アバターとは(4)
昨日は、「人類の歴史は、アバターの教えに対する私たちの反応の記録である」という、アリス・ベイリーの『ハイラーキーの出現(上)』で提出されている、本当であれば衝撃的な命題について考え、仏陀やキリストがアバターの代表というのであれば確かにそういえるかもしれない、というところまで、考察を進めました。
しかし今、キリスト教の土台の上に築かれ、近代以降世界を支配してきた西洋文明の発想が行き詰まりを見せています。
この問題は、アバターとどのように関係づけられるのでしょうか?
「しかし、最終的には、弟子が住者と天使に同時に対峙し、大きな葛藤を経験する生涯が訪れる。今日の世界がそうである。霊的なものと物質的なものが衝突し、人類そのものが戦場になっている。
・・・
要求はまさしく天の門まで昇っていく。人類は『悪を終わらせ、より良い真の生活を送れるようにしなければならない』という一丸になった意図を抱く。緊張と困難が最も大きくなった瞬間に、要求が発せられ、応答が寄せられる。
アバターが現われ、光が流入し、道が明らかになる。新しい希望が目覚め、新たな決断が下される。正しい関係を確立していく強さが人類の体内に流れ込み、人類はより真実の価値観に条件づけられたより広大な生活へと入る。日常生活が営まれる外界と霊的なリアリティーが支配する内界を融合できるようになり、愛と光が新たに流入することが可能になる。」(『ハイラーキーの出現(上)』P377・378)
2000年前に、イエスを通して与えられたキリストの愛の啓示は、その後、人類によって歪められ、単なる理想の段階に留まってしまっています。
最初の「住者と天使」というのは、「敷居の住者」と「臨在の天使」という専門概念の略で、「物質」と「霊」、あるいは「パーソナリティー」と「魂」(の引っ張り)と読み替えていただいても構いません。
他にも読みにくい、理解しにくいところはあると思いますが、努力して読んでいただいた方には、この文章が、「現在の状況にそのままピッタリと当てはまる」と感じられたのではないか、と思います。
これは、70年前、戦争只中の1941年に書かれた文章なのですが。
さて、昨日・今日で示したアバターの概念と、インドでアバターといわれる聖者方との基本的な違いを感じられた方が、いらっしゃるかもしれません。
インドの聖者方は、主に個人の生き方について説かれます。それは、とても深い教えで、そのように皆が生きれば理想的な社会・国家がつくられるはずです。
しかし、実際にはそのように生きる人たちの割合はインドにおいても少なく、社会・国家という目でみると、インドはごく最近まで、ほとんど歩みを止めていたように見受けられます。
それに対して西洋社会は、特に近代以降、急速な発展を遂げています。物質的な発展を探究するあまり、精神的価値が見失われ、それを支えてきたキリスト教も力を失って、個人の生き方についての公共性・倫理観というものが欠如してきた結果が、今日の行き詰まりを生み出したわけです。
今回の震災で、海外、特に西洋の人たちが日本人の慎ましやかな美徳に驚嘆したのは、片やこれほどの経済発展を成し遂げた国にあって、宗教もない国のように見受けたのに、火急のときにあのような倫理性を示せたことに対する驚きだったのかもしれません。
自分たちがキリスト教的倫理観を捨てることによって達成したものを、彼らはまだ保っている、と。
これは、明治のとき、新渡戸稲造が西洋にいって問われた神秘の継続とも言えます。そのとき新渡戸は考えて、答を「武士道」に見出したのですが、そして少し前に日本でもその武士道精神が失われていることが嘆かれ、武士道の復興がちょっとしたブームにもなりました。
もちろん、それで武士道が復活したわけではないにもかかわらず、今回、日本人が素晴らしい行動を示すことができた。
これは、日本人の気質に加え、現在起きている大きな歴史の流れが関係していると思います。(ここのところは、先日のスピリチュアルTVの最後の方で話しました。)
行き詰まりを感じた国民の意識
⇒政権交代による「友愛・公共」を掲げた鳩山政権の誕生
⇒(小林正弥氏によれば、現実政治に失望したエネルギーが)
マイケル・サンデル『白熱教室』による「正義」論ブーム
他にも、今週・来週とNHKで平日夜、10夜連続でやっている『もしドラ』、これは大ベスト・セラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎 夏海著、ダイヤモンド社。ウィキペディアによれば、「オリコンランキングでの推定実売部数は、2010年10月18日付で100万部、2011年4月18日付で200万部をそれぞれ突破した。この間、2011年2月21日付ランキングの時点で179.7万部となり、総合部門で歴代1位となっている。2011年4月現在の発行部数は237万部、電子書籍版13万部で合算して250万部を突破している。・・・アニメ化・漫画化・映画化とメディアミックス企画が相次いで展開される。」)を元にしたものですが、今回のテレビ放映により、さらに人気・知名度が上がるのは確実です。
この『もしドラ』の背景となる『マネジメント』のテーマは、やはり「組織における正しい人間関係とは何か」であって、その中には企業を発展させるための論理として「競争原理」を取り入れることも出てきます。
これを見て、問題視される向きもあろうかとは思いますが、しかし、大きな枠で考えた場合、「組織における正しい人間関係とは何か」を話題にのぼることは、今、とても重要なことだと思います。
これは、やはり先にNHKで放映された「マイケル・サンデル 究極の選択 ~ 大震災特別講義」の中で、「これから原発をどうするか」という問いに対し、「原発推進」が思いのほか多かった(ハーバードの学生に至っては8人位でしたか?全員)ことに対する悪影響を懸念する声もありましたが、同じで、まずは話題にする、皆で考える、対話する、という雰囲気、場をつくることが大切で、その部分を評価していくべきだと思います。
このような社会正義や、正しい人間関係の在り方を考え直すという大きな流れの中で、今回の震災が起きて、日本人がその素晴らしい実践例を示すことができた。これは地球・人類社会に対する大きな貢献だったと思います。
話が横道に逸れましたが、長くなったので、続きは明日、ということで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日、明治大学(お茶の水)で行われた、
「終焉に向かう原子力」第11回
「チェルノブイリ原発事故25周年
東海地震の前に浜岡原発を停止させよう
福島原発震災をくりかえすな」
というイヴェントに行きましたが、開演10分前に行ったものの、
1,000人の会場に入りきれず、参加できませんでした。
おそらく、1,000人くらいの人は、見れなかったのではないか、と思います。
今、とても注目されている、
・小出裕章氏 (京都大学原子炉実験所)
「悲惨を極める原子力発電所事故」
・広瀬隆氏 (作家、ジャーナリスト)
「原子炉時限爆弾――年々迫る東海大地震と、浜岡原発の危機」
の講演があったこともありますが、
それくらい参加希望者がいたことは、大いに喜ばしいことでした。
しかし、待っていて参加できない人の中から、
主催者をなじるような言葉が聞かれたのは、残念でした。
このようないい企画を善意でしていただいて、
おそらくボランティアで働かれているのだと思いますから、
感謝こそすれ、批判されるようなことはないわけです。
原発に対して正しい意見をもつということと、
その場での「正しい人間関係」をわきまえる、
ということは、また別のことだと、改めて感じました。
しかし今、キリスト教の土台の上に築かれ、近代以降世界を支配してきた西洋文明の発想が行き詰まりを見せています。
この問題は、アバターとどのように関係づけられるのでしょうか?
「しかし、最終的には、弟子が住者と天使に同時に対峙し、大きな葛藤を経験する生涯が訪れる。今日の世界がそうである。霊的なものと物質的なものが衝突し、人類そのものが戦場になっている。
・・・
要求はまさしく天の門まで昇っていく。人類は『悪を終わらせ、より良い真の生活を送れるようにしなければならない』という一丸になった意図を抱く。緊張と困難が最も大きくなった瞬間に、要求が発せられ、応答が寄せられる。
アバターが現われ、光が流入し、道が明らかになる。新しい希望が目覚め、新たな決断が下される。正しい関係を確立していく強さが人類の体内に流れ込み、人類はより真実の価値観に条件づけられたより広大な生活へと入る。日常生活が営まれる外界と霊的なリアリティーが支配する内界を融合できるようになり、愛と光が新たに流入することが可能になる。」(『ハイラーキーの出現(上)』P377・378)
2000年前に、イエスを通して与えられたキリストの愛の啓示は、その後、人類によって歪められ、単なる理想の段階に留まってしまっています。
最初の「住者と天使」というのは、「敷居の住者」と「臨在の天使」という専門概念の略で、「物質」と「霊」、あるいは「パーソナリティー」と「魂」(の引っ張り)と読み替えていただいても構いません。
他にも読みにくい、理解しにくいところはあると思いますが、努力して読んでいただいた方には、この文章が、「現在の状況にそのままピッタリと当てはまる」と感じられたのではないか、と思います。
これは、70年前、戦争只中の1941年に書かれた文章なのですが。
さて、昨日・今日で示したアバターの概念と、インドでアバターといわれる聖者方との基本的な違いを感じられた方が、いらっしゃるかもしれません。
インドの聖者方は、主に個人の生き方について説かれます。それは、とても深い教えで、そのように皆が生きれば理想的な社会・国家がつくられるはずです。
しかし、実際にはそのように生きる人たちの割合はインドにおいても少なく、社会・国家という目でみると、インドはごく最近まで、ほとんど歩みを止めていたように見受けられます。
それに対して西洋社会は、特に近代以降、急速な発展を遂げています。物質的な発展を探究するあまり、精神的価値が見失われ、それを支えてきたキリスト教も力を失って、個人の生き方についての公共性・倫理観というものが欠如してきた結果が、今日の行き詰まりを生み出したわけです。
今回の震災で、海外、特に西洋の人たちが日本人の慎ましやかな美徳に驚嘆したのは、片やこれほどの経済発展を成し遂げた国にあって、宗教もない国のように見受けたのに、火急のときにあのような倫理性を示せたことに対する驚きだったのかもしれません。
自分たちがキリスト教的倫理観を捨てることによって達成したものを、彼らはまだ保っている、と。
これは、明治のとき、新渡戸稲造が西洋にいって問われた神秘の継続とも言えます。そのとき新渡戸は考えて、答を「武士道」に見出したのですが、そして少し前に日本でもその武士道精神が失われていることが嘆かれ、武士道の復興がちょっとしたブームにもなりました。
もちろん、それで武士道が復活したわけではないにもかかわらず、今回、日本人が素晴らしい行動を示すことができた。
これは、日本人の気質に加え、現在起きている大きな歴史の流れが関係していると思います。(ここのところは、先日のスピリチュアルTVの最後の方で話しました。)
行き詰まりを感じた国民の意識
⇒政権交代による「友愛・公共」を掲げた鳩山政権の誕生
⇒(小林正弥氏によれば、現実政治に失望したエネルギーが)
マイケル・サンデル『白熱教室』による「正義」論ブーム
他にも、今週・来週とNHKで平日夜、10夜連続でやっている『もしドラ』、これは大ベスト・セラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎 夏海著、ダイヤモンド社。ウィキペディアによれば、「オリコンランキングでの推定実売部数は、2010年10月18日付で100万部、2011年4月18日付で200万部をそれぞれ突破した。この間、2011年2月21日付ランキングの時点で179.7万部となり、総合部門で歴代1位となっている。2011年4月現在の発行部数は237万部、電子書籍版13万部で合算して250万部を突破している。・・・アニメ化・漫画化・映画化とメディアミックス企画が相次いで展開される。」)を元にしたものですが、今回のテレビ放映により、さらに人気・知名度が上がるのは確実です。
この『もしドラ』の背景となる『マネジメント』のテーマは、やはり「組織における正しい人間関係とは何か」であって、その中には企業を発展させるための論理として「競争原理」を取り入れることも出てきます。
これを見て、問題視される向きもあろうかとは思いますが、しかし、大きな枠で考えた場合、「組織における正しい人間関係とは何か」を話題にのぼることは、今、とても重要なことだと思います。
これは、やはり先にNHKで放映された「マイケル・サンデル 究極の選択 ~ 大震災特別講義」の中で、「これから原発をどうするか」という問いに対し、「原発推進」が思いのほか多かった(ハーバードの学生に至っては8人位でしたか?全員)ことに対する悪影響を懸念する声もありましたが、同じで、まずは話題にする、皆で考える、対話する、という雰囲気、場をつくることが大切で、その部分を評価していくべきだと思います。
このような社会正義や、正しい人間関係の在り方を考え直すという大きな流れの中で、今回の震災が起きて、日本人がその素晴らしい実践例を示すことができた。これは地球・人類社会に対する大きな貢献だったと思います。
話が横道に逸れましたが、長くなったので、続きは明日、ということで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日、明治大学(お茶の水)で行われた、
「終焉に向かう原子力」第11回
「チェルノブイリ原発事故25周年
東海地震の前に浜岡原発を停止させよう
福島原発震災をくりかえすな」
というイヴェントに行きましたが、開演10分前に行ったものの、
1,000人の会場に入りきれず、参加できませんでした。
おそらく、1,000人くらいの人は、見れなかったのではないか、と思います。
今、とても注目されている、
・小出裕章氏 (京都大学原子炉実験所)
「悲惨を極める原子力発電所事故」
・広瀬隆氏 (作家、ジャーナリスト)
「原子炉時限爆弾――年々迫る東海大地震と、浜岡原発の危機」
の講演があったこともありますが、
それくらい参加希望者がいたことは、大いに喜ばしいことでした。
しかし、待っていて参加できない人の中から、
主催者をなじるような言葉が聞かれたのは、残念でした。
このようないい企画を善意でしていただいて、
おそらくボランティアで働かれているのだと思いますから、
感謝こそすれ、批判されるようなことはないわけです。
原発に対して正しい意見をもつということと、
その場での「正しい人間関係」をわきまえる、
ということは、また別のことだと、改めて感じました。
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アバターとは(3)
昨日夜のスピリチュアルTV、
テレパシーとサイババの死を中心に語りました。
http://www.ustream.tv/recorded/14328307 から、ご覧になれます。
照明が暗かったのを、後悔してますが、
かなり斬新な内容もあると思いますので、
よろしければ、ご覧下さい。
以下、昨日の続きです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「歴史は、流入する聖なるエネルギー、アバター、啓発された指導者に対する人間の周期的な反応の記録に過ぎない。」(『ハイラーキーの出現(上)』P375)
昨日は、アバターという言葉で通常意味される、インドの本物の聖者について説明しましたが、今日から、アリス・ベイリーの言葉に基づいて、説明したいと思います。
アリス・ベイリーの中では(あるいはその前の神智学もそうですが)、インドで伝統的に使われていた言葉を借用しながら、若干適用範囲をずらした、あるいは違った概念として使われていることがしばしばあります。
それが伝統的なインド思想の研究者や実践者から不興を買い、「神智学は伝統的な教えをメチャクチャにした」「神智学で語られていることはまったくのデタラメだ」というような評価につながることがあるのですが、そうではなく、神智学は東洋伝統の教えと西洋神秘思想から哲学・科学までを統一的に整理して一体となった真理の体系の構築を目指してつくられたものであり、西洋には東洋(インド)の概念に当たる、あるいはそれに近いものがなかったためにインド伝統の言葉を借用した、ということなのです。
(内面世界の探求は、東洋の方ではるかに進んでおり、西洋の心理学は、トランスパーソナルの段階に達してやっと、東洋の霊的な教えの入口に達したところです。)
その際、両者の概念領域を明確にする対照表をつければ良かったのですが、それを怠ったため(少なくとも現在まで、日本ではそういったものを見かけません)、不必要な混乱と、人間的・組織的対立が生じる原因になった、と私は考えています。
両者に精通して、正しい解説を施すのは、奥深い領域だけに大変困難な仕事ではありますが、これからの時代にはスピリチュアルな領域において、緊急に必要となる仕事の一つだと考えています。
最初の引用文に戻って、ここでの「アバター」という言葉は、昨日の定義より、かなり広い概念として使われています。
実際、アリス・ベイリーではアバターに多数の種類が想定されているのですが、それは明日以降に紹介するとして、ここでの意味はとりあえず、昨日のをもう少し拡大したものとして捉えていただければ、と思います。
それにしても、上記の文章は、秘教になじまれていない方にとって、かなり理解の難しいものではないかと思います。
アリス・ベイリーの本の中には、「歴史」に関して、他にも何通りか、定義に近い説明がなされています。読み慣れてくると、それらはいずれも、ほぼ同じことを違った表現で述べられていることが理解できてはくるのですが、それらはまたいずれも、上記と同じように理解しがたいものでもあります。
ただここで、次の文章を読んでいただければ、かなり理解しやすくなるのではないか、と思います。
「現在のところ、最も容易に認識され最もよく知られているアバターは仏陀とキリストである。なぜなら、彼らのメッセージはすべての人に知られており、その生涯や言葉の果実は両半球の考え方や文明を条件づけてきたからである。また、彼らは神聖かつ人間的なアバターであり、人類がより理解しやすいものを具現しており、性質において人類と似ており、『私たちの肉に属する肉であり、私たちの霊に属する霊』だからである。したがって、彼らはどのような聖なる出現よりも私たちにとって大きな意味を持っている。数えきれないほど多くの人々が彼らを知り、愛し、彼らに従っている。彼らが打ち立てたフォースの核の強さについて熟考してほしい。』(P374・375)
仏陀やキリスト(彼らは出自を地球にもつ、我々の大先輩にあたる霊だといわれています)もアバターということになれば、それに当てはめて考えれば、確かにそんな感じがしてきます。
イエスの場合には、その残した教えが公に認められ、広く一般にキリスト教として信仰されるようになるまでに4世紀近くかかりましたが、今日世界を制覇している西洋文明の基礎にそれが不可欠の役割を果たしていることは、疑いようがありません。
「アバターは、ダイナミックな真理、強力な想念形態、引きつけるエネルギーの渦を、人間の生活が営まれる三界に集中させ固定する。その後、数世紀を経て、そうした真理とアバターの生活や言葉の効果が徐々に人間の思考を条件づけ始める。
確立された想念形態が聖なるアイディアを表現するようになるにつれて、その想念形態はますます聖なるエネルギーの伝導媒介として働くようになり、これがやがて、文化、宗教、政策、政府、教育過程を伴った一つの文明を生み出す。このようにして歴史は作られる。」(P375)
テレパシーとサイババの死を中心に語りました。
http://www.ustream.tv/recorded/14328307 から、ご覧になれます。
照明が暗かったのを、後悔してますが、
かなり斬新な内容もあると思いますので、
よろしければ、ご覧下さい。
以下、昨日の続きです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「歴史は、流入する聖なるエネルギー、アバター、啓発された指導者に対する人間の周期的な反応の記録に過ぎない。」(『ハイラーキーの出現(上)』P375)
昨日は、アバターという言葉で通常意味される、インドの本物の聖者について説明しましたが、今日から、アリス・ベイリーの言葉に基づいて、説明したいと思います。
アリス・ベイリーの中では(あるいはその前の神智学もそうですが)、インドで伝統的に使われていた言葉を借用しながら、若干適用範囲をずらした、あるいは違った概念として使われていることがしばしばあります。
それが伝統的なインド思想の研究者や実践者から不興を買い、「神智学は伝統的な教えをメチャクチャにした」「神智学で語られていることはまったくのデタラメだ」というような評価につながることがあるのですが、そうではなく、神智学は東洋伝統の教えと西洋神秘思想から哲学・科学までを統一的に整理して一体となった真理の体系の構築を目指してつくられたものであり、西洋には東洋(インド)の概念に当たる、あるいはそれに近いものがなかったためにインド伝統の言葉を借用した、ということなのです。
(内面世界の探求は、東洋の方ではるかに進んでおり、西洋の心理学は、トランスパーソナルの段階に達してやっと、東洋の霊的な教えの入口に達したところです。)
その際、両者の概念領域を明確にする対照表をつければ良かったのですが、それを怠ったため(少なくとも現在まで、日本ではそういったものを見かけません)、不必要な混乱と、人間的・組織的対立が生じる原因になった、と私は考えています。
両者に精通して、正しい解説を施すのは、奥深い領域だけに大変困難な仕事ではありますが、これからの時代にはスピリチュアルな領域において、緊急に必要となる仕事の一つだと考えています。
