百万に達している。
日本ではやっとその気運が生まれてきたところである。日本には千年以上の真言密教の伝統がある。これはクンダリニー・ヨーガと同根のものである。このクンダリニー・ヨーガも日本で必ず本格的に根を降ろし、実を結ぶものと信じる。
リードビーターのこの『チャクラ』の本は、クンダリニー・ヨーガの実修者、特に初心者にとって最良かつ最も親切な案内書であると思う。」
と書かれています。1970年以降も日本では、ヨーガは(オーム真理教事件のダメージも間に挟んだものの)3回とも4回ともいわれるブームが訪れ、今は、アメリカからのホット・ヨガ、ハリウッド・ヨガなどと呼ばれるものが主流になってきています。
この50年でも、ずいぶん変遷があったんですね。
西洋にチャクラを紹介したリードビーターの業績に関して、彼の「原著者序文」から一言添えておきますと(P7)
「チャクラについては昔から多くの著作が書かれていますが、それらは主として、サンスクリット語、またはインドの地方語で書かれたものです。英語の著作が現われたのは、ごく最近のことにすぎません。
私は一九一〇年ごろに、『内なる生命』という著書で、チャクラのことに触れました。
その後、ジョン・ウッドラフ卿(アーサー・アヴァロン)の力作で『蛇の力』(…)が刊行され、インドの文献も訳されるようになりました。
『蛇の力』には、インドの修行者(ヨギ)たちが用いるチャクラの象徴図形が掲載されていますが、本書に掲げたチャクラの図は、チャクラを見ることのできた人びとに実際に見えるままの形を示そうとしたものです。
私が知っているかぎりでは、このような試みは、本書が最初であろうと思います。」
私がチャクラの絵を最初に見たのもこの本で、30年近く前、僧侶の友人の本棚にあったものを見せてもらったのですが、そのときは、とてもインパクトがあったものの、何の話なのかまったく理解できませんでした。
30年たち、今はこの本に描かれたものとはかなり違った絵のものが、チャクラとして幅広く知られるようになっており、こういう分野においても時代の流れの速さを、この原稿を書きながら、改めて感じているところです。
チャクラ情報の起源を探る(11)ハタ・ヨーガの古典より――その2
昨日は、ハタ・ヨーガの起源を、創始者とも言えるゴーラクシャナータまでみてきたわけですが、昨日参考にした
山下博司著『ヨーガの思想』(講談社)には、その後、ハタ・ヨーガの根本教典ともいえる『ハタヨーガ・プラディーピカー』について書かれてましたので、こちらも紹介しておきます。
(日本のヨーガ界の草分けの一人、佐保田鶴治氏には『ヨーガ根本教典』とその続編の著作があり、その中で、『ヨーガ・スートラ』と、ハタヨーガの代表的テキストである『ハタヨーガ・プラディーピカー』『ゲーランダ・サンヒター』『シヴァ・サンヒター』の3冊が解説されています。家にもどこかにあったはずなのですが、見当たらなくなってました。)
「一六~一七世紀ころ、この流派からスヴァートマーラーマという行者が現われ『ハタヨーガ・プラディーピカー』を著し、ハタヨーガの体系を明確に記述した。彼はハタヨーガを、ラージャヨーガを修する前段階に位置するものと規定している。
肉体的な浄化によって、自己をラージャヨーガの実践に適した状態にもってくるためのものがハタヨーガだというのである。
ラージャヨーガによってこそヨーガの行は完成する。『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、その冒頭(一・一)と最終部分(四・七九)で、それぞれ次のように宣言する。
『梯子のように、初心者をラージャヨーガの高みに至らせるハタヨーガの科学を説いたアーディナータ(シヴァ神)に帰命し奉る』
『ラージャヨーガを知らないで、もっぱらハタヨーガだけを行ずる者たちは努力の果実を失した者たちであると考えられる。』」
『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、全四章、四〇〇ほどの韻文からなり(『ヨーガ・スートラ』に倣った構成なのでしょう)、章を追って、坐法(アーサナ)、調息(プラーナヤーマ)、ムドラー、ラージャヨーガの順に解説されており、これがヨーガ行が深まっていく階梯と考えてよい、と山下氏は書いています。
ただ、本山一博氏から提供いただいた「『密教ヨーガ』『チャクラ・異次元への接点』解題」(本山一博著)によれば「『プラディーピカー』では主要な技法を網羅しているが、その具体的な方法について『密教ヨーガ』の方がはるかに詳しい」ということですので、実践される方はそちらに当たられれば十分と思います。
また一博氏は、
「『プラディーピカー』、『ゲーランダサンヒター』、『シヴァサンヒター』のいずれにおいてもその行法は霊的生理学に基づいたナディの調整、プラーナの制御、クンダリニーの上昇、チャクラの覚醒などが修行の中心である。」
「佐保田鶴治博士によるとヨーガの流派的展開はハタヨーガを最後に終わったという。するとハタヨーガの頂点と位置づけられる『プラディーピカー』をもって、ひとつの終着駅とみなすこともできよう。そして、右に述べた『プラディーピカー』の持つ傾向の延長線上に『密教ヨーガ』がぴたりと当てはまっているのがわかるであろう。『密教ヨーガ』はヨーガの歴史的展開の本流の上にあるのである。
しかし、『密教ヨーガ』は単に『プラディーピカー』がひいた路線の上に乗っかっているだけではない。そのことを説明するためにもう少し『プラディーピカー』の特徴を見ていこう。」
と述べられています。ヨーガという精神世界の最重要な分野の中で、『ヨーガ・スートラ』から『プラディーピカー』に引き継がれた本流をさらに一歩進めたのが本山博氏の『密教ヨーガ』だということなのです。
さらに、『プラディーピカー』では個々のチャクラについての解説はあまりなく、記述の重点はチャクラ開発よりもクンダリニーの上昇であるのに対し、『密教ヨーガ』ではチャクラ自体に重点が置かれている、と言われます。
これは本質的には、ヨーガにおいて歴史的に起こってきた、「精神から身体への重点の移行」を一歩推し進めるものだったのです。
「その延長線上に『密教ヨーガ』を捉えれば、より形而下的な志向のもとに、身体技法はさらに重視され、心の死滅という古典ヨーガの特徴はさらに後退し、心身相関は心から身体へという相関関係より、身体から心へという相関関係のほうに軸足がより移っていくのである。」
(ただし、ここで述べているのは、『密教ヨーガ』という本のことであって、本山博氏自身ではなく、その後、『チャクラの覚醒と解脱』という本の中で、この軌道は修正されているとのことでした。
さらに、『密教ヨーガ』で本山氏がこういうスタンスをとったのは、一方で、「チャクラ」の存在を科学的に証明することで、魂をはじめとする霊的な世界が存在することを、人々に知らしめたいという目的もあったようです。)
『ヨーガの思想』に載せられている『ハタヨーガ・プラディーピカー』からの「クンダリニーの覚醒」に関する記述を、幾つか見ておきましょう。
「鍵によって扉が開くように、ヨーギンは、ハタヨーガによりクンダリニーを開けることで解脱の扉を開けるべし。」(三・九八)
「クンダリニーはとぐろを巻き、蛇のようだと描写される。このシャクティーを動かし得た者は、解脱者(ムクタ)であることに疑いはない。」(三・一〇八)
「プラーナがスシュムナー・ナーディーのなかを流れ、心が空に入ったとき、このヨーガを知る者はすべての業から解き放たれる。」(四・一二)
(注:アリス・ベイリー的には、スシュムナー・ナーディーをクンダリニーが上がって覚醒しても、第三段階のイニシエートになるだけであって、マスターに達する真の解脱=第五段階までは、まだ道のりがあることになります。)
山下博司著『ヨーガの思想』(講談社)には、その後、ハタ・ヨーガの根本教典ともいえる『ハタヨーガ・プラディーピカー』について書かれてましたので、こちらも紹介しておきます。
(日本のヨーガ界の草分けの一人、佐保田鶴治氏には『ヨーガ根本教典』とその続編の著作があり、その中で、『ヨーガ・スートラ』と、ハタヨーガの代表的テキストである『ハタヨーガ・プラディーピカー』『ゲーランダ・サンヒター』『シヴァ・サンヒター』の3冊が解説されています。家にもどこかにあったはずなのですが、見当たらなくなってました。)
「一六~一七世紀ころ、この流派からスヴァートマーラーマという行者が現われ『ハタヨーガ・プラディーピカー』を著し、ハタヨーガの体系を明確に記述した。彼はハタヨーガを、ラージャヨーガを修する前段階に位置するものと規定している。
肉体的な浄化によって、自己をラージャヨーガの実践に適した状態にもってくるためのものがハタヨーガだというのである。
ラージャヨーガによってこそヨーガの行は完成する。『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、その冒頭(一・一)と最終部分(四・七九)で、それぞれ次のように宣言する。
『梯子のように、初心者をラージャヨーガの高みに至らせるハタヨーガの科学を説いたアーディナータ(シヴァ神)に帰命し奉る』
『ラージャヨーガを知らないで、もっぱらハタヨーガだけを行ずる者たちは努力の果実を失した者たちであると考えられる。』」
『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、全四章、四〇〇ほどの韻文からなり(『ヨーガ・スートラ』に倣った構成なのでしょう)、章を追って、坐法(アーサナ)、調息(プラーナヤーマ)、ムドラー、ラージャヨーガの順に解説されており、これがヨーガ行が深まっていく階梯と考えてよい、と山下氏は書いています。
ただ、本山一博氏から提供いただいた「『密教ヨーガ』『チャクラ・異次元への接点』解題」(本山一博著)によれば「『プラディーピカー』では主要な技法を網羅しているが、その具体的な方法について『密教ヨーガ』の方がはるかに詳しい」ということですので、実践される方はそちらに当たられれば十分と思います。
また一博氏は、
「『プラディーピカー』、『ゲーランダサンヒター』、『シヴァサンヒター』のいずれにおいてもその行法は霊的生理学に基づいたナディの調整、プラーナの制御、クンダリニーの上昇、チャクラの覚醒などが修行の中心である。」
「佐保田鶴治博士によるとヨーガの流派的展開はハタヨーガを最後に終わったという。するとハタヨーガの頂点と位置づけられる『プラディーピカー』をもって、ひとつの終着駅とみなすこともできよう。そして、右に述べた『プラディーピカー』の持つ傾向の延長線上に『密教ヨーガ』がぴたりと当てはまっているのがわかるであろう。『密教ヨーガ』はヨーガの歴史的展開の本流の上にあるのである。
しかし、『密教ヨーガ』は単に『プラディーピカー』がひいた路線の上に乗っかっているだけではない。そのことを説明するためにもう少し『プラディーピカー』の特徴を見ていこう。」
と述べられています。ヨーガという精神世界の最重要な分野の中で、『ヨーガ・スートラ』から『プラディーピカー』に引き継がれた本流をさらに一歩進めたのが本山博氏の『密教ヨーガ』だということなのです。
さらに、『プラディーピカー』では個々のチャクラについての解説はあまりなく、記述の重点はチャクラ開発よりもクンダリニーの上昇であるのに対し、『密教ヨーガ』ではチャクラ自体に重点が置かれている、と言われます。
これは本質的には、ヨーガにおいて歴史的に起こってきた、「精神から身体への重点の移行」を一歩推し進めるものだったのです。
「その延長線上に『密教ヨーガ』を捉えれば、より形而下的な志向のもとに、身体技法はさらに重視され、心の死滅という古典ヨーガの特徴はさらに後退し、心身相関は心から身体へという相関関係より、身体から心へという相関関係のほうに軸足がより移っていくのである。」
(ただし、ここで述べているのは、『密教ヨーガ』という本のことであって、本山博氏自身ではなく、その後、『チャクラの覚醒と解脱』という本の中で、この軌道は修正されているとのことでした。
さらに、『密教ヨーガ』で本山氏がこういうスタンスをとったのは、一方で、「チャクラ」の存在を科学的に証明することで、魂をはじめとする霊的な世界が存在することを、人々に知らしめたいという目的もあったようです。)
『ヨーガの思想』に載せられている『ハタヨーガ・プラディーピカー』からの「クンダリニーの覚醒」に関する記述を、幾つか見ておきましょう。
「鍵によって扉が開くように、ヨーギンは、ハタヨーガによりクンダリニーを開けることで解脱の扉を開けるべし。」(三・九八)
「クンダリニーはとぐろを巻き、蛇のようだと描写される。このシャクティーを動かし得た者は、解脱者(ムクタ)であることに疑いはない。」(三・一〇八)
「プラーナがスシュムナー・ナーディーのなかを流れ、心が空に入ったとき、このヨーガを知る者はすべての業から解き放たれる。」(四・一二)
(注:アリス・ベイリー的には、スシュムナー・ナーディーをクンダリニーが上がって覚醒しても、第三段階のイニシエートになるだけであって、マスターに達する真の解脱=第五段階までは、まだ道のりがあることになります。)
チャクラ情報の起源を探る(10)ハタ・ヨーガの古典より――その1
今日は昨日に続き、本山博氏の『チャクラ・異次元への接点』(宗教心理学研究所)の中から、「ゴラクシャサタカムに説かれるチャクラの目覚め、効果、超能力について」の紹介をしたいと思います。
この本の著者・ゴーラクシャナータは、現代につながるハタヨーガの事実上の創始者ともいえる人です。
『ゴラクシャサタカム』は101の韻文からなる小さな解説書ですが、ハタヨーガにとっては最重要文献の一つであるものの、やはり邦訳がありません。本山氏の文章は、そのうちチャクラに関する抄訳と解説で、わずか4ページほどですが、貴重な内容を含んでいるため、補足説明を加えながら進めることにします。
まず、知っているようでいてあまりよく知られていない、現代につながるハタヨーガの起源について(アリス・ベイリーとは異なる、[最近の]一般的な説が)、山下博司著『ヨーガの思想』(講談社)に分かりやすく書かれていたので引用・紹介させていただきます(P136・137)。
「・・・のちにラージャヨーガと呼ばれるような、パタンジャリの『ヨーガスートラ』で整理されたヨーガが、さらなる展開をとげて成立したのがハタヨーガの体系である。
のちに述べるようなタントラ的な身体観を基礎とした動的なヨーガである。
ハタヨーガは、ラージャヨーガ(クラシカル・ヨーガ)と現代のヨーガ(モダン・ヨーガ)とを橋渡しするもので、ハタヨーガの理論なしに現代ヨーガを適切に理解することはむずかしい。
われわれがふつうイメージするヨーガ――難度の高いポーズを含む多様なアーサナをこなすヨーガの形態――は、このハタヨーガの系統に連なるものと言って差し支えない。ハタヨーガは『ヨーガスートラ』のアシュターンガ・ヨーガ(八つの部分からなるヨーガ)で言えば、第三のアーサナと第四のプラーナヤーマに重点を置いて体系化されたヨーガであるとも言える。
・・・・・・
ラージャヨーガとハタヨーガとは、同時に出来たものではなく、時代的な隔たりをともなって成立してくる。しかし両者は相容れない関係にあるわけではない。両者は相互に補完し合い、一つの大きなヨーガの体系を形作っている。
そのことは、時代的にむしろ遅く成立したハタヨーガのほうが、行の深まりの面ではラージャヨーガの準備段階として規定されていることからもわかる。いわばラージャヨーガはハタヨーガの終結なのである。
だからと言って、ラージャヨーガとハタヨーガが、もっぱら主と従の関係、目的と手段の関係、あるいは後段と前段の関係に終始するというわけではない。
両者が総合され止揚されることで、心身両面に絶大な効果をもたらすと考えるべきである。」
なるほど、最後の結論は、現代のヨーガ関係者に配慮したものでしょうか。
ここに至って、ヨーガの目的がかなり変質しているのは否めませんが。
続けて、具体的な歴史を見ていきましょう(P139~137)。
「そもそもヨーガは、パタンジャリによる『ヨーガスートラ』の成立とヨーガ学派の登場によって、インド思想・宗教の正統派的伝統のなかに確固たる位置を占めることになった。四~六世紀のことである。その後、一〇世紀を過ぎたころに、シヴァ神を信奉する秘教的なヒンドゥー教の一派であるナータ派が興る。ナータ(ナート)というのは
、この流派のヨーガを成就した師に与えられる尊称である。
ヨーガそのものの始まりがシヴァ神に帰せられるように、ハタヨーガについても、その始原はシヴァ神とされる。・・・
マツイェーンドラナータはナータ派の祖ともされている。実在の人物として、五世紀説、一〇世紀説などがあり、後者が優勢のようである。・・・
さて一〇~一二世紀ころ、その一派からゴーラクシャナータ(または単にゴーラクシャ)という聖者が現れ、北インドを中心に活動する。」
ということで、『ゴラクシャサタカム』の著者のゴーラクシャナータが登場するわけで、彼は他に『ハタヨーガ』を著わしたとされるものの、そちらは現存しておらず、『ゴラクシャサタカム』がハタヨーガ最古の文献、とも言えるわけです。
さて、ここから本山氏の『チャクラ・異次元への接点』に載せられている同書の紹介に移りますが、ここでは、
第一チャクラに関して、「鼻端を凝視したまま、心はムーラダーラチャクラに集中しそれを瞑想すると、行者は罪から解放される(G・S78)」
第二チャクラに関して、「鼻端を凝視しつつ心をスワディスターナに集中し瞑想すると、罪から解放される(G・S79)」
第三チャクラに関して、「鼻端を凝視しつつ心をこのチャクラに集中瞑想すると、行者は世界を動かすことができる(G・S79)」
第四から六のチャクラに関しても同様に集中瞑想すると、
「ブラフマン(宇宙の絶対者)と一つになれる」
「ブラフマンと同一のものになり一つとなる」
「祝福に満たされる」
として、チャクラへの精神集中の効果を説いています。
これが、後のクンダリニー・ヨガに発展していったものと思われます。さらに、
「右に述べた瞑想の諸中心は、その附属物(各チャクラの文字、色等)とその原理(アートマ)とが結合する時、八つの超自然的力(能力)を生ぜしめる(G・S88)。」
「付属物と原理、前者は(各チャクラの)色と文字を意味し、原理はアートマ(個人の内にある絶対者)を意味する
(GS89)。」
「付属物は邪まな知識を生ぜしめるが、原理はその逆である。それ(原理)への絶えざる瞑想によって、原理はあらゆる付属物を壊すに至る(GS90)。」
というような文章も見られ、昨日紹介した各チャクラの文字・色を超えて、アートマ(とりあえず“魂”と理解していいと思います)に瞑想することが強く推奨されているわけです。
この本の著者・ゴーラクシャナータは、現代につながるハタヨーガの事実上の創始者ともいえる人です。
『ゴラクシャサタカム』は101の韻文からなる小さな解説書ですが、ハタヨーガにとっては最重要文献の一つであるものの、やはり邦訳がありません。本山氏の文章は、そのうちチャクラに関する抄訳と解説で、わずか4ページほどですが、貴重な内容を含んでいるため、補足説明を加えながら進めることにします。
まず、知っているようでいてあまりよく知られていない、現代につながるハタヨーガの起源について(アリス・ベイリーとは異なる、[最近の]一般的な説が)、山下博司著『ヨーガの思想』(講談社)に分かりやすく書かれていたので引用・紹介させていただきます(P136・137)。
「・・・のちにラージャヨーガと呼ばれるような、パタンジャリの『ヨーガスートラ』で整理されたヨーガが、さらなる展開をとげて成立したのがハタヨーガの体系である。
のちに述べるようなタントラ的な身体観を基礎とした動的なヨーガである。
ハタヨーガは、ラージャヨーガ(クラシカル・ヨーガ)と現代のヨーガ(モダン・ヨーガ)とを橋渡しするもので、ハタヨーガの理論なしに現代ヨーガを適切に理解することはむずかしい。
われわれがふつうイメージするヨーガ――難度の高いポーズを含む多様なアーサナをこなすヨーガの形態――は、このハタヨーガの系統に連なるものと言って差し支えない。ハタヨーガは『ヨーガスートラ』のアシュターンガ・ヨーガ(八つの部分からなるヨーガ)で言えば、第三のアーサナと第四のプラーナヤーマに重点を置いて体系化されたヨーガであるとも言える。
・・・・・・
ラージャヨーガとハタヨーガとは、同時に出来たものではなく、時代的な隔たりをともなって成立してくる。しかし両者は相容れない関係にあるわけではない。両者は相互に補完し合い、一つの大きなヨーガの体系を形作っている。
そのことは、時代的にむしろ遅く成立したハタヨーガのほうが、行の深まりの面ではラージャヨーガの準備段階として規定されていることからもわかる。いわばラージャヨーガはハタヨーガの終結なのである。
だからと言って、ラージャヨーガとハタヨーガが、もっぱら主と従の関係、目的と手段の関係、あるいは後段と前段の関係に終始するというわけではない。
両者が総合され止揚されることで、心身両面に絶大な効果をもたらすと考えるべきである。」
なるほど、最後の結論は、現代のヨーガ関係者に配慮したものでしょうか。
ここに至って、ヨーガの目的がかなり変質しているのは否めませんが。
続けて、具体的な歴史を見ていきましょう(P139~137)。
「そもそもヨーガは、パタンジャリによる『ヨーガスートラ』の成立とヨーガ学派の登場によって、インド思想・宗教の正統派的伝統のなかに確固たる位置を占めることになった。四~六世紀のことである。その後、一〇世紀を過ぎたころに、シヴァ神を信奉する秘教的なヒンドゥー教の一派であるナータ派が興る。ナータ(ナート)というのは
、この流派のヨーガを成就した師に与えられる尊称である。
ヨーガそのものの始まりがシヴァ神に帰せられるように、ハタヨーガについても、その始原はシヴァ神とされる。・・・
マツイェーンドラナータはナータ派の祖ともされている。実在の人物として、五世紀説、一〇世紀説などがあり、後者が優勢のようである。・・・
さて一〇~一二世紀ころ、その一派からゴーラクシャナータ(または単にゴーラクシャ)という聖者が現れ、北インドを中心に活動する。」
ということで、『ゴラクシャサタカム』の著者のゴーラクシャナータが登場するわけで、彼は他に『ハタヨーガ』を著わしたとされるものの、そちらは現存しておらず、『ゴラクシャサタカム』がハタヨーガ最古の文献、とも言えるわけです。
さて、ここから本山氏の『チャクラ・異次元への接点』に載せられている同書の紹介に移りますが、ここでは、
第一チャクラに関して、「鼻端を凝視したまま、心はムーラダーラチャクラに集中しそれを瞑想すると、行者は罪から解放される(G・S78)」
第二チャクラに関して、「鼻端を凝視しつつ心をスワディスターナに集中し瞑想すると、罪から解放される(G・S79)」
第三チャクラに関して、「鼻端を凝視しつつ心をこのチャクラに集中瞑想すると、行者は世界を動かすことができる(G・S79)」
第四から六のチャクラに関しても同様に集中瞑想すると、
「ブラフマン(宇宙の絶対者)と一つになれる」
「ブラフマンと同一のものになり一つとなる」
「祝福に満たされる」
として、チャクラへの精神集中の効果を説いています。
これが、後のクンダリニー・ヨガに発展していったものと思われます。さらに、
「右に述べた瞑想の諸中心は、その附属物(各チャクラの文字、色等)とその原理(アートマ)とが結合する時、八つの超自然的力(能力)を生ぜしめる(G・S88)。」
「付属物と原理、前者は(各チャクラの)色と文字を意味し、原理はアートマ(個人の内にある絶対者)を意味する
(GS89)。」
「付属物は邪まな知識を生ぜしめるが、原理はその逆である。それ(原理)への絶えざる瞑想によって、原理はあらゆる付属物を壊すに至る(GS90)。」
というような文章も見られ、昨日紹介した各チャクラの文字・色を超えて、アートマ(とりあえず“魂”と理解していいと思います)に瞑想することが強く推奨されているわけです。
チャクラ情報の起源を探る(9)タントラ・ヨーガの古典より――その1
注文していた本山博氏の『チャクラ・異次元への接点』(宗教心理学研究所)が届きました。
この本は、これまで紹介してきた本山氏の『密教ヨーガ』と重複する部分が多いものの、『密教ヨーガ』が一般読者を対象とするのに対して、学術書(論文)的色合いの強い本です。
『チャクラ・異次元への接点』の中には、『密教ヨーガ』には含まれていない「シャットチャクラ・ニルーパナにみられるチャクラ、ナディ」「ゴラクシャサタカムに説かれるチャクラの目覚め、効果、超能力について」「リードビーターの説くチャクラ」という3章が含まれていて、現在検討しているテーマにおいてはとても貴重な内容なので、続けて紹介させていただきたいと思います。
(このブログ、かなり研究論文化していて、一般の方はほとんどついて来られなくなっているかと思いますが、現在「チャクラ」に興味をもたれている方は急激に増えているのに対し、重要でなおかつ危険なこのテーマに関する信頼できる情報があまりに乏しく、しかも質が低下している状況にあるため、真剣に学ぼうという志のある方に探究の道筋を示すことは意義があると思い、書き続けています。)
今日は、『シャットチャクラ・ニルーパナ』(Shat-Chakra-Nirupana)という文献からの紹介です。この本、ご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、本山氏によると、ベンガル地方出身のプールナーナンダというタントラ・ヨーガのグルによって1577年に編纂されたという記録があるようです。
「チャクラ、ナディについて書かれてある本としては最も優れたものの一つであることが多くの学者、研究家によって認められている。」とも記されています。
博氏のご子息、一博氏によれば、邦訳はないようなので、チャクラ・ナディに関して「この本に載せられている英訳からの邦訳は貴重な資料であろう」とのこと。
まず、ナディに関して、チャクラ・クンダリニーの覚醒に関係する主要なナディとして、イダ・ピンガラ・スシュムナの3本はよく知られていますが、そのうち最も重要な中央を通るスシュムナが3重層になっていることが示されています。
最外側がスシュムナで、その内側にバジュラナディ、さらにその内側にチトリニナディがあります。
(クンダリニーの経路は7本あり、イニシエーションとの関連において、7段階までの各イニシエーションに1本ずつが対応する、つまり7回[7通りの]クンダリニーが上昇し、第3段階においてはスシュムナ、第4段階はバジュラ、第5段階はチトリニナディが、その経路となる、という説も聞いたことがあります。)
ここで書かれているチャクラの解説では、本山氏の言葉を借りると、
「これらの説明で共通なことは、各チャクラが特有の色、一定の数の花弁と、その上に或る特定のサンスクリットの文字をもち、花弁の内側部分に四角形、三角形、円形等の幾何学的図形の領域をもち、さらにその内側に、各チャクラの原理を表象するマントラ(真言)や動物があり、また、そのチャクラの働き、超能力を示す男神、女神がそれぞれ一定の服を着、一定の姿勢をとり、一定の印を結んでチャクラ内にいる。」
ということで、インドのチャクラ文献に載っている写真を見たことのある人なら記憶がある方が多いと思いますが、伝統的な各チャクラの象徴図の説明が、この本に載っているのです。