最初の引用文に戻って、ここでの「アバター」という言葉は、昨日の定義より、かなり広い概念として使われています。
実際、アリス・ベイリーではアバターに多数の種類が想定されているのですが、それは明日以降に紹介するとして、ここでの意味はとりあえず、昨日のをもう少し拡大したものとして捉えていただければ、と思います。
それにしても、上記の文章は、秘教になじまれていない方にとって、かなり理解の難しいものではないかと思います。
アリス・ベイリーの本の中には、「歴史」に関して、他にも何通りか、定義に近い説明がなされています。読み慣れてくると、それらはいずれも、ほぼ同じことを違った表現で述べられていることが理解できてはくるのですが、それらはまたいずれも、上記と同じように理解しがたいものでもあります。
ただここで、次の文章を読んでいただければ、かなり理解しやすくなるのではないか、と思います。
「現在のところ、最も容易に認識され最もよく知られているアバターは仏陀とキリストである。なぜなら、彼らのメッセージはすべての人に知られており、その生涯や言葉の果実は両半球の考え方や文明を条件づけてきたからである。また、彼らは神聖かつ人間的なアバターであり、人類がより理解しやすいものを具現しており、性質において人類と似ており、『私たちの肉に属する肉であり、私たちの霊に属する霊』だからである。したがって、彼らはどのような聖なる出現よりも私たちにとって大きな意味を持っている。数えきれないほど多くの人々が彼らを知り、愛し、彼らに従っている。彼らが打ち立てたフォースの核の強さについて熟考してほしい。』(P374・375)
仏陀やキリスト(彼らは出自を地球にもつ、我々の大先輩にあたる霊だといわれています)もアバターということになれば、それに当てはめて考えれば、確かにそんな感じがしてきます。
イエスの場合には、その残した教えが公に認められ、広く一般にキリスト教として信仰されるようになるまでに4世紀近くかかりましたが、今日世界を制覇している西洋文明の基礎にそれが不可欠の役割を果たしていることは、疑いようがありません。
「アバターは、ダイナミックな真理、強力な想念形態、引きつけるエネルギーの渦を、人間の生活が営まれる三界に集中させ固定する。その後、数世紀を経て、そうした真理とアバターの生活や言葉の効果が徐々に人間の思考を条件づけ始める。
確立された想念形態が聖なるアイディアを表現するようになるにつれて、その想念形態はますます聖なるエネルギーの伝導媒介として働くようになり、これがやがて、文化、宗教、政策、政府、教育過程を伴った一つの文明を生み出す。このようにして歴史は作られる。」(P375)
アバターとは(2)
今日はまず、良識あるスピリチュアルな世界において、通常使われているアバターという言葉を説明したいと思います。
それは大体、昨日の最後に示したような定義を元にして、「インドに現われてくる本物の聖者(明らかに人間のレベルを超えた存在)」を指します。
必ずしもサイババのような奇跡を行う方ばかりでは、ありません。
たとえば、100年ほど前、欧米にインド思想を広く伝えたヴィヴェーカーナンダやヨガナンダも、アバターとされていますが、彼らはそれほど表立った奇跡のようなことは行わなかったと思います。
しかし、彼らは世界全体への啓蒙活動において、特筆すべき業績を残されました。
アバターには一人ひとり、その使命・役割があり、従って個性があります。
アバターは地球起源の霊的存在ではなく、(ごく僅かな例外を除き)この太陽系内の他の惑星から、地球を援助するためにシャンバラの世界主=サナット・クマラからの要請を受けて来られている、ということだったと思います。
(地球は、この太陽系内でもあまり進化した惑星ではなく、「非・聖なる惑星」に分類されています。それに対して、7つの「聖なる惑星」が存在し、それらがこの太陽系の“7つのチャクラ”を構成しています。この太陽系のあらゆる存在・現象の源となるエネルギーは、太陽系を超えた宇宙から、7つの「聖なる惑星」を経由してもたらされます。それが、この太陽系の「7つの光線」です。)
奇跡に関して述べておきますと、通常の人が奇跡と考えられているものの大半は、『ヨーガ・スートラ』などを読めば、その原理とそこに至るまでのトレーニングの道筋が描かれており、それに特化したトレーニングを積めば、それほど霊的に高い進化を遂げていなくても、そのような能力を身につけることが可能だとされています。
そして、奇跡は「ホワイト・マジック」と「ブラック・マジック」に分けられ、その違いは、上から働きかけるか下から働きかけるか、動機に愛があるか否かの違い、ともいわれます。
中で、物質化現象などはブラック・マジックであることが多いとも言われており、それゆえサイババを偽物と見る、ある程度の専門家も多いようです。
しかし、これに関してサイババは、「そういった奇跡を行って皆を驚かせるのは、注目を惹きつけるための方便だ」と語られてきました。難解な教えだけ伝え、厳しい修行だけを義務付けても、なかなか人は集まらず、多くの人を教育し世界を変えていくことはできないからです。
(物質化現象はまた、19世紀から盛んになった欧米の心霊主義の降霊実験ではよく行われており、その場合は霊媒のエーテル質料を抜き取ることによって起こるとされていて、実際に霊媒の体重がその前後で物質化に相当する分だけ減少することが確かめられています。
近代神智学の祖・ブラヴァツキーも、活動の初期には[生活費を稼ぐためもあって]心霊主義に協力し、高い能力をもつ霊媒として重宝されていたようで、それが後に大きなトラブルを生む原因になりました。)
話を戻しましょう。
奇跡を行うか否か、ということと、霊的に高い段階にあるか、アバターであるか否かは、別のことであるということです。
本物か偽物かの基準として、ひとつ明確なのは、インドの本物のアバターであれば、決してお金を取らない、ということです。逆が真(お金を取らなければ本物)であることは必ずしもいえませんが、その場合でも、ほとんどの場合、善良な目的をもって活動されていることは変わらないでしょうから、尊敬には値すると思います。
それは大体、昨日の最後に示したような定義を元にして、「インドに現われてくる本物の聖者(明らかに人間のレベルを超えた存在)」を指します。
必ずしもサイババのような奇跡を行う方ばかりでは、ありません。
たとえば、100年ほど前、欧米にインド思想を広く伝えたヴィヴェーカーナンダやヨガナンダも、アバターとされていますが、彼らはそれほど表立った奇跡のようなことは行わなかったと思います。
しかし、彼らは世界全体への啓蒙活動において、特筆すべき業績を残されました。
アバターには一人ひとり、その使命・役割があり、従って個性があります。
アバターは地球起源の霊的存在ではなく、(ごく僅かな例外を除き)この太陽系内の他の惑星から、地球を援助するためにシャンバラの世界主=サナット・クマラからの要請を受けて来られている、ということだったと思います。
(地球は、この太陽系内でもあまり進化した惑星ではなく、「非・聖なる惑星」に分類されています。それに対して、7つの「聖なる惑星」が存在し、それらがこの太陽系の“7つのチャクラ”を構成しています。この太陽系のあらゆる存在・現象の源となるエネルギーは、太陽系を超えた宇宙から、7つの「聖なる惑星」を経由してもたらされます。それが、この太陽系の「7つの光線」です。)
奇跡に関して述べておきますと、通常の人が奇跡と考えられているものの大半は、『ヨーガ・スートラ』などを読めば、その原理とそこに至るまでのトレーニングの道筋が描かれており、それに特化したトレーニングを積めば、それほど霊的に高い進化を遂げていなくても、そのような能力を身につけることが可能だとされています。
そして、奇跡は「ホワイト・マジック」と「ブラック・マジック」に分けられ、その違いは、上から働きかけるか下から働きかけるか、動機に愛があるか否かの違い、ともいわれます。
中で、物質化現象などはブラック・マジックであることが多いとも言われており、それゆえサイババを偽物と見る、ある程度の専門家も多いようです。
しかし、これに関してサイババは、「そういった奇跡を行って皆を驚かせるのは、注目を惹きつけるための方便だ」と語られてきました。難解な教えだけ伝え、厳しい修行だけを義務付けても、なかなか人は集まらず、多くの人を教育し世界を変えていくことはできないからです。
(物質化現象はまた、19世紀から盛んになった欧米の心霊主義の降霊実験ではよく行われており、その場合は霊媒のエーテル質料を抜き取ることによって起こるとされていて、実際に霊媒の体重がその前後で物質化に相当する分だけ減少することが確かめられています。
近代神智学の祖・ブラヴァツキーも、活動の初期には[生活費を稼ぐためもあって]心霊主義に協力し、高い能力をもつ霊媒として重宝されていたようで、それが後に大きなトラブルを生む原因になりました。)
話を戻しましょう。
奇跡を行うか否か、ということと、霊的に高い段階にあるか、アバターであるか否かは、別のことであるということです。
本物か偽物かの基準として、ひとつ明確なのは、インドの本物のアバターであれば、決してお金を取らない、ということです。逆が真(お金を取らなければ本物)であることは必ずしもいえませんが、その場合でも、ほとんどの場合、善良な目的をもって活動されていることは変わらないでしょうから、尊敬には値すると思います。
アバターとは(1)
(以下に述べるような理由で、最初に目立つように書かせていただきます。
明後日木曜日、20:00~22:00くらいでしょうか、
スピリチュアルTV http://live.spiritual-tv.com/
に出演し、テレパシーやアバターについて語ります。)
昨日の記事を書きながらぼんやりと、そして今朝起きて明確になったのは、
「アバターにとって、その死とは、人類に大規模な愛を喚起するための、最後の切り札かもしれない」
ということです。
私がサイババのことを書き続けるのは、
・一つには、「秘教徒は原因の世界に目を向ける」という教えがあるから。
目に見える現象は結果であって、それを生み出す原因に目を向けることが、次に起こる現象をより良い方向に導くことにつながります。
・そして、サイババの死に、最初に述べたような意図が隠されているのなら、その機会を最大限に活用できるよう、協力したい
と思うからです。
一般の人から見れば、あまりにマニアックな話題と思われることでしょうね。そのために、読んでいただける人が減り、逆に効果が出にくい、ということがあるかもしれません。
しかし、昨日記事をリリースした後、
「サイババ 死」でグーグルに検索をかけたところ、
本当にまともにこの現象を論じているものが一つもなく、
(わずかに、私の期待していた方向性を向いているのが
「霊性と情熱のあいだぐらい」
:http://suirenveda.at.webry.info/201104/article_8.html
というものくらいでした)
書き続けるしかないかなあ、と思いました。
なので、これからしばらくの期間、私の一番の専門である秘教にドップリ浸かった観点から、ブログを書いていくことになると思います。
今まで、多少の期間読み続けてきていただいた方でこれを見て、
「何だこいつ、まったく危ない奴だったんじゃないか!?」
と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、
私の中では、常識的な範囲での物事の洞察に先行して、
いつもこのようなものの見方をしており、
でも最近はできるだけ、こういった考えは表立たないようにしてきただけなのです。
その最終的な結論が、最近の最先端の見方とそれほど変わらないということなら、その出発点になっている「秘教」とは、どんなものなのか? と、そういった方向に興味を拡大していただける方が多少でもでてくることを、願っています。
さて、私が「秘教」と書いているのは、
ほとんど神智学~アリス・ベイリーの流れの情報を指す、
とお考えください。
というのは、その手の情報は古来から多数ありますが、
それらを集大成し、最も体系的に整理しているものは、
アリス・ベイリーが亡くなって62年たつ現時点でもやはり、
これだと思うからです。
これは、やはり秘教で語られている「啓示の連続性」という問題です。
大きな流れとしては、新たな啓示は、ひとつ前の啓示を人類がある程度消化し、それによって大きな危機点が生じたときにそれを乗り越えるために、与えられるといわれています。
それに実は、テレパシーやアバターというテーマが関わっています。
こういったことは、秘教のきちんとした学習を積めば理解されることですが、中途半端な精神世界・スピリチュアルな理解では、そこに到達できません。
それゆえ、こういった方向での啓蒙活動の必要性が非常に高まっていると、今、改めて感じています。
しばしば言及している、ご存命のベンジャミン・クレーム氏に関しては、
アリス・ベイリーの学徒であり、非常に重要な役割を果たされ、細かな点に関しては、新たな情報を追加されていますが、その役割は、大きな流れで啓示を1ステップ進めることではなく、その条件を整えるためのものだと考えています。
私自身は、こういった流れに対し、
新たな情報を追加しようという意図は、まったくありません。
そのような能力も、責任をとる能力も、私にはありません。
ただ、現在まで伝えられているスピリチュアルな世界に属する情報で、正当な流れに沿った重要かつ間違いないものを、誤解を生じることなく、分かりやすくお伝えする啓蒙活動ができれば、と思っています。
その流れにそって、現状を理解するために、多少、推論的なことを書くことがありますが、それについてはあくまで、参考に留めていただければ、と思います。
さて、今日からアバターについて書こうと思っておりましたが、
また、その前提・前置きだけで、長くなってしまいました。
アバターについて、アリス・ベイリーの中で最も本格的に語られているのは、『ハイラーキーの出現(上)』(特に第三章「人類の進化過程の背後にある勢力」)に見出され、明日はそこから紹介したいと思いますが、
今日はその前に『キリストの再臨』(シェア・ジャパン)から、最後に少し紹介させていただきます。
(ここでの「アバター」は、同名の映画やワークとは、ほとんど、あるいはまったく関係ありません・・・一応、念のため。)
「アバター(大聖)とは、(御自身で始められた仕事や前以って定められた運命の他に)、エネルギーまたは聖なる力(フォース)を伝導する不思議な能力を持たれている方のことを言うのである。」(P16)
「『アバター』という言葉はサンスクリット語であり、文字通り『遠くから降って来る』ことを意味する。
アバ(動詞の接頭語として)は、「遠くに、離れて、下って」などを意味する。
アバタラム(比較的)遠くへ去る。
アバの語源は上からの保護というアイディアを表わし、王や支配者の保護に関連する複合語として使われる。
神に関しては、犠(いけにえ)が提供されそれが好意的に受け入れられることを意味する。
したがって、この語源は『高き源から承認を受けて降り来て、降り着いた所に恩寵をもたらす』という意味を持つといえる。
(モニエール・ウィリアムスのサンスクリット辞典より)」(P17)
「であるから、アバターまたはキリストがやってくる理由は二つある――一つは計りがたい知られざる神の義によるものであり、もう一つは人類の要求または呼び掛けによる。・・・
彼らは、『世界の様相を変え人類の運命に新しい時代を始めるために、時折現われる途方もなく卓越した人間』であるとして定義されてきた。
彼らは危機の蔓延した時期にやって来る。古きもの、望ましくないものに終止符を打ち、大自然に内在する神の進化し続ける生命にとってより適した新しい形態に道を開けるために、彼らはしばしば危機を作り出す。
彼らは、悪がはびこる時にやって来る。」(P18)
明後日木曜日、20:00~22:00くらいでしょうか、
スピリチュアルTV http://live.spiritual-tv.com/
に出演し、テレパシーやアバターについて語ります。)
昨日の記事を書きながらぼんやりと、そして今朝起きて明確になったのは、
「アバターにとって、その死とは、人類に大規模な愛を喚起するための、最後の切り札かもしれない」
ということです。
私がサイババのことを書き続けるのは、
・一つには、「秘教徒は原因の世界に目を向ける」という教えがあるから。
目に見える現象は結果であって、それを生み出す原因に目を向けることが、次に起こる現象をより良い方向に導くことにつながります。
・そして、サイババの死に、最初に述べたような意図が隠されているのなら、その機会を最大限に活用できるよう、協力したい
と思うからです。
一般の人から見れば、あまりにマニアックな話題と思われることでしょうね。そのために、読んでいただける人が減り、逆に効果が出にくい、ということがあるかもしれません。
しかし、昨日記事をリリースした後、
「サイババ 死」でグーグルに検索をかけたところ、
本当にまともにこの現象を論じているものが一つもなく、
(わずかに、私の期待していた方向性を向いているのが
「霊性と情熱のあいだぐらい」
:http://suirenveda.at.webry.info/201104/article_8.html
というものくらいでした)
書き続けるしかないかなあ、と思いました。
なので、これからしばらくの期間、私の一番の専門である秘教にドップリ浸かった観点から、ブログを書いていくことになると思います。
今まで、多少の期間読み続けてきていただいた方でこれを見て、
「何だこいつ、まったく危ない奴だったんじゃないか!?」
と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、
私の中では、常識的な範囲での物事の洞察に先行して、
いつもこのようなものの見方をしており、
でも最近はできるだけ、こういった考えは表立たないようにしてきただけなのです。
その最終的な結論が、最近の最先端の見方とそれほど変わらないということなら、その出発点になっている「秘教」とは、どんなものなのか? と、そういった方向に興味を拡大していただける方が多少でもでてくることを、願っています。
さて、私が「秘教」と書いているのは、
ほとんど神智学~アリス・ベイリーの流れの情報を指す、
とお考えください。
というのは、その手の情報は古来から多数ありますが、
それらを集大成し、最も体系的に整理しているものは、
アリス・ベイリーが亡くなって62年たつ現時点でもやはり、
これだと思うからです。
これは、やはり秘教で語られている「啓示の連続性」という問題です。
大きな流れとしては、新たな啓示は、ひとつ前の啓示を人類がある程度消化し、それによって大きな危機点が生じたときにそれを乗り越えるために、与えられるといわれています。
それに実は、テレパシーやアバターというテーマが関わっています。
こういったことは、秘教のきちんとした学習を積めば理解されることですが、中途半端な精神世界・スピリチュアルな理解では、そこに到達できません。
それゆえ、こういった方向での啓蒙活動の必要性が非常に高まっていると、今、改めて感じています。
しばしば言及している、ご存命のベンジャミン・クレーム氏に関しては、
アリス・ベイリーの学徒であり、非常に重要な役割を果たされ、細かな点に関しては、新たな情報を追加されていますが、その役割は、大きな流れで啓示を1ステップ進めることではなく、その条件を整えるためのものだと考えています。
私自身は、こういった流れに対し、
新たな情報を追加しようという意図は、まったくありません。
そのような能力も、責任をとる能力も、私にはありません。
ただ、現在まで伝えられているスピリチュアルな世界に属する情報で、正当な流れに沿った重要かつ間違いないものを、誤解を生じることなく、分かりやすくお伝えする啓蒙活動ができれば、と思っています。
その流れにそって、現状を理解するために、多少、推論的なことを書くことがありますが、それについてはあくまで、参考に留めていただければ、と思います。
さて、今日からアバターについて書こうと思っておりましたが、
また、その前提・前置きだけで、長くなってしまいました。
アバターについて、アリス・ベイリーの中で最も本格的に語られているのは、『ハイラーキーの出現(上)』(特に第三章「人類の進化過程の背後にある勢力」)に見出され、明日はそこから紹介したいと思いますが、
今日はその前に『キリストの再臨』(シェア・ジャパン)から、最後に少し紹介させていただきます。
(ここでの「アバター」は、同名の映画やワークとは、ほとんど、あるいはまったく関係ありません・・・一応、念のため。)
「アバター(大聖)とは、(御自身で始められた仕事や前以って定められた運命の他に)、エネルギーまたは聖なる力(フォース)を伝導する不思議な能力を持たれている方のことを言うのである。」(P16)
「『アバター』という言葉はサンスクリット語であり、文字通り『遠くから降って来る』ことを意味する。
アバ(動詞の接頭語として)は、「遠くに、離れて、下って」などを意味する。
アバタラム(比較的)遠くへ去る。
アバの語源は上からの保護というアイディアを表わし、王や支配者の保護に関連する複合語として使われる。
神に関しては、犠(いけにえ)が提供されそれが好意的に受け入れられることを意味する。
したがって、この語源は『高き源から承認を受けて降り来て、降り着いた所に恩寵をもたらす』という意味を持つといえる。
(モニエール・ウィリアムスのサンスクリット辞典より)」(P17)
「であるから、アバターまたはキリストがやってくる理由は二つある――一つは計りがたい知られざる神の義によるものであり、もう一つは人類の要求または呼び掛けによる。・・・
彼らは、『世界の様相を変え人類の運命に新しい時代を始めるために、時折現われる途方もなく卓越した人間』であるとして定義されてきた。
彼らは危機の蔓延した時期にやって来る。古きもの、望ましくないものに終止符を打ち、大自然に内在する神の進化し続ける生命にとってより適した新しい形態に道を開けるために、彼らはしばしば危機を作り出す。
彼らは、悪がはびこる時にやって来る。」(P18)
史上最高のマジシャンか? 大聖者か?
サイババの死から2日たちましたが、日本では、私の周りでさえ、それを話題にする人があまりに少ないので、驚いています。
世界第2、中国に次ぐ10憶の人口を擁するインドでは、もちろん全国民ではないにしても、何億かの人の間では大変な騒ぎになっており、首相をはじめ政府高官にも帰依者またはそれに準ずる人がかなりいるはずですから、国葬に近い規模の葬儀も営まれることと思います。
そのこと自体が、この時期この地球にとって、とても意義深いことで、それによって地球全体に大きな(波動的・意識的)変化が生じることが期待されます。
そして、それは一つにつながった地球・人類の意識場の中で、震災の打撃を受けた日本にも大きなプラスの影響を及ぼすはずです。
かつて、ダイアナ妃が亡くなったあとの葬儀のときも、そのような雰囲気が漂いました。
シェア・インターナショナル誌には、「それはあたかも、マイトレーヤの全世界への公的な登場を印す『大宣言の日』のリハーサルのようであった」
と書かれていました。
そのときは、マザー・テレサの死も続き、世界中が大きな悲しみに包まれていました。
しかし、今度の震災で改めて感じたのですが、悲しみは、純粋な愛につながるとても清らかな感情なのですね。
このことについては、また場を改めて書きたいと思います。
今回、サイババ逝去の報道に際しては、ソニーの大賀・元社長、キャンディーズのスーチャンが亡くなったという報道が重なりました。
どちらも、社会にとても重要な貢献をされ、その死が惜しまれます。
さて、ここからは、客観的な分析に移りたいと思います。
家で取りよせている朝日新聞の翌日=昨日25日の朝刊には、3名の訃報が同じページの下の方に並べられていました。
その記事の扱いとしては、スペースはスーチャンと大賀氏はほぼ同じながら、スーチャンの方が写真が大きくかなり目立ち、サイババは両者の1/5 という感じでした。
日本人であるかないか、ということもあるし、まあ、こんなものなのか、とは思ったものの、その後の報道やネットでの情報・やりとりでは、スーチャンだけが目立ち(私は、スーチャン好きで、今回見ていて改めて素敵な方だったなあと思っています)、ちょっと違和感を感じているので、書いています。
(書きながら、スーチャンの死を悲しむ人たちの気持ちと、大賀氏、さらにはサイババの死を悼む人たちの気持ちが重なることが、意味があるのかもしれない、などとも思いました。)
私が書きたかったのは、サイババおよびその死、ということに対する、通常の意味での中立的・客観的評価だったのですが、前置きが、思いのほか、長くなってしまいました。
本題に入りましょう。
「サイババ死去」に対する人々の反応は、大まかに次のように分けられると思います。
A:その情報を知らない
B:その情報を知っている
1.その情報に接したが、ほとんど、あるいはそれ程、気にならない
2.その情報を知り、悲嘆に暮れている
3.その情報を知り、その意味を考えている
Aの人は、反応のしようがないのですが、死後2日以上たち、サイババに強い関心のある人には何らかのルートで情報が届いていると思います。
日本社会でほとんど話題にならないのは、大半の人がAとB1.に属する、ということでしょう。
B2.の人は帰依者ということになりますが、どれくらいいるのでしょうか?
多く見積もって、数千人という規模でしょうね。
でも、この方たちは、お互い同士では悲しみを分かち合っても、帰依者でない方にはほとんどその気持ちを伝えることはないと思われるので、あまり表立つ情報は発信されないのでしょう。
私が気になっているのは、B3.タイプの情報をほとんど目にしないことです。
スピリチュアルな情報に対する日本人の反応の仕方として、興味本位、感情的な好き・嫌いだけで判断し行動してしまう、という特徴が、今回もハッキリと出ています。
私が今、問題視しようとしているのはそこで、見えない世界にも、というか、見えない世界だからこそ、論理を尽くし、何が真実かを徹底究明することが必要だと考えているからです。
サイババほど話題性があり、また生前にその評価が分かれていた人物であったならば、その死に際して業績を振り返り、「この人物は一体何者だったのか?」と改めて検討し直すことは、他分野であれば当然行われていることです。
さて、サイババの評価を大雑把に分ければ、マジシャンか聖者のどちらか、ということになるでしょう。
・マジシャンとすれば、史上最高のマジシャンです。
・聖者とすれば、やはり最高クラスの聖者です。
醜聞のような噂も流されていますが、
それがよりハッキリしているマイケル・ジャクソンの死があれだけ騒がれ、生前の業績が評価されたわけですから、
どちらにしても、その死はもっと取り上げられ、その業績を評価し、追悼されてもいいはずなのです。
史上最高のマジシャンと仮定するならば、
どのようなマジックを行ってきたのか?
・物質化現象
・テレパシー
・テレポーテーション
・奇跡的治癒
・預言
ありとあらゆる種類のマジックを、
バリエーションも豊富なら、その難易度も高く、
その頻度や実行回数もずば抜けています。
残念ながら、その死期を当てることはできませんでしたが、
あれだけ勤勉に働いたのですから、エネルギーを使い果たした過労死でしょうか?
偉大なマジシャンであったサイババは、
莫大な資産を築き、
それを元に、これまた史上最大規模の慈善事業を行いました。
金額的には、ビル・ゲイツまでは及びませんが、
量だけでなく、質的にも優れていますから、
その業績も高く評価されなければなりません。
そして、残された数々の著作。
これは彼の講演など、口述したものを側近などが文章化したものですが、
どれも正当なインド思想の伝統に矛盾しない、
高度でかつ分かりやすく、説得力のある内容です。
偉大なマジシャンであっただけでなく、
慈善家・思想家としても傑出した業績を残されたわけです。
マジシャンということは、すなわち人間ということですが、
これに比肩するような業績を残した人間が、他にいるのでしょうか?
卓越した才能を持って生まれたとしても、
あれだけのマジックの技術を磨き、実践するには、相当の修練が必要と思いますが、
そういった人が、片や、あれほどインド思想に対して造詣を深め発表するほどのエネルギーを、
どこから出してこれたのでしょうか?
私は、生身のサイババに接したことも、
インドに行ったことすらもありませんが、
以上のような分析から、彼が通常の人間と仮定するよりは、
それを超えた特殊な存在、
大聖者・アバターと考えた方が、
無理がないような気がします。
とするならば、その死には、地球全体にとって、
特別な意味があるのではないでしょうか?
一番最初に書いたように、
今、サイババに心を寄せることは、とても重要なことのように思います。
ですから、多くの方に、この問題を、考えていただきたいと思っています。
明日は、では「アバターとは何か」について書くことにいたします。
世界第2、中国に次ぐ10憶の人口を擁するインドでは、もちろん全国民ではないにしても、何億かの人の間では大変な騒ぎになっており、首相をはじめ政府高官にも帰依者またはそれに準ずる人がかなりいるはずですから、国葬に近い規模の葬儀も営まれることと思います。
そのこと自体が、この時期この地球にとって、とても意義深いことで、それによって地球全体に大きな(波動的・意識的)変化が生じることが期待されます。
そして、それは一つにつながった地球・人類の意識場の中で、震災の打撃を受けた日本にも大きなプラスの影響を及ぼすはずです。
かつて、ダイアナ妃が亡くなったあとの葬儀のときも、そのような雰囲気が漂いました。
シェア・インターナショナル誌には、「それはあたかも、マイトレーヤの全世界への公的な登場を印す『大宣言の日』のリハーサルのようであった」
と書かれていました。
そのときは、マザー・テレサの死も続き、世界中が大きな悲しみに包まれていました。
しかし、今度の震災で改めて感じたのですが、悲しみは、純粋な愛につながるとても清らかな感情なのですね。
このことについては、また場を改めて書きたいと思います。
今回、サイババ逝去の報道に際しては、ソニーの大賀・元社長、キャンディーズのスーチャンが亡くなったという報道が重なりました。
どちらも、社会にとても重要な貢献をされ、その死が惜しまれます。
さて、ここからは、客観的な分析に移りたいと思います。
家で取りよせている朝日新聞の翌日=昨日25日の朝刊には、3名の訃報が同じページの下の方に並べられていました。
その記事の扱いとしては、スペースはスーチャンと大賀氏はほぼ同じながら、スーチャンの方が写真が大きくかなり目立ち、サイババは両者の1/5 という感じでした。
日本人であるかないか、ということもあるし、まあ、こんなものなのか、とは思ったものの、その後の報道やネットでの情報・やりとりでは、スーチャンだけが目立ち(私は、スーチャン好きで、今回見ていて改めて素敵な方だったなあと思っています)、ちょっと違和感を感じているので、書いています。
(書きながら、スーチャンの死を悲しむ人たちの気持ちと、大賀氏、さらにはサイババの死を悼む人たちの気持ちが重なることが、意味があるのかもしれない、などとも思いました。)
私が書きたかったのは、サイババおよびその死、ということに対する、通常の意味での中立的・客観的評価だったのですが、前置きが、思いのほか、長くなってしまいました。
本題に入りましょう。
「サイババ死去」に対する人々の反応は、大まかに次のように分けられると思います。
A:その情報を知らない
B:その情報を知っている
1.その情報に接したが、ほとんど、あるいはそれ程、気にならない
2.その情報を知り、悲嘆に暮れている
3.その情報を知り、その意味を考えている
Aの人は、反応のしようがないのですが、死後2日以上たち、サイババに強い関心のある人には何らかのルートで情報が届いていると思います。
日本社会でほとんど話題にならないのは、大半の人がAとB1.に属する、ということでしょう。
B2.の人は帰依者ということになりますが、どれくらいいるのでしょうか?
多く見積もって、数千人という規模でしょうね。
でも、この方たちは、お互い同士では悲しみを分かち合っても、帰依者でない方にはほとんどその気持ちを伝えることはないと思われるので、あまり表立つ情報は発信されないのでしょう。
私が気になっているのは、B3.タイプの情報をほとんど目にしないことです。
スピリチュアルな情報に対する日本人の反応の仕方として、興味本位、感情的な好き・嫌いだけで判断し行動してしまう、という特徴が、今回もハッキリと出ています。
私が今、問題視しようとしているのはそこで、見えない世界にも、というか、見えない世界だからこそ、論理を尽くし、何が真実かを徹底究明することが必要だと考えているからです。
サイババほど話題性があり、また生前にその評価が分かれていた人物であったならば、その死に際して業績を振り返り、「この人物は一体何者だったのか?」と改めて検討し直すことは、他分野であれば当然行われていることです。
さて、サイババの評価を大雑把に分ければ、マジシャンか聖者のどちらか、ということになるでしょう。
・マジシャンとすれば、史上最高のマジシャンです。
・聖者とすれば、やはり最高クラスの聖者です。
醜聞のような噂も流されていますが、
それがよりハッキリしているマイケル・ジャクソンの死があれだけ騒がれ、生前の業績が評価されたわけですから、
どちらにしても、その死はもっと取り上げられ、その業績を評価し、追悼されてもいいはずなのです。
史上最高のマジシャンと仮定するならば、
どのようなマジックを行ってきたのか?
・物質化現象
・テレパシー
・テレポーテーション
・奇跡的治癒
・預言
ありとあらゆる種類のマジックを、
バリエーションも豊富なら、その難易度も高く、
その頻度や実行回数もずば抜けています。
残念ながら、その死期を当てることはできませんでしたが、
あれだけ勤勉に働いたのですから、エネルギーを使い果たした過労死でしょうか?
偉大なマジシャンであったサイババは、
莫大な資産を築き、
それを元に、これまた史上最大規模の慈善事業を行いました。
金額的には、ビル・ゲイツまでは及びませんが、
量だけでなく、質的にも優れていますから、
その業績も高く評価されなければなりません。
そして、残された数々の著作。
これは彼の講演など、口述したものを側近などが文章化したものですが、
どれも正当なインド思想の伝統に矛盾しない、
高度でかつ分かりやすく、説得力のある内容です。
偉大なマジシャンであっただけでなく、
慈善家・思想家としても傑出した業績を残されたわけです。
マジシャンということは、すなわち人間ということですが、
これに比肩するような業績を残した人間が、他にいるのでしょうか?
卓越した才能を持って生まれたとしても、
あれだけのマジックの技術を磨き、実践するには、相当の修練が必要と思いますが、
そういった人が、片や、あれほどインド思想に対して造詣を深め発表するほどのエネルギーを、
どこから出してこれたのでしょうか?
私は、生身のサイババに接したことも、
インドに行ったことすらもありませんが、
以上のような分析から、彼が通常の人間と仮定するよりは、
それを超えた特殊な存在、
大聖者・アバターと考えた方が、
無理がないような気がします。
とするならば、その死には、地球全体にとって、
特別な意味があるのではないでしょうか?
一番最初に書いたように、
今、サイババに心を寄せることは、とても重要なことのように思います。
ですから、多くの方に、この問題を、考えていただきたいと思っています。
明日は、では「アバターとは何か」について書くことにいたします。
サイババの死に思うこと
昨日の夜は、久しぶりにガヤトリー・マントラを、心をこめて1マラ(=108回)唱えてから寝ました。
布団に入ってからも唱え続け、今日も自然に心の中で唱えています。
このマントラ、
しばらく前に私の周囲で、自分も含め、非常に流行っていたのですが、途中から、今思えばあまりに滑稽な唱え方をしまっていたことに気づき、3年ほど前にその流れを切るために、使わなくなっていました。
最近、葬儀のときなどには少しずつ心の中で唱えるようになっていましたが、
昨日の正午、震災被害者の追悼の祈りのときに、久々に抵抗なく唱えられている自分に気がつきました。
ガヤトリー・マントラは、ヴェーダの昔からそれに属するたくさんのマントラが伝えられており(一番日本語に近い表記は、ガーヤトゥリ・マントラだと思います)、
私がここで書いているのは、その中の一番有名で、特にサイババによって取り上げられ唱えられ、唱えることを奨励されたことによって、日本でも普及しているものです。
なぜか、サイババが亡くなってから、自然に唱えられるようになっていたようです。
サイババご自身に対しても、生前はあまり正面から向き合うことはしてきませんでした。
少し後悔しています。
あまりに偉大な存在であることは存じ上げていましたし、
本もかなり購入させていただいているのですが、
正直、ほとんど読んでいませんでした。
サイババご自身というより、
私は帰依者の雰囲気というものに馴染めないところがあるのです。
これは、良い悪いの問題ではなく、好き嫌いの問題です。
私には、20代後半から40前まで、生身の人間ですが、師事と帰依の中間くらいの方がいました。
その人との関係は、(今のところ)不幸な結末に終わっています。
以来、どのような人間に対しても、妄信するのはやめ、自立性を保とうと思いました。
もともと、知性が感情に勝ち、バクタ(バクティ・ヨギ)的要素はほとんどないので、
また7種の「ねじれ」体癖ということもあり、
人が熱心に信じれば信じる姿を見るほどに、興味関心が薄れてくるということはあります。
サイババが亡くなられて、
自己愛的盲信者がいなくなり、
本当に心から帰依されてきた方だけが残られるということが、
抵抗感を少なくしているのかもしれません。
さて、サイババの死は、私たちに対して、
どのようなメッセージを投げかけているのでしょうか?
私が感じるのは、
「次は、あなたたちの番ですよ」
ということです。
今までは、地球・人類は
生身のサイババに守られてきました。
サイババとの関係においては、帰依することが、
人類に対する最大の奉仕・貢献だったかもしれません。
サイババの「地震についてのサイババの御言葉」
http://www.sathyasai.or.jp/event/2011shinsai.html
の中には、
「・・・帰依者たちの魂が洗われ、彼らの心の奥に愛が輝いているので、これから先、一般に騒がれているような大規模の天変地異は起こらない。異変があるとしても、常識の範囲内での大地震や大事故というものでしかない。私は、昔からの預言書などに示された神の計画を徐々にキャンセルしている。」
という言葉が見られ、また、
「『プレマ・サイババが誕生する頃には、世界は愛と平和に満ちているだろう』
とも言っておられます。 私が、
『現代社会に見られる様々な非人間的な出来事や論争などを見ていると、その言葉はすぐには信じ難いのですが』
と申し上げると、ババは、
『はるか遠い海の上で嵐が起きると、嵐が消えた後になっても、海上で発生した大波は海岸まで旅をして、浜辺に打ち寄せる。それと同じことで、今の世界が経験している様々な波乱は、嵐が消えたあとの余波に過ぎない。嵐自体は既に消えてしまっている』
とお答えになりました。」
という、非常に嬉しい言葉が見つかりました。
死期が早まってので、どうなるか分かりませんが、以前伝えられていたように、8年後にプレマ・サイババが誕生されるとすると、逆算して、もうすぐ劇的な変化が起こることになるはずです。
一番最初には、
「あらゆる悪いことを意味するヴィクルティの年は4月4日に開けます。」
という文章も、見られます。
サイババは、最悪の時期を無事通過したことを見届けられて、逝かれたのでしょう。
「あとは、君たちでできるだろう」
ということで。
今度は、私たち一人ひとりが、「サイババ」にならなければいけない番でしょう。
もちろん、サイババが「宇宙のキリスト」であるならば、
私たちがなれるのは、「ミニ・ミニ・ミニ・サイババ」ですが。
この惑星のキリスト・マイトレーヤは、
「私を追い求めるものは、私を見失うであろう」
と語っています。
今こそ、キリストを外に求めるのではなく、
各自がみずからの内に探し出し、実現すべきときがきたのではないでしょうか。
布団に入ってからも唱え続け、今日も自然に心の中で唱えています。
このマントラ、
しばらく前に私の周囲で、自分も含め、非常に流行っていたのですが、途中から、今思えばあまりに滑稽な唱え方をしまっていたことに気づき、3年ほど前にその流れを切るために、使わなくなっていました。
最近、葬儀のときなどには少しずつ心の中で唱えるようになっていましたが、
昨日の正午、震災被害者の追悼の祈りのときに、久々に抵抗なく唱えられている自分に気がつきました。
ガヤトリー・マントラは、ヴェーダの昔からそれに属するたくさんのマントラが伝えられており(一番日本語に近い表記は、ガーヤトゥリ・マントラだと思います)、
私がここで書いているのは、その中の一番有名で、特にサイババによって取り上げられ唱えられ、唱えることを奨励されたことによって、日本でも普及しているものです。
なぜか、サイババが亡くなってから、自然に唱えられるようになっていたようです。
サイババご自身に対しても、生前はあまり正面から向き合うことはしてきませんでした。
少し後悔しています。
あまりに偉大な存在であることは存じ上げていましたし、
本もかなり購入させていただいているのですが、
正直、ほとんど読んでいませんでした。
サイババご自身というより、
私は帰依者の雰囲気というものに馴染めないところがあるのです。
これは、良い悪いの問題ではなく、好き嫌いの問題です。
私には、20代後半から40前まで、生身の人間ですが、師事と帰依の中間くらいの方がいました。
その人との関係は、(今のところ)不幸な結末に終わっています。
以来、どのような人間に対しても、妄信するのはやめ、自立性を保とうと思いました。
もともと、知性が感情に勝ち、バクタ(バクティ・ヨギ)的要素はほとんどないので、
また7種の「ねじれ」体癖ということもあり、
人が熱心に信じれば信じる姿を見るほどに、興味関心が薄れてくるということはあります。
サイババが亡くなられて、
自己愛的盲信者がいなくなり、
本当に心から帰依されてきた方だけが残られるということが、
抵抗感を少なくしているのかもしれません。
さて、サイババの死は、私たちに対して、
どのようなメッセージを投げかけているのでしょうか?