象徴図の起源はもっと前に遡るはずですが、この本も伝統的に権威を認められたものであるわけですので、その後に与えた影響は大きいと考えられます。
本山氏はこれらの象徴(図)に関して、「単なる象徴でもないようである」として、その象徴を知らない人が、個人的なチャクラの実体験として、象徴通りのものを体験した例を幾つか挙げています。続いて、
「『シャットチャクラ・ニルーパナ』では、各チャクラが目覚めて顕わとなる各チャクラの働き、神通力、悟りの状態などについて説明しているが、これらも何千年もの間、種々の宗教の修行者によって体験的に確かめられ、達成されてきた内容と一致するものが多い。」
としています。
この本は、これまで紹介してきた本山氏の『密教ヨーガ』と重複する部分が多いものの、『密教ヨーガ』が一般読者を対象とするのに対して、学術書(論文)的色合いの強い本です。
『チャクラ・異次元への接点』の中には、『密教ヨーガ』には含まれていない「シャットチャクラ・ニルーパナにみられるチャクラ、ナディ」「ゴラクシャサタカムに説かれるチャクラの目覚め、効果、超能力について」「リードビーターの説くチャクラ」という3章が含まれていて、現在検討しているテーマにおいてはとても貴重な内容なので、続けて紹介させていただきたいと思います。
(このブログ、かなり研究論文化していて、一般の方はほとんどついて来られなくなっているかと思いますが、現在「チャクラ」に興味をもたれている方は急激に増えているのに対し、重要でなおかつ危険なこのテーマに関する信頼できる情報があまりに乏しく、しかも質が低下している状況にあるため、真剣に学ぼうという志のある方に探究の道筋を示すことは意義があると思い、書き続けています。)
今日は、『シャットチャクラ・ニルーパナ』(Shat-Chakra-Nirupana)という文献からの紹介です。この本、ご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、本山氏によると、ベンガル地方出身のプールナーナンダというタントラ・ヨーガのグルによって1577年に編纂されたという記録があるようです。
「チャクラ、ナディについて書かれてある本としては最も優れたものの一つであることが多くの学者、研究家によって認められている。」とも記されています。
博氏のご子息、一博氏によれば、邦訳はないようなので、チャクラ・ナディに関して「この本に載せられている英訳からの邦訳は貴重な資料であろう」とのこと。
まず、ナディに関して、チャクラ・クンダリニーの覚醒に関係する主要なナディとして、イダ・ピンガラ・スシュムナの3本はよく知られていますが、そのうち最も重要な中央を通るスシュムナが3重層になっていることが示されています。
最外側がスシュムナで、その内側にバジュラナディ、さらにその内側にチトリニナディがあります。
(クンダリニーの経路は7本あり、イニシエーションとの関連において、7段階までの各イニシエーションに1本ずつが対応する、つまり7回[7通りの]クンダリニーが上昇し、第3段階においてはスシュムナ、第4段階はバジュラ、第5段階はチトリニナディが、その経路となる、という説も聞いたことがあります。)
ここで書かれているチャクラの解説では、本山氏の言葉を借りると、
「これらの説明で共通なことは、各チャクラが特有の色、一定の数の花弁と、その上に或る特定のサンスクリットの文字をもち、花弁の内側部分に四角形、三角形、円形等の幾何学的図形の領域をもち、さらにその内側に、各チャクラの原理を表象するマントラ(真言)や動物があり、また、そのチャクラの働き、超能力を示す男神、女神がそれぞれ一定の服を着、一定の姿勢をとり、一定の印を結んでチャクラ内にいる。」
ということで、インドのチャクラ文献に載っている写真を見たことのある人なら記憶がある方が多いと思いますが、伝統的な各チャクラの象徴図の説明が、この本に載っているのです。
象徴図の起源はもっと前に遡るはずですが、この本も伝統的に権威を認められたものであるわけですので、その後に与えた影響は大きいと考えられます。
本山氏はこれらの象徴(図)に関して、「単なる象徴でもないようである」として、その象徴を知らない人が、個人的なチャクラの実体験として、象徴通りのものを体験した例を幾つか挙げています。続いて、
「『シャットチャクラ・ニルーパナ』では、各チャクラが目覚めて顕わとなる各チャクラの働き、神通力、悟りの状態などについて説明しているが、これらも何千年もの間、種々の宗教の修行者によって体験的に確かめられ、達成されてきた内容と一致するものが多い。」
としています。
被災時の子供たちが証明した、教育の可能性
今日の「クローズアップ現代」~「子どもが語る大震災(2)ぼくらは大津波を生きた」、
今見終わったばかりですが、素晴らしい番組でした。
「釜石市沿岸部にある釜石小学校。3月11日、年度末の短縮授業で児童はいつもより早く下校し、家でゲームをしたり、友だちと遊んだりするなど、大人の管理下を離れて自由な時間を過ごしていた。大津波にのまれる町を目撃した親や教師たちは、「子どもたちはもうだめ・・・」と覚悟を決めた。しかし子どもたちは大人の予想をはるかにこえる行動をとっていた。防災学習の知識をいかし自力で安全な場所へ避難。184人の児童は一人の犠牲も出ることなく全員無事だった。さらに、子どもたちは小さな兄弟の手を引いたり、体の不自由な友人をおぶったり、大人に避難をよびかけるなど多くの命を救っていた。番組では当日の避難行動のシミュレーション動画や証言などをもとに、子どもたちがどう巨大津波を生き抜いたのか分析。あの日の体験を生きる力に変え、未来へ向かって進もうとする子どもたちの姿を伝える。」
子供たちにこういう行動を取らせたのは、片田敏孝・群馬大学大学院教授(災害社会工学研究室) の指導に基づく日頃からの防災教育でした。
「津波てんでんこ」という言葉があるようです。
「大きな地震が来たときは、
大きな津波がくるから、
親や家族のことも考えずに、
自分だけでも逃げろ!」
という考え方のようです。
一見、自己中心的、自分さえ助かればいい、という考え方のようにも思われますが、実は逆だというのです。
津波のとき、子供たちがそうやって自分の身を守っていると分かれば、親は子供のことを心配せず、安心して逃げられる。
そういう自立した信頼関係に支えられて、この言葉が成り立つわけです。
逆に、この言葉が、そのような自立した人間関係を形成した、ともいえます。
それを実践で示した素晴らしい事例でした。
教育のもつ凄い力を、改めて感じました。
こういうとき、再放送があればなあ、と思います。
今見終わったばかりですが、素晴らしい番組でした。
「釜石市沿岸部にある釜石小学校。3月11日、年度末の短縮授業で児童はいつもより早く下校し、家でゲームをしたり、友だちと遊んだりするなど、大人の管理下を離れて自由な時間を過ごしていた。大津波にのまれる町を目撃した親や教師たちは、「子どもたちはもうだめ・・・」と覚悟を決めた。しかし子どもたちは大人の予想をはるかにこえる行動をとっていた。防災学習の知識をいかし自力で安全な場所へ避難。184人の児童は一人の犠牲も出ることなく全員無事だった。さらに、子どもたちは小さな兄弟の手を引いたり、体の不自由な友人をおぶったり、大人に避難をよびかけるなど多くの命を救っていた。番組では当日の避難行動のシミュレーション動画や証言などをもとに、子どもたちがどう巨大津波を生き抜いたのか分析。あの日の体験を生きる力に変え、未来へ向かって進もうとする子どもたちの姿を伝える。」
子供たちにこういう行動を取らせたのは、片田敏孝・群馬大学大学院教授(災害社会工学研究室) の指導に基づく日頃からの防災教育でした。
「津波てんでんこ」という言葉があるようです。
「大きな地震が来たときは、
大きな津波がくるから、
親や家族のことも考えずに、
自分だけでも逃げろ!」
という考え方のようです。
一見、自己中心的、自分さえ助かればいい、という考え方のようにも思われますが、実は逆だというのです。
津波のとき、子供たちがそうやって自分の身を守っていると分かれば、親は子供のことを心配せず、安心して逃げられる。
そういう自立した信頼関係に支えられて、この言葉が成り立つわけです。
逆に、この言葉が、そのような自立した人間関係を形成した、ともいえます。
それを実践で示した素晴らしい事例でした。
教育のもつ凄い力を、改めて感じました。
こういうとき、再放送があればなあ、と思います。
チャクラ情報の起源を探る(8)本山博氏の体験より
最初にまず、エソテリック・ヒーリング連続講座の方のご報告とお誘いです。
15日の日曜日に、第4回「チャクラ」の(これまで受講されておらず、この回から)初めて参加される方のための講座を終えました。
アリス・ベイリーの伝えるチャクラの情報は、1月6日の記事にも少し書きましたが、「チャクラを人間レベルに固有の現象として扱うのではなく、エネルギー宇宙論の立場から、 どの存在レベルのエネルギー・ネットワークにも共通する普遍的現象として捉え、現在の人類の平均よりはるかに高い進化レベルの人を主な対象に、(ミクロコ・スモスとマクロ・コスモスの照応を重視して)個人レベルのチャクラと地球レベルのチャクラとの関係なども扱っている」ため、連続参加いただいている方でないと、ちょっとついて来れそうにないものでした。
そのため、ここでご紹介している内容(これから、一般のヒーリングで扱われている“チャクラ”に関しても、紹介を続けて行こうと思っています)を含め、幅広い観点から、「チャクラ」と呼ばれている現象を概観するのにかなりの時間を割きました。
そのための資料作りをした結果、典型的な違いが一目瞭然になり、面白い発見が多々ありました。
さらには、上方のチャクラを活用したエソテリック・ヒーリングの具体的やり方に関しても紹介しましたが、ここでもやはり参加者に一番分かりやすいように資料を用意したところ、思いがけず当日の朝、大きな発見がありました。
これは、エソテリック・ヒーリングの実践における核心的なことで、この資料作りをしなければ、私自身の実力では絶対に発見できなかっただろうな、というようなことで、このテキストの奥深さを改めて認識させられました。
この第4回の「チャクラ」は、全10回くらいのうちで最も実践的なものになると思います。
あと22・23日(日・月)の2回、継続参加者を主対象に行いますが、今回用意した資料はベテランの方まで喜んでもらえるものだと思いますので、それを活用して初めての方でもついて来ていただける絶対お勧めの内容にできるメドがたちました。
まだお申込みでない方も、是非、この機会にご参加ください。
お問合せ・お申込みは、yahuvmh@f4.dion.ne.jp まで。
・・・・・・・・・・・・・・
さて、昨日の続きで、本山博著『密教ヨーガ ~ タントラヨーガの本質と秘法』(宗教心理出版)より、今度は本山氏自身の「私のチャクラに関する体験」を見てみたいと思います。
本山氏は今日、日本以上に欧米やインドを中心に世界的に有名なチャクラに関する科学的研究者です。
(例えば、あの『バイブレーショナル・メディスン』[リチャード・ガーバー著、日本教文社]にも、本山氏の研究がかなりのページにわたって紹介されています。)
ウィキペディアにも「本山博」という項目があるくらいですが、よくご存じない方のために、会長を務められている「国際宗教・超心理学会(IARP)」のHPより、プロフィール紹介の冒頭部を引用させていただきます。
「本山博士は、1962年、デューク大学において、実験超心理学の父、 J.B.ライン博士と一緒に研究され、日本に帰国後、超常能力についての電気生理学的研究を含め、数々の、大変重要な研究を続けられました。
また、博士は、「チャクラが高い意識への掛け橋である」と学問的に定義する上で、大変意味深い貢献をされました。
本山博士は、アメリカ合衆国カリフォルニアに、California lnstitute for HumanScience(CIHS)を、 また、日本に、本山人間科学大学院(MIHS)を創立され、現在は、両大学院の学長をつとめており、著名な教授たちを率い世界的な一流の卒業生たちに講義・研究・学位の指導を行っています。さらに、宗教心理学研究所・本山生命物理研究所の所長も兼務され、日本ホリステイック医学協会顧問、デンタルホリステイック医学協会顧問、日本ストレス学会等の幹事もされています。
本山博士は、近年ますます医学的診断価値が高まっているAMI(本山式経絡臓器機能測定機)という、経絡と内臓の機能状況を、簡単に、瞬時に診断する機械を発明され、このAMIは、アメリカにおいても1976年に特許を取得し、現在は数多くの研究所や大学病院で使われています。
本山博士は、世界各国で講演をされ、また多くの著書を出版されています。 多くの論文が内外で高く評価されており、著書「超感覚的なものとその世界」はユネスコ哲学部門優良図書に推薦されています。
高次の霊覚者でもある本山博は高い学識と深い洞察力を基に、現代科学と東洋思想を統合した視点から、身体・心・魂を研究対象とする新しい科学を確立されつつあります。」
ということで、研究業績・社会的業績も幅広く、量質共に素晴らしいものがあります。したがって、氏のチャクラ理論が世界のチャクラ情報に与えた影響はかなり大きいと考えられます。
そのチャクラ理論は、科学的研究に裏打ちされたものですが、そのような研究を行うことになった背景としてはまず第一に、本山氏自身のチャクラ体験があるわけです。そしてその体験内容は、日本人としては傑出したものだと思われますので、ごく一部ですが紹介させていただきます。
本山氏の「私のチャクラに関する体験」では、脊柱基底のムーラダーラ・チャクラから、下から順に、一つひとつのチャクラの目覚めの実体験が書かれています。
実際に起こった順番は、頭頂のサハスラーラが意外と早かったりして、下から順ということはなかったようですが。
「ムーラダーラ・チャクラの目覚め」から、ちょっと紹介させていただきますと(P195・196)、
「・・・ある朝、いつものようにご神前で行をしているとき、尾てい骨から下腹部がすごく熱くなり、下腹部の中に丸い、赤い、多少黒みがかった光が、熱い白い水蒸気がシュッシュッと漲っている真只中に、爆発寸前の火の玉のようにオドロオドロしく見えました。
すると脊柱を、ものすごい力が頭頂まで突きぬけて、座ったままで自分の肉体が3~5㎝ほど上昇しました。ほんの1~2秒の出来事でしたが、たしかに自分の肉体が持ち上がったのです。非常な驚きと、恐怖と戦慄を感じました。
身体中、頭中が熱くなって、その日は頭痛がして何もできませんでした。二、三日は身体が熱かったように思います。また、頭頂や頭内にエネルギーがつまった感じがして、自然に頭頂のブラフマンの門のあたりを叩きました。叩くと、いくらか気分がよくなったのです。
これが最初のクンダリニーの上昇体験だったのです。クンダリニーそのものが、サハスララチャクラまで上がったというより、クンダリニーのシャクティ(性力)エネルギーが、スシュムナを頭頂まで突き抜けたのです。・・・」
普通、これだけの体験をすると、「私はクンダリニーが上がって、覚醒し、さとった」といってそれにあぐらをかくのですが、本山氏の場合は、謙虚というか客観的というか、それ以上に、そういった神秘的な体験が次々に訪れたので、他の体験との相対的関係から、このように位置づけることが可能になったのだと思います。
最初に書いた、「サハスラーラが意外と早かった」というのも、最初の動き出し、神秘体験(アストラル・プロジェクション=幽体離脱)が早かったということで、その後、より深い体験が続いているようです。
昨日紹介した、アナハタとヒーリングに関連しては、「この信仰治療の能力は、アナハタチャクラが目覚めてから、はっきりしたように思います。」(P202)とあり、さらに(P204)、
「アナハタが目覚めてくると、自分の心霊的な力、微細身(幽体)が、他の人間の身体に入ってその病気を治したり、身体をコントロールできるのを経験します。
また、自分の存在が拡がり、その中に他の人々や物が入ってきて、そこで生きたり働いたり、存在することができます。信仰治療の対象となる人を、自分の存在の中に包摂してしまうような感じです。」
と書かれています。本山氏の語る信仰治療は、アリス・ベイリーでは放射治療の範疇に入るもののような感じがしますね、しかも、かなりレベルの高い。
ですから、本山氏のいわれているチャクラの目覚めというのは、(最近人気の高いヒーラーのレベルとは全然違い)アリス・ベイリーのいうチャクラの開花と近い水準であることが推測できます。
ただ、こういったものを読んで、「そうか、チャクラを開いたらそんなことができるようになるのか!」とチャクラ開発に燃えるようなことのないようにしてください。チャクラを開いていくためには、まずは日常生活を清浄なものにし、自我を捨てて他人や社会に奉仕することが、一番いい方法だと、アリス・ベイリーでは書かれています。
そうしたときに、一番適切な順序で、自然にチャクラが開花していくと言われています。それは、今生では訪れないかもしれませんが、ゆっくりとそのプロセスを味わい楽しむのが、ベストです。
あと一つ、アジュナ・チャクラについて書かれたものを紹介しておきますと(P208)、
「私のさまざまな科学的研究の発端は、アジナへの瞑想のときに得られた、この知恵なのです。その知恵の内容を、科学的にできるだけ明らかにして、一般の人たちに理解してもらえるようにするのが、私の仕事の一部です。したがって、物理的次元の現象の研究を積み重ねて、統合的、科学的真理を見出す一般の帰納的方法とちがって、私の場合は、アジナへの瞑想によって得た知識を、科学的方法を使って、物理的次元の世界で演繹的に明らかにしてゆくのです。」
本山氏の卓越した業績を見れば、この内容も素直にうなずけます。
15日の日曜日に、第4回「チャクラ」の(これまで受講されておらず、この回から)初めて参加される方のための講座を終えました。
アリス・ベイリーの伝えるチャクラの情報は、1月6日の記事にも少し書きましたが、「チャクラを人間レベルに固有の現象として扱うのではなく、エネルギー宇宙論の立場から、 どの存在レベルのエネルギー・ネットワークにも共通する普遍的現象として捉え、現在の人類の平均よりはるかに高い進化レベルの人を主な対象に、(ミクロコ・スモスとマクロ・コスモスの照応を重視して)個人レベルのチャクラと地球レベルのチャクラとの関係なども扱っている」ため、連続参加いただいている方でないと、ちょっとついて来れそうにないものでした。
そのため、ここでご紹介している内容(これから、一般のヒーリングで扱われている“チャクラ”に関しても、紹介を続けて行こうと思っています)を含め、幅広い観点から、「チャクラ」と呼ばれている現象を概観するのにかなりの時間を割きました。
そのための資料作りをした結果、典型的な違いが一目瞭然になり、面白い発見が多々ありました。
さらには、上方のチャクラを活用したエソテリック・ヒーリングの具体的やり方に関しても紹介しましたが、ここでもやはり参加者に一番分かりやすいように資料を用意したところ、思いがけず当日の朝、大きな発見がありました。
これは、エソテリック・ヒーリングの実践における核心的なことで、この資料作りをしなければ、私自身の実力では絶対に発見できなかっただろうな、というようなことで、このテキストの奥深さを改めて認識させられました。
この第4回の「チャクラ」は、全10回くらいのうちで最も実践的なものになると思います。
あと22・23日(日・月)の2回、継続参加者を主対象に行いますが、今回用意した資料はベテランの方まで喜んでもらえるものだと思いますので、それを活用して初めての方でもついて来ていただける絶対お勧めの内容にできるメドがたちました。
まだお申込みでない方も、是非、この機会にご参加ください。
お問合せ・お申込みは、yahuvmh@f4.dion.ne.jp まで。
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さて、昨日の続きで、本山博著『密教ヨーガ ~ タントラヨーガの本質と秘法』(宗教心理出版)より、今度は本山氏自身の「私のチャクラに関する体験」を見てみたいと思います。
本山氏は今日、日本以上に欧米やインドを中心に世界的に有名なチャクラに関する科学的研究者です。
(例えば、あの『バイブレーショナル・メディスン』[リチャード・ガーバー著、日本教文社]にも、本山氏の研究がかなりのページにわたって紹介されています。)
ウィキペディアにも「本山博」という項目があるくらいですが、よくご存じない方のために、会長を務められている「国際宗教・超心理学会(IARP)」のHPより、プロフィール紹介の冒頭部を引用させていただきます。
「本山博士は、1962年、デューク大学において、実験超心理学の父、 J.B.ライン博士と一緒に研究され、日本に帰国後、超常能力についての電気生理学的研究を含め、数々の、大変重要な研究を続けられました。
また、博士は、「チャクラが高い意識への掛け橋である」と学問的に定義する上で、大変意味深い貢献をされました。
本山博士は、アメリカ合衆国カリフォルニアに、California lnstitute for HumanScience(CIHS)を、 また、日本に、本山人間科学大学院(MIHS)を創立され、現在は、両大学院の学長をつとめており、著名な教授たちを率い世界的な一流の卒業生たちに講義・研究・学位の指導を行っています。さらに、宗教心理学研究所・本山生命物理研究所の所長も兼務され、日本ホリステイック医学協会顧問、デンタルホリステイック医学協会顧問、日本ストレス学会等の幹事もされています。
本山博士は、近年ますます医学的診断価値が高まっているAMI(本山式経絡臓器機能測定機)という、経絡と内臓の機能状況を、簡単に、瞬時に診断する機械を発明され、このAMIは、アメリカにおいても1976年に特許を取得し、現在は数多くの研究所や大学病院で使われています。
本山博士は、世界各国で講演をされ、また多くの著書を出版されています。 多くの論文が内外で高く評価されており、著書「超感覚的なものとその世界」はユネスコ哲学部門優良図書に推薦されています。
高次の霊覚者でもある本山博は高い学識と深い洞察力を基に、現代科学と東洋思想を統合した視点から、身体・心・魂を研究対象とする新しい科学を確立されつつあります。」
ということで、研究業績・社会的業績も幅広く、量質共に素晴らしいものがあります。したがって、氏のチャクラ理論が世界のチャクラ情報に与えた影響はかなり大きいと考えられます。
そのチャクラ理論は、科学的研究に裏打ちされたものですが、そのような研究を行うことになった背景としてはまず第一に、本山氏自身のチャクラ体験があるわけです。そしてその体験内容は、日本人としては傑出したものだと思われますので、ごく一部ですが紹介させていただきます。
本山氏の「私のチャクラに関する体験」では、脊柱基底のムーラダーラ・チャクラから、下から順に、一つひとつのチャクラの目覚めの実体験が書かれています。
実際に起こった順番は、頭頂のサハスラーラが意外と早かったりして、下から順ということはなかったようですが。
「ムーラダーラ・チャクラの目覚め」から、ちょっと紹介させていただきますと(P195・196)、
「・・・ある朝、いつものようにご神前で行をしているとき、尾てい骨から下腹部がすごく熱くなり、下腹部の中に丸い、赤い、多少黒みがかった光が、熱い白い水蒸気がシュッシュッと漲っている真只中に、爆発寸前の火の玉のようにオドロオドロしく見えました。
すると脊柱を、ものすごい力が頭頂まで突きぬけて、座ったままで自分の肉体が3~5㎝ほど上昇しました。ほんの1~2秒の出来事でしたが、たしかに自分の肉体が持ち上がったのです。非常な驚きと、恐怖と戦慄を感じました。
身体中、頭中が熱くなって、その日は頭痛がして何もできませんでした。二、三日は身体が熱かったように思います。また、頭頂や頭内にエネルギーがつまった感じがして、自然に頭頂のブラフマンの門のあたりを叩きました。叩くと、いくらか気分がよくなったのです。
これが最初のクンダリニーの上昇体験だったのです。クンダリニーそのものが、サハスララチャクラまで上がったというより、クンダリニーのシャクティ(性力)エネルギーが、スシュムナを頭頂まで突き抜けたのです。・・・」
普通、これだけの体験をすると、「私はクンダリニーが上がって、覚醒し、さとった」といってそれにあぐらをかくのですが、本山氏の場合は、謙虚というか客観的というか、それ以上に、そういった神秘的な体験が次々に訪れたので、他の体験との相対的関係から、このように位置づけることが可能になったのだと思います。
最初に書いた、「サハスラーラが意外と早かった」というのも、最初の動き出し、神秘体験(アストラル・プロジェクション=幽体離脱)が早かったということで、その後、より深い体験が続いているようです。
昨日紹介した、アナハタとヒーリングに関連しては、「この信仰治療の能力は、アナハタチャクラが目覚めてから、はっきりしたように思います。」(P202)とあり、さらに(P204)、
「アナハタが目覚めてくると、自分の心霊的な力、微細身(幽体)が、他の人間の身体に入ってその病気を治したり、身体をコントロールできるのを経験します。
また、自分の存在が拡がり、その中に他の人々や物が入ってきて、そこで生きたり働いたり、存在することができます。信仰治療の対象となる人を、自分の存在の中に包摂してしまうような感じです。」
と書かれています。本山氏の語る信仰治療は、アリス・ベイリーでは放射治療の範疇に入るもののような感じがしますね、しかも、かなりレベルの高い。
ですから、本山氏のいわれているチャクラの目覚めというのは、(最近人気の高いヒーラーのレベルとは全然違い)アリス・ベイリーのいうチャクラの開花と近い水準であることが推測できます。
ただ、こういったものを読んで、「そうか、チャクラを開いたらそんなことができるようになるのか!」とチャクラ開発に燃えるようなことのないようにしてください。チャクラを開いていくためには、まずは日常生活を清浄なものにし、自我を捨てて他人や社会に奉仕することが、一番いい方法だと、アリス・ベイリーでは書かれています。
そうしたときに、一番適切な順序で、自然にチャクラが開花していくと言われています。それは、今生では訪れないかもしれませんが、ゆっくりとそのプロセスを味わい楽しむのが、ベストです。
あと一つ、アジュナ・チャクラについて書かれたものを紹介しておきますと(P208)、
「私のさまざまな科学的研究の発端は、アジナへの瞑想のときに得られた、この知恵なのです。その知恵の内容を、科学的にできるだけ明らかにして、一般の人たちに理解してもらえるようにするのが、私の仕事の一部です。したがって、物理的次元の現象の研究を積み重ねて、統合的、科学的真理を見出す一般の帰納的方法とちがって、私の場合は、アジナへの瞑想によって得た知識を、科学的方法を使って、物理的次元の世界で演繹的に明らかにしてゆくのです。」
本山氏の卓越した業績を見れば、この内容も素直にうなずけます。
チャクラ情報の起源を探る(7)タントラ・ヨーガより――その2
チャクラ情報の起源を探る(7)タントラ・ヨーガより――その2
「サッチャナンダの説くチャクラ」の具体論に、移りたいと思いますが、その前に、タントラ・ヨーガについて昨日検索して気になったことを、ちょっと書いておきます。
まず、クンダリーニ・ヨガとの関係ですが、タントラ・ヨガと同義語とされているものと、その一部とされているものがありました。
タントラ・ヨガが成立するメカニズムをエネルギー・システム的に見ると、すべてクンダリーニ・ヨガと同じことが起きているけれども、それを起こすのに、チャクラ(やクンダリニーのみ)を明確に意識して行うか、その他の要素を入れるかどうかでバリエーションが生まれ、その後者をクンダリーニ・ヨガと表現するか否かで、言語表現的違いが出ているのではないか、という気がしました。
また、タントラで一番問題になるのが、性的な問題ですが、アリス・ベイリーにはどう書かれているかというと、「ハイアラーキーが性魔術を推奨することは、あり得ない」ということです。
これは、条件が整ったときに、性的な手法の霊的進化を促進する効果を必ずしも否定しているのではないと思いますが、さらに広く見ると、過剰な腹式呼吸や身体運動なども、意識を横隔膜よりも下のチャクラに固定させてしまうので推奨されておらず、それらよりはるかに強力に意識を横隔膜よりも下に固定させる作用があると思われる性的手法は勧められない、というように捉えたらいいのではないかと思います。
本山氏が紹介している「タントラヨーガ」は、ほぼクンダリーニ・ヨガだと思われ、性的な香りはまったくありません。
では、具体論の解説を見ていきましょう。
本山氏は、まず眉間の「アジュナ・チャクラ」から、紹介を始めています。それは、サッチャナンダによると、
「アジナチャクラの目覚めはカルマを解くので、弟子たちがカルマに巻き込まれるのを防ぐことができるから」(P159)だということです。
「アジナに精神集中すると、イダ、ピンガラ、スシュムナの三つの偉大な力に触れて、心は大きな変化を経験し、また浄化されます。心が浄化されると、他のチャクラに精神集中を始めても、問題が生じません。というのは、アジナ以外の書くチャクラは、それぞれ異なったカルマを温存していて、特にムーラダーラの中にはカルマのすべてが含まれているといわれるほどです。」(P161)
そのため、アジナを先に目覚ませておけば、クンダリーニが動き出したときに安全だ、ということですが、これに関してはいずれにしろ危険が伴い、アリス・ベイリーの中では、チャクラに意識を集めるクンダリーニ・ヨガのやり方は(現代の一般社会において)推奨されていませんので、これに関する部分はここでは触れないようにしようと思います。
しかし、アジナチャクラにそういう力があるのでしたら、目覚めさせたいところではあるので、そのための方法で私としてお薦めなのが、「大祈願」や「ガヤトリー・マントラ」を唱える方法です。こうすれば自然に、アジナチャクラに意識が集中し、浄化されます。
このアジナというのは、「命令」という意味ですが、これに関しては、
「アジナに精神集中し、情に達すると、しばらくの間、自我の意識が働かなくなり、自分という意識がうすらいで、消えていきます。そのとき、アジナチャクラで、内なるグルの声が聞こえ、命令が与えられます。・・・
内なるグルの声が聞こえるようになると、自分の外のグル(守護神)の声も、このアジナチャクラで聞かれるようになるのです。」(P161)
アジナチャクラの次からは、一番下の脊椎基底=ムーラダーラからアジナの一つ下のヴィシュダまで、順に紹介があります。
最近よく見かけるヒーリングなどでのチャクラの説明との違いは、上記のアジナに見られるのと同様、ナディやクンダリニーに関連するメカニズムや、カルマや進化に関連する話、さらにインドで伝統的に語られてきた象徴や超能力についての話題が多く、それゆえ深さと視野の広さを感じさせる点です。
各チャクラについて、言葉の意味の説明だけでも、追ってみていきましょう。
「ムーラダーラ」:「ムーラ」は「根」、根源質料「ムーラプラクリティ」につながり、「アドハーラ」は「基礎」
「スワディスタナ」:「自分自身の住居」。クンダリニーはもとはここにあったものが降下して基底に移ったという
「マニプラ」:「マニ」は「町」、「プラ」は「宝石」。目覚めると、下位の2つより高貴な輝きを発する
「アナハタ」:「止まることがない」。非物理的・超越的次元の始めも終わりもない音が聞かれる。(心臓の働き)
「ヴィシュディ」:「シュディ」は「浄める」。毒を浄化する。
なお、「サハスラーラ」に関しては、触れられていません。
クンダリニーが上昇した結果として(第3段階のイニシエーションの後)、はじめて機能的活動に入るため[『秘教治療』(上)P182]、タントラヨーガ≒クンダリニー・ヨガでは、述べる必要がない、ということでしょうか。
あと一つ、『秘教治療』との関連でおもしろかったのは、
「アナハタの目覚めた人は、手を病人に当ててプラナを送り込み、病気を治す能力も与えられるのです。」
という、“磁力ヒーリング”に対応する記述があったことです(P184)。
「サッチャナンダの説くチャクラ」の具体論に、移りたいと思いますが、その前に、タントラ・ヨーガについて昨日検索して気になったことを、ちょっと書いておきます。
まず、クンダリーニ・ヨガとの関係ですが、タントラ・ヨガと同義語とされているものと、その一部とされているものがありました。
タントラ・ヨガが成立するメカニズムをエネルギー・システム的に見ると、すべてクンダリーニ・ヨガと同じことが起きているけれども、それを起こすのに、チャクラ(やクンダリニーのみ)を明確に意識して行うか、その他の要素を入れるかどうかでバリエーションが生まれ、その後者をクンダリーニ・ヨガと表現するか否かで、言語表現的違いが出ているのではないか、という気がしました。
また、タントラで一番問題になるのが、性的な問題ですが、アリス・ベイリーにはどう書かれているかというと、「ハイアラーキーが性魔術を推奨することは、あり得ない」ということです。
これは、条件が整ったときに、性的な手法の霊的進化を促進する効果を必ずしも否定しているのではないと思いますが、さらに広く見ると、過剰な腹式呼吸や身体運動なども、意識を横隔膜よりも下のチャクラに固定させてしまうので推奨されておらず、それらよりはるかに強力に意識を横隔膜よりも下に固定させる作用があると思われる性的手法は勧められない、というように捉えたらいいのではないかと思います。
本山氏が紹介している「タントラヨーガ」は、ほぼクンダリーニ・ヨガだと思われ、性的な香りはまったくありません。
では、具体論の解説を見ていきましょう。
本山氏は、まず眉間の「アジュナ・チャクラ」から、紹介を始めています。それは、サッチャナンダによると、
「アジナチャクラの目覚めはカルマを解くので、弟子たちがカルマに巻き込まれるのを防ぐことができるから」(P159)だということです。
「アジナに精神集中すると、イダ、ピンガラ、スシュムナの三つの偉大な力に触れて、心は大きな変化を経験し、また浄化されます。心が浄化されると、他のチャクラに精神集中を始めても、問題が生じません。というのは、アジナ以外の書くチャクラは、それぞれ異なったカルマを温存していて、特にムーラダーラの中にはカルマのすべてが含まれているといわれるほどです。」(P161)
そのため、アジナを先に目覚ませておけば、クンダリーニが動き出したときに安全だ、ということですが、これに関してはいずれにしろ危険が伴い、アリス・ベイリーの中では、チャクラに意識を集めるクンダリーニ・ヨガのやり方は(現代の一般社会において)推奨されていませんので、これに関する部分はここでは触れないようにしようと思います。
しかし、アジナチャクラにそういう力があるのでしたら、目覚めさせたいところではあるので、そのための方法で私としてお薦めなのが、「大祈願」や「ガヤトリー・マントラ」を唱える方法です。こうすれば自然に、アジナチャクラに意識が集中し、浄化されます。
このアジナというのは、「命令」という意味ですが、これに関しては、
「アジナに精神集中し、情に達すると、しばらくの間、自我の意識が働かなくなり、自分という意識がうすらいで、消えていきます。そのとき、アジナチャクラで、内なるグルの声が聞こえ、命令が与えられます。・・・
内なるグルの声が聞こえるようになると、自分の外のグル(守護神)の声も、このアジナチャクラで聞かれるようになるのです。」(P161)
アジナチャクラの次からは、一番下の脊椎基底=ムーラダーラからアジナの一つ下のヴィシュダまで、順に紹介があります。
最近よく見かけるヒーリングなどでのチャクラの説明との違いは、上記のアジナに見られるのと同様、ナディやクンダリニーに関連するメカニズムや、カルマや進化に関連する話、さらにインドで伝統的に語られてきた象徴や超能力についての話題が多く、それゆえ深さと視野の広さを感じさせる点です。
各チャクラについて、言葉の意味の説明だけでも、追ってみていきましょう。
「ムーラダーラ」:「ムーラ」は「根」、根源質料「ムーラプラクリティ」につながり、「アドハーラ」は「基礎」
「スワディスタナ」:「自分自身の住居」。クンダリニーはもとはここにあったものが降下して基底に移ったという
「マニプラ」:「マニ」は「町」、「プラ」は「宝石」。目覚めると、下位の2つより高貴な輝きを発する
「アナハタ」:「止まることがない」。非物理的・超越的次元の始めも終わりもない音が聞かれる。(心臓の働き)
「ヴィシュディ」:「シュディ」は「浄める」。毒を浄化する。
なお、「サハスラーラ」に関しては、触れられていません。
クンダリニーが上昇した結果として(第3段階のイニシエーションの後)、はじめて機能的活動に入るため[『秘教治療』(上)P182]、タントラヨーガ≒クンダリニー・ヨガでは、述べる必要がない、ということでしょうか。
あと一つ、『秘教治療』との関連でおもしろかったのは、
「アナハタの目覚めた人は、手を病人に当ててプラナを送り込み、病気を治す能力も与えられるのです。」
という、“磁力ヒーリング”に対応する記述があったことです(P184)。
チャクラ情報の起源を探る(6)タントラ・ヨーガより――その1
昨日ご紹介した本山博著『密教ヨーガ ~ タントラヨーガの本質と秘法』(宗教心理出版)より、続けて、「サッチャナンダの説くチャクラ、ナディ」を紹介させていただきます。
本山博氏は、サッチャナンダ氏のことを、「現代インドのタントラヨーガの代表的グルの一人である」(P3)と紹介しています。
氏による「タントラヨーガ」の説明をちょっとしておきますと(P12)、
「タントラヨーガは、まさしく、ヨーガにおける密教の部分」
ということです。(*1:一般的な定義に近いものを、下に引用します。)
では、「密教」は何かというと、その対立概念「顕教」と陰陽の関係にあり、
「顕教は人間のための宗教、密教は神仏のための宗教」
という面白い説明がなされています。また、
顕教は、「神、仏、絶対者を、常にこの世、つまり形のある世界とのつながりでとらえ、神様も仏様も、私たちに分かりやすい形をとって顕われます。」また、「この世が中心となって、この世とかかわり、この世を救ってくださる神様や仏様に対する信仰であり、宗教です。」
それに対して密教は、「人間が、人間であることをやめて神様となり、仏様となっていく、つまり神仏と合一するところにその本来の目的があります。そのために、密教では、人間が人間以上のものに進化向上していく行法と道程を、弟子たちに厳しく教えます。」
ということで、
キリスト教における顕教はプロテスタント、密教は、カトリックの秘蹟に属する部分、
仏教では、浄土宗・真宗などが顕教、真言宗が密教、
ヨーガでは、顕教は身体の訓練を主とするハタヨーガ・クリヤヨーガ、密教がタントラヨーガ
とされています。
それでは、「サッチャナンダの説くチャクラ」の紹介に移ります。
サッチャナンダは、チャクラ開発の目的を、「人類の進化向上にある」としています。(*2)
普通であれば、何回もの転生を繰り返し数百万年かかる進化の過程を、チャクラ開発を通して一気に安全に短縮することができるからです。
ではなぜそんなに短縮できるのかというと、人間の脳内の多くの中枢はまだまどろみの状態にありますが、それらはチャクラに対応しており、チャクラを覚醒することによって、脳内の中枢が活性化してくるからだというのです。
(*2:本山氏自身はこの本の出版を意図されたことに関して、
「現代が物質的世界から霊的世界への移行期にあたる時期のように思われるのです。
この移行期において、人類の内から霊的進化を達成しようとする人、あるいは達成した人が多数あらわれることは、私たちの願いであり、宇宙の歩みにも沿った快挙といえるでしょう。これが、この本を執筆した動機であり、目標なのです。」
と書かれています[P2]。やはり、大きな視野に基づく先見の明、志が感じられますね。もうご高齢になられていますが、その志を受けついでいかなければいけないと思います。)
前提を書いたら、長くなってしまったし、タントラに関する一般的説明を他で見ておきたいので、チャクラの具体的内容は、明日ということで。
・・・・・・・・・・・・・・・
(*1)
タントラを、ウィキペディアで見ると、
タントラ(?????? Tantra)とは織物を意味するサンスクリットで、インドに古くから伝わる宗教の聖典(経典)のこと。さらには実践行法に関する規則、神を祀る次第や具体的方法も含む。タントラの考えはヒンドゥー教、ボン教、仏教、ジャイナ教に共通して存在する。タントラはいろいろな形で南アジア、チベット、モンゴル、中国、韓国、日本、カンボジア、ミャンマー、インドネシアに伝わった 。
☆インド密教:8世紀、ブッダグヒヤは大日経の解説書である『大日経広釈』の中で、タントラを所作、行、ヨーガの3種に分類している。また、10世紀に成立したと考えられる『智金剛集タントラ』においては大ヨーガ、両、行、所作、儀軌の5つに分類している。
また、11世紀には後にチベットに訪れたアティーシャが所作、行、儀軌、両、ヨーガ、大ヨーガ、無上ヨーガの7種に分類している。この分類はインドの経典においては最も一般的なものであるが、他にもさまざまな分類が乱立しており、学者の間で統一された分類というものはない。
☆チベット密教:チベット密教では、タントラを所作(bya ba; kriya)、行(spyod pa; carya)、ヨーガ(rnal 'byor; yoga)、無上ヨーガ(rnal 'byor bla med; anuttarayoga)の4種に分けている。これは歴史の中で少しずつ作られていったものであるので、なぜこの4種なのか、という点に関しては宗派により異なっている。
その他、「タントラ」で検索すると、怪しげなものがたくさん出てきますが、この「インド流」
http://www.indoryu.com/tantra/tantra.html
というページは、比較的信頼できそうです。
タントラ(”TAN”はサンスクリット語で”広がる”の意味)とは”知識の拡大”または”限られた個の存在から無限の宇宙的存在へと成長するための道具(手法)”ということを表します。
タントラは人生のすべての面についての知恵を含みます。
例えば、タントラには”バストゥ”という場とエネルギーの環境についての知恵がありますが、これは私達一人ひとりが存在するために必要不可欠な現象です。また”アーユルベーダ”は健康な調和の取れた生き方について、”ヤマニヤマ(精神的な生き方に関するきまり)”は私達のネガティブな自分を不幸に不自由にしてしまう習慣やパターンから自由になりポジティブな成長をもたらし幸せになるための生き方を身につける知恵です。”アサナ”は身体に宿るエネルギーを呼び覚まし調和をもたらすために、”プラナーヤマ(呼吸法)”は呼吸を通して陰陽のプラナのバランスと調和をとり、”バンダ”や”ムドラ”ではエネルギーの流れを調整し、”マントラ”は音の波動により宇宙エネルギーを活用するために、そして”瞑想法”により精神を統一しバランスと芯の通った精神を育てるのに役立つ手法(=タントラ)です。
タントラの教えの特徴は、体や感覚を抑圧するのではなく、タントラのさまざまな手法である芸術※(絵画、音楽、舞踊、文学など)で身体や感覚、感情など人間のさまざまな次元に働きかけ、”共鳴(レゾナンス)”の力で(ネガティブなものは)浄化、昇華させることで瞑想や超越自我を体験し、さらには異性との関わりの力(性エネルギー)を昇華させることで究極の陰陽調和の体験、サマディへと導くものです。
タントラには何の制限もありません。どんな社会的地位の人でも、年齢も性別も関係なく行うことができます。
人にはそれぞれ学びの限界がありますが、その唯一の障害は”無知”です。
タントラでは人間は一人ひとりが宇宙全体の縮図であるととらえています。
ですから、自分を知ることは宇宙を、この世すべてを知ることになるのです。
具体的にはエネルギーセンターとしてのチャクラを自分の中に見つけ、またそこに宿る生命エネルギー、クンダリーニを目覚めさせることでタントラのゴールであるサマディ(悟り、自己実現)を体験することが可能になります。
文章:スワミ・アムリット・マハメダ (訳:hansini)
本山博氏は、サッチャナンダ氏のことを、「現代インドのタントラヨーガの代表的グルの一人である」(P3)と紹介しています。
氏による「タントラヨーガ」の説明をちょっとしておきますと(P12)、
「タントラヨーガは、まさしく、ヨーガにおける密教の部分」
ということです。(*1:一般的な定義に近いものを、下に引用します。)
では、「密教」は何かというと、その対立概念「顕教」と陰陽の関係にあり、
「顕教は人間のための宗教、密教は神仏のための宗教」
という面白い説明がなされています。また、
顕教は、「神、仏、絶対者を、常にこの世、つまり形のある世界とのつながりでとらえ、神様も仏様も、私たちに分かりやすい形をとって顕われます。」また、「この世が中心となって、この世とかかわり、この世を救ってくださる神様や仏様に対する信仰であり、宗教です。」
それに対して密教は、「人間が、人間であることをやめて神様となり、仏様となっていく、つまり神仏と合一するところにその本来の目的があります。そのために、密教では、人間が人間以上のものに進化向上していく行法と道程を、弟子たちに厳しく教えます。」
ということで、
キリスト教における顕教はプロテスタント、密教は、カトリックの秘蹟に属する部分、
仏教では、浄土宗・真宗などが顕教、真言宗が密教、
ヨーガでは、顕教は身体の訓練を主とするハタヨーガ・クリヤヨーガ、密教がタントラヨーガ
とされています。
それでは、「サッチャナンダの説くチャクラ」の紹介に移ります。
サッチャナンダは、チャクラ開発の目的を、「人類の進化向上にある」としています。(*2)
普通であれば、何回もの転生を繰り返し数百万年かかる進化の過程を、チャクラ開発を通して一気に安全に短縮することができるからです。
ではなぜそんなに短縮できるのかというと、人間の脳内の多くの中枢はまだまどろみの状態にありますが、それらはチャクラに対応しており、チャクラを覚醒することによって、脳内の中枢が活性化してくるからだというのです。
(*2:本山氏自身はこの本の出版を意図されたことに関して、
「現代が物質的世界から霊的世界への移行期にあたる時期のように思われるのです。
この移行期において、人類の内から霊的進化を達成しようとする人、あるいは達成した人が多数あらわれることは、私たちの願いであり、宇宙の歩みにも沿った快挙といえるでしょう。これが、この本を執筆した動機であり、目標なのです。」
と書かれています[P2]。やはり、大きな視野に基づく先見の明、志が感じられますね。もうご高齢になられていますが、その志を受けついでいかなければいけないと思います。)
前提を書いたら、長くなってしまったし、タントラに関する一般的説明を他で見ておきたいので、チャクラの具体的内容は、明日ということで。
・・・・・・・・・・・・・・・
(*1)
タントラを、ウィキペディアで見ると、
タントラ(?????? Tantra)とは織物を意味するサンスクリットで、インドに古くから伝わる宗教の聖典(経典)のこと。さらには実践行法に関する規則、神を祀る次第や具体的方法も含む。タントラの考えはヒンドゥー教、ボン教、仏教、ジャイナ教に共通して存在する。タントラはいろいろな形で南アジア、チベット、モンゴル、中国、韓国、日本、カンボジア、ミャンマー、インドネシアに伝わった 。
☆インド密教:8世紀、ブッダグヒヤは大日経の解説書である『大日経広釈』の中で、タントラを所作、行、ヨーガの3種に分類している。また、10世紀に成立したと考えられる『智金剛集タントラ』においては大ヨーガ、両、行、所作、儀軌の5つに分類している。
また、11世紀には後にチベットに訪れたアティーシャが所作、行、儀軌、両、ヨーガ、大ヨーガ、無上ヨーガの7種に分類している。この分類はインドの経典においては最も一般的なものであるが、他にもさまざまな分類が乱立しており、学者の間で統一された分類というものはない。
☆チベット密教:チベット密教では、タントラを所作(bya ba; kriya)、行(spyod pa; carya)、ヨーガ(rnal 'byor; yoga)、無上ヨーガ(rnal 'byor bla med; anuttarayoga)の4種に分けている。これは歴史の中で少しずつ作られていったものであるので、なぜこの4種なのか、という点に関しては宗派により異なっている。
その他、「タントラ」で検索すると、怪しげなものがたくさん出てきますが、この「インド流」
http://www.indoryu.com/tantra/tantra.html
というページは、比較的信頼できそうです。
タントラ(”TAN”はサンスクリット語で”広がる”の意味)とは”知識の拡大”または”限られた個の存在から無限の宇宙的存在へと成長するための道具(手法)”ということを表します。
タントラは人生のすべての面についての知恵を含みます。
例えば、タントラには”バストゥ”という場とエネルギーの環境についての知恵がありますが、これは私達一人ひとりが存在するために必要不可欠な現象です。また”アーユルベーダ”は健康な調和の取れた生き方について、”ヤマニヤマ(精神的な生き方に関するきまり)”は私達のネガティブな自分を不幸に不自由にしてしまう習慣やパターンから自由になりポジティブな成長をもたらし幸せになるための生き方を身につける知恵です。”アサナ”は身体に宿るエネルギーを呼び覚まし調和をもたらすために、”プラナーヤマ(呼吸法)”は呼吸を通して陰陽のプラナのバランスと調和をとり、”バンダ”や”ムドラ”ではエネルギーの流れを調整し、”マントラ”は音の波動により宇宙エネルギーを活用するために、そして”瞑想法”により精神を統一しバランスと芯の通った精神を育てるのに役立つ手法(=タントラ)です。
タントラの教えの特徴は、体や感覚を抑圧するのではなく、タントラのさまざまな手法である芸術※(絵画、音楽、舞踊、文学など)で身体や感覚、感情など人間のさまざまな次元に働きかけ、”共鳴(レゾナンス)”の力で(ネガティブなものは)浄化、昇華させることで瞑想や超越自我を体験し、さらには異性との関わりの力(性エネルギー)を昇華させることで究極の陰陽調和の体験、サマディへと導くものです。
タントラには何の制限もありません。どんな社会的地位の人でも、年齢も性別も関係なく行うことができます。
人にはそれぞれ学びの限界がありますが、その唯一の障害は”無知”です。
タントラでは人間は一人ひとりが宇宙全体の縮図であるととらえています。
ですから、自分を知ることは宇宙を、この世すべてを知ることになるのです。
具体的にはエネルギーセンターとしてのチャクラを自分の中に見つけ、またそこに宿る生命エネルギー、クンダリーニを目覚めさせることでタントラのゴールであるサマディ(悟り、自己実現)を体験することが可能になります。
文章:スワミ・アムリット・マハメダ (訳:hansini)
チャクラ情報の起源を探る(5)「ウパニシャット」より
このシリーズの「(3)ウィキペディアより」の中に、
「古代のヒンドゥー教のヨーガでは、脊髄のチャクラが『チャクラ』とされてきた。 ・・・
6-7世紀以降、タントラ教典が編纂された後の近代のヨーガでは、神経叢のチャクラについて言及するようになった。 」
という文章がありました。
昨日みたように、アリス・ベイリーの『魂の光』(スートラの訳はジュワルクール大師、解説はアリス・ベイリーが書いたものに大師が加筆しているとのこと)によれば、『ヨーガ・スートラ』は脊髄のチャクラをもとに展開されていると推測されます。
これに関してもう少し情報を集めてみたいと思います。
(1)で取り上げたリードビーター著『チャクラ』の訳者の一人、本山博氏は、チャクラの厳密な自然科学的研究に初めて着手した権威として世界的に著名です(欧米の先端医療・ヒーリングの本などには、よく名前が出てくるのですが、日本ではほとんど取りあげられない、という不思議現象がここにもあります)。
私は縁あって、そのご子息で後継者の本山一博氏と最近、親しくさせていただいており、博氏の研究に関する資料も
提供いただいたので、それも参照しつつご紹介させていただきます。
本山博氏には、有名な『密教ヨーガ ~ タントラヨーガの本質と秘法』(宗教心理出版)という著作があり、その中には『ヨーガ・スートラ』第三の書、29および31、
「臍輪に綜制を施すことによって、体内の組織を知ることができる」
「亀の管に対して綜制をなすならば、堅忍性が得られる」
に関して、(P128・129)
「『臍輪』とは、クンダリニーヨーガなどでいうマニプラチャクラのことです。」
「亀の管というのはこのナディの一つで、喉の下の方にあるナディのことです。」
という、アリス・ベイリー以外では一番明快に、(本山氏の語るところによる)チャクラ~ナディ・システムに則った解説をしています。
(注1:31の「亀の管」に関して、アリス・ベイリーでは訳が最初から「喉の下の神経管」になっており、解説では「(咽頭にある)喉センターの下にある喉の大きな神経にエネルギーを向けることによって、人間形態を完全に静止し、硬直化させることができる。」となっています。
よく、密閉された空間に何日も閉じ込められて生還したヨガ行者が話題になりますが、その人はこの能力を獲得したとことを証明したわけです。それは、特異な能力ではありますが、それをもって聖者というわけでは、まったくありません。
注2:一博氏によれば、チャクラに当たるものは、古今東西、世界中の至るところで発見・言及されてきたが、ナディと合わせた一つの(エネルギー・)システムとして捉えたのはインド(とそれに関連する地)だけであり、そこが重要なポイントだ、ということでした。)
さて、この『密教ヨーガ』では、タントラヨーガに基づくチャクラ・システムが主に紹介されていますが(「第一編 タントラヨーガ」、後半の第二編には「チャクラ、ナディに関する教説」として、
「ウパニシャットにみられるチャクラ、ナディ」
「サッチャナンダの説くチャクラ、ナディ」
「私のチャクラに関する体験」
「私のチャクラ、経絡(ナディ)に関する実験と考察」
が、載せられており、いずれも非常に興味深い内容です。
また、一博氏に提供いただいた資料によれば、ほぼ同時期に出版された博氏の『チャクラ・異次元への接点』では、これらの他に、「シャットチャクラ・ニルーパナにみられるチャクラ、ナディ」「ゴラクシャサタカムに説かれるチャクラの目覚め、効果、超能力について」「リードビーターの説くチャクラ」が記されているとのこと。