私が感じるのは、
「次は、あなたたちの番ですよ」
ということです。
今までは、地球・人類は
生身のサイババに守られてきました。
サイババとの関係においては、帰依することが、
人類に対する最大の奉仕・貢献だったかもしれません。
サイババの「地震についてのサイババの御言葉」
http://www.sathyasai.or.jp/event/2011shinsai.html
の中には、
「・・・帰依者たちの魂が洗われ、彼らの心の奥に愛が輝いているので、これから先、一般に騒がれているような大規模の天変地異は起こらない。異変があるとしても、常識の範囲内での大地震や大事故というものでしかない。私は、昔からの預言書などに示された神の計画を徐々にキャンセルしている。」
という言葉が見られ、また、
「『プレマ・サイババが誕生する頃には、世界は愛と平和に満ちているだろう』
とも言っておられます。 私が、
『現代社会に見られる様々な非人間的な出来事や論争などを見ていると、その言葉はすぐには信じ難いのですが』
と申し上げると、ババは、
『はるか遠い海の上で嵐が起きると、嵐が消えた後になっても、海上で発生した大波は海岸まで旅をして、浜辺に打ち寄せる。それと同じことで、今の世界が経験している様々な波乱は、嵐が消えたあとの余波に過ぎない。嵐自体は既に消えてしまっている』
とお答えになりました。」
という、非常に嬉しい言葉が見つかりました。
死期が早まってので、どうなるか分かりませんが、以前伝えられていたように、8年後にプレマ・サイババが誕生されるとすると、逆算して、もうすぐ劇的な変化が起こることになるはずです。
一番最初には、
「あらゆる悪いことを意味するヴィクルティの年は4月4日に開けます。」
という文章も、見られます。
サイババは、最悪の時期を無事通過したことを見届けられて、逝かれたのでしょう。
「あとは、君たちでできるだろう」
ということで。
今度は、私たち一人ひとりが、「サイババ」にならなければいけない番でしょう。
もちろん、サイババが「宇宙のキリスト」であるならば、
私たちがなれるのは、「ミニ・ミニ・ミニ・サイババ」ですが。
この惑星のキリスト・マイトレーヤは、
「私を追い求めるものは、私を見失うであろう」
と語っています。
今こそ、キリストを外に求めるのではなく、
各自がみずからの内に探し出し、実現すべきときがきたのではないでしょうか。
サティヤ サイ ババ、死去
シュリ サティヤ サイ ババが、
お亡くなりになりました。
以下、公式ホームページから。
http://www.sathyasai.or.jp/
1926-2011
2011年4月24日インド標準時午前7時40分(日本標準時午前11時10分)、
カリユガ アヴァター バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様が、この地上での旅を終えられ、
永遠の神性原理である宇宙普遍相にお戻りになりました。
日本の帰依者一同より、バガヴァンの無限の愛と祝福に対して、深い感謝をお捧げいたします。
バガヴァンのご逝去の報に接し、全世界が哀悼の意を表しています。
バガヴァンのご遺体は、4月24日午後6時よりサイ クルワント ホールにご安置され、
26日までダルシャンを与えられます。
その他の詳しい情報につきましては、わかり次第お知らせいたします。
それぞれのサイ センター・グループにおきましては、
帰依者の皆さまのご都合に合わせて、追悼バジャン会を催してください。
追悼バジャン会のプログラムには、バガヴァンの108の御名、
サイ ガーヤトリー、ヴェーダ吟唱、バジャン、アーラティ、バガヴァンのメッセージの朗読、
などが含まれます。
全国合同の追悼式典の予定につきましては、詳細が決まり次第お知らせいたします。
人類を向上させるという、バガヴァンの神聖で高潔な使命は、永遠に続きます。
サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパン
会長 ダヤル サムナニ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
NHKニュースでは、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110424/k10015518451000.html
サイババ氏の死去についてインドのシン首相は
「サイババ氏のおかげで数百万もの人々が生きる意味を見いだすことができた」
とする声明を出しました。
とも、報じられています。
オーム ・ シャンティ ・ シャンティ ・ シャンティヒ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マハー・アバターであるサイババご自身にとって、
肉体的な死は、何の意味もないことだと思います。
マハー・アバターとは、
アバターを超えたアバターであり、
肉体をまとってはいても、その根本の意識は常に
「永遠の神性原理である宇宙普遍相」
あったといっていいのではないか、と思います。
サティア サイババは、亡くなられた後、再び今度は、
プレマ サイババとして生まれ変わるといわれてきましたので、
一方でその意識は地球に留まり続けているはずです。
その死期はまた、当然、ご自分で選択されたものでもあるはずです。
選択理由は、ひとつは(彼自身を超えた広い意味での)カルマ的な問題と、
もう一つは、この時期、地球の救済のために働かれるためには、肉体を捨てたほうが仕事をしやすい、との判断があると思います。
以上は私の浅はかな推測に過ぎませんが、
私たち人類・地球にとって、最大級の霊的な出来事であることには変わりがないはずです。
この時期、予定外のサイババの死を迎えなけらばならなかったハイアラーキーは、現在懸命な活動をされていることと思います。
その邪魔にならないよう、
少しでもお役に立てるよう願いつつ、
哀悼の意を表し、黙祷を捧げたいと思います。
(今日正午に、「懐かしい未来」上映会の参加者皆で、
5分間ではありますが、震災の死者に追悼の祈りを捧げました。
私はその間、ガヤトリー・マントラを唱えていました。
また、午後3時からの1時間、やはり「懐かしい未来」上映会中ではありましたが、祝福のエネルギーが流されるとのことでしたので、できるだけ頭頂に意識を保つようにしていました。
サイババのことは思い浮かべませんでしたが、この重要な一日を、そのように過ごさせていただけたことに、感謝いたします。)
お亡くなりになりました。
以下、公式ホームページから。
http://www.sathyasai.or.jp/
1926-2011
2011年4月24日インド標準時午前7時40分(日本標準時午前11時10分)、
カリユガ アヴァター バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様が、この地上での旅を終えられ、
永遠の神性原理である宇宙普遍相にお戻りになりました。
日本の帰依者一同より、バガヴァンの無限の愛と祝福に対して、深い感謝をお捧げいたします。
バガヴァンのご逝去の報に接し、全世界が哀悼の意を表しています。
バガヴァンのご遺体は、4月24日午後6時よりサイ クルワント ホールにご安置され、
26日までダルシャンを与えられます。
その他の詳しい情報につきましては、わかり次第お知らせいたします。
それぞれのサイ センター・グループにおきましては、
帰依者の皆さまのご都合に合わせて、追悼バジャン会を催してください。
追悼バジャン会のプログラムには、バガヴァンの108の御名、
サイ ガーヤトリー、ヴェーダ吟唱、バジャン、アーラティ、バガヴァンのメッセージの朗読、
などが含まれます。
全国合同の追悼式典の予定につきましては、詳細が決まり次第お知らせいたします。
人類を向上させるという、バガヴァンの神聖で高潔な使命は、永遠に続きます。
サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパン
会長 ダヤル サムナニ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
NHKニュースでは、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110424/k10015518451000.html
サイババ氏の死去についてインドのシン首相は
「サイババ氏のおかげで数百万もの人々が生きる意味を見いだすことができた」
とする声明を出しました。
とも、報じられています。
オーム ・ シャンティ ・ シャンティ ・ シャンティヒ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マハー・アバターであるサイババご自身にとって、
肉体的な死は、何の意味もないことだと思います。
マハー・アバターとは、
アバターを超えたアバターであり、
肉体をまとってはいても、その根本の意識は常に
「永遠の神性原理である宇宙普遍相」
あったといっていいのではないか、と思います。
サティア サイババは、亡くなられた後、再び今度は、
プレマ サイババとして生まれ変わるといわれてきましたので、
一方でその意識は地球に留まり続けているはずです。
その死期はまた、当然、ご自分で選択されたものでもあるはずです。
選択理由は、ひとつは(彼自身を超えた広い意味での)カルマ的な問題と、
もう一つは、この時期、地球の救済のために働かれるためには、肉体を捨てたほうが仕事をしやすい、との判断があると思います。
以上は私の浅はかな推測に過ぎませんが、
私たち人類・地球にとって、最大級の霊的な出来事であることには変わりがないはずです。
この時期、予定外のサイババの死を迎えなけらばならなかったハイアラーキーは、現在懸命な活動をされていることと思います。
その邪魔にならないよう、
少しでもお役に立てるよう願いつつ、
哀悼の意を表し、黙祷を捧げたいと思います。
(今日正午に、「懐かしい未来」上映会の参加者皆で、
5分間ではありますが、震災の死者に追悼の祈りを捧げました。
私はその間、ガヤトリー・マントラを唱えていました。
また、午後3時からの1時間、やはり「懐かしい未来」上映会中ではありましたが、祝福のエネルギーが流されるとのことでしたので、できるだけ頭頂に意識を保つようにしていました。
サイババのことは思い浮かべませんでしたが、この重要な一日を、そのように過ごさせていただけたことに、感謝いたします。)
サンデルが震災について語る
次の記事と合わせ、2件のニュースの紹介です。
本日(2011.4.24)の朝日新聞朝刊国際面にサンデル教授が震災について
語ったシンポジウム・インタビュー記事が掲載されています。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104230317.html
震災後の世界の話をしよう サンデル教授が白熱議論
2011年4月23日20時23分
「東日本大震災は私たちをどう変えるか」と問うマイケル・サンデル教授=22日午後、米ケンブリッジ市、春日写す
東日本大震災後の世界のあり方をめぐって、対話型講座「正義」のテレビ放送や著書が爆発的人気となった米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授(58)が22日、同大の学生主催のシンポジウムで、参加者と議論を交わした。震災で生まれた日本への共感は、国境や文化を超えた共同体意識が芽生えるきっかけになる――そう訴える教授に、参加者はそれぞれの意見をぶつけた。
サンデル教授はまず、日本へのかつてない共感を広げた東日本大震災で、国境や文化を超えて、他者の痛みや喜びを自分のことのように共有する「世界市民」の意識が生まれるだろうかと問いかけた。答えは「共感だけでは変わらない。私たちが他者と持続的なかかわりを築くことができるかにかかっている」。そのためには、他者と開かれた対話を続け、コミュニケーションを深めることが最も重要だと強調した。
「世界市民という考えに感動した」という女性には、自分の支持する政治哲学は「論理と理性」と「共感的理解」を分けるものではなく、双方を含んだものと説明。世界中の人々が共同体の意識を深めるための議論も、感情や情熱と理性を切り離す必要はなく、むしろそれらを反映しながら、公の場で堂々と議論すべきだと提案した。
ある男性は、推定で23万人超が死亡した2010年のハイチ大地震と、28万人以上の死者を出した04年のインド洋大津波に言及し、「東日本大震災よりひどい災害。これらの災害と東日本大震災の間に違いはあるのか」と質問。暗に東日本大震災の「特別扱い」を批判し、「世界市民」意識の発展の可能性にも疑問を呈した。
「災害は災害」と切り出したサンデル教授は、「ただ、それぞれの災害からどういう意味を見いだすかについて、私たちはまだ答えを出せていない。どれだけ多く亡くなったかは答えにならない。どういう答えを出すかは、私たちにかかっている」と慎重に言葉を選んだ。
主催者の1人、ハーバード大4年の久間木(くまき)宏子さん(22)は福島市で生まれ、仙台市で育った。「3月11日からずっと震災ニュースにくぎ付けで、何もできないもどかしさ、悔しさ、申し訳なさの中で過ごしてきた。シンポの成功はハーバード大学全体が応援してくれたから。被災地の状況を気にかけているという皆の思いを届けたかった」と語った。(ケンブリッジ=春日芳晃)
http://www.asahi.com/international/update/0423/TKY201104230335.html
「原発議論が民主主義深める」サンデル教授インタビュー
2011年4月24日9時17分
サンデル教授は22日、米ハーバード大の学生主催のシンポジウムの後、朝日新聞などの取材に応じた。主なやりとりは次の通り。
――福島第一原発の問題をどう見ているか。
危機が起きる前、米国は原発推進に向かっていたが、再考を迫られた。他のすべての国も、エネルギー政策の安全性やリスクを新たな枠組みで議論することが避けられないだろう。
だが、根本的には、膨大なエネルギー消費に依存する物質的に豊かな生活様式をどうするか、我々がどんな社会に住みたいかという価値観の問題になる。
――日本での原発の賛否をめぐる議論は激しいものになるかもしれない。
私のアドバイスは、思慮深く、丁寧な議論をすること。絶対に議論を避けてはならない。社会が直面する最も困難な課題について、賛否両派が相互に敬意を持って、公然と討議できれば、民主主義は深まる。だからこそ、建設的に議論するための枠組みの設定が非常に重要となってくる。
――誰が枠組み設定を担うべきか。
政治指導者に責任があるが、しばしば機能しない。有権者が望まないからだ。民主主義に不可欠な、自ら考えて議論する市民を育む教育の責任が大きい。メディアも意味ある議論を提起する義務がある。
――日本政府は11年度予算の途上国援助(ODA)削減を決めた。
日本が震災後の緊急事態を過ぎた時、途上国援助で再び寛大な役割を担うことに、私は疑念がない。(ケンブリッジ=春日芳晃)
本日(2011.4.24)の朝日新聞朝刊国際面にサンデル教授が震災について
語ったシンポジウム・インタビュー記事が掲載されています。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104230317.html
震災後の世界の話をしよう サンデル教授が白熱議論
2011年4月23日20時23分
「東日本大震災は私たちをどう変えるか」と問うマイケル・サンデル教授=22日午後、米ケンブリッジ市、春日写す
東日本大震災後の世界のあり方をめぐって、対話型講座「正義」のテレビ放送や著書が爆発的人気となった米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授(58)が22日、同大の学生主催のシンポジウムで、参加者と議論を交わした。震災で生まれた日本への共感は、国境や文化を超えた共同体意識が芽生えるきっかけになる――そう訴える教授に、参加者はそれぞれの意見をぶつけた。
サンデル教授はまず、日本へのかつてない共感を広げた東日本大震災で、国境や文化を超えて、他者の痛みや喜びを自分のことのように共有する「世界市民」の意識が生まれるだろうかと問いかけた。答えは「共感だけでは変わらない。私たちが他者と持続的なかかわりを築くことができるかにかかっている」。そのためには、他者と開かれた対話を続け、コミュニケーションを深めることが最も重要だと強調した。
「世界市民という考えに感動した」という女性には、自分の支持する政治哲学は「論理と理性」と「共感的理解」を分けるものではなく、双方を含んだものと説明。世界中の人々が共同体の意識を深めるための議論も、感情や情熱と理性を切り離す必要はなく、むしろそれらを反映しながら、公の場で堂々と議論すべきだと提案した。
ある男性は、推定で23万人超が死亡した2010年のハイチ大地震と、28万人以上の死者を出した04年のインド洋大津波に言及し、「東日本大震災よりひどい災害。これらの災害と東日本大震災の間に違いはあるのか」と質問。暗に東日本大震災の「特別扱い」を批判し、「世界市民」意識の発展の可能性にも疑問を呈した。
「災害は災害」と切り出したサンデル教授は、「ただ、それぞれの災害からどういう意味を見いだすかについて、私たちはまだ答えを出せていない。どれだけ多く亡くなったかは答えにならない。どういう答えを出すかは、私たちにかかっている」と慎重に言葉を選んだ。
主催者の1人、ハーバード大4年の久間木(くまき)宏子さん(22)は福島市で生まれ、仙台市で育った。「3月11日からずっと震災ニュースにくぎ付けで、何もできないもどかしさ、悔しさ、申し訳なさの中で過ごしてきた。シンポの成功はハーバード大学全体が応援してくれたから。被災地の状況を気にかけているという皆の思いを届けたかった」と語った。(ケンブリッジ=春日芳晃)
http://www.asahi.com/international/update/0423/TKY201104230335.html
「原発議論が民主主義深める」サンデル教授インタビュー
2011年4月24日9時17分
サンデル教授は22日、米ハーバード大の学生主催のシンポジウムの後、朝日新聞などの取材に応じた。主なやりとりは次の通り。
――福島第一原発の問題をどう見ているか。
危機が起きる前、米国は原発推進に向かっていたが、再考を迫られた。他のすべての国も、エネルギー政策の安全性やリスクを新たな枠組みで議論することが避けられないだろう。
だが、根本的には、膨大なエネルギー消費に依存する物質的に豊かな生活様式をどうするか、我々がどんな社会に住みたいかという価値観の問題になる。
――日本での原発の賛否をめぐる議論は激しいものになるかもしれない。
私のアドバイスは、思慮深く、丁寧な議論をすること。絶対に議論を避けてはならない。社会が直面する最も困難な課題について、賛否両派が相互に敬意を持って、公然と討議できれば、民主主義は深まる。だからこそ、建設的に議論するための枠組みの設定が非常に重要となってくる。
――誰が枠組み設定を担うべきか。
政治指導者に責任があるが、しばしば機能しない。有権者が望まないからだ。民主主義に不可欠な、自ら考えて議論する市民を育む教育の責任が大きい。メディアも意味ある議論を提起する義務がある。
――日本政府は11年度予算の途上国援助(ODA)削減を決めた。
日本が震災後の緊急事態を過ぎた時、途上国援助で再び寛大な役割を担うことに、私は疑念がない。(ケンブリッジ=春日芳晃)
WorldShift Forum2011 受付を開始 ! お急ぎください!!