こちらは、今急ぎ取り寄せているので、追って紹介したいと思います。
このように多くの教説を紹介しているのは、本山氏自身が様々なチャクラ情報に触れ、その多様性を目にして、それを整理するとともに、また客観真理を知るために科学的研究を行うことの必要性を実感したからだと思われます。
(一博氏は、このような多様な説があることは、逆にチャクラをそれだけたくさんの人たちが[違ったものであったにしても]実感しているという意味で、チャクラ体験自体の信頼性を高めるものだと言われています。確かに、そうですね。)
1978年に、このような一般にも入手できるある程度本格的なチャクラの紹介書が出ているにもかかわらず(この出版前に、すでに本山氏は30年あまりにわたってチャクラを研究されてきました)、そして、本山氏が単なる研究者ではなく、ご自身が非常に高いレベルのチャクラ体験をされ、それを開陳されているにもかかわらず、その後、特に今日かなり普及してきた日本のチャクラに関する状況が、、この情報をあまり活かせたものになっていないのは、大変残念に思います。
それはさておき、「ウパニシャットにみられるチャクラ、ナディ」だけでも、見ておきましょう。
ここで、本山氏が参照されているウパニシャットは、
『シュリ・ジャーパーラ・ダルシャナ・ウパニシャット』
『ヨーガ・クンダリ・ウパニシャット』
『ヨーガ・シーカ・ウパニシャット』
『ヨーガ・チューダマニ・ウパニシャット』
という、ウパニシャットとしては時期的に新しい時代である6世紀以降にできた、新ウパニシャットに属するものです。ですから、最初の「ウィキペディアより」の引用文章との対応としては、「初期のタントラ教典」ということになると思われます。
『ヨーガ・チューダマニ・ウパニシャット』には、
「チャクラを自己の身体において認知せざる者に、何んぞ解脱の成就あらんや」
という言葉があるとのこと。これは古来のインド文化では当たり前のことですが、彼らが意識している“チャクラ”は、能力開発やヒーリング能力の獲得のためではなく、単なる霊的進化でもなく、解脱に至る(=人間を卒業する)ための手段だったのですね。この目的の重さの違いは、非常に重要なことだと思います。
ただ、これらのウパニシャットに記されたチャクラの記述は、しごく簡単なもののようです。これは、やはり機密情報で、詳しく語れるものではないのです。
本山氏は「自ら行をなし、体認せよ、というのでしょうか。」と書かれています。
もっとも詳しい『ヨーガ・シーカ・ウパニシャット』からの、1番の脊椎基底チャクラに関する本山氏の紹介を見てみましょう。
「『身体はシバ神の住所なり。一切の有身者に対し、成就を与うるものなりと称せらる。肛門と陰根との間に介在するムーラダーラチャクラは三角所成なり』
ムーラダーラチャクラは、肛門と陰根との間にあると説明されていますが、これは会陰にあたります。このチャクラには、宇宙の根源力であるクンダリニーシャクティが住んでいるといわれます。
ヨーガ坐法(アーサナ)の中で、片方の足のかかとを会陰に当てるシッダアーサナ(成就坐法)が、いかに重要な坐法であるかが、これで理解できるでしょう。」
もう一つ、『ヨーガ・チューダマニ・ウパニシャット』の7番、頭頂のサハスララチャクラの紹介は、
「頭頂(梵門)すなわちマハーバティン(大路)においては千葉と数えられたり」
となっています。
「千葉」とは、蓮華の花にたとえられるチャクラの花弁が千枚だということです。
でも、千葉って、そういう意味だったんだ。
以前は10年近く千葉県(市川市)に住んでたし、今住んでいるところも江戸川添いで、川を隔てれば千葉県。週1・2回は、太極拳の稽古と伝導瞑想で、自転車で川を超えて通ってますが、急に有り難みが出てきました。
「古代のヒンドゥー教のヨーガでは、脊髄のチャクラが『チャクラ』とされてきた。 ・・・
6-7世紀以降、タントラ教典が編纂された後の近代のヨーガでは、神経叢のチャクラについて言及するようになった。 」
という文章がありました。
昨日みたように、アリス・ベイリーの『魂の光』(スートラの訳はジュワルクール大師、解説はアリス・ベイリーが書いたものに大師が加筆しているとのこと)によれば、『ヨーガ・スートラ』は脊髄のチャクラをもとに展開されていると推測されます。
これに関してもう少し情報を集めてみたいと思います。
(1)で取り上げたリードビーター著『チャクラ』の訳者の一人、本山博氏は、チャクラの厳密な自然科学的研究に初めて着手した権威として世界的に著名です(欧米の先端医療・ヒーリングの本などには、よく名前が出てくるのですが、日本ではほとんど取りあげられない、という不思議現象がここにもあります)。
私は縁あって、そのご子息で後継者の本山一博氏と最近、親しくさせていただいており、博氏の研究に関する資料も
提供いただいたので、それも参照しつつご紹介させていただきます。
本山博氏には、有名な『密教ヨーガ ~ タントラヨーガの本質と秘法』(宗教心理出版)という著作があり、その中には『ヨーガ・スートラ』第三の書、29および31、
「臍輪に綜制を施すことによって、体内の組織を知ることができる」
「亀の管に対して綜制をなすならば、堅忍性が得られる」
に関して、(P128・129)
「『臍輪』とは、クンダリニーヨーガなどでいうマニプラチャクラのことです。」
「亀の管というのはこのナディの一つで、喉の下の方にあるナディのことです。」
という、アリス・ベイリー以外では一番明快に、(本山氏の語るところによる)チャクラ~ナディ・システムに則った解説をしています。
(注1:31の「亀の管」に関して、アリス・ベイリーでは訳が最初から「喉の下の神経管」になっており、解説では「(咽頭にある)喉センターの下にある喉の大きな神経にエネルギーを向けることによって、人間形態を完全に静止し、硬直化させることができる。」となっています。
よく、密閉された空間に何日も閉じ込められて生還したヨガ行者が話題になりますが、その人はこの能力を獲得したとことを証明したわけです。それは、特異な能力ではありますが、それをもって聖者というわけでは、まったくありません。
注2:一博氏によれば、チャクラに当たるものは、古今東西、世界中の至るところで発見・言及されてきたが、ナディと合わせた一つの(エネルギー・)システムとして捉えたのはインド(とそれに関連する地)だけであり、そこが重要なポイントだ、ということでした。)
さて、この『密教ヨーガ』では、タントラヨーガに基づくチャクラ・システムが主に紹介されていますが(「第一編 タントラヨーガ」、後半の第二編には「チャクラ、ナディに関する教説」として、
「ウパニシャットにみられるチャクラ、ナディ」
「サッチャナンダの説くチャクラ、ナディ」
「私のチャクラに関する体験」
「私のチャクラ、経絡(ナディ)に関する実験と考察」
が、載せられており、いずれも非常に興味深い内容です。
また、一博氏に提供いただいた資料によれば、ほぼ同時期に出版された博氏の『チャクラ・異次元への接点』では、これらの他に、「シャットチャクラ・ニルーパナにみられるチャクラ、ナディ」「ゴラクシャサタカムに説かれるチャクラの目覚め、効果、超能力について」「リードビーターの説くチャクラ」が記されているとのこと。
こちらは、今急ぎ取り寄せているので、追って紹介したいと思います。
このように多くの教説を紹介しているのは、本山氏自身が様々なチャクラ情報に触れ、その多様性を目にして、それを整理するとともに、また客観真理を知るために科学的研究を行うことの必要性を実感したからだと思われます。
(一博氏は、このような多様な説があることは、逆にチャクラをそれだけたくさんの人たちが[違ったものであったにしても]実感しているという意味で、チャクラ体験自体の信頼性を高めるものだと言われています。確かに、そうですね。)
1978年に、このような一般にも入手できるある程度本格的なチャクラの紹介書が出ているにもかかわらず(この出版前に、すでに本山氏は30年あまりにわたってチャクラを研究されてきました)、そして、本山氏が単なる研究者ではなく、ご自身が非常に高いレベルのチャクラ体験をされ、それを開陳されているにもかかわらず、その後、特に今日かなり普及してきた日本のチャクラに関する状況が、、この情報をあまり活かせたものになっていないのは、大変残念に思います。
それはさておき、「ウパニシャットにみられるチャクラ、ナディ」だけでも、見ておきましょう。
ここで、本山氏が参照されているウパニシャットは、
『シュリ・ジャーパーラ・ダルシャナ・ウパニシャット』
『ヨーガ・クンダリ・ウパニシャット』
『ヨーガ・シーカ・ウパニシャット』
『ヨーガ・チューダマニ・ウパニシャット』
という、ウパニシャットとしては時期的に新しい時代である6世紀以降にできた、新ウパニシャットに属するものです。ですから、最初の「ウィキペディアより」の引用文章との対応としては、「初期のタントラ教典」ということになると思われます。
『ヨーガ・チューダマニ・ウパニシャット』には、
「チャクラを自己の身体において認知せざる者に、何んぞ解脱の成就あらんや」
という言葉があるとのこと。これは古来のインド文化では当たり前のことですが、彼らが意識している“チャクラ”は、能力開発やヒーリング能力の獲得のためではなく、単なる霊的進化でもなく、解脱に至る(=人間を卒業する)ための手段だったのですね。この目的の重さの違いは、非常に重要なことだと思います。
ただ、これらのウパニシャットに記されたチャクラの記述は、しごく簡単なもののようです。これは、やはり機密情報で、詳しく語れるものではないのです。
本山氏は「自ら行をなし、体認せよ、というのでしょうか。」と書かれています。
もっとも詳しい『ヨーガ・シーカ・ウパニシャット』からの、1番の脊椎基底チャクラに関する本山氏の紹介を見てみましょう。
「『身体はシバ神の住所なり。一切の有身者に対し、成就を与うるものなりと称せらる。肛門と陰根との間に介在するムーラダーラチャクラは三角所成なり』
ムーラダーラチャクラは、肛門と陰根との間にあると説明されていますが、これは会陰にあたります。このチャクラには、宇宙の根源力であるクンダリニーシャクティが住んでいるといわれます。
ヨーガ坐法(アーサナ)の中で、片方の足のかかとを会陰に当てるシッダアーサナ(成就坐法)が、いかに重要な坐法であるかが、これで理解できるでしょう。」
もう一つ、『ヨーガ・チューダマニ・ウパニシャット』の7番、頭頂のサハスララチャクラの紹介は、
「頭頂(梵門)すなわちマハーバティン(大路)においては千葉と数えられたり」
となっています。
「千葉」とは、蓮華の花にたとえられるチャクラの花弁が千枚だということです。
でも、千葉って、そういう意味だったんだ。
以前は10年近く千葉県(市川市)に住んでたし、今住んでいるところも江戸川添いで、川を隔てれば千葉県。週1・2回は、太極拳の稽古と伝導瞑想で、自転車で川を超えて通ってますが、急に有り難みが出てきました。
チャクラ情報の起源を探る(4)『ヨーガ・スートラ』の解説に見る比較
ラージャ・ヨーガの経典『ヨーガ・スートラ』は、たくさんの人に訳され解説されていますが、その訳・解説は結構人によって異なり、それを比較するとかなり面白いことも分かってきます。
チャクラに関連して、「第三の書 24」のスートラで、幾つか調べてみましょう。
最後にアリス・ベイリーの解説を載せますが、それだけでも読んでいただければ、このほとんど小学生的な句に隠された深い意味に、感嘆されると思います。
そして、その前の真のアバターといわれるヴィヴェーカーナンダの配慮の利いた解説にも。
◎日本では知名度の高い、少し仏教色の強い解説の、佐保田鶴治著『解説ヨーガ・スートラ』(平河出版)では、P138に、
「象などの力に綜制を向けると、それらの力に等しい力が現われる。」
とあり、解説はありません。自明ということでしょうか。
「綜制」(=サンヤマ)とは、ラージャ・ヨーガの8段階のうちの最後の3つ、ダラーナ・ディヤーナ・サマーディ(集中・瞑想・三昧)によって瞑想を深めて無我の境地に至ることです。
◎全体像の本質的な解説が分かりやすい、番場裕之著『実践「ヨーガ・スートラ」入門』では、P188に、以下の訳があります。
「象の力に綜制をすることによって、象の力が生ずるように、あらゆるものの力に綜制をすることによって、そのものの力を得る。」
◎分かりやすい解説で定評の、スワミ・サッチダーナンダ著『インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)』では、P296に、
「象その他の動物の力にサンヤマを施すことによって、それらの力を得ることができる。」
という訳の後、次の解説があります。
「つまり、非常に力の強い動物、たとえば象などにサンヤマをする、ということだ。すると象が現われる、というのではない。その力があなたに現われるーー。ジブラルタルの巨石にサンヤマをすれば、あなたは本当に岩のようになる。つまりそれほどあなたは重くなる。・・・サンヤマによって、実にそういうことが達成されるのだ。それをやってみよう。試してみよう。面白いことが起こるだろう。」
◎欧米に初めてインド思想の真髄を伝え衝撃を与えた講演録の、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著『ラージャ・ヨーガ』(日本ヴェーダーンタ協会)では、P205に、
「ゾウやその他のものの上にサムヤマをつくることによって、それぞれの力が、そのヨーギーに来る。」
という訳の後、次の解説があります。
「ヨーギーがサムヤマを成就して、そして力を欲するなら、彼はゾウの力の上にサムヤマをつくってそれを得る。誰であれ、もし彼がそれを得る方法を知りさえするなら、無限のエネルギーがその人の意のままになるのだ。ヨーギ―はそれを得る科学を発見した。
◎アリス・ベイリーの『魂の光』では(P290・291)、
「象のパワーに一心集中した瞑想によって、そのフォースつまり光が目覚める」
という訳がつけられ、その解説として、
「脊柱基底センターつまりムラダーラ・センターの象徴が象であることに注目して欲しい。・・・
この「象の力」を瞑想することで、第三様相の力、つまり物質そのもの(聖霊、ブラフマ)のエネルギーが目覚め、第二様相つまり意識様相、魂のエネルギー、ヴィシュヌ、キリストのフォースと結合する。これは完全な整列、つまりラージャ・ヨガの目標である魂と肉体の合一を生み出す。」
という解説があります。「なるほど!」という感じですね。
と同時に、『ヨーガ・スートラ』の編者パタンジャリは、脊柱基底センターを明確に意識していた、ということになります。
この他にも、『魂の光』によれば、同じ第三の書のスートラの
29 :太陽叢センター
30・31:喉センター
32 :頭部内の光
34 :ハート・センター
に関するもので、先の24の記述がクンダリーニの上昇に言及したものであることからも、おそらく(7つかどうかまでは分かりませんが)チャクラ・システムの存在は知られていたと思われます。
『魂の光』の「序説」には(P13)、
「パタンジャリの生誕年は知られておらず、この問題に関しては多くの論争がある。西洋の研究家の大半は紀元前八二〇年から紀元前三〇〇年を推定しているが、紀元後とする研究者もわずかながらいる。しかしながら、このことについて何かを知っていると思われるヒンズー教の権威ある研究者たちは、紀元前一万年にまで遡る遥かに古い年代を推定している。
パタンジャリは、彼の誕生まで何世紀にもわたって口伝されてきた教えの編纂者であった。彼が学ぼうとする人々が使用できるように教えを文献の形にまとめた最初の人物であり、そのためラージャ・ヨガ派の創始者と見なされているのである。しかしその体系自体はアーリア人種のまさに始まりから用いられてきたものである。
ヨガ経典は多くの知恵の大師方が属しているトランスヒマラヤ学派の基本的な教えである。
そして、キリスト教創始者と初期のキリスト教徒と密接なつながりのあるエッセネ派やその他の神秘的行法と思想もこの同じ体系に基づくもので、そのため、その教師たちが偉大なトランスヒマラヤ学派で訓練を受けたと信じている人々も多い。」
と書かれています。(『ヨーガ・スートラ』の成立年は現在、紀元後5世紀あたりと考えられる場合が多いと思いますが、大きな問題ではないでしょう。)
チャクラを感得していた人は、紀元前を遡ることはるか昔に、すでに存在していたことになります。
神智学~アリス・ベイリーの教えを信じるならば、人類と呼べる最初の存在が地球上に現われたレムリア時代の最高のイニシエーションは3段階で、それをクリアした中に、仏陀やマイトレーヤがおられた、ということです。
その際に与えられたヨガが、(神智学的定義における)ハタ・ヨガであり、それによって3段階まで達したわけですから、このときすでに仏陀やマイトレーヤは、チャクラを感得していたとも推測できます(その時期のエーテル体が今と同じ状態であったわけではないはずなので、大外れかもしれません)。
しかし、そのような情報が、文字として残されるわけもありません。
ですから、チャクラ発見の起源をたどる、といっても、文献学的・考古学的研究対象としては意味があったとしても、人類の中で最初にチャクラを感得・発見した人を探す、という意味では不可能であり、その時期は何万年、何十万年、何百万年前にも遡る可能性がある、ということになるわけです。
その場合でも、感得した瞬間・直後に、人間を卒業(解脱)し、 マスター(大師・覚者)になられたことでしょうが。
チャクラに関連して、「第三の書 24」のスートラで、幾つか調べてみましょう。
最後にアリス・ベイリーの解説を載せますが、それだけでも読んでいただければ、このほとんど小学生的な句に隠された深い意味に、感嘆されると思います。
そして、その前の真のアバターといわれるヴィヴェーカーナンダの配慮の利いた解説にも。
◎日本では知名度の高い、少し仏教色の強い解説の、佐保田鶴治著『解説ヨーガ・スートラ』(平河出版)では、P138に、
「象などの力に綜制を向けると、それらの力に等しい力が現われる。」
とあり、解説はありません。自明ということでしょうか。
「綜制」(=サンヤマ)とは、ラージャ・ヨーガの8段階のうちの最後の3つ、ダラーナ・ディヤーナ・サマーディ(集中・瞑想・三昧)によって瞑想を深めて無我の境地に至ることです。
◎全体像の本質的な解説が分かりやすい、番場裕之著『実践「ヨーガ・スートラ」入門』では、P188に、以下の訳があります。
「象の力に綜制をすることによって、象の力が生ずるように、あらゆるものの力に綜制をすることによって、そのものの力を得る。」
◎分かりやすい解説で定評の、スワミ・サッチダーナンダ著『インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)』では、P296に、
「象その他の動物の力にサンヤマを施すことによって、それらの力を得ることができる。」
という訳の後、次の解説があります。
「つまり、非常に力の強い動物、たとえば象などにサンヤマをする、ということだ。すると象が現われる、というのではない。その力があなたに現われるーー。ジブラルタルの巨石にサンヤマをすれば、あなたは本当に岩のようになる。つまりそれほどあなたは重くなる。・・・サンヤマによって、実にそういうことが達成されるのだ。それをやってみよう。試してみよう。面白いことが起こるだろう。」
◎欧米に初めてインド思想の真髄を伝え衝撃を与えた講演録の、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著『ラージャ・ヨーガ』(日本ヴェーダーンタ協会)では、P205に、
「ゾウやその他のものの上にサムヤマをつくることによって、それぞれの力が、そのヨーギーに来る。」
という訳の後、次の解説があります。
「ヨーギーがサムヤマを成就して、そして力を欲するなら、彼はゾウの力の上にサムヤマをつくってそれを得る。誰であれ、もし彼がそれを得る方法を知りさえするなら、無限のエネルギーがその人の意のままになるのだ。ヨーギ―はそれを得る科学を発見した。
◎アリス・ベイリーの『魂の光』では(P290・291)、
「象のパワーに一心集中した瞑想によって、そのフォースつまり光が目覚める」
という訳がつけられ、その解説として、
「脊柱基底センターつまりムラダーラ・センターの象徴が象であることに注目して欲しい。・・・
この「象の力」を瞑想することで、第三様相の力、つまり物質そのもの(聖霊、ブラフマ)のエネルギーが目覚め、第二様相つまり意識様相、魂のエネルギー、ヴィシュヌ、キリストのフォースと結合する。これは完全な整列、つまりラージャ・ヨガの目標である魂と肉体の合一を生み出す。」
という解説があります。「なるほど!」という感じですね。
と同時に、『ヨーガ・スートラ』の編者パタンジャリは、脊柱基底センターを明確に意識していた、ということになります。
この他にも、『魂の光』によれば、同じ第三の書のスートラの
29 :太陽叢センター
30・31:喉センター
32 :頭部内の光
34 :ハート・センター
に関するもので、先の24の記述がクンダリーニの上昇に言及したものであることからも、おそらく(7つかどうかまでは分かりませんが)チャクラ・システムの存在は知られていたと思われます。
『魂の光』の「序説」には(P13)、
「パタンジャリの生誕年は知られておらず、この問題に関しては多くの論争がある。西洋の研究家の大半は紀元前八二〇年から紀元前三〇〇年を推定しているが、紀元後とする研究者もわずかながらいる。しかしながら、このことについて何かを知っていると思われるヒンズー教の権威ある研究者たちは、紀元前一万年にまで遡る遥かに古い年代を推定している。
パタンジャリは、彼の誕生まで何世紀にもわたって口伝されてきた教えの編纂者であった。彼が学ぼうとする人々が使用できるように教えを文献の形にまとめた最初の人物であり、そのためラージャ・ヨガ派の創始者と見なされているのである。しかしその体系自体はアーリア人種のまさに始まりから用いられてきたものである。
ヨガ経典は多くの知恵の大師方が属しているトランスヒマラヤ学派の基本的な教えである。
そして、キリスト教創始者と初期のキリスト教徒と密接なつながりのあるエッセネ派やその他の神秘的行法と思想もこの同じ体系に基づくもので、そのため、その教師たちが偉大なトランスヒマラヤ学派で訓練を受けたと信じている人々も多い。」
と書かれています。(『ヨーガ・スートラ』の成立年は現在、紀元後5世紀あたりと考えられる場合が多いと思いますが、大きな問題ではないでしょう。)
チャクラを感得していた人は、紀元前を遡ることはるか昔に、すでに存在していたことになります。
神智学~アリス・ベイリーの教えを信じるならば、人類と呼べる最初の存在が地球上に現われたレムリア時代の最高のイニシエーションは3段階で、それをクリアした中に、仏陀やマイトレーヤがおられた、ということです。
その際に与えられたヨガが、(神智学的定義における)ハタ・ヨガであり、それによって3段階まで達したわけですから、このときすでに仏陀やマイトレーヤは、チャクラを感得していたとも推測できます(その時期のエーテル体が今と同じ状態であったわけではないはずなので、大外れかもしれません)。
しかし、そのような情報が、文字として残されるわけもありません。
ですから、チャクラ発見の起源をたどる、といっても、文献学的・考古学的研究対象としては意味があったとしても、人類の中で最初にチャクラを感得・発見した人を探す、という意味では不可能であり、その時期は何万年、何十万年、何百万年前にも遡る可能性がある、ということになるわけです。
その場合でも、感得した瞬間・直後に、人間を卒業(解脱)し、 マスター(大師・覚者)になられたことでしょうが。
16/17日 : 原子力行政を問い直す宗教者の会
「懐かしい未来ネットワーク」に流れた情報ですが、
私の地元・江戸川区在住の住職で、
田中優さんの「足温ネット」でも中心的なメンバーでもある、
大河内秀人さん@原子力行政を問い直す宗教者の会、etc. からのものです。
宗教者、頑張ってますね。
お時間ある方は、是非!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おめでとうとはとても言う気になれずに新年を迎えましたが、
今年もよろしくお願いいたします。
さて、「原子力行政を問い直す宗教者の会」におきましては、震災以来、
全国の諸宗教各宗各派の宗教者のネットワークを生かし、子どもたちを
中心に被曝を極力低減させるべく、避難者の受入支援、北海道をはじめ
とした保養事業などをに取り組んでおります。
「宗教者の会」では、来週、1月16日(月)から17日(火)にかけ
て、築地本願寺を会場に世話人会を開催し、全国から活動者が集まりま
す。超宗教の緩やかなネットワークとはいえ、原子力の問題は人権と平
和、あらゆる命との共存をテーマとした生き方の問題であり、国家や経
済権力と抑圧される人々という正義と構造の問題であるという認識の上
に、この国で「宗教者としての責任」を果たして行こうという思いを共
有しています。
特に長年原発立地で活動してきた僧侶や牧師、信徒の活動者が参加しま
す。この機会に、ぜひこの問題にご感心のある方々にも、当会の活動に
ついてご理解いただき、またご意見などを頂戴できればと願い、以下の
通りご案内申し上げます。
【1】世話人会にオブザーバー参加しませんか。もちろん部分参加も大
歓迎です。1日目(16日月)の会議終了後(20時半から)近所のお
店で懇親会を持ちます。会議以上の突っ込んだ話がいつも楽しみです。
【2】世話人会終了後、社会活動や原発問題等に関心のある宗教者・関
係者の方々との懇談会を行います。
【3】17日(火)の晩、午後7時から文京シビックセンターで、宗教
者の会事務局長の長田浩昭をメイン講師にした、一般向けの学習会を開
催します。なぜ宗教者がこの問題に取り組むのか、また、宗教の視点か
ら原発問題をとう捉えるべきか。大谷派の売れっ子布教師でもある長田
が東京で語る、貴重な機会です。
以上、詳細は下記に、ご案内文を貼り付けます。
学習会については、ぜひ周知、お呼びかけにご協力いただきたくお願い
致します。
以上よろしくお願いいたします。
【1】原子力行政を問い直す宗教者の会・世話人会
■日程
2012年1月16日(月)13:00〜20:00
17日(火)9:00〜12:00
■会場
築地本願寺 伝道会館 会議室:「伽羅」
〒104-0045 東京都中央区築地3-15-1
電話 03-3544-0551
■議題 ①2012年4月開催の全国集会内容
②その他
■宿泊 伝道会館の4人部屋を4室予約→素泊り@2,625円
(会員でもある本田静芳さん扱い本願寺特別料金)
◆懇親会 20:30〜22:30 会場:築地「たぬきや」
■アクセス
東京メトロ 日比谷線 築地駅 徒歩1分
都営地下鉄 浅草線 東銀座駅 徒歩5分
東京メトロ 有楽町線 新富町駅 徒歩5分
都営地下鉄 大江戸線 築地市場駅 徒歩5分
[東京駅から]
山手線でひと駅の有楽町に出て、そこから線路に沿って徒歩2分の日比
谷駅から日比谷線で築地に出るのが便利。
東京駅八重洲口からタクシーで10分、1000円以内?
[羽田空港から]
京浜急行-都営浅草線で東銀座へ、そこから歩いてもいいですが、日
比谷線で築地までひと駅。
■出欠連絡
大河内までお願いします。
hit@nam-mind.jp
FAX:03-3654-2886
132-0033 江戸川区東小松川2-5-12 寿光院
■問い合せ TEL090-3213-4575(大河内)まで。
/////////////////////////////
【2】宗教者の原子力問題に関する懇談会
■日時 1月17日(火)午後1時〜3時
■会場 築地本願寺・伝道会館「伽羅の間」
◇原子力行政を問い直す宗教者の会の活動報告
◇世話人、活動者との懇談
/////////////////////////////
【3】学習会:宗教者として取り組む原子力問題
■□■□■□■□■ 公 開 学 習 会 ■□■□■□■□■□■
宗 教 者 と し て 取 り 組 む 原 子 力 問 題
〜原発立地の苦しみを分かち合い、共に生きるために〜
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
ヒロシマ・ナガサキ、そしてビキニを経験し「非核」を誓ったはずの
この国が、またしても多くのヒバクシャをつくり出し、国土を汚染し
いのちと未来に量り知れないダメージを与えてしまいました。
そして、生命尊重を旨とする宗教者が、かつての戦争を止めることが
できなかったと同様、原発を容認し悲劇を招いてしまった責任を問わ
れています。
もはや昨年の3月11日以前に戻ることはできませんが、自然や弱者
に犠牲を押し付ける経済最優先の価値観を改め、同じ過ちを犯さぬよ
う、私たちが見てこなかった現実に眼を向け、本来の人間としての生
き方を、今こそ取り戻さなくてはなりません。
そのために、長年、原発の立地地域で、僧侶として住民や被曝労働者
と向き合い、原子力行政を問い続けてきた経験とビジョンを聴き、苦
しみや不安、絶望の中からも、希望と前向きな力を絞り出して行きた
いと思います。
■講 師 長田浩昭(原子力行政を問い直す宗教者の会 事務局長/
真宗大谷派僧侶)
【おさだ・ひろあき】
石川県珠洲市生まれ。同県能登町長慶寺住職在任中に
計画された珠洲原発に対し仏教者として反対行動に関わ
る。1993年、高速増殖炉「もんじゅ」の初臨界を受け
「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成に参加。
現在同会事務局長。3・11以降、福島県の子どもたち
の避難・保養事業など、子どもや若者・妊婦などを被曝
から守るための活動に積極的に取り組む。全国各地で原
発が持つ問題について講演を行なっている。
現在は兵庫県篠山市法傳寺住職。
◆現地報告 《浜岡》内藤新吾(日本福音ルーテル教会)、
《敦賀》岡山巧(真宗大谷派)、《福島》チーム二本松、
《青森》梅北陽子(日本基督教団)、他予定
■日 時 1月17日(火)午後7時〜9時 (開場6時30分)
■会 場 文京シビックセンター4F シルバーホール
(東京都文京区春日1-16-21)
http://goo.gl/qh8kR
【アクセス】東京メトロ「後楽園」丸の内線(4a・5番出口)
南北線(5番出口)徒歩1分
都営地下鉄「春日」三田線・大江戸線(文京シビックセ
ンター連絡口)徒歩1分
JR総武線「水道橋」(東口)徒歩9分
■参加費 500円(資料代等)
■共 催 フォーラム「原子力と宗教」、見樹院
JNEB(Japan Network of Engaged Buddhists)
■問合せ Eメール:hit@nam-mind.jp
電話 090-3213-4575(大河内)
以上
++++++++++++++++++++++++
大河内秀人 Hidehito Okochi
hit@nam-mind.jp
090-3213-4575
++++++++++++++++++++++++
私の地元・江戸川区在住の住職で、
田中優さんの「足温ネット」でも中心的なメンバーでもある、
大河内秀人さん@原子力行政を問い直す宗教者の会、etc. からのものです。
宗教者、頑張ってますね。
お時間ある方は、是非!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おめでとうとはとても言う気になれずに新年を迎えましたが、
今年もよろしくお願いいたします。
さて、「原子力行政を問い直す宗教者の会」におきましては、震災以来、
全国の諸宗教各宗各派の宗教者のネットワークを生かし、子どもたちを
中心に被曝を極力低減させるべく、避難者の受入支援、北海道をはじめ
とした保養事業などをに取り組んでおります。
「宗教者の会」では、来週、1月16日(月)から17日(火)にかけ
て、築地本願寺を会場に世話人会を開催し、全国から活動者が集まりま
す。超宗教の緩やかなネットワークとはいえ、原子力の問題は人権と平
和、あらゆる命との共存をテーマとした生き方の問題であり、国家や経
済権力と抑圧される人々という正義と構造の問題であるという認識の上
に、この国で「宗教者としての責任」を果たして行こうという思いを共
有しています。
特に長年原発立地で活動してきた僧侶や牧師、信徒の活動者が参加しま
す。この機会に、ぜひこの問題にご感心のある方々にも、当会の活動に
ついてご理解いただき、またご意見などを頂戴できればと願い、以下の
通りご案内申し上げます。
【1】世話人会にオブザーバー参加しませんか。もちろん部分参加も大
歓迎です。1日目(16日月)の会議終了後(20時半から)近所のお
店で懇親会を持ちます。会議以上の突っ込んだ話がいつも楽しみです。
【2】世話人会終了後、社会活動や原発問題等に関心のある宗教者・関
係者の方々との懇談会を行います。
【3】17日(火)の晩、午後7時から文京シビックセンターで、宗教
者の会事務局長の長田浩昭をメイン講師にした、一般向けの学習会を開
催します。なぜ宗教者がこの問題に取り組むのか、また、宗教の視点か
ら原発問題をとう捉えるべきか。大谷派の売れっ子布教師でもある長田
が東京で語る、貴重な機会です。
以上、詳細は下記に、ご案内文を貼り付けます。
学習会については、ぜひ周知、お呼びかけにご協力いただきたくお願い
致します。
以上よろしくお願いいたします。
【1】原子力行政を問い直す宗教者の会・世話人会
■日程
2012年1月16日(月)13:00〜20:00
17日(火)9:00〜12:00
■会場
築地本願寺 伝道会館 会議室:「伽羅」
〒104-0045 東京都中央区築地3-15-1
電話 03-3544-0551
■議題 ①2012年4月開催の全国集会内容
②その他
■宿泊 伝道会館の4人部屋を4室予約→素泊り@2,625円
(会員でもある本田静芳さん扱い本願寺特別料金)
◆懇親会 20:30〜22:30 会場:築地「たぬきや」
■アクセス
東京メトロ 日比谷線 築地駅 徒歩1分
都営地下鉄 浅草線 東銀座駅 徒歩5分
東京メトロ 有楽町線 新富町駅 徒歩5分
都営地下鉄 大江戸線 築地市場駅 徒歩5分
[東京駅から]
山手線でひと駅の有楽町に出て、そこから線路に沿って徒歩2分の日比
谷駅から日比谷線で築地に出るのが便利。
東京駅八重洲口からタクシーで10分、1000円以内?
[羽田空港から]
京浜急行-都営浅草線で東銀座へ、そこから歩いてもいいですが、日
比谷線で築地までひと駅。
■出欠連絡
大河内までお願いします。
hit@nam-mind.jp
FAX:03-3654-2886
132-0033 江戸川区東小松川2-5-12 寿光院
■問い合せ TEL090-3213-4575(大河内)まで。
/////////////////////////////
【2】宗教者の原子力問題に関する懇談会
■日時 1月17日(火)午後1時〜3時
■会場 築地本願寺・伝道会館「伽羅の間」
◇原子力行政を問い直す宗教者の会の活動報告
◇世話人、活動者との懇談
/////////////////////////////
【3】学習会:宗教者として取り組む原子力問題
■□■□■□■□■ 公 開 学 習 会 ■□■□■□■□■□■
宗 教 者 と し て 取 り 組 む 原 子 力 問 題
〜原発立地の苦しみを分かち合い、共に生きるために〜
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
ヒロシマ・ナガサキ、そしてビキニを経験し「非核」を誓ったはずの
この国が、またしても多くのヒバクシャをつくり出し、国土を汚染し
いのちと未来に量り知れないダメージを与えてしまいました。
そして、生命尊重を旨とする宗教者が、かつての戦争を止めることが
できなかったと同様、原発を容認し悲劇を招いてしまった責任を問わ
れています。
もはや昨年の3月11日以前に戻ることはできませんが、自然や弱者
に犠牲を押し付ける経済最優先の価値観を改め、同じ過ちを犯さぬよ
う、私たちが見てこなかった現実に眼を向け、本来の人間としての生
き方を、今こそ取り戻さなくてはなりません。
そのために、長年、原発の立地地域で、僧侶として住民や被曝労働者
と向き合い、原子力行政を問い続けてきた経験とビジョンを聴き、苦
しみや不安、絶望の中からも、希望と前向きな力を絞り出して行きた
いと思います。
■講 師 長田浩昭(原子力行政を問い直す宗教者の会 事務局長/
真宗大谷派僧侶)
【おさだ・ひろあき】
石川県珠洲市生まれ。同県能登町長慶寺住職在任中に
計画された珠洲原発に対し仏教者として反対行動に関わ
る。1993年、高速増殖炉「もんじゅ」の初臨界を受け
「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成に参加。
現在同会事務局長。3・11以降、福島県の子どもたち
の避難・保養事業など、子どもや若者・妊婦などを被曝
から守るための活動に積極的に取り組む。全国各地で原
発が持つ問題について講演を行なっている。
現在は兵庫県篠山市法傳寺住職。
◆現地報告 《浜岡》内藤新吾(日本福音ルーテル教会)、
《敦賀》岡山巧(真宗大谷派)、《福島》チーム二本松、
《青森》梅北陽子(日本基督教団)、他予定
■日 時 1月17日(火)午後7時〜9時 (開場6時30分)
■会 場 文京シビックセンター4F シルバーホール
(東京都文京区春日1-16-21)
http://goo.gl/qh8kR
【アクセス】東京メトロ「後楽園」丸の内線(4a・5番出口)
南北線(5番出口)徒歩1分
都営地下鉄「春日」三田線・大江戸線(文京シビックセ
ンター連絡口)徒歩1分
JR総武線「水道橋」(東口)徒歩9分
■参加費 500円(資料代等)
■共 催 フォーラム「原子力と宗教」、見樹院
JNEB(Japan Network of Engaged Buddhists)
■問合せ Eメール:hit@nam-mind.jp
電話 090-3213-4575(大河内)
以上
++++++++++++++++++++++++
大河内秀人 Hidehito Okochi
hit@nam-mind.jp
090-3213-4575
++++++++++++++++++++++++
チャクラ情報の起源を探る(3)ウィキペディアより
今日は、ウィキペディアの情報を見てみたいと思います。
ここにはまず、通常のヨーガの7つのチャクラの他、「仏教タントラ」・「密教ヨガ」・「チベット仏教」など、インド・中国における各流派におけるチャクラ(の位置)、および西洋への伝播まで、かなりまとまって紹介されていて、有り難いです。
◎仏教タントラにおけるチャクラ :インド仏教の後期密教のタントラ経典でもチャクラへの言及がある。チャクラの数や位置についてはいくつか異説があるが、一般に臍、心臓、喉、脳の4輪があるとされる。
最上位はヒンドゥー・ヨーガのサハスラーラに相当する「ウシュニーシャ・カマラ」(頂蓮華)または「マハースッカ・カマラ」(大楽蓮華)である。他の3つは臍にある「変化身」(ニルマーナ・カーヤ)のチャクラ、心臓にある「法身」(ダルマ・カーヤ)のチャクラ、喉にある「受用身」(サンボガ・カーヤ)のチャクラであり、仏身の三身に対応している。
◎インド密教を継承したチベット仏教の無上瑜伽タントラでは以下のチャクラがあるとされる。
大楽輪(頭頂)
受用輪(喉)
法輪(胸)
変化輪(臍)
守楽輪(秘密処=下丹田にあたる)
◎一説には、インド密教ヨガのタントラ経典やチベット密教カギュ派のタントラ経典などでは、身体には主要な7つのチャクラ(または6つのチャクラと1つの門)と、身体のあちこちにあるその他の小さなチャクラとがあるとされている。
主要な7つのうち、会陰と頭頂を除く5つのチャクラは、脊髄に沿った5つのチャクラと、身体前面に沿った5つのチャクラとはそれぞれが対になって繋がっているとされている
(「タントラ密教経典」参照。なお、密教経典は門外不出とされている)。
下位幽体のチャクラ(会陰)
上位幽体のチャクラ(臍下約3cm)
応身(変化身)のチャクラ(臍上約3cm)
法身のチャクラ(胸)
報身のチャクラ(喉)
本性身のチャクラ(額)
金剛身のチャクラ(頭頂)
◎チベット仏教ニンマ派のナムカイ・ノルブの説明によれば、タントラ経典によってチャクラの数が異なるのは一貫性に欠けているわけではなく、基本的なプラーナのシステムの概念は共通しており、様々なタントラの修行においてそれぞれに異なったチャクラを使うため、それぞれのテキストでは必要なチャクラだけが書かれているのだという。
◎中国 :中国の道家や内丹術の伝統的な身体論には、インドのチャクラに比すべき丹田という概念があるが、近代の内丹術の中でも清代の閔小艮の一派はヨーガの七輪の概念を取り入れている。
◎西洋への伝播 :ヨーガの伝播と共にチャクラの概念も伝播した。数は7箇所で内臓の各部に充てられるようになった。また、その振動の周波数などを解明したとする研究者もいる。他の行法である近代西洋儀式魔術などにも概念が取り入れられた。
ただ、西洋への伝播に関しては、チャクラというのは基本的な人間のエネルギー・システムに組み込まれた構造のため、2つ前の記事で紹介したギヒテルのように、自分独自の主観的体験・経験として発見した人たちが西洋にもある程度いるはずで、その人たちが独自に自分の主観的体系をつくっていったという流れも、当然あると思います。
また、チャクラ情報の整理として、脊髄・神経叢・体表という分類が示されていて、これはかなり有効なものです。
神経叢のチャクラと脊髄のチャクラ:チャクラは脊椎に関連するエーテル体にあるエネルギー・センター(渦)で、肉体の7つの内分泌腺及びメンタル体、アストラル体、肉体の調整と活性化を司り、意識の中枢と各身体の中継点としての役割をはたしている。
現在のヒーリングなどの分野では、各チャクラに対応する体表のツボのことを指して「チャクラ」と呼んでいる。体表のツボは単にチャクラからのプラーナ(気)の出入口としての役割を果たしているにすぎず、チャクラではないが、ここでは便宜上体表のチャクラと呼ぶことにする。
一方、伝統的なヨーガが伝えている「チャクラ」は、体表のチャクラではなく、人間のエーテル体に存在するほぼ脊柱に沿った7つのチャクラで、ここではこれを脊髄のチャクラと呼ぶことにする。
しかし時代が下るにつれ、この脊髄のチャクラとは異なるチャクラの記述が現われるようになる。ここではこれを神経叢のチャクラと呼ぶことにする。
実のところ主要な7つのチャクラのいずれのチャクラも、これら神経叢のチャクラと脊髄のチャクラが対をなして存在している。
しかし現在に至るまで、この2つのチャクラの系統は明確な区別がなされていない。
古代のヒンドゥー教のヨーガでは、脊髄のチャクラが「チャクラ」とされてきた。
・・・
6-7世紀以降、タントラ教典が編纂された後の近代のヨーガでは、神経叢のチャクラについて言及するようになった。
・・・
また、サマエル・アウン・ベオールの著書『完全なる結婚』(ノーシス書院)には、神経叢のチャクラと脊髄のチャクラの存在について、「原始ヒンズーヨギたちは、脊髄のチャクラとクンダリニーにすべての注意を払い、神経叢のエーテルチャクラには、ほとんど無関心であった。このことはにせ秘教家を驚かせた。」という記述がある。
以上からも、各々のヨーガ行者あるいは神秘家がチャクラの性質及びその位置について言及する場合、神経叢のチャクラあるいは脊髄のチャクラのいずれか一方についてのみ言及しており、各々のチャクラが、これら2つのチャクラと対をなして存在していること、及び、それらの位置と機能の違いについて、明確に区別し、自覚されていたとは考えにくい。
体表のチャクラは、先に述べたように本質的にチャクラではなく、チャクラからのプラーナ(気)の出入り口である。
しかし、そのルートが浄化されていることが心身の健康とチャクラの覚醒の上で重要であるため、ヒーリングの分野において重視されている。
・・・
ちなみに、アリス・ベイリーには、「頭部に2つ、脊椎上に5つのエネルギー・センターがある」と書かれています。ヒンドゥー古来の伝統を、現代科学と接合するベースを築いたわけです。
これが、昨日最後に書いたことの根拠です。
体表のチャクラを感じ取ったロザリン・ブリエールが、その内容を認められなかったとしても、やむを得ないかもしれません。
ここにはまず、通常のヨーガの7つのチャクラの他、「仏教タントラ」・「密教ヨガ」・「チベット仏教」など、インド・中国における各流派におけるチャクラ(の位置)、および西洋への伝播まで、かなりまとまって紹介されていて、有り難いです。
◎仏教タントラにおけるチャクラ :インド仏教の後期密教のタントラ経典でもチャクラへの言及がある。チャクラの数や位置についてはいくつか異説があるが、一般に臍、心臓、喉、脳の4輪があるとされる。
最上位はヒンドゥー・ヨーガのサハスラーラに相当する「ウシュニーシャ・カマラ」(頂蓮華)または「マハースッカ・カマラ」(大楽蓮華)である。他の3つは臍にある「変化身」(ニルマーナ・カーヤ)のチャクラ、心臓にある「法身」(ダルマ・カーヤ)のチャクラ、喉にある「受用身」(サンボガ・カーヤ)のチャクラであり、仏身の三身に対応している。
◎インド密教を継承したチベット仏教の無上瑜伽タントラでは以下のチャクラがあるとされる。
大楽輪(頭頂)
受用輪(喉)
法輪(胸)
変化輪(臍)
守楽輪(秘密処=下丹田にあたる)
◎一説には、インド密教ヨガのタントラ経典やチベット密教カギュ派のタントラ経典などでは、身体には主要な7つのチャクラ(または6つのチャクラと1つの門)と、身体のあちこちにあるその他の小さなチャクラとがあるとされている。
主要な7つのうち、会陰と頭頂を除く5つのチャクラは、脊髄に沿った5つのチャクラと、身体前面に沿った5つのチャクラとはそれぞれが対になって繋がっているとされている
(「タントラ密教経典」参照。なお、密教経典は門外不出とされている)。
下位幽体のチャクラ(会陰)
上位幽体のチャクラ(臍下約3cm)
応身(変化身)のチャクラ(臍上約3cm)
法身のチャクラ(胸)
報身のチャクラ(喉)
本性身のチャクラ(額)
金剛身のチャクラ(頭頂)
◎チベット仏教ニンマ派のナムカイ・ノルブの説明によれば、タントラ経典によってチャクラの数が異なるのは一貫性に欠けているわけではなく、基本的なプラーナのシステムの概念は共通しており、様々なタントラの修行においてそれぞれに異なったチャクラを使うため、それぞれのテキストでは必要なチャクラだけが書かれているのだという。
◎中国 :中国の道家や内丹術の伝統的な身体論には、インドのチャクラに比すべき丹田という概念があるが、近代の内丹術の中でも清代の閔小艮の一派はヨーガの七輪の概念を取り入れている。
◎西洋への伝播 :ヨーガの伝播と共にチャクラの概念も伝播した。数は7箇所で内臓の各部に充てられるようになった。また、その振動の周波数などを解明したとする研究者もいる。他の行法である近代西洋儀式魔術などにも概念が取り入れられた。
ただ、西洋への伝播に関しては、チャクラというのは基本的な人間のエネルギー・システムに組み込まれた構造のため、2つ前の記事で紹介したギヒテルのように、自分独自の主観的体験・経験として発見した人たちが西洋にもある程度いるはずで、その人たちが独自に自分の主観的体系をつくっていったという流れも、当然あると思います。
また、チャクラ情報の整理として、脊髄・神経叢・体表という分類が示されていて、これはかなり有効なものです。
神経叢のチャクラと脊髄のチャクラ:チャクラは脊椎に関連するエーテル体にあるエネルギー・センター(渦)で、肉体の7つの内分泌腺及びメンタル体、アストラル体、肉体の調整と活性化を司り、意識の中枢と各身体の中継点としての役割をはたしている。
現在のヒーリングなどの分野では、各チャクラに対応する体表のツボのことを指して「チャクラ」と呼んでいる。体表のツボは単にチャクラからのプラーナ(気)の出入口としての役割を果たしているにすぎず、チャクラではないが、ここでは便宜上体表のチャクラと呼ぶことにする。
一方、伝統的なヨーガが伝えている「チャクラ」は、体表のチャクラではなく、人間のエーテル体に存在するほぼ脊柱に沿った7つのチャクラで、ここではこれを脊髄のチャクラと呼ぶことにする。
しかし時代が下るにつれ、この脊髄のチャクラとは異なるチャクラの記述が現われるようになる。ここではこれを神経叢のチャクラと呼ぶことにする。
実のところ主要な7つのチャクラのいずれのチャクラも、これら神経叢のチャクラと脊髄のチャクラが対をなして存在している。
しかし現在に至るまで、この2つのチャクラの系統は明確な区別がなされていない。
古代のヒンドゥー教のヨーガでは、脊髄のチャクラが「チャクラ」とされてきた。
・・・
6-7世紀以降、タントラ教典が編纂された後の近代のヨーガでは、神経叢のチャクラについて言及するようになった。
・・・
また、サマエル・アウン・ベオールの著書『完全なる結婚』(ノーシス書院)には、神経叢のチャクラと脊髄のチャクラの存在について、「原始ヒンズーヨギたちは、脊髄のチャクラとクンダリニーにすべての注意を払い、神経叢のエーテルチャクラには、ほとんど無関心であった。このことはにせ秘教家を驚かせた。」という記述がある。
以上からも、各々のヨーガ行者あるいは神秘家がチャクラの性質及びその位置について言及する場合、神経叢のチャクラあるいは脊髄のチャクラのいずれか一方についてのみ言及しており、各々のチャクラが、これら2つのチャクラと対をなして存在していること、及び、それらの位置と機能の違いについて、明確に区別し、自覚されていたとは考えにくい。
体表のチャクラは、先に述べたように本質的にチャクラではなく、チャクラからのプラーナ(気)の出入り口である。
しかし、そのルートが浄化されていることが心身の健康とチャクラの覚醒の上で重要であるため、ヒーリングの分野において重視されている。
・・・
ちなみに、アリス・ベイリーには、「頭部に2つ、脊椎上に5つのエネルギー・センターがある」と書かれています。ヒンドゥー古来の伝統を、現代科学と接合するベースを築いたわけです。
これが、昨日最後に書いたことの根拠です。
体表のチャクラを感じ取ったロザリン・ブリエールが、その内容を認められなかったとしても、やむを得ないかもしれません。
チャクラ情報の起源を探る(2)ロザリン・ブリエールの『光の輪』
昨日に続いたテーマで今日は、「近代ヒーリングの母」とも言われているロザリン・ブリエールによる『光の輪―オーラの神秘と聖なる癒し』(鈴木真佐子訳、太陽出版)から紹介します。
ただし、最初にお断りしておきますが、彼女のこの本に関しては、去年の11月10日の記事を参照していただきたいのですが、「もどってきたチャクラ思想」という項のところで、
「初期のチャクラ思想は、西洋におけるギリシャのエレウシスやデルファイでのミステリースクールの儀式、初期のキリスト教、さらには錬金術師たちの風習の中に見ることができます。
そして時代がさらに下って、チャクラの思想は、今世紀の変わり目に再び西洋にもどってきたのです。イギリスの神学者であったアリス・ベイリーと神秘主義グループは、インドで『さとり』をひらき、帰国後、チャクラについての本を書きました。
続いてチャールズ・レッドベター牧師とアニー・ベザントが、チャクラについての著述を発表しました。これら神学者は自分たちが学んだチャクラの知識をもとに、いくつかの仮説を立てています。」
と書かれています。この最後のものは、昨日ご紹介した『チャクラ』ですが、こう書いた後でロザリンは、
「彼らはインドに赴き、以前から固執していた考え方が正しかったという証拠を見つけてきたにすぎないのです。」
というような、誤った主張をしています。
今日は、なぜこのようなこと彼女が言いだすかについても、考察していきましょう。
このタイトルに関連した記述のところを読んでみますと、
「オーラそのものは、体内エネルギーの小さな渦のスピンによって生じます。この不思議なエネルギーの名称は宗教ごとに異なりますが、ごく一般的に使われているのが、サンスクリット語からきた『チャクラ』という名称で、『光の輪』を意味します。
このチャクラこそ、私たちが何者で、何を感じ、どう考え、どう変化していくのか、さらには自分自身をどう表現し、どう創造していくかを決定づけるものなのです。まさにチャクラは人生そのものだといえるでしょう。