引き続き、緊急のお知らせです。
5/15(日) 『 WorldShift Forum2011 』、今ほど受付を開始いたしました。
http://www.worldshift.jp/index.html
参加ご希望の方は、下記URLよりぜひお申込み下さいませ。
http://kokucheese.com/event/index/10342/
すぐに満席になりそうですので、
お早めに、お申し込みください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■□■ 地球サミット1年前イベント
□■ 『WorldShift Forum 2011』開催
■ … シフトを、日本から。…
2011年5月15日(日) @国連大学(東京・渋谷)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
3月11日からはじまり、今も続く困難は、
私たちの価値観を根底から揺さぶり続けています。
持続可能で平和な社会へのシフトを提唱する、WorldShift。
エネルギーと消費のシフト、ビジネスとお金のシフト、
コミュニケーションと社会のシフト、ライフスタイルと地域のシフト、
市民と国際ガバナンスのシフト。
登壇者をはじめ、このフォーラムに参加するすべての方による対話を通して、
文明の転換(シフト)の物語を紡いでいきたいと思います。
5月15日。世界へ向けて。一年後にひかえた地球サミットへ向けて。
シフトを、日本から。
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
■タイトル
地球サミット1年前イベント
『 WorldShift Forum 2011 …シフトを、日本から。… 』
■開催日時
2011年5月15日(日) 10:00-18:00(開場9:30)
※本会終了後に、参加された方々の交流の場として
会場1階の地球環境パートナーシッププラザをご利用いただけます。
■会場
『国連大学ウ・タント国際会議場』(東京都渋谷区神宮前)
・渋谷駅から徒歩10分
・地下鉄表参道駅出口B2(銀座線、半蔵門線、千代田線)から徒歩5分
《アクセスマップ》http://www.unu.edu/access/
■参加費
当日カンパ(一口1,000円)(※)
(※)今年のワールドシフト・フォーラムはチケット代金のかわりに、
当日、東日本大震災被災者の方々への支援金をお願いしております。
この支援金は全額「Think the Earth 基金」を通じ、
被災者の方々の復興のために使われます。
■お申込み(事前申込要)
お申込みは下記URLよりお願い致します。
http://kokucheese.com/event/index/10342/
(※事前申込要。申込期限:5月11日(水))
■主催
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン、地球サミット2012 Japan
■共催
国連大学、地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)、
環境パートナーシップ会議(EPC) (予定)
■協賛
サイボウズ株式会社、株式会社シータス&ゼネラルプレス、
オトナ女子部、サラヤ株式会社、日経ナショナル ジオグラフィック社、
株式会社電通、TOKYO FM
■協力
Think the Earthプロジェクト、公益財団法人 五井平和財団、
アースデイ東京、ヒマナイヌ、ダイアログBar、MERRY PROJECT、
グリーンメディアアライアンス、株式会社エヌプラス、人と自然の研究所
・・‥………………………‥・・
◆◇ プログラム ◇◆
・・‥………………………‥・・
【司会進行】
・野中ともよ(NPO法人ガイアイニシアティブ代表、
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン理事)
<オープニング> 10:00-12:00
◎基調講演/オープニングセッション
・武内和彦(国連大学副学長、国連大学サステイナビリティと平和研究所所長)
・田坂広志(内閣官房参与、シンクタンク・ソフィアバンク代表)
・田島一成(衆議院議員/民主党、前環境副大臣)
・河野太郎(衆議院議員/自由民主党、元法務副大臣)
・佐藤正弘(地球サミット2012 Japan、金融庁総務企画局市場課課長補佐)
・福嶋慶三(地球サミット2012 Japan、環境省大臣官房課長補佐)
<WorldShiftストリームセッション・ダイアログ> 13:00-18:00
◎セッション1『エネルギーと消費のシフト』
・飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
・マエキタミヤコ(サステナ代表)
◎セッション2『ビジネスとお金のシフト』
・木内孝(株式会社イースクエア代表取締役会長)
・森洋一(公認会計士)
・服部徹(NPO法人アースデイ・エブリデイ理事長)
・鴨崎貴泰(公益財団法人信頼資本財団事務局長)
◎セッション3『コミュニケーションと社会のシフト』
・上田壮一(Think The Earthプロジェクトプロデューサー)
・並河進 (電通ソーシャル・デザイン・エンジン)
◎セッション4『ライフスタイルと地域のシフト』
・辻信一(文化人類学者、ナマケモノ倶楽部世話人、明治学院大学教授)
・シキタ純(アースデイ東京理事)
・小野寺愛(ピースボート共同代表)
・SUGIZO(LUNA SEA、X JAPAN)
◎セッション5『市民と国際ガバナンスのシフト』
・星野智子(地球環境パートナーシッププラザ)
・蟹江憲史(東京工業大学、
国連環境計画国際環境ガバナンス・アドバイザリーグループ)
・川廷昌弘(博報堂DYメディアパートナーズ)
◎ダイアログ
※ファシリテーター
佐野淳也(地球サミット2012 Japan副代表)/ 西村勇也(ダイアログBar代表)
本会終了後に、参加された方々の交流の場として
会場1階の地球環境パートナーシッププラザをご利用いただけます。
(※)ご登壇者、プログラムは、変更になる可能性があります。
(※)本イベントはH23年地球環境基金の助成を受けて開催しています。
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
(※)主催者について
■「WorldShift Network Japan」
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン(WorldShift Network Japan)は、
持続可能で平和な世界へのシフト(=WorldShift)を宣言・行動する人々が
共感でつながる、アイデアとアクションの共有・創発・発信のための
プラットフォームです。http://www.worldshift.jp/index.html
有識者、企業、NPO・NGO、研究者、一般市民などが集まり、シフトに向けた
アイデアやアクションを共有するWorldShift Forumを年次開催しています。
【昨年のフォーラム報告】http://www.worldshift.jp/news001.html
■ 「地球サミット2012Japan」
来年6月にブラジル・リオデジャネイロで開催される地球サミット2012(リオ+20)
に向けて、世界と日本をつなぐ非営利・民間によるプラットフォームです。
参加と対話と行動をキーワードに、私たちみんなで描く未来の姿を、世界に届ける
活動を行っています。http://earthsummit2012.jp/home.html
この地球サミット1年前イベントを起点として、
「Japan VOICESプロジェクト:全国の様々な人々の声(voice)の中から、
私たち自らが実現していく日本の未来の姿を描き出し、
地球サミットを通じて世界に届けるプロジェクト」がスタートします。
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
【お問合せ先】
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン 担当:下村/中島
MAIL worldshift@nplus-inc.co.jp URL http://worldshift.jp/
MLホームページ: http://www.freeml.com/worldshift-net
5/15(日) 『 WorldShift Forum2011 』、今ほど受付を開始いたしました。
http://www.worldshift.jp/index.html
参加ご希望の方は、下記URLよりぜひお申込み下さいませ。
http://kokucheese.com/event/index/10342/
すぐに満席になりそうですので、
お早めに、お申し込みください。
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■□■ 地球サミット1年前イベント
□■ 『WorldShift Forum 2011』開催
■ … シフトを、日本から。…
2011年5月15日(日) @国連大学(東京・渋谷)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
3月11日からはじまり、今も続く困難は、
私たちの価値観を根底から揺さぶり続けています。
持続可能で平和な社会へのシフトを提唱する、WorldShift。
エネルギーと消費のシフト、ビジネスとお金のシフト、
コミュニケーションと社会のシフト、ライフスタイルと地域のシフト、
市民と国際ガバナンスのシフト。
登壇者をはじめ、このフォーラムに参加するすべての方による対話を通して、
文明の転換(シフト)の物語を紡いでいきたいと思います。
5月15日。世界へ向けて。一年後にひかえた地球サミットへ向けて。
シフトを、日本から。
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
■タイトル
地球サミット1年前イベント
『 WorldShift Forum 2011 …シフトを、日本から。… 』
■開催日時
2011年5月15日(日) 10:00-18:00(開場9:30)
※本会終了後に、参加された方々の交流の場として
会場1階の地球環境パートナーシッププラザをご利用いただけます。
■会場
『国連大学ウ・タント国際会議場』(東京都渋谷区神宮前)
・渋谷駅から徒歩10分
・地下鉄表参道駅出口B2(銀座線、半蔵門線、千代田線)から徒歩5分
《アクセスマップ》http://www.unu.edu/access/
■参加費
当日カンパ(一口1,000円)(※)
(※)今年のワールドシフト・フォーラムはチケット代金のかわりに、
当日、東日本大震災被災者の方々への支援金をお願いしております。
この支援金は全額「Think the Earth 基金」を通じ、
被災者の方々の復興のために使われます。
■お申込み(事前申込要)
お申込みは下記URLよりお願い致します。
http://kokucheese.com/event/index/10342/
(※事前申込要。申込期限:5月11日(水))
■主催
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン、地球サミット2012 Japan
■共催
国連大学、地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)、
環境パートナーシップ会議(EPC) (予定)
■協賛
サイボウズ株式会社、株式会社シータス&ゼネラルプレス、
オトナ女子部、サラヤ株式会社、日経ナショナル ジオグラフィック社、
株式会社電通、TOKYO FM
■協力
Think the Earthプロジェクト、公益財団法人 五井平和財団、
アースデイ東京、ヒマナイヌ、ダイアログBar、MERRY PROJECT、
グリーンメディアアライアンス、株式会社エヌプラス、人と自然の研究所
・・‥………………………‥・・
◆◇ プログラム ◇◆
・・‥………………………‥・・
【司会進行】
・野中ともよ(NPO法人ガイアイニシアティブ代表、
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン理事)
<オープニング> 10:00-12:00
◎基調講演/オープニングセッション
・武内和彦(国連大学副学長、国連大学サステイナビリティと平和研究所所長)
・田坂広志(内閣官房参与、シンクタンク・ソフィアバンク代表)
・田島一成(衆議院議員/民主党、前環境副大臣)
・河野太郎(衆議院議員/自由民主党、元法務副大臣)
・佐藤正弘(地球サミット2012 Japan、金融庁総務企画局市場課課長補佐)
・福嶋慶三(地球サミット2012 Japan、環境省大臣官房課長補佐)
<WorldShiftストリームセッション・ダイアログ> 13:00-18:00
◎セッション1『エネルギーと消費のシフト』
・飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
・マエキタミヤコ(サステナ代表)
◎セッション2『ビジネスとお金のシフト』
・木内孝(株式会社イースクエア代表取締役会長)
・森洋一(公認会計士)
・服部徹(NPO法人アースデイ・エブリデイ理事長)
・鴨崎貴泰(公益財団法人信頼資本財団事務局長)
◎セッション3『コミュニケーションと社会のシフト』
・上田壮一(Think The Earthプロジェクトプロデューサー)
・並河進 (電通ソーシャル・デザイン・エンジン)
◎セッション4『ライフスタイルと地域のシフト』
・辻信一(文化人類学者、ナマケモノ倶楽部世話人、明治学院大学教授)
・シキタ純(アースデイ東京理事)
・小野寺愛(ピースボート共同代表)
・SUGIZO(LUNA SEA、X JAPAN)
◎セッション5『市民と国際ガバナンスのシフト』
・星野智子(地球環境パートナーシッププラザ)
・蟹江憲史(東京工業大学、
国連環境計画国際環境ガバナンス・アドバイザリーグループ)
・川廷昌弘(博報堂DYメディアパートナーズ)
◎ダイアログ
※ファシリテーター
佐野淳也(地球サミット2012 Japan副代表)/ 西村勇也(ダイアログBar代表)
本会終了後に、参加された方々の交流の場として
会場1階の地球環境パートナーシッププラザをご利用いただけます。
(※)ご登壇者、プログラムは、変更になる可能性があります。
(※)本イベントはH23年地球環境基金の助成を受けて開催しています。
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
(※)主催者について
■「WorldShift Network Japan」
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン(WorldShift Network Japan)は、
持続可能で平和な世界へのシフト(=WorldShift)を宣言・行動する人々が
共感でつながる、アイデアとアクションの共有・創発・発信のための
プラットフォームです。http://www.worldshift.jp/index.html
有識者、企業、NPO・NGO、研究者、一般市民などが集まり、シフトに向けた
アイデアやアクションを共有するWorldShift Forumを年次開催しています。
【昨年のフォーラム報告】http://www.worldshift.jp/news001.html
■ 「地球サミット2012Japan」
来年6月にブラジル・リオデジャネイロで開催される地球サミット2012(リオ+20)
に向けて、世界と日本をつなぐ非営利・民間によるプラットフォームです。
参加と対話と行動をキーワードに、私たちみんなで描く未来の姿を、世界に届ける
活動を行っています。http://earthsummit2012.jp/home.html
この地球サミット1年前イベントを起点として、
「Japan VOICESプロジェクト:全国の様々な人々の声(voice)の中から、
私たち自らが実現していく日本の未来の姿を描き出し、
地球サミットを通じて世界に届けるプロジェクト」がスタートします。
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
【お問合せ先】
ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン 担当:下村/中島
MAIL worldshift@nplus-inc.co.jp URL http://worldshift.jp/
MLホームページ: http://www.freeml.com/worldshift-net
2件・・・お祈りください
何と、サイババが危篤という報道が、なされています。
まだ、予定されていたときまで、10年以上あるのに・・・
今度の震災でカルマを引き受けられたのでしょうか?
サイババは、クレーム氏によれば宇宙のアバター、
この惑星上で最高の霊的な高みに達せられている存在です。
「22日付のインド紙タイムズ・オブ・インディアは、
インドの霊能者、宗教指導者として知られるサティヤ・サイババ氏(84)が
心臓や呼吸器の具合が悪くなり3月末から入院、
その後、容体が悪化し、現在は危篤状態になっていると報じた。
サイババ氏が入院している病院がある南部アンドラプラデシュ州の行政当局者は
『医師の努力はもはや効果はなく、神に祈るしかない』と指摘。
病院がある村には少なくとも7000人の信者が集まり、
サイババ氏の回復を祈っているという。」
今月号のシェア・インターナショナル誌には、やはり偉大なるアバターであったスワミ・プレマナンダが2月21日に亡くなられたことを報じていました。
これらのことには、どういった意味があるのでしょうか?
軽々しい推測は控えたほうがいいと思いますが、
お志のある方は、手を合わせてください。
もう1件は
哲学者・内山節氏の呼びかけで、
明後日、日曜日正午に皆で、
震災で亡くなられた方々に追悼の祈りを捧げようというものです。
震災で亡くなられた方々は、全体のカルマを肩代わりしていただいたという意味で、
マイトレーヤからの特別の恩寵があった、ということですが、
人間のできることとしても、追悼するのは重要なことと思います。
私は、先の日記で書いたようにちょうど、
「懐かしい未来」の上映が終わる時間ですので、
皆でお祈りしたいと思います。
********
東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
最初の呼びかけ人・内山 節
【日時】2011年(平成23年)4月24日日曜日
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。
また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。
【方法】ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、
方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。
東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。
私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。
その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡く なった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。
古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養 しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべて の生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思 いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。
この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によっ て、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。
しかしその一方でご家族 が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちも おられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の
方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげよう ではありませんか。
そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝 えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼 びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。
まだ、予定されていたときまで、10年以上あるのに・・・
今度の震災でカルマを引き受けられたのでしょうか?
サイババは、クレーム氏によれば宇宙のアバター、
この惑星上で最高の霊的な高みに達せられている存在です。
「22日付のインド紙タイムズ・オブ・インディアは、
インドの霊能者、宗教指導者として知られるサティヤ・サイババ氏(84)が
心臓や呼吸器の具合が悪くなり3月末から入院、
その後、容体が悪化し、現在は危篤状態になっていると報じた。
サイババ氏が入院している病院がある南部アンドラプラデシュ州の行政当局者は
『医師の努力はもはや効果はなく、神に祈るしかない』と指摘。
病院がある村には少なくとも7000人の信者が集まり、
サイババ氏の回復を祈っているという。」
今月号のシェア・インターナショナル誌には、やはり偉大なるアバターであったスワミ・プレマナンダが2月21日に亡くなられたことを報じていました。
これらのことには、どういった意味があるのでしょうか?
軽々しい推測は控えたほうがいいと思いますが、
お志のある方は、手を合わせてください。
もう1件は
哲学者・内山節氏の呼びかけで、
明後日、日曜日正午に皆で、
震災で亡くなられた方々に追悼の祈りを捧げようというものです。
震災で亡くなられた方々は、全体のカルマを肩代わりしていただいたという意味で、
マイトレーヤからの特別の恩寵があった、ということですが、
人間のできることとしても、追悼するのは重要なことと思います。
私は、先の日記で書いたようにちょうど、
「懐かしい未来」の上映が終わる時間ですので、
皆でお祈りしたいと思います。
********
東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
最初の呼びかけ人・内山 節
【日時】2011年(平成23年)4月24日日曜日
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。
また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。
【方法】ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、
方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。
東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。
私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。
その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡く なった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。
古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養 しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべて の生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思 いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。
この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によっ て、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。
しかしその一方でご家族 が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちも おられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の
方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげよう ではありませんか。
そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝 えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼 びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。
今度の日曜、江戸川区で「懐かしい未来」上映会
6月25日、高木義之さんの講演会を中心にした江戸川区でのイヴェントに向けての準備の一環として、
4月24日(日)JR小岩駅から徒歩7分の西小岩コミュニティ会館 集会室第2 にて
10:00
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い①
12:00
14:30
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い②
17:00
を開催します。
参加費は、無料です。
その次は、5月22日(日) 13:00~16:30
「幸せの経済学」(+「懐かしい未来」ダイジェスト版)の上映会
を予定しています。
この日は、「生物多様性の日」とされ、それに合わせて全国一斉に「幸せの経済学」の上映会を開催しようという呼び掛けに応えて行います。
ただ、「幸せの経済学」は、以前試写会に参加したとき、かなり問題意識が高くないとついていくのが大変かと感じたので、その前提となる作品で、非常に分かりやすくて感銘を受ける「懐かしい未来」のフルヴァージョンを、その前に皆で見たいと思い、企画しました。
お時間のある方はぜひ、ご参加ください。
お待ちしております。
4月24日(日)JR小岩駅から徒歩7分の西小岩コミュニティ会館 集会室第2 にて
10:00
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い①
12:00
14:30
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い②
17:00
を開催します。
参加費は、無料です。
その次は、5月22日(日) 13:00~16:30
「幸せの経済学」(+「懐かしい未来」ダイジェスト版)の上映会
を予定しています。
この日は、「生物多様性の日」とされ、それに合わせて全国一斉に「幸せの経済学」の上映会を開催しようという呼び掛けに応えて行います。
ただ、「幸せの経済学」は、以前試写会に参加したとき、かなり問題意識が高くないとついていくのが大変かと感じたので、その前提となる作品で、非常に分かりやすくて感銘を受ける「懐かしい未来」のフルヴァージョンを、その前に皆で見たいと思い、企画しました。
お時間のある方はぜひ、ご参加ください。
お待ちしております。
勝間和代さんへの期待
(昨日書いた記事にミクシーの方からコメントをいただいたので、
その返信をこちらにも載せさせていただきます。)
私は、テレビをあまり見ないので、
勝間和代さんが映っているところは5回くらいしか見ていないのですが、
論理的な話になると、とても優秀で雄弁に話されるものの、
全体として「この人、変?」「生きているの、辛いだろうな」と、
いつも感じてしまいます。
表面的な強さの裏に、
苦しさや弱さがあって、
それがなかなか出せない、
何とかしたい、 という思ってるんじゃないかなあ、と勝手ながら推測してしまうのです。
勝間和代さんには、香山リカさんが仕掛けた論争から注目して、
何冊か本を読んでみたのですが、
まさに現在の資本主義の矛盾を体現した方だと思います。
でも、私は、一方で、
政治家や財界のツワモノなどと違い、
すごく素直で正直な人だとも感じるのです。
だから、今回の自己批判文も、多少の見栄はあったとしても、
人を欺くために、「自己批判したふり」をしたのではないと思うのです。
彼女の思考法は、 フレームワークをしっかり作って、
その枠の中で論理的にきっちりと考えて、明快な答を出すというやり方です。
でも、その枠組みを見える世界の内側だけで作っていることの限界を、
かなり気付かれてきているようにも思います。
潜在意識ではそれを感じているけれど、
思考がそれに気づくのをストップさせてしまっている。
彼女の今回の自己批判文は、従来通りの論理的な文章ですが、
そういうものを書く心境にいたらせたのは、
やはり、福島を中心にした人たちの怒りや苦しみに共感したからだと思います。
彼女は、アフリカなど海外へ行って、貧困に喘ぐ人たちの姿を見て、貧困救済の活動をしています。
一方、国内の貧困・格差に関しては、自己責任論だったと思います。
(彼女は、功利主義かつリバタリアンなんでしょうか?
以前読んだとき、そういう枠組みが自分になかったので、忘れてしまいました。)
しかし、今回の震災で被害にあわれた人たちを見て、自己責任では済まされないものを感じたのではないか、と推測しています。
そして、少しずつ、閉ざされていた感情が開かれていっているのではないか、と思います。
彼女は閉ざされているのであって、歪んでいるのではないので、 開かれれば変化は早いと思います。
ちょうど、鈴木秀子先生の『愛と癒しのコミュニオン』に出てくるコンピューター・クローンのIさんに近い(そこまで極端ではないものの)症状で、Iさんが「ラザロ」(聖書で、イエスによって死から復活させられた人)と呼ばれるようになったように、非常に感情豊かな人に復活できるチャンスはあると思うのです。
有名人の中には、似たタイプはあまり見かけないのですが、「カツマー」と呼ばれる彼女に追随する人たちには、そういうタイプの人たちが多く、彼女が変われば、その人たちは一気に変わるでしょう。
そしてその人たちは、勝間さんと同じく、その周囲(仕事の面)ではかなり力のある人たちが多いと思うので、その周りでまた大きな変化が起きるでしょう。
その連鎖が、ひょっとすると物凄く大きな社会の変化につながる可能性があります。
それが、私が勝間さんを「日本の蝶」(=バタフライ現象の源)になる人ではないか、と睨んできた理由です。
ワールドシフトは、個人の気づきから起きてきます。
それは、多くの人たちの小さな気づきという側面もありますが、やはりそのための使命をもった特別の人、というのもいるような気がします。
勝間さんが、今までのフレームワークを超え、豊かな感情をもてるようになったとき、コミュニタリアンに変貌したときには、今よりはるかに重要な役割を果たせるようになると思います。
早く、その使命に、気づいて欲しいものです。
その返信をこちらにも載せさせていただきます。)
私は、テレビをあまり見ないので、
勝間和代さんが映っているところは5回くらいしか見ていないのですが、
論理的な話になると、とても優秀で雄弁に話されるものの、
全体として「この人、変?」「生きているの、辛いだろうな」と、
いつも感じてしまいます。
表面的な強さの裏に、
苦しさや弱さがあって、
それがなかなか出せない、
何とかしたい、 という思ってるんじゃないかなあ、と勝手ながら推測してしまうのです。
勝間和代さんには、香山リカさんが仕掛けた論争から注目して、
何冊か本を読んでみたのですが、
まさに現在の資本主義の矛盾を体現した方だと思います。
でも、私は、一方で、
政治家や財界のツワモノなどと違い、
すごく素直で正直な人だとも感じるのです。
だから、今回の自己批判文も、多少の見栄はあったとしても、
人を欺くために、「自己批判したふり」をしたのではないと思うのです。
彼女の思考法は、 フレームワークをしっかり作って、
その枠の中で論理的にきっちりと考えて、明快な答を出すというやり方です。
でも、その枠組みを見える世界の内側だけで作っていることの限界を、
かなり気付かれてきているようにも思います。
潜在意識ではそれを感じているけれど、
思考がそれに気づくのをストップさせてしまっている。
彼女の今回の自己批判文は、従来通りの論理的な文章ですが、
そういうものを書く心境にいたらせたのは、
やはり、福島を中心にした人たちの怒りや苦しみに共感したからだと思います。
彼女は、アフリカなど海外へ行って、貧困に喘ぐ人たちの姿を見て、貧困救済の活動をしています。
一方、国内の貧困・格差に関しては、自己責任論だったと思います。
(彼女は、功利主義かつリバタリアンなんでしょうか?