チャクラを追求することは、決して斬新なことでもありません。オーラや電磁場と同じく、チャクラも地球と同様に古いものです。私たちの体内のチャクラこそがすべての源であり、さらにチャクラを知ることが、神に帰る道でもあるのです。
私のチャクラについての知識のほとんどは、ヒーラーあるいはその指導者として過ごしてきた二十年の経験から来るものです。
私がまだ未熟なヒーラーだった頃、人のオーラのところどころに暗い部分があったり、穴があいているのを見ることがありました。そのうち、それらの穴が不健康な身体の兆候であったり、病気を予告するものであることが分かってきました。
身体の一部にエネルギーを与えることで、身体がどのようにエネルギーを使い、さらにはエネルギーの動きを見ることによって健康状態をしることもできました。そして、病気にはある『パターン』があることも分かってきたのです。
さらに、身体あるいはチャクラの中に入り込んだ情報を抑えることはできても、排除できないということも分かってきました。でも、ほんの少し行動や考えを変えることで、生活のすべてを変化させることもできます。オーラと人間の幸福には関連がある、と私が考えるようになったのは、これらのことがきっかけになっています。」
オーラもチャクラも「光の輪」という共通概念で捉えているようですね。
それが悪いことではなく、その後展開していく西洋の近代ヒーリングが、どのようなベースで始まったのかを伺い知ることのできる、とても興味深い内容だと思います。
続けて見てみますと、
「ネイティブ・アメリカンが大地を崇めるように、私は植物や動物により密接に接するようになり、大地に対して、より愛着と責任を持つようになりました。
『様々な自然現象に対して素朴な祈りで対処する』。そうあるべきだと分かってきたのです。
さらに、私はさまざまなことを学びました。古代エジプトはもちろんのこと、ヒンズー教や東洋の宗教まで学びました。そして学べば学ぶほど、いかにチャクラが大きな意味を持つものであるかも分かってきました。
そのことを皆さんに伝えたくて、私は資料となる本を色々と探してみましたが、見つかりませんでした。どの本も単に著者のユニークな理論を紹介しているものにすぎませんでしたし、お互いに矛盾し合うような内容のものばかりでした。
本書は、これらの理論を総合したうえで、さらには古代の知恵と現代の科学を関連づけたうえで、生命のエネルギーや光について書いたものです。
チャクラを学ぶ方たちは、さらに経験を通して学んだ知識を本書に加えていって欲しいと思います。本書は、より優れた理論が誕生するための土台にすぎません。・・・
精神における科学的な要素を探求するにあたり、私は明らかに初期の科学的体験や科学的背景に影響を受けています。実証できるデータは何でも集めてきました。
でも、つい最近まで、科学分野におけるチャクラの立証例はほんのわずかしかありませんでした。でもチャクラの強力なエネルギーは、止まることなくスピンし、創造し、真実を記録し続けてきたのです。」
う~ん、何と言ったらいいのでしょうね。西洋的アプローチの(東洋に対する)素晴らしさと幼稚さが混在していて、評価のしようがないというところです。一番問題な部分は、
「本書は、これらの理論を総合したうえで、さらには古代の知恵と現代の科学を関連づけたうえで」と彼女が自負している点です。彼女が自分の体験と関連付けることのできた「古代の知恵」は、「ネイティブ・アメリカン」らのもっていた知恵であって、インドの叡智ではないのです。
その知識体系の間には相当な開きがあり、唯物化した西洋文明はこういった点においてネイティブ文化よりも劣っていたためにそこにやっと辿り着いたことを、インドの水準にも辿り着いたと勘違いしているのです。
昨日リードビーターが紹介したギヒテルの話にしても、インド関係者が読んだら、こういう分野において何と西洋が遅れていたのか、と感じると思います。
インドを中心とする東洋には、ギヒテル・クラスの人は五万とおり、本物の霊的教師の目から見ればまだ駆け出しにすぎないようなレベルなのです。
この本の出版時点まで遡って彼女を説得し、この辺の根本的認識を書き換えることができたら、その後のヒーリングや精神世界の進展ははるかに素晴らしいものになっていたことだろうと、思わずにはいられません。
あるいは、今、彼女がチャクラに関する情報を整理したら、
彼女自身がまったく違った結論に達していたかもしれません。
初期の情報の乏しい時代には、これが限界だったかもしれませんね。
しかし、最初のフロンティアがこういうことを書いてしまうと、それが権威化され、その後に続くものがすべて間違ったイリュージョンの体系を築きあげてしまうのです。
しかし一方で、西洋の素晴らしいところは、やはりその実証的、科学的姿勢です。
数十年の回り道はしたとしても、彼女自身が書いているように、この本が礎となり、否定されて、より優れた理論が誕生していくことでしょう。
そして、それが行きつく先に、インドの伝統であることを発見することでしょう。
現代物理学が辿った軌跡が、ここでまた、繰り返されることと思います。
ただ、西洋の素晴らしさは、それをきちんとした科学的言語で記述できる点であり、やがてはインドの伝統も追い抜いていくことになるでしょう。
そのとき、アリス・ベイリーの情報の真価が、明確に認識されることになるはずです。
ただし、最初にお断りしておきますが、彼女のこの本に関しては、去年の11月10日の記事を参照していただきたいのですが、「もどってきたチャクラ思想」という項のところで、
「初期のチャクラ思想は、西洋におけるギリシャのエレウシスやデルファイでのミステリースクールの儀式、初期のキリスト教、さらには錬金術師たちの風習の中に見ることができます。
そして時代がさらに下って、チャクラの思想は、今世紀の変わり目に再び西洋にもどってきたのです。イギリスの神学者であったアリス・ベイリーと神秘主義グループは、インドで『さとり』をひらき、帰国後、チャクラについての本を書きました。
続いてチャールズ・レッドベター牧師とアニー・ベザントが、チャクラについての著述を発表しました。これら神学者は自分たちが学んだチャクラの知識をもとに、いくつかの仮説を立てています。」
と書かれています。この最後のものは、昨日ご紹介した『チャクラ』ですが、こう書いた後でロザリンは、
「彼らはインドに赴き、以前から固執していた考え方が正しかったという証拠を見つけてきたにすぎないのです。」
というような、誤った主張をしています。
今日は、なぜこのようなこと彼女が言いだすかについても、考察していきましょう。
このタイトルに関連した記述のところを読んでみますと、
「オーラそのものは、体内エネルギーの小さな渦のスピンによって生じます。この不思議なエネルギーの名称は宗教ごとに異なりますが、ごく一般的に使われているのが、サンスクリット語からきた『チャクラ』という名称で、『光の輪』を意味します。
このチャクラこそ、私たちが何者で、何を感じ、どう考え、どう変化していくのか、さらには自分自身をどう表現し、どう創造していくかを決定づけるものなのです。まさにチャクラは人生そのものだといえるでしょう。
チャクラを追求することは、決して斬新なことでもありません。オーラや電磁場と同じく、チャクラも地球と同様に古いものです。私たちの体内のチャクラこそがすべての源であり、さらにチャクラを知ることが、神に帰る道でもあるのです。
私のチャクラについての知識のほとんどは、ヒーラーあるいはその指導者として過ごしてきた二十年の経験から来るものです。
私がまだ未熟なヒーラーだった頃、人のオーラのところどころに暗い部分があったり、穴があいているのを見ることがありました。そのうち、それらの穴が不健康な身体の兆候であったり、病気を予告するものであることが分かってきました。
身体の一部にエネルギーを与えることで、身体がどのようにエネルギーを使い、さらにはエネルギーの動きを見ることによって健康状態をしることもできました。そして、病気にはある『パターン』があることも分かってきたのです。
さらに、身体あるいはチャクラの中に入り込んだ情報を抑えることはできても、排除できないということも分かってきました。でも、ほんの少し行動や考えを変えることで、生活のすべてを変化させることもできます。オーラと人間の幸福には関連がある、と私が考えるようになったのは、これらのことがきっかけになっています。」
オーラもチャクラも「光の輪」という共通概念で捉えているようですね。
それが悪いことではなく、その後展開していく西洋の近代ヒーリングが、どのようなベースで始まったのかを伺い知ることのできる、とても興味深い内容だと思います。
続けて見てみますと、
「ネイティブ・アメリカンが大地を崇めるように、私は植物や動物により密接に接するようになり、大地に対して、より愛着と責任を持つようになりました。
『様々な自然現象に対して素朴な祈りで対処する』。そうあるべきだと分かってきたのです。
さらに、私はさまざまなことを学びました。古代エジプトはもちろんのこと、ヒンズー教や東洋の宗教まで学びました。そして学べば学ぶほど、いかにチャクラが大きな意味を持つものであるかも分かってきました。
そのことを皆さんに伝えたくて、私は資料となる本を色々と探してみましたが、見つかりませんでした。どの本も単に著者のユニークな理論を紹介しているものにすぎませんでしたし、お互いに矛盾し合うような内容のものばかりでした。
本書は、これらの理論を総合したうえで、さらには古代の知恵と現代の科学を関連づけたうえで、生命のエネルギーや光について書いたものです。
チャクラを学ぶ方たちは、さらに経験を通して学んだ知識を本書に加えていって欲しいと思います。本書は、より優れた理論が誕生するための土台にすぎません。・・・
精神における科学的な要素を探求するにあたり、私は明らかに初期の科学的体験や科学的背景に影響を受けています。実証できるデータは何でも集めてきました。
でも、つい最近まで、科学分野におけるチャクラの立証例はほんのわずかしかありませんでした。でもチャクラの強力なエネルギーは、止まることなくスピンし、創造し、真実を記録し続けてきたのです。」
う~ん、何と言ったらいいのでしょうね。西洋的アプローチの(東洋に対する)素晴らしさと幼稚さが混在していて、評価のしようがないというところです。一番問題な部分は、
「本書は、これらの理論を総合したうえで、さらには古代の知恵と現代の科学を関連づけたうえで」と彼女が自負している点です。彼女が自分の体験と関連付けることのできた「古代の知恵」は、「ネイティブ・アメリカン」らのもっていた知恵であって、インドの叡智ではないのです。
その知識体系の間には相当な開きがあり、唯物化した西洋文明はこういった点においてネイティブ文化よりも劣っていたためにそこにやっと辿り着いたことを、インドの水準にも辿り着いたと勘違いしているのです。
昨日リードビーターが紹介したギヒテルの話にしても、インド関係者が読んだら、こういう分野において何と西洋が遅れていたのか、と感じると思います。
インドを中心とする東洋には、ギヒテル・クラスの人は五万とおり、本物の霊的教師の目から見ればまだ駆け出しにすぎないようなレベルなのです。
この本の出版時点まで遡って彼女を説得し、この辺の根本的認識を書き換えることができたら、その後のヒーリングや精神世界の進展ははるかに素晴らしいものになっていたことだろうと、思わずにはいられません。
あるいは、今、彼女がチャクラに関する情報を整理したら、
彼女自身がまったく違った結論に達していたかもしれません。
初期の情報の乏しい時代には、これが限界だったかもしれませんね。
しかし、最初のフロンティアがこういうことを書いてしまうと、それが権威化され、その後に続くものがすべて間違ったイリュージョンの体系を築きあげてしまうのです。
しかし一方で、西洋の素晴らしいところは、やはりその実証的、科学的姿勢です。
数十年の回り道はしたとしても、彼女自身が書いているように、この本が礎となり、否定されて、より優れた理論が誕生していくことでしょう。
そして、それが行きつく先に、インドの伝統であることを発見することでしょう。
現代物理学が辿った軌跡が、ここでまた、繰り返されることと思います。
ただ、西洋の素晴らしさは、それをきちんとした科学的言語で記述できる点であり、やがてはインドの伝統も追い抜いていくことになるでしょう。
そのとき、アリス・ベイリーの情報の真価が、明確に認識されることになるはずです。
2012年 岐路に立つ世界経済
久しぶりに、世界の話題を紹介させていただきます。
今日の『クローズアップ現代』73分拡大版で、
「2012年 岐路に立つ世界経済」
「ヨーロッパの国々を脅かす国債危機『ソブリン・クライシス』。
そして野火のように広がるアメリカのデモ『ウォール街を占拠せよ』。
そして日本はその二つの危機に挟まれて記録的な円高に見舞われている。
背景にあるのは、“自由”な金融市場で広がる“マネー”。
時として制御を失い、
リーマン・ショックによる金融機関の破たんのみならず、
国家を揺るがす事態を引き起こすパワーを持つに至った。
世界はいま、国家の財政危機と
銀行などの金融危機が同時に進行するただ中にある。
経済危機が起きる度に“マネー”が引き起こす
新たな“バブル”によって乗り越えてきた世界経済。
しかし、先進国をも巻き込んだ連鎖の中で格差が拡大、
失業が解消されず、不況が長引き、
社会保障制度まで大きく揺らいでいる。
日本も、もはや“対岸の火事”ではない。
GDP国内総生産の2倍を超える財政赤字を抱える日本では、
消費税増税の議論が本格化する。
世界は、実体経済を凌駕し、
国家をも左右する“マネー”がもたらす困難を乗り越えることができるのか。
2012年最初のクローズアップ現代は、
危機の構造を解き明かしながら、この難局にどう向き合い、
いかに解決しなければならないのかを探る。」
今年初めとはいえ、いきなり普段の3倍近い特別番組ということで、この問題の深刻さを感じさせます。
差し当って、ヨーロッパ、EU諸国の経済問題は非常に深刻のようで、日本ではあまり報道されなくなってきていますが、ちょっとでも対処を誤ったり、アクシデントがあると、今月・来月にでも、世界経済崩壊のシナリオがスタートするという感じです。
それにしても、いつも思うのですが、
解説者の方たちの危機感の少なさに驚きます。
基本的に、生活の安定した(というか非常に恵まれた社会・経済状態の)人たちなので、自分の問題として考えられないのでしょうね。
以前にもご紹介しましたが、改めて問題の本質を、エソテリック・ヒーリングの立場から説いた文章を、紹介させていただきます。
(『秘教治療』下P202)
「健康への鍵は、秘教的に言って、分かち合いと分配である。
人類の全体的な幸福への鍵がそれらであるのと同じである。
人類の経済的な不健康さは個人の病気と密接に対応している。
生活に必要なものが分配点へと滞りなく流れておらず、
これらの分配点が使われていない。
分配の方向性が誤っており、
分かち合いという新時代の原理が健全かつ世界規模で把握されることを通してのみ、
人類の病気もまた癒されるであろう。
エネルギーの正しい分配を通してのみ、
個々の人間の肉体の不健康もまた癒されるであろう。
これはすべての霊的治療の基本(私は根本原理と言いたい)である。
今日の『クローズアップ現代』73分拡大版で、
「2012年 岐路に立つ世界経済」
「ヨーロッパの国々を脅かす国債危機『ソブリン・クライシス』。
そして野火のように広がるアメリカのデモ『ウォール街を占拠せよ』。
そして日本はその二つの危機に挟まれて記録的な円高に見舞われている。
背景にあるのは、“自由”な金融市場で広がる“マネー”。
時として制御を失い、
リーマン・ショックによる金融機関の破たんのみならず、
国家を揺るがす事態を引き起こすパワーを持つに至った。
世界はいま、国家の財政危機と
銀行などの金融危機が同時に進行するただ中にある。
経済危機が起きる度に“マネー”が引き起こす
新たな“バブル”によって乗り越えてきた世界経済。
しかし、先進国をも巻き込んだ連鎖の中で格差が拡大、
失業が解消されず、不況が長引き、
社会保障制度まで大きく揺らいでいる。
日本も、もはや“対岸の火事”ではない。
GDP国内総生産の2倍を超える財政赤字を抱える日本では、
消費税増税の議論が本格化する。
世界は、実体経済を凌駕し、
国家をも左右する“マネー”がもたらす困難を乗り越えることができるのか。
2012年最初のクローズアップ現代は、
危機の構造を解き明かしながら、この難局にどう向き合い、
いかに解決しなければならないのかを探る。」
今年初めとはいえ、いきなり普段の3倍近い特別番組ということで、この問題の深刻さを感じさせます。
差し当って、ヨーロッパ、EU諸国の経済問題は非常に深刻のようで、日本ではあまり報道されなくなってきていますが、ちょっとでも対処を誤ったり、アクシデントがあると、今月・来月にでも、世界経済崩壊のシナリオがスタートするという感じです。
それにしても、いつも思うのですが、
解説者の方たちの危機感の少なさに驚きます。
基本的に、生活の安定した(というか非常に恵まれた社会・経済状態の)人たちなので、自分の問題として考えられないのでしょうね。
以前にもご紹介しましたが、改めて問題の本質を、エソテリック・ヒーリングの立場から説いた文章を、紹介させていただきます。
(『秘教治療』下P202)
「健康への鍵は、秘教的に言って、分かち合いと分配である。
人類の全体的な幸福への鍵がそれらであるのと同じである。
人類の経済的な不健康さは個人の病気と密接に対応している。
生活に必要なものが分配点へと滞りなく流れておらず、
これらの分配点が使われていない。
分配の方向性が誤っており、
分かち合いという新時代の原理が健全かつ世界規模で把握されることを通してのみ、
人類の病気もまた癒されるであろう。
エネルギーの正しい分配を通してのみ、
個々の人間の肉体の不健康もまた癒されるであろう。
これはすべての霊的治療の基本(私は根本原理と言いたい)である。
チャクラ情報の起源を探る(1)
今日から、チャクラの情報を整理するに当って、2番目に挙げた、「書かれた時期」という観点で調べていきます。(書いていたら、長くなってしまったので、何回かに分けることにさせていただきます。)
現在、講座準備のために25点くらいの資料に当たりながら調べていますが、その中で西洋世界に(ほぼ)初めてチャクラの詳細を知らしめた、『チャクラ』(C.W.リードビーター著、本山博・湯浅泰雄訳、平河出版社)の中には、
頭頂のチャクラに関して(P29)、
「しかし人間が、聖なる光を実現した王者の位置に登り、彼のまわりのすべてのものに慈愛を施すようになれば、このチャクラの形は変わり、凹んだ部分が突出してくる。それはエネルギーを受容するものではなく逆に放射する経路になり、ドームのように頭に突出し、高貴な王冠のように輝くのである。
東洋の仏像や聖賢の画像・彫像には、このような形をあらわしたものが多い。・・・
このシンボルはキリスト教にもみられるもので、・・・」
とあります。図像の形では、かなり古くから象徴的に語られていたわけです。さらに、(P31~35)
「これまでのべた七つのエネルギー中枢については多くのサンスクリット文献、たとえば小ウパニシャッドの諸書、プラーナ文献類及びタントラの著作類などにしばしばのべられている。
今日でも、これらは多くのインドのヨギたちによって用いられているものである。
・・・
チャクラについては、ヨーロッパの神秘主義者の間にも、いくらか知られていたようである。その証拠はヤコブ・ベーメ(1575~1624)の弟子で、プロテスタントの秘密結社薔薇十字会に属していたらしい有名なドイツの神秘家ギヒテルの著書『実践的神智学』に見出される。
・・・彼はやがて内なる霊的世界がひらけてくるのを感じて、すべての世俗的関心を捨て、神秘的なキリスト教運動の創唱者になったのである。彼は当時の無智な正統派に対して反対の態度をとったため、彼らの憎悪を一身に集め、一六七〇年ごろにとうとう教会から追放され、財産を没収されてしまった。・・・
ギヒテルは、彼の『実践的神智学』に描かれた図を秘密にし、長い間、彼の弟子たちの小さなサークルにだけ伝えていた。彼はこれらの図は内なる照明によって得られたものであると言っているが、現代的にいえば、透視の力によるものと思われる。
・・・
ところで、この図がわれわれの関心をひくのは、それについての著者の説明のためではない。この図は、多少のまちがいの可能性はあったにせよ、少なくとも十七世紀の神秘家たちの間で、人体の中にある七つの中枢の存在と位置が知られていたという事実を示している。
これらのエネルギー中枢が古くから知られていたことを示す証拠としては、右の外にも、キリスト教的自由結社のフリーメーソン団の儀礼の中に例がある。これは太古の時代から伝えられてきた身体上の一種の突起物で、考古学的遺物の示すところでは、古代エジプトでもすでに知られており、用いられていた。そして今日に至るまで、忠実に伝えられてきたものである。フリーメーソンの団員はこれを秘密にし、彼らの目的とする仕事のために、これらの中枢を実際に刺激して用いた。
もっとも彼らは、感覚の眼を超えた次元で起こっている事柄については、ほとんど何も知らないのがふつうである。・・・」
このフリーメーソンの儀式に関しては、アリス・ベイリーの中で、新しい時代にその真の意味が復活し、公の場でのイニシエーションの儀式として使用されるようになると、予言されているものだと思います。
また、先にも紹介した『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(ルドルフ・シュタイナー著、高橋巌訳、筑摩書房)シュタイナーが開示しているのが、ギヒテルの流れを汲む、薔薇十字の伝統的知識でしょうし、シュタイナー自身フリーメーソンでもありましたし、また当然ある程度はインドの伝統の勉強もしていましたので、その中にそちらの系統の知識も入っていたかもしれません。
(一応念のために書いておきますと、彼だけではなく、当時の神智学協会の上層部はブラヴァツキーも含めほぼ全員、フリーメーソンでもありました。
フリーメーソンのほぼ大半はブラックではなく、誠実な人たちですので、誤解なきよう、お願いいたします。)
現在、講座準備のために25点くらいの資料に当たりながら調べていますが、その中で西洋世界に(ほぼ)初めてチャクラの詳細を知らしめた、『チャクラ』(C.W.リードビーター著、本山博・湯浅泰雄訳、平河出版社)の中には、
頭頂のチャクラに関して(P29)、
「しかし人間が、聖なる光を実現した王者の位置に登り、彼のまわりのすべてのものに慈愛を施すようになれば、このチャクラの形は変わり、凹んだ部分が突出してくる。それはエネルギーを受容するものではなく逆に放射する経路になり、ドームのように頭に突出し、高貴な王冠のように輝くのである。
東洋の仏像や聖賢の画像・彫像には、このような形をあらわしたものが多い。・・・
このシンボルはキリスト教にもみられるもので、・・・」
とあります。図像の形では、かなり古くから象徴的に語られていたわけです。さらに、(P31~35)
「これまでのべた七つのエネルギー中枢については多くのサンスクリット文献、たとえば小ウパニシャッドの諸書、プラーナ文献類及びタントラの著作類などにしばしばのべられている。
今日でも、これらは多くのインドのヨギたちによって用いられているものである。
・・・
チャクラについては、ヨーロッパの神秘主義者の間にも、いくらか知られていたようである。その証拠はヤコブ・ベーメ(1575~1624)の弟子で、プロテスタントの秘密結社薔薇十字会に属していたらしい有名なドイツの神秘家ギヒテルの著書『実践的神智学』に見出される。
・・・彼はやがて内なる霊的世界がひらけてくるのを感じて、すべての世俗的関心を捨て、神秘的なキリスト教運動の創唱者になったのである。彼は当時の無智な正統派に対して反対の態度をとったため、彼らの憎悪を一身に集め、一六七〇年ごろにとうとう教会から追放され、財産を没収されてしまった。・・・
ギヒテルは、彼の『実践的神智学』に描かれた図を秘密にし、長い間、彼の弟子たちの小さなサークルにだけ伝えていた。彼はこれらの図は内なる照明によって得られたものであると言っているが、現代的にいえば、透視の力によるものと思われる。
・・・
ところで、この図がわれわれの関心をひくのは、それについての著者の説明のためではない。この図は、多少のまちがいの可能性はあったにせよ、少なくとも十七世紀の神秘家たちの間で、人体の中にある七つの中枢の存在と位置が知られていたという事実を示している。
これらのエネルギー中枢が古くから知られていたことを示す証拠としては、右の外にも、キリスト教的自由結社のフリーメーソン団の儀礼の中に例がある。これは太古の時代から伝えられてきた身体上の一種の突起物で、考古学的遺物の示すところでは、古代エジプトでもすでに知られており、用いられていた。そして今日に至るまで、忠実に伝えられてきたものである。フリーメーソンの団員はこれを秘密にし、彼らの目的とする仕事のために、これらの中枢を実際に刺激して用いた。
もっとも彼らは、感覚の眼を超えた次元で起こっている事柄については、ほとんど何も知らないのがふつうである。・・・」
このフリーメーソンの儀式に関しては、アリス・ベイリーの中で、新しい時代にその真の意味が復活し、公の場でのイニシエーションの儀式として使用されるようになると、予言されているものだと思います。
また、先にも紹介した『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(ルドルフ・シュタイナー著、高橋巌訳、筑摩書房)シュタイナーが開示しているのが、ギヒテルの流れを汲む、薔薇十字の伝統的知識でしょうし、シュタイナー自身フリーメーソンでもありましたし、また当然ある程度はインドの伝統の勉強もしていましたので、その中にそちらの系統の知識も入っていたかもしれません。
(一応念のために書いておきますと、彼だけではなく、当時の神智学協会の上層部はブラヴァツキーも含めほぼ全員、フリーメーソンでもありました。
フリーメーソンのほぼ大半はブラックではなく、誠実な人たちですので、誤解なきよう、お願いいたします。)
「チャクラ」情報と進化の関係
「チャクラ」情報と進化の関係
昨日は、チャクラの情報を整理するに当って、情報源に関して、
a 著者の霊的進化段階
b 書かれた時期
c 主観的体験として得られたものか、それまでの情報の整理か
という軸にしたがって調べるといいのではないか、と書きました。
aから順に見ていくことにします。
「著者の霊的進化段階」に関しては、主観的判断に任せるしかない、ともいえますが、神智学やアリス・ベイリーを読み込めば段々、推測はついてきますし、私はその情報と矛盾しないと感じるクレーム氏の「イニシエートのリスト」を信頼しているので、それに基づいて、載っていない方の場合には推測を加えながら、判断しています。
私は、アリス・ベイリーに情報を伝えた「チベット人」は、その文章を読んだ印象として明らかに「人間の域」を超えており、科学的に明快な表現で書かれていると思いますので、その情報を信頼できるものとして、まず柱に置きたいと思っています。
そして、それに匹敵する、並置できるほど信頼性の高いものは、ほとんどないように思います。
インドの伝統的なものはかなり信頼できると思いますが、表現としては曖昧な要素がふくまれています。
また、本当のアバター(6段階以上のイニシエート)と思われる聖者は、チャクラのようなメカニズムに関して詳細には語っておらず、生き方全体の大まかな指針を示唆するに留められており、一方詳細に語っている人たちは、高くて3段階前後の人間だと思いますので、多少でも疑いの目を持って見ていく必要があると思っています。
(アバターは、あくまで客員・名誉教授のような存在であり、詳細の研究・発見は人間的努力によって成し遂げていかなければいけない、というのが、霊的世界の基本的ルールです。)
では、最近たくさんの情報を提供しているヒーリング、あるいはチャネリング関係の人たちは、どのくらいの位置にいるかというと、書き難いのですが、上記の人たちとは比べようもない段階だと思います。
その中間に、チベット密教などを含むタントリックな教えや、リードビーターら(優れた)神智学徒などの情報がある、と考えられます。
前に書いたことがあったと思いますが、ここに属すると考えられるシュタイナーもわずかではありますが、チャクラに関して書いています。それは薔薇十字の霊的行法を伝えたといわれる『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』の中で、慎重に取り扱われています。こういった情報を扱うときの見識を示すものだといえます。
チャクラに関する情報源は、大雑把に、上記の3グループに分けられ、それぞれのグループで(本人の霊的進化段階により規定されて)主観的に感じ取っている内容が異なるため、それがチャクラ情報を混乱におとしめています。
しかし、純粋に、自分の主観で慎重に感じ取ったものを書き表わしたものであれば、それぞれ違う位相を描いているため、他のグループの情報と食い違うところがあっても、いずれも価値のある情報である、ということになります。
最上位以外のグループの場合は、主観的に感じ取ったものと、よリ高位のグループの情報から学んだものが混在している場合があって、その場合は意味のない混乱に巻き込まれてしまうので、注意してください。
昨日は、チャクラの情報を整理するに当って、情報源に関して、
a 著者の霊的進化段階
b 書かれた時期
c 主観的体験として得られたものか、それまでの情報の整理か
という軸にしたがって調べるといいのではないか、と書きました。
aから順に見ていくことにします。
「著者の霊的進化段階」に関しては、主観的判断に任せるしかない、ともいえますが、神智学やアリス・ベイリーを読み込めば段々、推測はついてきますし、私はその情報と矛盾しないと感じるクレーム氏の「イニシエートのリスト」を信頼しているので、それに基づいて、載っていない方の場合には推測を加えながら、判断しています。
私は、アリス・ベイリーに情報を伝えた「チベット人」は、その文章を読んだ印象として明らかに「人間の域」を超えており、科学的に明快な表現で書かれていると思いますので、その情報を信頼できるものとして、まず柱に置きたいと思っています。
そして、それに匹敵する、並置できるほど信頼性の高いものは、ほとんどないように思います。
インドの伝統的なものはかなり信頼できると思いますが、表現としては曖昧な要素がふくまれています。
また、本当のアバター(6段階以上のイニシエート)と思われる聖者は、チャクラのようなメカニズムに関して詳細には語っておらず、生き方全体の大まかな指針を示唆するに留められており、一方詳細に語っている人たちは、高くて3段階前後の人間だと思いますので、多少でも疑いの目を持って見ていく必要があると思っています。
(アバターは、あくまで客員・名誉教授のような存在であり、詳細の研究・発見は人間的努力によって成し遂げていかなければいけない、というのが、霊的世界の基本的ルールです。)
では、最近たくさんの情報を提供しているヒーリング、あるいはチャネリング関係の人たちは、どのくらいの位置にいるかというと、書き難いのですが、上記の人たちとは比べようもない段階だと思います。
その中間に、チベット密教などを含むタントリックな教えや、リードビーターら(優れた)神智学徒などの情報がある、と考えられます。
前に書いたことがあったと思いますが、ここに属すると考えられるシュタイナーもわずかではありますが、チャクラに関して書いています。それは薔薇十字の霊的行法を伝えたといわれる『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』の中で、慎重に取り扱われています。こういった情報を扱うときの見識を示すものだといえます。
チャクラに関する情報源は、大雑把に、上記の3グループに分けられ、それぞれのグループで(本人の霊的進化段階により規定されて)主観的に感じ取っている内容が異なるため、それがチャクラ情報を混乱におとしめています。
しかし、純粋に、自分の主観で慎重に感じ取ったものを書き表わしたものであれば、それぞれ違う位相を描いているため、他のグループの情報と食い違うところがあっても、いずれも価値のある情報である、ということになります。
最上位以外のグループの場合は、主観的に感じ取ったものと、よリ高位のグループの情報から学んだものが混在している場合があって、その場合は意味のない混乱に巻き込まれてしまうので、注意してください。
「チャクラ」理論の多様性
「チャクラ」理論の多様性
昨日は、アリス・ベイリーの「チャクラ」理論の特徴として自分なりに気づいたことを書かせていただきました。
この理論が、従来(といっても近年の日本での話ですが)「チャクラ」として出回っている情報とは、かなり隔たったものであることは、『秘教治療』をお読みいただければすぐに分かることです。
近年とみに、「チャクラ」に対する関心が高まっており、たくさんの情報が流れていますが、しかしその内容は語る人によって千差万別です。
私が2,000年に『秘教から科学へ ~ エネルギー・システムと進化』を上梓する際、原稿をまとめようとしたときでさえ、アリス・ベイリーの翻訳がまだなされておらず頼れる柱がなかったこともありますが、神智学を中心にヨーガやその他のものを調べて、書かれている内容がかなり食い違うため、まとめきれないな、と感じて放り出したことを覚えています。
その後、色々勉強を重ね、それなりに情報の構造化ができたので、今はそれほど惑わされることはありませんが、しかし、情報量および種類はそのときに比べ、はるかに増大しています。
その中には、アリス・ベイリーの情報も含まれますが、大半はヒーラーたちによって書き加えられたものです。
ではそういったものをどうやって整理し、何を信頼して行ったらいいのか?
これは、ヒーリングに携わる方たちにはとても重要な問題だと思います。
チャクラについて語ることは、色々な意味で危険を伴いますので、ここで書くことはぼやかした表現になることをお断りしておきますが、今日はその範囲の中で、チャクラに関する大まかな情報の整理をしてみたいと思います。
情報源に関して、以下のような3つの観点からの分類ができます。
a 著者の霊的進化段階
b 書かれた時期
c 主観的体験として得られたものか、それまでの情報の整理か
a 著者の霊的進化段階 に関して
著者のレベルが、マスター(大師・覚者)以上の存在であれば信頼でき、第3段階以上のイニシエートの場合にも、私たちに関する限りはほぼ信頼できるといえます。
しかし、それ以下と思われる人が書いたものは、よい場合でも部分的な真理しか含んでいないといえます。なぜならば、真のチャクラの開花(覚醒)は、第3段階以上のイニシエーションを待たなければ訪れないからです。
また、前者のものであっても、その情報のもつ危険性から、明確な表現が避けられている場合が多いので、それを正しく読み取れるか否かは、読者の側のレベルにもよってきます。
b 書かれた時期
この手の情報を発表することは、ある意味とてもリスクを伴います。
したがって、aの前者である人、あるいは逆にまだ未熟で責任感や羞恥心のない人を除き、ほとんどの人が、それまでの情報を参照しながら書いています。
したがって、チャクラのような情報は、基本的に、書かれた年代順に調べていくことが望ましいといえます。
あるいは、科学的なマインドを持つ人の場合は、「(それまでの情報とは異なるところがあるものの)、私が主観的に感じとったものを、資料として提供するために書きます」というスタンスをとります。これは良識ある態度ですが、発表して以降、周囲の評価などによって本人の意識が変わってきてしまう場合もあるので、注意が必要です。
c 主観的体験として得られたものか、それまでの情報の単なる整理か
ハッキリ申しまして、私がやっていることは、それまでの情報の単なる整理です。
近年溢れてきているチャクラ情報の大半が、この類ともいえます。というのは、本人に本人自身が信頼に足るような主観的体験がないからです。
しかし、この整理情報も、科学的なマインドに照らして行われているものは、一般の人々に対して、十分価値があると思っており、それゆえ今回も情報発信しているわけです。
では、主観的体験を通して得られた情報は、どのように扱えばよいか、というと、これはaで論じた通りです。
したがって、そのようなものから信頼できる情報を得るためには、その前提として霊的な進化段階をある程度推測できなければなりません。それができない人は、先に書いた信頼できる整理情報をまず参照することがお勧めです。
それまでの情報に主観的体験を付け加えたものも、多数存在します。
研究としては、付け加えられた主観的体験からの情報を分離して評価することが必要ですが、こういう情報はある意味、中途半端な(レベルの人が書いたもの)ので、ここでそれを取り出して調べる必要なないと思います。
ただ、ヒーリングを習っている人の場合、その先生や使用しているテキストは、大半の場合、「それまでの情報に主観的体験を付け加えたもの」だと思いますので(オリジナリティーを付け加えないと、単なる盗作になってしまうので)、そういう人の抱える実際的な問題は、ここにあります。
これから私は、チャクラに関する様々な情報をしばらく紹介していこうと思っていますが、取り上げるのは、主観的体験を通して得られたオリジナル情報が中心になります。
それを読んで検討いただくことによって、(講座の準備以外に)そういう方たちのお役にも立てれば、と思っています。
昨日は、アリス・ベイリーの「チャクラ」理論の特徴として自分なりに気づいたことを書かせていただきました。
この理論が、従来(といっても近年の日本での話ですが)「チャクラ」として出回っている情報とは、かなり隔たったものであることは、『秘教治療』をお読みいただければすぐに分かることです。
近年とみに、「チャクラ」に対する関心が高まっており、たくさんの情報が流れていますが、しかしその内容は語る人によって千差万別です。
私が2,000年に『秘教から科学へ ~ エネルギー・システムと進化』を上梓する際、原稿をまとめようとしたときでさえ、アリス・ベイリーの翻訳がまだなされておらず頼れる柱がなかったこともありますが、神智学を中心にヨーガやその他のものを調べて、書かれている内容がかなり食い違うため、まとめきれないな、と感じて放り出したことを覚えています。
その後、色々勉強を重ね、それなりに情報の構造化ができたので、今はそれほど惑わされることはありませんが、しかし、情報量および種類はそのときに比べ、はるかに増大しています。
その中には、アリス・ベイリーの情報も含まれますが、大半はヒーラーたちによって書き加えられたものです。
ではそういったものをどうやって整理し、何を信頼して行ったらいいのか?
これは、ヒーリングに携わる方たちにはとても重要な問題だと思います。
チャクラについて語ることは、色々な意味で危険を伴いますので、ここで書くことはぼやかした表現になることをお断りしておきますが、今日はその範囲の中で、チャクラに関する大まかな情報の整理をしてみたいと思います。
情報源に関して、以下のような3つの観点からの分類ができます。
a 著者の霊的進化段階
b 書かれた時期
c 主観的体験として得られたものか、それまでの情報の整理か
a 著者の霊的進化段階 に関して
著者のレベルが、マスター(大師・覚者)以上の存在であれば信頼でき、第3段階以上のイニシエートの場合にも、私たちに関する限りはほぼ信頼できるといえます。
しかし、それ以下と思われる人が書いたものは、よい場合でも部分的な真理しか含んでいないといえます。なぜならば、真のチャクラの開花(覚醒)は、第3段階以上のイニシエーションを待たなければ訪れないからです。
また、前者のものであっても、その情報のもつ危険性から、明確な表現が避けられている場合が多いので、それを正しく読み取れるか否かは、読者の側のレベルにもよってきます。
b 書かれた時期
この手の情報を発表することは、ある意味とてもリスクを伴います。
したがって、aの前者である人、あるいは逆にまだ未熟で責任感や羞恥心のない人を除き、ほとんどの人が、それまでの情報を参照しながら書いています。
したがって、チャクラのような情報は、基本的に、書かれた年代順に調べていくことが望ましいといえます。
あるいは、科学的なマインドを持つ人の場合は、「(それまでの情報とは異なるところがあるものの)、私が主観的に感じとったものを、資料として提供するために書きます」というスタンスをとります。これは良識ある態度ですが、発表して以降、周囲の評価などによって本人の意識が変わってきてしまう場合もあるので、注意が必要です。
c 主観的体験として得られたものか、それまでの情報の単なる整理か
ハッキリ申しまして、私がやっていることは、それまでの情報の単なる整理です。
近年溢れてきているチャクラ情報の大半が、この類ともいえます。というのは、本人に本人自身が信頼に足るような主観的体験がないからです。
しかし、この整理情報も、科学的なマインドに照らして行われているものは、一般の人々に対して、十分価値があると思っており、それゆえ今回も情報発信しているわけです。
では、主観的体験を通して得られた情報は、どのように扱えばよいか、というと、これはaで論じた通りです。
したがって、そのようなものから信頼できる情報を得るためには、その前提として霊的な進化段階をある程度推測できなければなりません。それができない人は、先に書いた信頼できる整理情報をまず参照することがお勧めです。
それまでの情報に主観的体験を付け加えたものも、多数存在します。
研究としては、付け加えられた主観的体験からの情報を分離して評価することが必要ですが、こういう情報はある意味、中途半端な(レベルの人が書いたもの)ので、ここでそれを取り出して調べる必要なないと思います。
ただ、ヒーリングを習っている人の場合、その先生や使用しているテキストは、大半の場合、「それまでの情報に主観的体験を付け加えたもの」だと思いますので(オリジナリティーを付け加えないと、単なる盗作になってしまうので)、そういう人の抱える実際的な問題は、ここにあります。
これから私は、チャクラに関する様々な情報をしばらく紹介していこうと思っていますが、取り上げるのは、主観的体験を通して得られたオリジナル情報が中心になります。
それを読んで検討いただくことによって、(講座の準備以外に)そういう方たちのお役にも立てれば、と思っています。
チャクラ、すなわちアリス・ベイリーの“エネルギー・センター”
さて今日から、ブログ・日記も本題に入り、次回の「エソテリック・ヒーリング連続講座」のテーマ、「チャクラ」に入っていきたいと思います。
初日は15日なので、早いもので、あと1週間ちょっとです。
アリス・ベイリーの本の中では、「チャクラ」という言葉は使われておらず、「エネルギー・センター」という言葉が使われていますが、それだと一般の人には伝わりにくい(インパクトが少ない)ので、「チャクラ」という言葉を使っています。
チャクラはもちろん、インドで使われていた言葉で、「(人間の見えない身体にある回転する光の)輪」というような意味です。
主要なチャクラが7つあることは、日本でもかなり一般的に知られるようになってきましたが、主要でない、小さなチャクラも多数(数え方によっては無数に)あります。
さらに、人間は宇宙と相似構造をなす“小宇宙”ともいわれますが、実際に宇宙(=“大宇宙”)にもチャクラに相当するものが存在するのです。
宇宙全体を俯瞰~精査できるような超高性能の望遠鏡~顕微鏡機能を兼ね備えた機器があったとして、それで倍率をドンドン変化させて観ていくと、この宇宙はまさに、ホログラフィー的なエネルギー・ネットワーク・システム構造をしていると考えられ、一つのレベルの存在=エネルギー・ネットワークにおいて、最も重要な役割を果たすのが、
人間レベルでは(7つの)チャクラといわれてきたものなのである・・・というのが、アリス・ベイリーによって初めて明確に提示されたエネルギー宇宙論だと、私は捉えています。
アリス・ベイリー(を通して情報を伝えたジュワル・クール大師)が、チャクラという言葉を使わずに、「エネルギー・センター」という言葉を使っているのは、(人間レベルに固有の現象として扱うのではなく)そのようなエネルギー宇宙論の立場から、どのレベルのエネルギー・ネットワークにも共通する普遍的問題として敷衍可能な概念として語りたかった、ということがあるのではないか、と思います。
これは、アリス・ベイリーの本の中に出てくる他の言葉にも、共通に見られる特徴といえます。
例えば、「人類」のことをわざわざ「自然の第4王国」と表現することがよくあります。
(太陽系の)自然には7つの王国が存在すると言われ、下から、鉱物・植物・動物、そして人間、超人(ハイアラーキー)・惑星(シャンバラ)・太陽(ロゴス)という7つで、そのうち人類は(上から数えても、下から数えても)4番目ということですが、これは7つあるうちの4番目ということで、同じ関係性をもつものにはみな共通性があるので、アリス・ベイリーの勉強を積めば積むほど、「人類」ではなく「第4王国」という言葉を使うことによって、多くの関連する意味が引き出せるようになっていくのです。
アリス・ベイリーの著作、中でも「論文」とされているもの(“A Treatise on Cosmic Fire ”=『宇宙の火[
に関する論文]』/『ホワイト・マジック』/7つの光線に関する論文シリーズ=『秘教心理学・第一巻』
・『秘教心理学・第二巻』・“Esoteric Astrology”[『秘教占星学』]・『秘教治療』・“The Rays and the Initiations”[『光線とイニシエーション』])は特に、その辺の論理や言葉づかいに配慮がなされていると感じます。
話を「チャクラ」に戻し、人間の病気治療~健康を考えるという実際的な目的ももって書かれた『秘教治療』においては、人間をエネルギー・ネットワーク・システムとして見て、そのシステムの不調和を整えて(パーソナリティーを魂の支配下において)調和に導くことがヒーリングの根幹であると考えるわけですから、そのシステムの中で最も重要なエネルギー・センターである7つのチャクラは、当然のことながらエソテリック・ヒーリングにおいて最も重要な要素になるわけです。
このチャクラ~エネルギー・センターの正しい理解なしに、エソテリック・ヒーリングを語ることは無意味です。
では、そのアリス・ベイリー『秘教治療』の中でチャクラ~エネルギー・センターについてどのようなことが語られているか、というと、おそらく日本で最もこれに精通している人たちであっても、まったく知らない、あるいは容易に理解できない説明がなされています。
それはなぜかというと、これまでややこしい話で説明してきたように、普遍的なエネルギー・システムの立場にたって、他の近接するレベルのエネルギー・センター(例えば、「地球」の主要なエネルギー・センターであるシャンバラやハイアラーキー)との関係を重視しながら語っているからです。
それは、慣れないうちはとても難解でわずらわしいように思えますが、理解が進んでいくと、個人の問題を考えながら自然とこの惑星や太陽系、さらに大きな宇宙とのつながりが感じられる、まさに宇宙意識(卑俗な意味で使っています)を育ててくれるのです。
今日は、非常に抽象的な話になってしまいましたが、アリス・ベイリーにおける「チャクラ」理論の一番の特徴を述べると、以上のようになるかと思っています。
初日は15日なので、早いもので、あと1週間ちょっとです。
アリス・ベイリーの本の中では、「チャクラ」という言葉は使われておらず、「エネルギー・センター」という言葉が使われていますが、それだと一般の人には伝わりにくい(インパクトが少ない)ので、「チャクラ」という言葉を使っています。
チャクラはもちろん、インドで使われていた言葉で、「(人間の見えない身体にある回転する光の)輪」というような意味です。
主要なチャクラが7つあることは、日本でもかなり一般的に知られるようになってきましたが、主要でない、小さなチャクラも多数(数え方によっては無数に)あります。
さらに、人間は宇宙と相似構造をなす“小宇宙”ともいわれますが、実際に宇宙(=“大宇宙”)にもチャクラに相当するものが存在するのです。
宇宙全体を俯瞰~精査できるような超高性能の望遠鏡~顕微鏡機能を兼ね備えた機器があったとして、それで倍率をドンドン変化させて観ていくと、この宇宙はまさに、ホログラフィー的なエネルギー・ネットワーク・システム構造をしていると考えられ、一つのレベルの存在=エネルギー・ネットワークにおいて、最も重要な役割を果たすのが、
人間レベルでは(7つの)チャクラといわれてきたものなのである・・・というのが、アリス・ベイリーによって初めて明確に提示されたエネルギー宇宙論だと、私は捉えています。
アリス・ベイリー(を通して情報を伝えたジュワル・クール大師)が、チャクラという言葉を使わずに、「エネルギー・センター」という言葉を使っているのは、(人間レベルに固有の現象として扱うのではなく)そのようなエネルギー宇宙論の立場から、どのレベルのエネルギー・ネットワークにも共通する普遍的問題として敷衍可能な概念として語りたかった、ということがあるのではないか、と思います。
これは、アリス・ベイリーの本の中に出てくる他の言葉にも、共通に見られる特徴といえます。
例えば、「人類」のことをわざわざ「自然の第4王国」と表現することがよくあります。
(太陽系の)自然には7つの王国が存在すると言われ、下から、鉱物・植物・動物、そして人間、超人(ハイアラーキー)・惑星(シャンバラ)・太陽(ロゴス)という7つで、そのうち人類は(上から数えても、下から数えても)4番目ということですが、これは7つあるうちの4番目ということで、同じ関係性をもつものにはみな共通性があるので、アリス・ベイリーの勉強を積めば積むほど、「人類」ではなく「第4王国」という言葉を使うことによって、多くの関連する意味が引き出せるようになっていくのです。
アリス・ベイリーの著作、中でも「論文」とされているもの(“A Treatise on Cosmic Fire ”=『宇宙の火[
に関する論文]』/『ホワイト・マジック』/7つの光線に関する論文シリーズ=『秘教心理学・第一巻』
・『秘教心理学・第二巻』・“Esoteric Astrology”[『秘教占星学』]・『秘教治療』・“The Rays and the Initiations”[『光線とイニシエーション』])は特に、その辺の論理や言葉づかいに配慮がなされていると感じます。