以前読んだとき、そういう枠組みが自分になかったので、忘れてしまいました。)
しかし、今回の震災で被害にあわれた人たちを見て、自己責任では済まされないものを感じたのではないか、と推測しています。
そして、少しずつ、閉ざされていた感情が開かれていっているのではないか、と思います。
彼女は閉ざされているのであって、歪んでいるのではないので、 開かれれば変化は早いと思います。
ちょうど、鈴木秀子先生の『愛と癒しのコミュニオン』に出てくるコンピューター・クローンのIさんに近い(そこまで極端ではないものの)症状で、Iさんが「ラザロ」(聖書で、イエスによって死から復活させられた人)と呼ばれるようになったように、非常に感情豊かな人に復活できるチャンスはあると思うのです。
有名人の中には、似たタイプはあまり見かけないのですが、「カツマー」と呼ばれる彼女に追随する人たちには、そういうタイプの人たちが多く、彼女が変われば、その人たちは一気に変わるでしょう。
そしてその人たちは、勝間さんと同じく、その周囲(仕事の面)ではかなり力のある人たちが多いと思うので、その周りでまた大きな変化が起きるでしょう。
その連鎖が、ひょっとすると物凄く大きな社会の変化につながる可能性があります。
それが、私が勝間さんを「日本の蝶」(=バタフライ現象の源)になる人ではないか、と睨んできた理由です。
ワールドシフトは、個人の気づきから起きてきます。
それは、多くの人たちの小さな気づきという側面もありますが、やはりそのための使命をもった特別の人、というのもいるような気がします。
勝間さんが、今までのフレームワークを超え、豊かな感情をもてるようになったとき、コミュニタリアンに変貌したときには、今よりはるかに重要な役割を果たせるようになると思います。
早く、その使命に、気づいて欲しいものです。
勝間和代氏の原発・自己批判
一昨日はチネイザン、昨日はホリスティック医学協会主催の富士山ツアーで出ていたので、その間に知人にパソコンを預けて診てもらってましたが、
あまり収穫がなく、返ってきました。
今、溜まったメールを流し読みしていると、あるMLに、
「カツマーの自己批判」というタイトルのメールがありました。
http://real-japan.org/2011/04/15/421/?
に、勝間和代さんがこれまで原発推進に協力してきたことを反省した記事を載せており、これがきっかけとなって、著名人、タレント、スターなどが雪崩をうって立場を入れ替える可能性もある、というものでした。
それに対して、彼女は勝ち組の観点からしかものが見れないし、
今回の反省も、表面的なものだ、という反論もよせられていました。
以下、それに対する私の意見です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は前々から、
「日本を変えるポイントになるのは、勝間和代氏ではないか?」
と思ってきたので、
「カツマーの自己批判」というのは、
私には「ヤッター!」と思えるフレーズでした。
○○さんが書かれた、
「勝ち組の論理でしか物事をとらえようとしない市場原理主義者」
というのは、その通りだと思います。
しかし、彼女は表面的な成功とは裏腹に、
とても困難な精神状態にあり、そこを何とか抜け出したいと思っており、
真に幸福になりたいと強く願っているように感じています。
ある意味で、(確かどこかに彼女自身が書いていたように)
現代社会の(成功的側面の)縮図、象徴ともいえると思います。
ですから、彼女が変わり始めたということは、
社会全体(の意識)が物凄く大きく変わり始めたことの象徴的出来事だともいえると思います。
彼女には、とても素晴らしい面があると思っています。
「変わる能力と勇気」です。
今回の「カツマーの自己批判」は、確かに、
○○さんが言っている体系内の、マイナー・チェンジなのだと思います。
しかし、彼女はそれでも十分な変化でないと気づいたときには、
彼女自身の中に、根底的なパラダイム・チェンジを起こす勇気をもった人ではないか、
と、私は期待しています。
彼女は、(本人も気づいているように)感情が非常に欠落した、
「人間機械論者」です。
彼女自身が装備しているOSで、あらゆる現象を処理しようと考えています。
そして、そのOSで処理できない、と気づいたときには、
そのOSを捨て、よりすぐれたOSに切り替える覚悟をもっているのです。
そういう意味で、非常に理性的で、
理性をもって感情を乗り越えられる人ともいえます。
彼女は、人生で何回か、
かなり大きなOSの転換を行ってきたようです。
そして、彼女がもっとも歓びを感じるのは、
(物質的・社会的成功ではなく)
自身のOSの転換に成功したときなのです。
ですから、今回の彼女の自己批判は、
単なる表面的なごまかしではなく、
大きなOSの転換が起きる前の予兆、
本震前の予震である可能性があります。
もちろん、今の私の仮説はすべて的外れかもしれません。
しかし、私としては、それが当たっていることを願い、
そして、彼女の変化を温かく見守り、それを助けることができれば、
と思います。
もし、彼女に本震が起きれば、
大震災が、本当に日本全体の意識の本震につながる可能性があります。
私は、それに期待しています。
あまり収穫がなく、返ってきました。
今、溜まったメールを流し読みしていると、あるMLに、
「カツマーの自己批判」というタイトルのメールがありました。
http://real-japan.org/2011/04/15/421/?
に、勝間和代さんがこれまで原発推進に協力してきたことを反省した記事を載せており、これがきっかけとなって、著名人、タレント、スターなどが雪崩をうって立場を入れ替える可能性もある、というものでした。
それに対して、彼女は勝ち組の観点からしかものが見れないし、
今回の反省も、表面的なものだ、という反論もよせられていました。
以下、それに対する私の意見です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は前々から、
「日本を変えるポイントになるのは、勝間和代氏ではないか?」
と思ってきたので、
「カツマーの自己批判」というのは、
私には「ヤッター!」と思えるフレーズでした。
○○さんが書かれた、
「勝ち組の論理でしか物事をとらえようとしない市場原理主義者」
というのは、その通りだと思います。
しかし、彼女は表面的な成功とは裏腹に、
とても困難な精神状態にあり、そこを何とか抜け出したいと思っており、
真に幸福になりたいと強く願っているように感じています。
ある意味で、(確かどこかに彼女自身が書いていたように)
現代社会の(成功的側面の)縮図、象徴ともいえると思います。
ですから、彼女が変わり始めたということは、
社会全体(の意識)が物凄く大きく変わり始めたことの象徴的出来事だともいえると思います。
彼女には、とても素晴らしい面があると思っています。
「変わる能力と勇気」です。
今回の「カツマーの自己批判」は、確かに、
○○さんが言っている体系内の、マイナー・チェンジなのだと思います。
しかし、彼女はそれでも十分な変化でないと気づいたときには、
彼女自身の中に、根底的なパラダイム・チェンジを起こす勇気をもった人ではないか、
と、私は期待しています。
彼女は、(本人も気づいているように)感情が非常に欠落した、
「人間機械論者」です。
彼女自身が装備しているOSで、あらゆる現象を処理しようと考えています。
そして、そのOSで処理できない、と気づいたときには、
そのOSを捨て、よりすぐれたOSに切り替える覚悟をもっているのです。
そういう意味で、非常に理性的で、
理性をもって感情を乗り越えられる人ともいえます。
彼女は、人生で何回か、
かなり大きなOSの転換を行ってきたようです。
そして、彼女がもっとも歓びを感じるのは、
(物質的・社会的成功ではなく)
自身のOSの転換に成功したときなのです。
ですから、今回の彼女の自己批判は、
単なる表面的なごまかしではなく、
大きなOSの転換が起きる前の予兆、
本震前の予震である可能性があります。
もちろん、今の私の仮説はすべて的外れかもしれません。
しかし、私としては、それが当たっていることを願い、
そして、彼女の変化を温かく見守り、それを助けることができれば、
と思います。
もし、彼女に本震が起きれば、
大震災が、本当に日本全体の意識の本震につながる可能性があります。
私は、それに期待しています。
月曜日の日記より
現在、パソコン・トラブルで、
やっと書き込みができるようになった状況です。
ブログが復帰できるのは、来週以降になると思います。
とりあえず、
今週月曜に書いた日記ですが、以下、載せさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日は、各地で反原発のデモがあったようですね。
私は、地域の仲間が加盟しているグループが主催する原発の状況の説明会に参加してきました。
講師は、たんぽぽ舎の方。
(脱原発と、環境破壊のない社会をめざす NO NUKES PLAZA
たんぽぽ舎 http://www.tanpoposya.net/)
脱原発と、環境破壊のない社会をめざして多くの人々が出会える「小広場」として、たんぽぽ舎は運営されています。
あなたの情報源・図書室・会議室…etcとして、たんぽぽ舎をご活用ください。
また、あなたが伝えたい情報もお寄せください。掲示板やビラ交換コーナーも用意してます。
かなり以前、
たんぽぽ舎の別の講師の方のお話を伺ったことがありましたが、
そのときと同様、昨日の講師の方も、
重い話題を、客観的な立場から、軽妙な話術で話していただき、
とても意義深い時間を過ごさせていただきました。
ただ、気になったのは、
参加者が皆さん高齢で、
50代の私が一番若い部類でした。
今回の原発事故(現段階)に関していうと、
55歳以上はほとんど心配なし、
年が小さくなればなるほど危険性が増し、
30歳までは注意したほうがいい、とのことでした。
これはテレビなどでも一般に言われていることだと思いますが、
だとすると、若者の無関心が気になります。
主催団体が、平和運動の団体だったこともあるのでしょうが、
(平和に関しては、若い人の関心が薄く、どこの団体も高齢化しているようです)
今朝MLから入ったメールでは、東京の特に高円寺でのデモでは若者が多く、
海外のデモのようなノリだった、というメールも入り、ちょっと安心しました。
でも、都知事選、事前の反対運動の展開がまったくなく、東国原氏とわたなべ美樹氏に票が割れるので、石原さんの再選は見えていたこととはいえ、あの圧勝にはまだ一般の人の意識に大きな変化が見られないことに、失望しました。
何とかしなくては・・・
話をもとに戻し、個人的な話になりますが、
原発の集会に出かけている間に家人がPCを扱い、
故障してしまって、ハードディスクに問題が生じ、
早まって再インストールをしてしまいました。
もうちょっとやり方を確認していれば、
もっと楽な修復の仕方があったようで、
ショックです。
データが修復できるかどうか、まだ分からず、
昨日の夜は、かなり混乱した状態で寝付けませんでした。
でも、ゆっくり呼吸法をして気持ちを落ち着け、
津波ですべてを奪われた被災者の方々のことを思うように努力したら、
こんなことは何でもないな、と、
次第に気持ちが落ち着いてきて、
むしろ、恥ずかしい気持ちで一杯になりました。
居ながらにして、魂の勉強をさせてくれた、
家人とパソコンに、感謝の気持ちも湧いてきました。
床について朝目が覚めたら、
また、不安に襲われましたが、
また気を鎮め・・・
いい勉強をさせてもらってます。
パソコン・トラブルから、
いつも無執着を学ばせてもらってます。
研究をするものにとって、
過去に書いたものが失われるのは、
一番大切な財産が失われるに等しいことですが、
この辺で私も、性根を入れ替えて、情報や知識とのかかわり方を変え、
魂に根ざした生き方に変えるよう、促されている気もしています。
やっと書き込みができるようになった状況です。
ブログが復帰できるのは、来週以降になると思います。
とりあえず、
今週月曜に書いた日記ですが、以下、載せさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日は、各地で反原発のデモがあったようですね。
私は、地域の仲間が加盟しているグループが主催する原発の状況の説明会に参加してきました。
講師は、たんぽぽ舎の方。
(脱原発と、環境破壊のない社会をめざす NO NUKES PLAZA
たんぽぽ舎 http://www.tanpoposya.net/)
脱原発と、環境破壊のない社会をめざして多くの人々が出会える「小広場」として、たんぽぽ舎は運営されています。
あなたの情報源・図書室・会議室…etcとして、たんぽぽ舎をご活用ください。
また、あなたが伝えたい情報もお寄せください。掲示板やビラ交換コーナーも用意してます。
かなり以前、
たんぽぽ舎の別の講師の方のお話を伺ったことがありましたが、
そのときと同様、昨日の講師の方も、
重い話題を、客観的な立場から、軽妙な話術で話していただき、
とても意義深い時間を過ごさせていただきました。
ただ、気になったのは、
参加者が皆さん高齢で、
50代の私が一番若い部類でした。
今回の原発事故(現段階)に関していうと、
55歳以上はほとんど心配なし、
年が小さくなればなるほど危険性が増し、
30歳までは注意したほうがいい、とのことでした。
これはテレビなどでも一般に言われていることだと思いますが、
だとすると、若者の無関心が気になります。
主催団体が、平和運動の団体だったこともあるのでしょうが、
(平和に関しては、若い人の関心が薄く、どこの団体も高齢化しているようです)
今朝MLから入ったメールでは、東京の特に高円寺でのデモでは若者が多く、
海外のデモのようなノリだった、というメールも入り、ちょっと安心しました。
でも、都知事選、事前の反対運動の展開がまったくなく、東国原氏とわたなべ美樹氏に票が割れるので、石原さんの再選は見えていたこととはいえ、あの圧勝にはまだ一般の人の意識に大きな変化が見られないことに、失望しました。
何とかしなくては・・・
話をもとに戻し、個人的な話になりますが、
原発の集会に出かけている間に家人がPCを扱い、
故障してしまって、ハードディスクに問題が生じ、
早まって再インストールをしてしまいました。
もうちょっとやり方を確認していれば、
もっと楽な修復の仕方があったようで、
ショックです。
データが修復できるかどうか、まだ分からず、
昨日の夜は、かなり混乱した状態で寝付けませんでした。
でも、ゆっくり呼吸法をして気持ちを落ち着け、
津波ですべてを奪われた被災者の方々のことを思うように努力したら、
こんなことは何でもないな、と、
次第に気持ちが落ち着いてきて、
むしろ、恥ずかしい気持ちで一杯になりました。
居ながらにして、魂の勉強をさせてくれた、
家人とパソコンに、感謝の気持ちも湧いてきました。
床について朝目が覚めたら、
また、不安に襲われましたが、
また気を鎮め・・・
いい勉強をさせてもらってます。
パソコン・トラブルから、
いつも無執着を学ばせてもらってます。
研究をするものにとって、
過去に書いたものが失われるのは、
一番大切な財産が失われるに等しいことですが、
この辺で私も、性根を入れ替えて、情報や知識とのかかわり方を変え、
魂に根ざした生き方に変えるよう、促されている気もしています。
『アネモネ』誌に「テレパシー入門」を寄稿
『アネモネ』誌から、テレパシーや松果体について書いて欲しいという依頼を受け、まもなく(書店に並ぶのは明後日、9日)発売の5月号に「超人への道 ~ テレパシー入門」という記事を書いています。
『アネモネ』には、10年前には取材記事を中心に、よく書いていました。最後に書いたのが6・7年前に書いた「カルマ」の話でした。こういう精神世界の雑誌というのは、なかなか経営が難しく、宣伝と通信販売で何とか採算をとっている、というのが現実だと思います。
そこからどういうことが派生してくるかはご賢察に任せますが、それでもなかなか運営できず、最後に書いて以降、(確か)2回ほど危機に直面し、編集方針なども代わって、今では(少し前まで)私が知っている人は一人もいないという状況になっていました。
編集者の方にも、私はほとんど知られていなかったようですが、それでも幸い編集長が、神智学やアリス・ベイリーに関しては興味をもっている、ということで、私がアリス・ベイリーの『テレパシーとエーテル体』に基づく話でよければ、ということで話したら、とても興味を示していただき、最初2ページくらいという話だったのが、倍の4ページの枠で、載せてもらえることになりました。
正直いって、私は『アネモネ』誌だけでなく、他のこういった系統の雑誌すべて、アリス・ベイリーの話を載せるのは難しいだろうな、と思っていました。
というのは、そういった雑誌でメインを占める、チャネリングやアセンションなどのことを、否定することになってしまうからです。ところが編集長、鷹揚な方で、色んな見方を提示して、読者に選択の幅をもたせるのが雑誌の役割ですから、とその辺は全然こだわらない様子。
なので、こちらから伝えたいものを大体出し、編集は向こうに任せて最後にチェックするという形で進め、とても良い記事に仕上がった、と思っています。
おそらく、『アネモネ』でこれだけ本格的な記事はなかったのではないか、と思うくらい、かなり本質的なところから書いています。
テレパシーというようなタイトルから、おそらく皆さん、際ものの話だと思われると思いますが、もの凄くまともな話を書いています。というか、私は普通に皆さんが期待されるようなテレパシー能力などもっておらず、チャネリングもできませんから、際ものの話は、書きたくても書けません。
記事の全文を載せるわけにはもちろんいきませんし、かいつまんでお話しますと・・・
テレパシーには大まかにいって、3種類ある。
そのうち、最も低いレベルのテレパシーが、アストラル・テレパシー。
動物や未開人、霊媒、大半のチャネラーが使っているのが、これです。
この能力がすべていけないというわけではなく、地震の予知をして事前に集団で移動する、などという意味でもとても優れた能力を発揮する場合があります。
しかし、それをもって、「今私たちがかつて持っていたテレパシー能力を失ってしまったのは退化なのだ」というのは誤りなのです。
わけがあって、そういう能力がなくなっているわけで、安易にそれを追い求めるのは、逆に進化の道を後退することになります。
そうではなくて、新たに次の段階の高度なテレパシーを求めていかなければなりません。それは、メンタル・テレパシーです。
そのためには、感情と知性をともに高めていかなければなりません。
チャクラでいうと、アストラル・テレパシーでは太陽叢のチャクラが使用されますが、メンタル・テレパシーではハートと喉のチャクラが使われます。
現在は、その切り替え時期、新たな装備を身につけるためのトレーニング、人間を磨くべき時期なのです。
そういうプロセスをきちんと踏まえずに獲得した能力(それは現在のその人の人格を見ても分かりますが)は、アストラル・テレパシーと考えて間違いないので、捨てる努力をした方が賢明です。
といっても、その執着から逃れるのは、今生の間はまず難しいでしょう。したがって、そんな能力を追い求めるような努力は、絶対にすべきではありません。
次のメンタル・テレパシー、これが多くの人が普通にイメージするテレパシー能力で、「携帯電話機ナシで携帯通話が可能」な能力という言い方が一番分かりやすいと思います。
人類全体に、この能力が一般化するのに500年くらいを要する、とアリス・ベイリーには書かれています。
もう一つのテレパシーは、魂レベルのテレパシー。
人類に扱うことのできる最高の能力・・・啓示や真の直観が、これに当たります。
そして、今置かれている人類の危機を乗り越えられるかどうかは、この魂レベルのテレパシーを人類が活用できるかどうかにかかっています。
ワールド・シフトの提唱者、アーヴィン・ラズロは見事のこれを見抜いていました。
彼の一連の作品の最終的な結論は、(ほとんど知られていないのですが)実はそこにあります。
といっても、魂レベルのテレパシーを(ほんの一瞬でも)使える人はごく限られた人たちです。
ラズロがつくった世界賢人会議は、「魂レベルのテレパシーを使える人たちの集団」という意味合いがあると思います。
普通の人は、もちろんこの能力は使えないのですが、使える人たちが得た情報を正しく評価して、それを人類全体の指針にして進んでいくことができれば、ワールド・シフトを達成できるのです。
そういう意味で、人類が魂レベルのテレパシーを活用できるか否かに、その運命が掛かっている、と言えるのです。
アネモネの記事では、人類全体の進化と絡め、もう少し掘り下げて書いていますので、ご覧になってみてください。
『アネモネ』には、10年前には取材記事を中心に、よく書いていました。最後に書いたのが6・7年前に書いた「カルマ」の話でした。こういう精神世界の雑誌というのは、なかなか経営が難しく、宣伝と通信販売で何とか採算をとっている、というのが現実だと思います。
そこからどういうことが派生してくるかはご賢察に任せますが、それでもなかなか運営できず、最後に書いて以降、(確か)2回ほど危機に直面し、編集方針なども代わって、今では(少し前まで)私が知っている人は一人もいないという状況になっていました。
編集者の方にも、私はほとんど知られていなかったようですが、それでも幸い編集長が、神智学やアリス・ベイリーに関しては興味をもっている、ということで、私がアリス・ベイリーの『テレパシーとエーテル体』に基づく話でよければ、ということで話したら、とても興味を示していただき、最初2ページくらいという話だったのが、倍の4ページの枠で、載せてもらえることになりました。
正直いって、私は『アネモネ』誌だけでなく、他のこういった系統の雑誌すべて、アリス・ベイリーの話を載せるのは難しいだろうな、と思っていました。
というのは、そういった雑誌でメインを占める、チャネリングやアセンションなどのことを、否定することになってしまうからです。ところが編集長、鷹揚な方で、色んな見方を提示して、読者に選択の幅をもたせるのが雑誌の役割ですから、とその辺は全然こだわらない様子。
なので、こちらから伝えたいものを大体出し、編集は向こうに任せて最後にチェックするという形で進め、とても良い記事に仕上がった、と思っています。
おそらく、『アネモネ』でこれだけ本格的な記事はなかったのではないか、と思うくらい、かなり本質的なところから書いています。
テレパシーというようなタイトルから、おそらく皆さん、際ものの話だと思われると思いますが、もの凄くまともな話を書いています。というか、私は普通に皆さんが期待されるようなテレパシー能力などもっておらず、チャネリングもできませんから、際ものの話は、書きたくても書けません。
記事の全文を載せるわけにはもちろんいきませんし、かいつまんでお話しますと・・・
テレパシーには大まかにいって、3種類ある。
そのうち、最も低いレベルのテレパシーが、アストラル・テレパシー。
動物や未開人、霊媒、大半のチャネラーが使っているのが、これです。
この能力がすべていけないというわけではなく、地震の予知をして事前に集団で移動する、などという意味でもとても優れた能力を発揮する場合があります。
しかし、それをもって、「今私たちがかつて持っていたテレパシー能力を失ってしまったのは退化なのだ」というのは誤りなのです。
わけがあって、そういう能力がなくなっているわけで、安易にそれを追い求めるのは、逆に進化の道を後退することになります。
そうではなくて、新たに次の段階の高度なテレパシーを求めていかなければなりません。それは、メンタル・テレパシーです。
そのためには、感情と知性をともに高めていかなければなりません。
チャクラでいうと、アストラル・テレパシーでは太陽叢のチャクラが使用されますが、メンタル・テレパシーではハートと喉のチャクラが使われます。
現在は、その切り替え時期、新たな装備を身につけるためのトレーニング、人間を磨くべき時期なのです。
そういうプロセスをきちんと踏まえずに獲得した能力(それは現在のその人の人格を見ても分かりますが)は、アストラル・テレパシーと考えて間違いないので、捨てる努力をした方が賢明です。
といっても、その執着から逃れるのは、今生の間はまず難しいでしょう。したがって、そんな能力を追い求めるような努力は、絶対にすべきではありません。
次のメンタル・テレパシー、これが多くの人が普通にイメージするテレパシー能力で、「携帯電話機ナシで携帯通話が可能」な能力という言い方が一番分かりやすいと思います。
人類全体に、この能力が一般化するのに500年くらいを要する、とアリス・ベイリーには書かれています。
もう一つのテレパシーは、魂レベルのテレパシー。
人類に扱うことのできる最高の能力・・・啓示や真の直観が、これに当たります。
そして、今置かれている人類の危機を乗り越えられるかどうかは、この魂レベルのテレパシーを人類が活用できるかどうかにかかっています。
ワールド・シフトの提唱者、アーヴィン・ラズロは見事のこれを見抜いていました。
彼の一連の作品の最終的な結論は、(ほとんど知られていないのですが)実はそこにあります。
といっても、魂レベルのテレパシーを(ほんの一瞬でも)使える人はごく限られた人たちです。
ラズロがつくった世界賢人会議は、「魂レベルのテレパシーを使える人たちの集団」という意味合いがあると思います。
普通の人は、もちろんこの能力は使えないのですが、使える人たちが得た情報を正しく評価して、それを人類全体の指針にして進んでいくことができれば、ワールド・シフトを達成できるのです。
そういう意味で、人類が魂レベルのテレパシーを活用できるか否かに、その運命が掛かっている、と言えるのです。
アネモネの記事では、人類全体の進化と絡め、もう少し掘り下げて書いていますので、ご覧になってみてください。
被災地・ボランティア報告会のお知らせ
下記、私も一旦は参加しようと思ったボランティア・ツアー、
現地での緊急報告会の案内です。
報告者は、こういう方面のリーダーの人たちですので、
興味ある方は、是非、ご一緒に!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京の佐野淳也です。
先週4日間、福島県の南相馬市・相馬市・飯舘村を回って参りました。現地のボランティアに参加しつつ、現地のニードを探って参りました。
*詳しくはブログ記事をお読みください⇒ http://juncafe.dreamlog.jp/
それで、今週末ですが、以下のように緊急報告会を行います。
放射能の影響が福島のみなさんにいまとても重い影響を与えていること、現地に
行って実感いたしました。ぜひ、多くの方に知っていただければと思います。
ご関心のある方どうぞお越しください!