話を「チャクラ」に戻し、人間の病気治療~健康を考えるという実際的な目的ももって書かれた『秘教治療』においては、人間をエネルギー・ネットワーク・システムとして見て、そのシステムの不調和を整えて(パーソナリティーを魂の支配下において)調和に導くことがヒーリングの根幹であると考えるわけですから、そのシステムの中で最も重要なエネルギー・センターである7つのチャクラは、当然のことながらエソテリック・ヒーリングにおいて最も重要な要素になるわけです。
このチャクラ~エネルギー・センターの正しい理解なしに、エソテリック・ヒーリングを語ることは無意味です。
では、そのアリス・ベイリー『秘教治療』の中でチャクラ~エネルギー・センターについてどのようなことが語られているか、というと、おそらく日本で最もこれに精通している人たちであっても、まったく知らない、あるいは容易に理解できない説明がなされています。
それはなぜかというと、これまでややこしい話で説明してきたように、普遍的なエネルギー・システムの立場にたって、他の近接するレベルのエネルギー・センター(例えば、「地球」の主要なエネルギー・センターであるシャンバラやハイアラーキー)との関係を重視しながら語っているからです。
それは、慣れないうちはとても難解でわずらわしいように思えますが、理解が進んでいくと、個人の問題を考えながら自然とこの惑星や太陽系、さらに大きな宇宙とのつながりが感じられる、まさに宇宙意識(卑俗な意味で使っています)を育ててくれるのです。
今日は、非常に抽象的な話になってしまいましたが、アリス・ベイリーにおける「チャクラ」理論の一番の特徴を述べると、以上のようになるかと思っています。
年初および1年の講座計画
昨日書いたようなわけで、今年も「エソテリック・ヒーリング(EH)講座」に全力を傾けていきたいと思います。
とりあえず決まっている予定を、一覧にまとめてご案内させていただきます。
★「エソテリック・ヒーリング(EH)連続講座」
会場:東京・田町~三田、
開催時間:10:00 ~ 16:30(1日で完結する内容です))
☆第4回「チャクラ」
1月15日(日) 初めての方でも大丈夫なペース
(定員が少ないので、お早目に)
22・23日(日・月)連続参加者向けのペース
☆第5回「パーソナリティー」
2月5・6日(日・月)「パーソナリティーの諸要素とEHの概要」
(初めての方、参加ができない回があった方のための、
第1~4回の復習講座。
この後、2月11・12日に、岡山と福岡でも、
ほぼ同じ内容を行います。)
2月23・26日(木・日)「パーソナリティー諸要素の関係とその統合」
(第1~4回を[対話も取り入れ]まとめつつ、その先に進みます)
初めての方であっても、この上旬・下旬の講座を受けられれば、
その後支障なく、次回以降受講できるように構成するつもりです。
☆6回目「魂とその進化、イニシエーション」
3月18・20・21日(日・火祭・水)
(以降の構想:予定)
☆7回目:4月「霊的進化の道に横たわる障害」
☆8回目:5月「死と輪廻転生」
☆9回目:6月「個人・人類・地球…とそのカルマ」
☆10回目:7月「EHに関する法則と規定(まとめ)」
☆11回目:8月「7種光線:基礎理論」
☆12回目:9月「7種光線とEH」
・・・・・
10月以降は、今行っている講座の再演(初級編)と、
さらに連続受講いただける方たちを対象にした中級編を、
同じテーマで並行して行っていくことを考えております。
☆1回目:10月「エーテル体」
☆2回目:11月「アストラル体」
☆3回目:12月「メンタル体」
参加費:1回ごと参加の場合:5,000円
入会~回数チケットも、用意しております。
『秘教治療』上・下巻約6,000円+4回回数券=20,000円
初回4回回数券=15,000円
4回使い終わって以降、3回回数券=10,000円
その他、入会者(回数チケット購入者)には、
お友達をお連れいただいた場合、
アリス・ベイリーの書籍(ご希望のもの)を1冊、
プレゼントさせていただく特典を用意いたします。
たくさんの方々とともに、アリス・ベイリーの勉強を
続けていきたいと思っておりますので、是非、ご紹介ください。
また、中級以降は、他のテキストも使っていきますので、
そのためにもこのシステムをご活用いただければ、と思います。
地方では、今のところ岡山・福岡で、2月と7月の2回で、
総集編を行う予定ですが、
その他の地域にも、ご希望があれば伺いたく思っております。
是非、遠慮なくお声掛けください。
奮ってのご参加、お待ちしております。
お申込み、お問合せ:
神尾学 yahuvmh@f4.dion.ne.jp(できるだけ、メールでお願いいたします。)
Tel&Fax 03-3672-8473
とりあえず決まっている予定を、一覧にまとめてご案内させていただきます。
★「エソテリック・ヒーリング(EH)連続講座」
会場:東京・田町~三田、
開催時間:10:00 ~ 16:30(1日で完結する内容です))
☆第4回「チャクラ」
1月15日(日) 初めての方でも大丈夫なペース
(定員が少ないので、お早目に)
22・23日(日・月)連続参加者向けのペース
☆第5回「パーソナリティー」
2月5・6日(日・月)「パーソナリティーの諸要素とEHの概要」
(初めての方、参加ができない回があった方のための、
第1~4回の復習講座。
この後、2月11・12日に、岡山と福岡でも、
ほぼ同じ内容を行います。)
2月23・26日(木・日)「パーソナリティー諸要素の関係とその統合」
(第1~4回を[対話も取り入れ]まとめつつ、その先に進みます)
初めての方であっても、この上旬・下旬の講座を受けられれば、
その後支障なく、次回以降受講できるように構成するつもりです。
☆6回目「魂とその進化、イニシエーション」
3月18・20・21日(日・火祭・水)
(以降の構想:予定)
☆7回目:4月「霊的進化の道に横たわる障害」
☆8回目:5月「死と輪廻転生」
☆9回目:6月「個人・人類・地球…とそのカルマ」
☆10回目:7月「EHに関する法則と規定(まとめ)」
☆11回目:8月「7種光線:基礎理論」
☆12回目:9月「7種光線とEH」
・・・・・
10月以降は、今行っている講座の再演(初級編)と、
さらに連続受講いただける方たちを対象にした中級編を、
同じテーマで並行して行っていくことを考えております。
☆1回目:10月「エーテル体」
☆2回目:11月「アストラル体」
☆3回目:12月「メンタル体」
参加費:1回ごと参加の場合:5,000円
入会~回数チケットも、用意しております。
『秘教治療』上・下巻約6,000円+4回回数券=20,000円
初回4回回数券=15,000円
4回使い終わって以降、3回回数券=10,000円
その他、入会者(回数チケット購入者)には、
お友達をお連れいただいた場合、
アリス・ベイリーの書籍(ご希望のもの)を1冊、
プレゼントさせていただく特典を用意いたします。
たくさんの方々とともに、アリス・ベイリーの勉強を
続けていきたいと思っておりますので、是非、ご紹介ください。
また、中級以降は、他のテキストも使っていきますので、
そのためにもこのシステムをご活用いただければ、と思います。
地方では、今のところ岡山・福岡で、2月と7月の2回で、
総集編を行う予定ですが、
その他の地域にも、ご希望があれば伺いたく思っております。
是非、遠慮なくお声掛けください。
奮ってのご参加、お待ちしております。
お申込み、お問合せ:
神尾学 yahuvmh@f4.dion.ne.jp(できるだけ、メールでお願いいたします。)
Tel&Fax 03-3672-8473
今年は、どんな年?
今日からお仕事、という方も多いと思います。
私も、今日が(外での)仕事はじめ。
講座などで使っている会場取りに行ってきました。
さて、皆さまにとって、今年は、どんな年になりそうでしょうか?
昨日は、この話題を書くつもりが、ブログ(のみ)の1年の方針に終始してしまったので、今日もう一度改めて、この問題を考えながら、書いていきたいと思います。
私にとってこの1年がどうなるか?
正直、まったく読めない、という感じです。
私は、このブログでも何回か書いてきましたが、先に向けて読みを進め、それに従って計画を立てるのが好きな人間なのですが、今年に限っては何も分からない、というのが正直な実感です。
私は精神世界で取り立たされているような意味での“アセンション”が起こるとは、まったく考えていません。
しかし、違った形での大きな変動が起こる可能性が高まっていることは、確かだと思っています。
その一つは、マヤ歴などで語られ、ワールドシフトでも大きな転換点とされた2012年という、まさにその年に今年が当たること。
それは単に、自然な流れとしてだけでなく、その転換点にしようという人類規模の意識エネルギーが、心象化の作用まで伴って、今年の年末に向け焦点化される年になる、ということが予測されるわけです。
その結果、特に昨年起きてきた(12月30日の記事にまとめた)世界的な動き・・・各国の抑圧された大衆が現在の不平等な社会の在り方に耐えきれずネットの力などを借りて立ち上がり、それが世界全体の同様の苦しみをもった人たちと横につながっていく、という動き・・・は、一層加速することになるでしょう。
もちろん、それを阻止しようという力も働くでしょうが、その力はお金というエネルギーでは大きくても、本来の民主主義で一番の力となる人の数においては、圧倒的な差があります。
本当に民衆が気づきだせば、そのパワーは怒涛の勢力、昨年見させられた津波の力にも喩えられるものとなり、どんな強固なバブル?の塔をも、一瞬に流し去ってしまうことになると思います。
その決定的瞬間が、今年になるか、来年以降になるかは分かりませんが、しかし、社会全体のダイナミズムは間違いなくそちらの方向に向かって加速度的に動いていくことになることでしょう。
それを加速する要因としては、反動的な政治経済の動き、あるいは昨年に続く大災害に見舞われる可能性もあると思います。いずれにしても、平坦な道程でないことは、覚悟しなければならないでしょう。
そしてその裏に、ハイアラーキー、そしてその長であるキリスト・マイトレーヤの働きが実際にあるのであれば、その存在が顕在化してくる可能性が高いでしょう。
やはり昨年11月30日にご紹介した「シェア・インターナショナル」誌の記事の中には、現在、覚者たちは、人類社会が必要以上に不安定にならないように配慮しながら変化を推進されているということが書かれています。そのお陰で、まだ大きな外面的な変化には至っていないものの、人々の意識は根底的なところで相当に変化してきており、もうあとひと押しで、一気に変化を起こすことが可能なところまで来ているとも見ることができます。
そうなれば実際に、来年を待たずして、マヤ歴の予言どおりにまったく新しい時代に突入する可能性もあり、その象徴として、全人類が本当にキリストを見る日が訪れるかもしれません。
以上が、今年起きるかもしれない世界全体の変化の予測です。
それに加えて、以下、個人的な問題に関しても、ちょっと書かせていただきますと、昨年、実母と義母がともに80代の大台に乗り、さすがに衰えを隠せなくなりました。本人たちも口を揃えて「やはり80になると、違うわ」と語っています。
もう一人、数年前に大台に乗った義父と合わせ80代の親が3人に、さらに一人息子が小さい頃に兄弟が欲しいということで義母が買ってきた犬もかなりくたびれてきて、昨年から頻繁にテンカンの発作を起こすようになり、日本全体の傾向に同じく、我が家もいよいよ老人介護(やスピリチュアル・ケア)が最大のテーマになってきました。
こちらの方もまた、いつどうなるか分からない、という状況の中で、出たとこ勝負をしていくしかない感じです。
そんな、先の状況がまったく読めない時期に突入したことを確認したのが、今年のお正月でした。
やることはシンプルに、「エソテリィック・ヒーリング連続講座」に絞って、最低限それを予定通りやり切ることに専念していきたいと思ってます。
あとは腹を極め、魂を見つめて(=太陽神経叢に集めたエネルギーをハートに引き上げることを目指し)、またハイアラーキーの存在を信じ、どんな状況に陥ろうとも、それに少しでも協力できることをやっていこう、という決意を新たにしたところです。
という感じの1年になりますが、今年もよろしくお願いいたします。
私も、今日が(外での)仕事はじめ。
講座などで使っている会場取りに行ってきました。
さて、皆さまにとって、今年は、どんな年になりそうでしょうか?
昨日は、この話題を書くつもりが、ブログ(のみ)の1年の方針に終始してしまったので、今日もう一度改めて、この問題を考えながら、書いていきたいと思います。
私にとってこの1年がどうなるか?
正直、まったく読めない、という感じです。
私は、このブログでも何回か書いてきましたが、先に向けて読みを進め、それに従って計画を立てるのが好きな人間なのですが、今年に限っては何も分からない、というのが正直な実感です。
私は精神世界で取り立たされているような意味での“アセンション”が起こるとは、まったく考えていません。
しかし、違った形での大きな変動が起こる可能性が高まっていることは、確かだと思っています。
その一つは、マヤ歴などで語られ、ワールドシフトでも大きな転換点とされた2012年という、まさにその年に今年が当たること。
それは単に、自然な流れとしてだけでなく、その転換点にしようという人類規模の意識エネルギーが、心象化の作用まで伴って、今年の年末に向け焦点化される年になる、ということが予測されるわけです。
その結果、特に昨年起きてきた(12月30日の記事にまとめた)世界的な動き・・・各国の抑圧された大衆が現在の不平等な社会の在り方に耐えきれずネットの力などを借りて立ち上がり、それが世界全体の同様の苦しみをもった人たちと横につながっていく、という動き・・・は、一層加速することになるでしょう。
もちろん、それを阻止しようという力も働くでしょうが、その力はお金というエネルギーでは大きくても、本来の民主主義で一番の力となる人の数においては、圧倒的な差があります。
本当に民衆が気づきだせば、そのパワーは怒涛の勢力、昨年見させられた津波の力にも喩えられるものとなり、どんな強固なバブル?の塔をも、一瞬に流し去ってしまうことになると思います。
その決定的瞬間が、今年になるか、来年以降になるかは分かりませんが、しかし、社会全体のダイナミズムは間違いなくそちらの方向に向かって加速度的に動いていくことになることでしょう。
それを加速する要因としては、反動的な政治経済の動き、あるいは昨年に続く大災害に見舞われる可能性もあると思います。いずれにしても、平坦な道程でないことは、覚悟しなければならないでしょう。
そしてその裏に、ハイアラーキー、そしてその長であるキリスト・マイトレーヤの働きが実際にあるのであれば、その存在が顕在化してくる可能性が高いでしょう。
やはり昨年11月30日にご紹介した「シェア・インターナショナル」誌の記事の中には、現在、覚者たちは、人類社会が必要以上に不安定にならないように配慮しながら変化を推進されているということが書かれています。そのお陰で、まだ大きな外面的な変化には至っていないものの、人々の意識は根底的なところで相当に変化してきており、もうあとひと押しで、一気に変化を起こすことが可能なところまで来ているとも見ることができます。
そうなれば実際に、来年を待たずして、マヤ歴の予言どおりにまったく新しい時代に突入する可能性もあり、その象徴として、全人類が本当にキリストを見る日が訪れるかもしれません。
以上が、今年起きるかもしれない世界全体の変化の予測です。
それに加えて、以下、個人的な問題に関しても、ちょっと書かせていただきますと、昨年、実母と義母がともに80代の大台に乗り、さすがに衰えを隠せなくなりました。本人たちも口を揃えて「やはり80になると、違うわ」と語っています。
もう一人、数年前に大台に乗った義父と合わせ80代の親が3人に、さらに一人息子が小さい頃に兄弟が欲しいということで義母が買ってきた犬もかなりくたびれてきて、昨年から頻繁にテンカンの発作を起こすようになり、日本全体の傾向に同じく、我が家もいよいよ老人介護(やスピリチュアル・ケア)が最大のテーマになってきました。
こちらの方もまた、いつどうなるか分からない、という状況の中で、出たとこ勝負をしていくしかない感じです。
そんな、先の状況がまったく読めない時期に突入したことを確認したのが、今年のお正月でした。
やることはシンプルに、「エソテリィック・ヒーリング連続講座」に絞って、最低限それを予定通りやり切ることに専念していきたいと思ってます。
あとは腹を極め、魂を見つめて(=太陽神経叢に集めたエネルギーをハートに引き上げることを目指し)、またハイアラーキーの存在を信じ、どんな状況に陥ろうとも、それに少しでも協力できることをやっていこう、という決意を新たにしたところです。
という感じの1年になりますが、今年もよろしくお願いいたします。
今年のブログは?
「私の暮・正月」 1.3
皆さま
明けまして おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします・・・といっても、
今日で3が日が終わりです。早いものですね。
暮・正月いかがお過ごしでしたか? 私はほとんど仕事をしっぱなしながらも、楽しく過ごしました。
31日は、30年振りくらいに、「紅白歌合戦」を最初から最後まで、ほぼ通して見てしまいました。
別に、見ようと思って見てたわけじゃないんですが、家族で実家に帰って、茶の間にパソコンを持ち込んで、
ブログ記事の整理をしてたところに、たまたまテレビがついていて、紅白をやっていただけなのですが、
ブログ記事の整理と紅白という組み合わせがとても良くて、もの凄く充実した時間を過ごせました。
ブログ記事の整理というのは、過去に書いた記事をある程度の量まとめてファイルに整理して保存する作業ですが、パソコンを打ちながらその場の思いつきで書いてることが多いので、まったく内容を忘れてしまったものがかなりあります。それでもそこそこの水準には達している(と自分で思えるものしか書いてない)ので、そんなこと書いてたんだ~、確かに書いたよな~って、思い出し、考えながら整理していくのって非常に面白く、またためになります。
・・・・・・
と、5行目以降の文章は、実は、1年前のものを丸写ししたものです。でも、一昨年末にこういう試みをやってとても良かったので、今回もやってみて、またとてもいいな、と改めて同じことを感じました。
時間の回転が年々速くなっている気がしているのは私だけではないと思うのですが、本当に去年はその前の年の2倍くらい速く、2倍くらい忙しく、別の表現をすれば2倍くらい色々なことがあり、ある意味では2倍くらい充実していたように感じます。
一昨年の7月から始めたブログも、今、回数を調べてみると、787回になっており、去年は290回くらい書いていたようです。追われるように、やっつけ仕事で書いたものもかなり多いのですが。そういうのは、結構自分のための備忘録としてメモしているので、読み直さないと意味がありません。
去年は、特に3月の震災時に膨大に記事を書き、読み直すとかなり恥ずかしいようなものもありますが、そのときはそれが別におかしくない状況だったと思うので、改めてそのひっ迫した状況の臨場感を思い出したりしました。
秋からは、連続講座が始まってそれ一色という感じになっていますが、その前からも結構、関連した記事を書いたりしてたんですね。
例えば、昨年末に3部作で書いた「心象化」・・・昨年1月30日に書いた「社会変革におけるアートの寄与」
http://holisticreading.blog62.fc2.com/blog-entry-543.html
という記事が、凄く関連している内容だったことを、整理していて発見しました。
そういうのをちゃんと目次を付けて分かりやすくして保存しておけば、後で、これに関連したことについて以前どこかで書いたはずだけど・・・ということで、検索もしやすくなります。
私の場合、今は本を出す時期ではないのですが、将来的にはある程度出版に利用することも考えつつ書いているため(本当は、もっとカテゴリーを上手く活用すべきなのでしょう)、これをテーマにした本を書きたい、というとき、それに関連する記事をすぐに集められるようにしたいと思っています。
この辺は、本を次々に出しているような人たちはおそらく効率よいシステムを作られていると思うので、私も書き流しているだけではなく、そろそろ書いていく方針を抜本的に考えなければならないなあ、と思っています。
とはいっても、「エソテリック・ヒーリング連続講座」が一巡する今年秋までは、とにかくそのときのテーマに関連する基礎的情報を思い浮かんだ先から書き続けることになるとは思います。
まず、それで一次情報を集めて、それをベースに次の段階で整理を進めていく、というような段取りになることでしょう。そんなわけで大半のものは、あまり一般受けする記事にはならないと思いますが、よろしければお付き合いください。
皆さま
明けまして おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします・・・といっても、
今日で3が日が終わりです。早いものですね。
暮・正月いかがお過ごしでしたか? 私はほとんど仕事をしっぱなしながらも、楽しく過ごしました。
31日は、30年振りくらいに、「紅白歌合戦」を最初から最後まで、ほぼ通して見てしまいました。
別に、見ようと思って見てたわけじゃないんですが、家族で実家に帰って、茶の間にパソコンを持ち込んで、
ブログ記事の整理をしてたところに、たまたまテレビがついていて、紅白をやっていただけなのですが、
ブログ記事の整理と紅白という組み合わせがとても良くて、もの凄く充実した時間を過ごせました。
ブログ記事の整理というのは、過去に書いた記事をある程度の量まとめてファイルに整理して保存する作業ですが、パソコンを打ちながらその場の思いつきで書いてることが多いので、まったく内容を忘れてしまったものがかなりあります。それでもそこそこの水準には達している(と自分で思えるものしか書いてない)ので、そんなこと書いてたんだ~、確かに書いたよな~って、思い出し、考えながら整理していくのって非常に面白く、またためになります。
・・・・・・
と、5行目以降の文章は、実は、1年前のものを丸写ししたものです。でも、一昨年末にこういう試みをやってとても良かったので、今回もやってみて、またとてもいいな、と改めて同じことを感じました。
時間の回転が年々速くなっている気がしているのは私だけではないと思うのですが、本当に去年はその前の年の2倍くらい速く、2倍くらい忙しく、別の表現をすれば2倍くらい色々なことがあり、ある意味では2倍くらい充実していたように感じます。
一昨年の7月から始めたブログも、今、回数を調べてみると、787回になっており、去年は290回くらい書いていたようです。追われるように、やっつけ仕事で書いたものもかなり多いのですが。そういうのは、結構自分のための備忘録としてメモしているので、読み直さないと意味がありません。
去年は、特に3月の震災時に膨大に記事を書き、読み直すとかなり恥ずかしいようなものもありますが、そのときはそれが別におかしくない状況だったと思うので、改めてそのひっ迫した状況の臨場感を思い出したりしました。
秋からは、連続講座が始まってそれ一色という感じになっていますが、その前からも結構、関連した記事を書いたりしてたんですね。
例えば、昨年末に3部作で書いた「心象化」・・・昨年1月30日に書いた「社会変革におけるアートの寄与」
http://holisticreading.blog62.fc2.com/blog-entry-543.html
という記事が、凄く関連している内容だったことを、整理していて発見しました。
そういうのをちゃんと目次を付けて分かりやすくして保存しておけば、後で、これに関連したことについて以前どこかで書いたはずだけど・・・ということで、検索もしやすくなります。
私の場合、今は本を出す時期ではないのですが、将来的にはある程度出版に利用することも考えつつ書いているため(本当は、もっとカテゴリーを上手く活用すべきなのでしょう)、これをテーマにした本を書きたい、というとき、それに関連する記事をすぐに集められるようにしたいと思っています。
この辺は、本を次々に出しているような人たちはおそらく効率よいシステムを作られていると思うので、私も書き流しているだけではなく、そろそろ書いていく方針を抜本的に考えなければならないなあ、と思っています。
とはいっても、「エソテリック・ヒーリング連続講座」が一巡する今年秋までは、とにかくそのときのテーマに関連する基礎的情報を思い浮かんだ先から書き続けることになるとは思います。
まず、それで一次情報を集めて、それをベースに次の段階で整理を進めていく、というような段取りになることでしょう。そんなわけで大半のものは、あまり一般受けする記事にはならないと思いますが、よろしければお付き合いください。
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