☆ 僕の所属する「地球サミット2012Japan」のほうでも、今後この福島の相馬市
・南相馬市・飯舘村を皮切りに、被災地への支援プロジェクトを計画していくこ
とになりました。まずは相馬市のNPO「おひさまプロジェクト」(代表:大石ゆ
い子)と、南相馬市のいちご農家「もっけの幸」さんなどをカウンターパートに
活動を開始する予定です。
【転送・転載歓迎】
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥………………………‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・
地球サミット2012Japan「がんばれ!東北プロジェクト」(仮称) 主催
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■□■ 『 いま、フクシマで起こっていること 』
□■ ~「南相馬市・相馬市・飯舘村」被災現場の声:緊急レポート ~
■
2011年4月8日(金)19:00~21:30 @ 東京・水道橋
http://earthsummit2012.jp/events/110408/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
3・11以降、日本はまったく新しいステージに入りました。東北の被災地では、
まだまだライフラインの整わない厳しい避難生活が続いています。
なかでも、福島は「地震」「津波」に加え「原発事故」とその「風評被害」とい
う四重苦をかかえた特殊な状況にあります。日本のみらなず、世界でもここまで
天災と人災が入り交じった複雑な状況はなかったと言えるかも知れません。
その福島に、現地のニーズ調査とボランティア活動を行うため、地球サミット2012
Japanスタッフを含む有志8名で3月29日~4月1日の4日間滞在いたしました。
福島第一原発から20キロ圏内と30キロ圏内を抱える「南相馬市」、隣接する
「相馬市」、そして30キロ圏外にも関わらず通常より極めて高い放射線量が
測定された「飯舘村」の3市町村を訪問し、農家や市の職員、そして避難
されている住民のみなさんからお話を伺いました。
今回は、現地入りしたメンバーにより、緊急報告会としてその4日間の訪問
結果をみなさんにお伝えします。また同行いただいたドキュメンタリー
作家の野村知一さんによる現地映像もふんだんにご紹介いたします。
ぜひお越しください!
------------------------------------------------------------------
【日時】2011年 4月8日(金)19:00~21:30
【会場】貸会議室「内海」(うつみ) 3F教室
東京都千代田区三崎町3-6-15/JR水道橋西口から徒歩1分
http://www.kaigishitsu.co.jp/company/access.html
【参加費】500円
【定員】 120名
【申し込み】以下のページからお申込ください(先着順)
http://earthsummit2012.jp/events/110408/
【主催】地球サミット2012 Japan
【共催】”2030ビジョン”プロジェクト
【問合せ】「地球サミット2012 Japan」準備事務局
Email: entry(at)earthsummit2012.jp
※(at)を@に置き換えて送信して下さい。
------------------------------------------------------------------
<当日のスケジュール>
18:30 開場
19:00 スタート・あいさつ
19:10 映像による現場報告
1)被災地の全体状況(相馬市・南相馬市・飯舘村)
2)津波による被害状況
3)原発の放射能の影響
4)地域のみなさんの声
(避難所/在宅のお年寄り/有機農家/行政職員)
5)ボランティアの活動内容・受け入れ状況
6)全国への提案
・いま首都圏からできること ~風評被害を無くすために
・政府・東電に求めたいこと ~幅広い住民への生活保障を迅速に
21:00 質疑応答・ディスカッション
21:20 今後の活動予定 / 協力のお願い
21:30 終了
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
【報告者プロフィール】
◎佐 野 淳 也(「地球サミット2012 Japan」準備事務局 副代表)
1971年徳島市生まれ。日本福祉大卒、一橋大学修士課程修了(社会学修士)。
震災後の神戸でのNPOスタッフ、インド現地NGOでの1年間インターン、国際環境
NGO「FoE Japan」スタッフなどを経て、2008年4月から2011年3月まで立教大学大
学院21世紀社会デザイン研究科 特任准教授。現在、地球サミット2012Japan内に
て「がんばれ!東北プロジェクト」(仮称)立ち上げ準備中。
共著に「地球が危ない!」(幻冬舎)、「多元的共生社会を求めて」(東信堂)。
【現地活動報告ブログ】 http://juncafe.dreamlog.jp/
◎中 山 弘(“2030ビジョン”プロジェクト主宰)
1946年茨城県生まれ。茨城大学工学部卒。本田技研で研究開発、商品企画、経
営管理、専門学校経営等に従事。退職後は「未来に希望」が持てる社会を皆で考
えて実現するために、”2030ビジョン”プロジェクトを推進。2010年、厚労省
「未来への投資」プロジェクト・アドバイザー、省内事業仕分けメンバー。キー
となのは「利他のココロ」と「コミュニティ」。これまでの人のツナガリを活か
し、幅広い視点で活動していきたい。PURC[新しい公共」メンバー。
◎野 村 知 一(フリーランスにて自主ドキュメンタリー制作)
【コーディネーター プロフィール】
◎佐 藤 正 弘(地球サミット2012 Japan 準備事務局代表、発起人)
内閣府職員(現在金融庁に出向中)。1975年生。東京大学大学院国際社会科学専
攻修士課程修了。米国ジョージタウン大学経済学博士課程留学。2001年に「政策
市場」の創設を提唱し、その理念に基づき、「官民協働ネットワーク
Crossover21」を立ち上げ。2009年、日本初の本格的マルチステークホルダー・
プロセス(MSP)による「社会的責任に関する円卓会議」を発案・創設。
…………………‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・
■ 「地球サミット2012Japan」
来年6月にブラジル・リオデジャネイロで開催される地球サミット2012(リオ+
20)に向けて、世界と日本をつなぐ非営利・民間によるプラットフォームです。
参加と対話と行動をキーワードに、私たちみんなで描く未来の姿を、世界に届け
る活動を行っています。東北関東大震災被災地への復興支援活動も、今後行って
いく予定です。http://earthsummit2012.jp/home.html
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
■ “2030ビジョン”プロジェクト
一般国民(生活者)の視点で智慧を出し合い、
「誰もが未来に希望を持てるような“2030年の国のありたい姿”」
を考え、広く共有するとともに実現してゆく活動です。
http://www.2030vision.jp/
現地での緊急報告会の案内です。
報告者は、こういう方面のリーダーの人たちですので、
興味ある方は、是非、ご一緒に!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京の佐野淳也です。
先週4日間、福島県の南相馬市・相馬市・飯舘村を回って参りました。現地のボランティアに参加しつつ、現地のニードを探って参りました。
*詳しくはブログ記事をお読みください⇒ http://juncafe.dreamlog.jp/
それで、今週末ですが、以下のように緊急報告会を行います。
放射能の影響が福島のみなさんにいまとても重い影響を与えていること、現地に
行って実感いたしました。ぜひ、多くの方に知っていただければと思います。
ご関心のある方どうぞお越しください!
☆ 僕の所属する「地球サミット2012Japan」のほうでも、今後この福島の相馬市
・南相馬市・飯舘村を皮切りに、被災地への支援プロジェクトを計画していくこ
とになりました。まずは相馬市のNPO「おひさまプロジェクト」(代表:大石ゆ
い子)と、南相馬市のいちご農家「もっけの幸」さんなどをカウンターパートに
活動を開始する予定です。
【転送・転載歓迎】
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥………………………‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・
地球サミット2012Japan「がんばれ!東北プロジェクト」(仮称) 主催
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■□■ 『 いま、フクシマで起こっていること 』
□■ ~「南相馬市・相馬市・飯舘村」被災現場の声:緊急レポート ~
■
2011年4月8日(金)19:00~21:30 @ 東京・水道橋
http://earthsummit2012.jp/events/110408/
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3・11以降、日本はまったく新しいステージに入りました。東北の被災地では、
まだまだライフラインの整わない厳しい避難生活が続いています。
なかでも、福島は「地震」「津波」に加え「原発事故」とその「風評被害」とい
う四重苦をかかえた特殊な状況にあります。日本のみらなず、世界でもここまで
天災と人災が入り交じった複雑な状況はなかったと言えるかも知れません。
その福島に、現地のニーズ調査とボランティア活動を行うため、地球サミット2012
Japanスタッフを含む有志8名で3月29日~4月1日の4日間滞在いたしました。
福島第一原発から20キロ圏内と30キロ圏内を抱える「南相馬市」、隣接する
「相馬市」、そして30キロ圏外にも関わらず通常より極めて高い放射線量が
測定された「飯舘村」の3市町村を訪問し、農家や市の職員、そして避難
されている住民のみなさんからお話を伺いました。
今回は、現地入りしたメンバーにより、緊急報告会としてその4日間の訪問
結果をみなさんにお伝えします。また同行いただいたドキュメンタリー
作家の野村知一さんによる現地映像もふんだんにご紹介いたします。
ぜひお越しください!
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【日時】2011年 4月8日(金)19:00~21:30
【会場】貸会議室「内海」(うつみ) 3F教室
東京都千代田区三崎町3-6-15/JR水道橋西口から徒歩1分
http://www.kaigishitsu.co.jp/company/access.html
【参加費】500円
【定員】 120名
【申し込み】以下のページからお申込ください(先着順)
http://earthsummit2012.jp/events/110408/
【主催】地球サミット2012 Japan
【共催】”2030ビジョン”プロジェクト
【問合せ】「地球サミット2012 Japan」準備事務局
Email: entry(at)earthsummit2012.jp
※(at)を@に置き換えて送信して下さい。
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<当日のスケジュール>
18:30 開場
19:00 スタート・あいさつ
19:10 映像による現場報告
1)被災地の全体状況(相馬市・南相馬市・飯舘村)
2)津波による被害状況
3)原発の放射能の影響
4)地域のみなさんの声
(避難所/在宅のお年寄り/有機農家/行政職員)
5)ボランティアの活動内容・受け入れ状況
6)全国への提案
・いま首都圏からできること ~風評被害を無くすために
・政府・東電に求めたいこと ~幅広い住民への生活保障を迅速に
21:00 質疑応答・ディスカッション
21:20 今後の活動予定 / 協力のお願い
21:30 終了
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【報告者プロフィール】
◎佐 野 淳 也(「地球サミット2012 Japan」準備事務局 副代表)
1971年徳島市生まれ。日本福祉大卒、一橋大学修士課程修了(社会学修士)。
震災後の神戸でのNPOスタッフ、インド現地NGOでの1年間インターン、国際環境
NGO「FoE Japan」スタッフなどを経て、2008年4月から2011年3月まで立教大学大
学院21世紀社会デザイン研究科 特任准教授。現在、地球サミット2012Japan内に
て「がんばれ!東北プロジェクト」(仮称)立ち上げ準備中。
共著に「地球が危ない!」(幻冬舎)、「多元的共生社会を求めて」(東信堂)。
【現地活動報告ブログ】 http://juncafe.dreamlog.jp/
◎中 山 弘(“2030ビジョン”プロジェクト主宰)
1946年茨城県生まれ。茨城大学工学部卒。本田技研で研究開発、商品企画、経
営管理、専門学校経営等に従事。退職後は「未来に希望」が持てる社会を皆で考
えて実現するために、”2030ビジョン”プロジェクトを推進。2010年、厚労省
「未来への投資」プロジェクト・アドバイザー、省内事業仕分けメンバー。キー
となのは「利他のココロ」と「コミュニティ」。これまでの人のツナガリを活か
し、幅広い視点で活動していきたい。PURC[新しい公共」メンバー。
◎野 村 知 一(フリーランスにて自主ドキュメンタリー制作)
【コーディネーター プロフィール】
◎佐 藤 正 弘(地球サミット2012 Japan 準備事務局代表、発起人)
内閣府職員(現在金融庁に出向中)。1975年生。東京大学大学院国際社会科学専
攻修士課程修了。米国ジョージタウン大学経済学博士課程留学。2001年に「政策
市場」の創設を提唱し、その理念に基づき、「官民協働ネットワーク
Crossover21」を立ち上げ。2009年、日本初の本格的マルチステークホルダー・
プロセス(MSP)による「社会的責任に関する円卓会議」を発案・創設。
…………………‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・
■ 「地球サミット2012Japan」
来年6月にブラジル・リオデジャネイロで開催される地球サミット2012(リオ+
20)に向けて、世界と日本をつなぐ非営利・民間によるプラットフォームです。
参加と対話と行動をキーワードに、私たちみんなで描く未来の姿を、世界に届け
る活動を行っています。東北関東大震災被災地への復興支援活動も、今後行って
いく予定です。http://earthsummit2012.jp/home.html
・・・・・・‥‥‥‥‥‥‥…………………
■ “2030ビジョン”プロジェクト
一般国民(生活者)の視点で智慧を出し合い、
「誰もが未来に希望を持てるような“2030年の国のありたい姿”」
を考え、広く共有するとともに実現してゆく活動です。
http://www.2030vision.jp/
「危機の時代におけるスピリチュアリティー ~ 大震災の衝撃の中で」
震災の影響、私の仕事にも色々と及んで、
(震災にあわれた方のことを思えば、取るに足りないことではありますが。)
次々と起きる変更にてんてこ舞いになってます。
そんなこんなで、間近になってしまいましたが、
今度の土曜日に、
ヨーガの世界的権威である本山博先生のご子息、
本山一博先生をメイン・ゲストにお招きして開催されます、
「フィロソフィア」のご案内をさせていただきます。
震災後の混迷が続く中、
皆さまと共に新たな時代を築いていく心の在り方について、
考えていく格好の機会になるのではないかと思います。
奮ってのご参加、お待ちしております。
≪ 転送・転載 歓迎 ≫
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
2011年4月9日(土) 14:00(開場13:30)~20:30
※部分参加も可能で、時間は流動的です。
第34回 フィロソフィア
「危機の時代におけるスピリチュアリティー ~ 大震災の衝撃の中で」
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
東日本大震災と原発災害の衝撃の中で、これまで当然視されてきた
考え方も見直す機運が生じています。また、中東では政治的激変が
生じています。このような時代状況に関して、私達はどのように考え、
どのような方向を目指すべきでしょうか。
また宗教や哲学はどのような考え方を提示することができるのでしょうか。
多様な宗教の対話や、震災に対する対応に焦点を当てながら考えてみたい
と思います。
★プログラム★
☆開場(13:30)
☆第1部(14:00~16:30):アカデメイア
「宗教対話について
異なる宗教から学ぶための二つの視点」(講師:本山一博)
議論
☆休憩 16:30-16:45
☆第2部 講演(16:45~18:00):フィラデルフィア
「大震災におけるスピリチュアル界のボランタリーな活動報告」
(講師:テディ小泉 )
議論
☆休憩 18:00-18:30
☆第3部 講演(18:30~20:30):フィロソフィア
「大震災が突き付けた哲学的課題――超宗派的な友愛と祈りのアート」
(講師:小林正弥 )
議論
*時間は流動的で、終了時間なども変わる可能性があります。
★会場★
全日本教職員組合会館(エデュカス東京) 地階:洋室B
案内掲示は「フィロソフィア研究会」で出ています.
住所:東京都千代田区二番町12-1
Tel:03-5210-3511
地図:http://www.navita.co.jp/s/11022534/
アクセス:
有楽町線・麹町駅徒歩1分
JR市ケ谷駅・徒歩5分
半蔵門線・半蔵門駅徒歩7分
★参加費★
☆資料代として 1,000円
☆公共活動割引 700円
(対象:平和運動など公共的運動のスタッフの方)
☆学生割引 500円
※寄付など歓迎。
第1部
【講師プロフィール】
本山一博(玉光神社権宮司)
1962年東京生まれ
神道系の新興宗教である玉光神社の後継者
筑波大学で物理学の修士を取得後、
数理システム理論の専攻で博士課程に進むが、
在学中に現宮司から後継者に指名され、
玉光神社の権宮司になる。
30歳代半ばより宗教対話に携わるようになり、
以後、積極的に参加している。
【内容】
宗教交流には大きくいって三つの類型がある。
宗教協力、霊性交流、宗教対話である。
宗教協力とは、平和、人権、その他の具体的な社会問題について、宗教者、信仰者が教派を超えて協力することである。
この場面では、それぞれの宗教の内容が問題になることは余りない。
「どんな宗教でも平和を説いている」などの言説があれば十分である。
霊性交流の例としては「東西霊性交流」がある。
ここでは、日本の禅宗を中心としたグループと、ヨーロッパの修道会のグループとが、
互いの禅寺での修行生活、修道院でも修道生活を体験しあっている。
この例ではお互いの宗教的な内容は問題になるが、それ以上に体験の交換が主題になっている。
宗教対話は、異なる宗教に関わるものが、それぞれの宗教の内容について対話するものである。
これは、なされているようでほとんどなされていない。
なぜなら、お互いの宗教の内容、つまり教義に深く踏み込むと、
「絶対」同士のぶつかり合いになり、建設的な対話になりにくいからである。
それゆえに実際の宗教対話の場では教義そのものを問題にすることを避け、
「いい話」に終始することが多い。
また、現在の宗教対話はむしろ宗教間対話であり、
教団をベースとして、教団エリート同士が、
教団を背負った形で参加するインターリリジャスな対話であることがほとんどである。
私は、宗教に関わるものが、個人の資格で、宗教的な内容に深く踏み込んだ形で行う宗教対話、
トランスリリジャスな対話を推進し、「宗教とは何か」に鋭く迫ることができる対話を模索してきた。
そして、そのために必要な態度として、新体験主義とソウタイ主義の二つが必要があると考えている。
新体験主義とは、他の宗教教義を、そのもとになった体験はどのようなものなのかをベースに捉える態度である。
ソウタイ主義とは、自らの宗教教義によって人生のすべての場面を生きること(総体化)を通して、
自宗教の宗教言語を相対化しようという態度である。
今は、特定の宗教が教盛を伸ばすことで、世を「救う」ような時代ではない。
宗教対話を通して、宗教間の壁をある意味で無効化し、特定の宗教ではなく、宗教そのものの布教ができるようになりたい、
そうすることによって、誰もが自分の「生きる意味」を把握できるようしたい、そのように願っている。
第2部
【講師プロフィール】
小泉義仁
スピリチュアルTV代表 すぴこん(スピリチュアル・コンベンション元代表)
IT革命の次はスピリチュアル革命と予測しているスピリチュアル研究者。
世界宗教者会議に参加して世界平和を実現する統合宗教学を提案中。
30代まではIT関連に興味あり 電子ネットワーク協議会委員を務めた。
【内容】
今回の震災に関連して、スピリチュアル界で行われた
震災地への直接支援、
ITを駆使した支援、
祈りの支援、
世界からのメッセージの支援の数々
をご紹介し、その果たすべき役割について語ります。
★URL★
フィロソフィアHP http://global-spirituality.net/
地球平和公共ネットワークHP http://global-public-peace.net/
スピリチュアルな世界の健全な発展を願う会HP
http://soundspirituality.org/
(震災にあわれた方のことを思えば、取るに足りないことではありますが。)
次々と起きる変更にてんてこ舞いになってます。
そんなこんなで、間近になってしまいましたが、
今度の土曜日に、
ヨーガの世界的権威である本山博先生のご子息、
本山一博先生をメイン・ゲストにお招きして開催されます、
「フィロソフィア」のご案内をさせていただきます。
震災後の混迷が続く中、
皆さまと共に新たな時代を築いていく心の在り方について、
考えていく格好の機会になるのではないかと思います。
奮ってのご参加、お待ちしております。
≪ 転送・転載 歓迎 ≫
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
2011年4月9日(土) 14:00(開場13:30)~20:30
※部分参加も可能で、時間は流動的です。
第34回 フィロソフィア
「危機の時代におけるスピリチュアリティー ~ 大震災の衝撃の中で」
☆. *・゜゜・*:.。.☆.。.: *・゜・*:.。.☆
東日本大震災と原発災害の衝撃の中で、これまで当然視されてきた
考え方も見直す機運が生じています。また、中東では政治的激変が
生じています。このような時代状況に関して、私達はどのように考え、
どのような方向を目指すべきでしょうか。
また宗教や哲学はどのような考え方を提示することができるのでしょうか。
多様な宗教の対話や、震災に対する対応に焦点を当てながら考えてみたい
と思います。
★プログラム★
☆開場(13:30)
☆第1部(14:00~16:30):アカデメイア
「宗教対話について
異なる宗教から学ぶための二つの視点」(講師:本山一博)
議論
☆休憩 16:30-16:45
☆第2部 講演(16:45~18:00):フィラデルフィア
「大震災におけるスピリチュアル界のボランタリーな活動報告」
(講師:テディ小泉 )
議論
☆休憩 18:00-18:30
☆第3部 講演(18:30~20:30):フィロソフィア
「大震災が突き付けた哲学的課題――超宗派的な友愛と祈りのアート」
(講師:小林正弥 )
議論
*時間は流動的で、終了時間なども変わる可能性があります。
★会場★
全日本教職員組合会館(エデュカス東京) 地階:洋室B
案内掲示は「フィロソフィア研究会」で出ています.
住所:東京都千代田区二番町12-1
Tel:03-5210-3511
地図:http://www.navita.co.jp/s/11022534/
アクセス:
有楽町線・麹町駅徒歩1分
JR市ケ谷駅・徒歩5分
半蔵門線・半蔵門駅徒歩7分
★参加費★
☆資料代として 1,000円
☆公共活動割引 700円
(対象:平和運動など公共的運動のスタッフの方)
☆学生割引 500円
※寄付など歓迎。
第1部
【講師プロフィール】
本山一博(玉光神社権宮司)
1962年東京生まれ
神道系の新興宗教である玉光神社の後継者
筑波大学で物理学の修士を取得後、
数理システム理論の専攻で博士課程に進むが、
在学中に現宮司から後継者に指名され、
玉光神社の権宮司になる。
30歳代半ばより宗教対話に携わるようになり、
以後、積極的に参加している。
【内容】
宗教交流には大きくいって三つの類型がある。
宗教協力、霊性交流、宗教対話である。
宗教協力とは、平和、人権、その他の具体的な社会問題について、宗教者、信仰者が教派を超えて協力することである。
この場面では、それぞれの宗教の内容が問題になることは余りない。
「どんな宗教でも平和を説いている」などの言説があれば十分である。
霊性交流の例としては「東西霊性交流」がある。
ここでは、日本の禅宗を中心としたグループと、ヨーロッパの修道会のグループとが、
互いの禅寺での修行生活、修道院でも修道生活を体験しあっている。
この例ではお互いの宗教的な内容は問題になるが、それ以上に体験の交換が主題になっている。
宗教対話は、異なる宗教に関わるものが、それぞれの宗教の内容について対話するものである。
これは、なされているようでほとんどなされていない。
なぜなら、お互いの宗教の内容、つまり教義に深く踏み込むと、
「絶対」同士のぶつかり合いになり、建設的な対話になりにくいからである。
それゆえに実際の宗教対話の場では教義そのものを問題にすることを避け、
「いい話」に終始することが多い。
また、現在の宗教対話はむしろ宗教間対話であり、
教団をベースとして、教団エリート同士が、
教団を背負った形で参加するインターリリジャスな対話であることがほとんどである。
私は、宗教に関わるものが、個人の資格で、宗教的な内容に深く踏み込んだ形で行う宗教対話、
トランスリリジャスな対話を推進し、「宗教とは何か」に鋭く迫ることができる対話を模索してきた。
そして、そのために必要な態度として、新体験主義とソウタイ主義の二つが必要があると考えている。
新体験主義とは、他の宗教教義を、そのもとになった体験はどのようなものなのかをベースに捉える態度である。
ソウタイ主義とは、自らの宗教教義によって人生のすべての場面を生きること(総体化)を通して、
自宗教の宗教言語を相対化しようという態度である。
今は、特定の宗教が教盛を伸ばすことで、世を「救う」ような時代ではない。
宗教対話を通して、宗教間の壁をある意味で無効化し、特定の宗教ではなく、宗教そのものの布教ができるようになりたい、
そうすることによって、誰もが自分の「生きる意味」を把握できるようしたい、そのように願っている。
第2部
【講師プロフィール】
小泉義仁
スピリチュアルTV代表 すぴこん(スピリチュアル・コンベンション元代表)
IT革命の次はスピリチュアル革命と予測しているスピリチュアル研究者。
世界宗教者会議に参加して世界平和を実現する統合宗教学を提案中。
30代まではIT関連に興味あり 電子ネットワーク協議会委員を務めた。
【内容】
今回の震災に関連して、スピリチュアル界で行われた
震災地への直接支援、
ITを駆使した支援、
祈りの支援、
世界からのメッセージの支援の数々
をご紹介し、その果たすべき役割について語ります。
★URL★
フィロソフィアHP http://global-spirituality.net/
地球平和公共ネットワークHP http://global-public-peace.net/
スピリチュアルな世界の健全な発展を願う会HP
http://soundspirituality.org/
地元地域(江戸川区)のつながりを深めるイヴェント
今日は、地元の話題です。
昨日、江戸川区葛西にお住まいの鈴木明美(あけ)さんが中心になって企画された、
マザーズネットの「子育て」イヴェントに、参加させていただきました。
最初に講演者の醍醐千里さんから子育ての凄い苦労話や朗読が披露され、
それ自体とてもよかったのですが、
それを聞いたお母さん(+子育て奮闘のお父さん)たちが心を開かれ、
それまで誰にも語れなかった自分の子育ての苦労話を語り出す姿が素敵でした。
(本当に、お母さんたちは大変ですね、凄い!)
具体的内容は秘守義務で書けませんが、
それもあって皆さん安心して包み隠さず話すことができ、
マザーズネット・・・社会のつながりの薄れたこの時代に、
とても重要な活動だと感じました。
私の家の近くでも、知合いのお母さんたちが中心になって、
「エドすく・ネット」(江戸川すくすくネットワーク)を始め、
4月22日午前中に江戸川区の施設「アーヴァン・プラザ」で、
「抱っこ法」という低年齢の子供にとても良い子育て法を、
その第一人者の阿部秀雄先生をお招きして企画してます。
地域を盛り立てるのは、やはりお母さんたちのつながりが大きいので、
今後も子育てイヴェントを展開し、それをより大きな社会的なつながりに発展させていっていただければ、と期待してます。そうなったら、私など地域では出る幕がなくなりますが、早くその日がくるのを楽しみにしてます。
そして今日は、6月25日に予定している高木善之氏の講演を中心にした1日のイヴェントの、第2回目のミーティングでした。
といっても、第1回目が3月12日、地震発生の翌日だったため、今日が事実上のキックオフ・ミーティング。
地震が起きたことにより、その前とは全然違った流れが起きているので、
企画も練り直さなければならない状況ですが、
皆さん積極的に発言していただき、とても有意義な話合いができました。
やはり、地域のイヴェントになってしまいますが、
当日まで、次のような流れで準備を進めていくことになりました。
お近くの方は是非、ご参加ください。
●4月24日(日) 西小岩コミュニティ会館 集会室第2 にて
10:00
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い①
12:00
12:30
| スタッフ・ミーティング(昼食をとりながら)
14:00
14:30
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い②
17:00
(「懐かしい未来」は、「幸せの経済学」を見る前提として、
問題意識を高めるのにとてもいい素材です。
2回、上映&話合いを行い、その間にスタッフ・ミーティングします。)
*5月13日(金)10:00~12:30 西小岩コミュニティ会館 集会室第2
でも、「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い
さらに、葛西や船堀の方でも、場所を押さえていただければ、
開催して、次の「幸せの経済学」上映につなげたいと思います。
●「幸せの経済学」(+「懐かしい未来」ダイジェスト版)の上映会
5月22日(日) 13:00~16:30
小岩区民館・集会室第1 (小岩駅南口から徒歩5分))
http://www.city.edogawa.tokyo.jp/shisetsuguide/bunya/kuyakusho/kuminkan/c_koiwa/index.html
最低上映価格として25,750円が掛かるので、
義捐金として一人500円以上を集め、
超過した額を寄付したいと思います。
不足した場合は、6月25日の経費として計上させていただきます。
●佐野 淳也氏( 立教大学大学院 21世紀社会デザイン研究科 准教授 )を招いて、
「ローカリゼーションと対話、震災のボランティア」などについて伺います。
6月12日(日) 13:00~17:00 西小岩コミュニティ会館 集会室第2
同日 10:00~12:00に、6月25日の最終ミーティングも行います。
昨日、江戸川区葛西にお住まいの鈴木明美(あけ)さんが中心になって企画された、
マザーズネットの「子育て」イヴェントに、参加させていただきました。
最初に講演者の醍醐千里さんから子育ての凄い苦労話や朗読が披露され、
それ自体とてもよかったのですが、
それを聞いたお母さん(+子育て奮闘のお父さん)たちが心を開かれ、
それまで誰にも語れなかった自分の子育ての苦労話を語り出す姿が素敵でした。
(本当に、お母さんたちは大変ですね、凄い!)
具体的内容は秘守義務で書けませんが、
それもあって皆さん安心して包み隠さず話すことができ、
マザーズネット・・・社会のつながりの薄れたこの時代に、
とても重要な活動だと感じました。
私の家の近くでも、知合いのお母さんたちが中心になって、
「エドすく・ネット」(江戸川すくすくネットワーク)を始め、
4月22日午前中に江戸川区の施設「アーヴァン・プラザ」で、
「抱っこ法」という低年齢の子供にとても良い子育て法を、
その第一人者の阿部秀雄先生をお招きして企画してます。
地域を盛り立てるのは、やはりお母さんたちのつながりが大きいので、
今後も子育てイヴェントを展開し、それをより大きな社会的なつながりに発展させていっていただければ、と期待してます。そうなったら、私など地域では出る幕がなくなりますが、早くその日がくるのを楽しみにしてます。
そして今日は、6月25日に予定している高木善之氏の講演を中心にした1日のイヴェントの、第2回目のミーティングでした。
といっても、第1回目が3月12日、地震発生の翌日だったため、今日が事実上のキックオフ・ミーティング。
地震が起きたことにより、その前とは全然違った流れが起きているので、
企画も練り直さなければならない状況ですが、
皆さん積極的に発言していただき、とても有意義な話合いができました。
やはり、地域のイヴェントになってしまいますが、
当日まで、次のような流れで準備を進めていくことになりました。
お近くの方は是非、ご参加ください。
●4月24日(日) 西小岩コミュニティ会館 集会室第2 にて
10:00
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い①
12:00
12:30
| スタッフ・ミーティング(昼食をとりながら)
14:00
14:30
| 「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い②
17:00
(「懐かしい未来」は、「幸せの経済学」を見る前提として、
問題意識を高めるのにとてもいい素材です。
2回、上映&話合いを行い、その間にスタッフ・ミーティングします。)
*5月13日(金)10:00~12:30 西小岩コミュニティ会館 集会室第2
でも、「懐かしい未来」フルヴァージョンの上映会&話合い
さらに、葛西や船堀の方でも、場所を押さえていただければ、
開催して、次の「幸せの経済学」上映につなげたいと思います。
●「幸せの経済学」(+「懐かしい未来」ダイジェスト版)の上映会
5月22日(日) 13:00~16:30
小岩区民館・集会室第1 (小岩駅南口から徒歩5分))
http://www.city.edogawa.tokyo.jp/shisetsuguide/bunya/kuyakusho/kuminkan/c_koiwa/index.html
最低上映価格として25,750円が掛かるので、
義捐金として一人500円以上を集め、
超過した額を寄付したいと思います。
不足した場合は、6月25日の経費として計上させていただきます。
●佐野 淳也氏( 立教大学大学院 21世紀社会デザイン研究科 准教授 )を招いて、
「ローカリゼーションと対話、震災のボランティア」などについて伺います。
6月12日(日) 13:00~17:00 西小岩コミュニティ会館 集会室第2
同日 10:00~12:00に、6月25日の最終ミーティングも行います。
自分のタイプを探る
一昨日に行った現状の分析をもう少し深められることに気づきました。
震災以降、どんなことを考え、人に伝えたか?
それは当然、その人の認識・興味関心を反映したものになります。
前の記事から、少し読み返していただかないと、分かりにくいかと思いますが、意外とご自分の気づかなかった特徴を発見できるかもしれませんので、興味のある方は試してみてください。
めんどくさく見えるかもしれませんが、考え方はごくシンプルです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回は、
Ⅰ 空間的要素 (自分/被害者および当事者/ 社会全体)
Ⅱ 時間的要素 (現在/過去/未来)
Ⅲ 位相=界層 (外面=物質空間/内面=心理)
としたわけですが、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲそれぞれに「そのすべての項目」を検討する、というのを追加します(=○で表記)。つまり、
Ⅰ 空間的要素 (自分/被害者および当事者/ 社会全体/○)
Ⅱ 時間的要素 (現在/過去/未来/○)
Ⅲ 位相=界層 (外面=物質空間/内面=心理/○)
すると、新たに以下のようなものが増えます。
(この分析は、今回のような災害だけでなく、どんなものであっても話題になったものすべてに同様の考えが適用できるので、「被害者」ではなく「当事者」という言葉を使います。)
ⅠⅡⅢ
○○○ 「あらゆる見方を俯瞰するメタな認識を求めるタイプ」
a○○ 「自分のことを幅広く見つめるタイプ」
b○○ 「当事者のことを幅広く見つめるタイプ」
c○○ 「社会全体への影響を幅広く見つめるタイプ」
○a○ 「現状を広く分析するタイプ」
○b○ 「過去のことを広く分析するタイプ」
○c○ 「将来のことを広く分析するタイプ」
○○a 「現実的なところを幅広く見つめるタイプ」
○○b 「皆の意識の動きを幅広く見つめるタイプ」
aa○ 「自分の現在の心身の状況を見つめるタイプ」
ab○ 「自分のこれまでの心身の状況を振り返るタイプ」
ac○ 「自分のこれからの心身の状態を予測するタイプ」
a○a 「自分の境遇の変化を見つめるタイプ」
a○b 「自分の心境の変化を見つめるタイプ」
ba○ 「当事者の現在の心身の状況を見つめるタイプ」
bb○ 「当事者のこれまでの心身の状況を振り返るタイプ」
bc○ 「当事者のこれからの心身の状態を予測するタイプ」
b○a 「当事者の境遇の変化を見つめるタイプ」
b○b 「当事者の心境の変化を見つめるタイプ」
ca○ 「社会全体の現在の意識や状況を見つめるタイプ」
cb○ 「社会全体のこれまでの意識や状況を振り返るタイプ」
cc○ 「社会全体のこれからの意識や状況を予測するタイプ」
c○a 「社会全体の現象的変化を見つめるタイプ」
c○b 「社会全体の意識の変化を見つめるタイプ」
○aa 「現在の客観的状況を見渡すタイプ」
○ab 「現在の意識のあり方を見渡すタイプ」
○ba 「過去の客観的状況を調査するタイプ」
○bb 「過去の意識の状態を調査するタイプ」
○ca 「将来の客観的状況を予測するタイプ」
○cb 「将来の識のあり方を予測するタイプ」
以上、計 30項目(タイプ)
昨日は計 18項目でしたから
合計 48項目。
久しぶりに、順列組み合わせの計算をやると、
昨日のは、3×3×2=18
今日のは、4×4×3=48
で、検算OKです。
読んでるだけの方には味気ない気がすると思いますが、
自分としては、なかなかスッキリして気持ち良い分析でした。
そして、実際に使えると思います。
私自身は、今は「ワールド・シフター」ですから、、
c○○ 「社会全体への影響を幅広く見つめるタイプ」
が、一番強いです。
もちろん、こういう分析をするくらいですから、
○○○ 「あらゆる見方を俯瞰するメタな認識を求めるタイプ」
というのも、あります。
これが、神智学に出会う以前の30代までは、
a○○ 「自分のことを幅広く見つめるタイプ」
でしたが、この傾向はかなり薄れています。
あと、私の性格としては、「○○○」を踏まえた上で、最も手薄なところを指摘したり、やる人が見つからなかったら自分でやる、という傾向が強いです。野口整体の体癖でいうと7種=ねじれ型で、へそ曲がりというか、あまのじゃくというか・・・一番議論されていたり、人気のあるところには、間違っても首は突っ込みません。
だから、常にマイナーな存在です。
自分にしか気づかないことを探してやる(これには正直、オンリー・ワンではなくナンバー・ワンを求める感覚、あるいは大穴を当てる感覚に近いところがあります)ことの快感を追求しているともいえます。
こういうのは、自分に正直にやらないと意味がありません。
皆さんは今回、どのタイプでしたか?
震災以降、どんなことを考え、人に伝えたか?
それは当然、その人の認識・興味関心を反映したものになります。
前の記事から、少し読み返していただかないと、分かりにくいかと思いますが、意外とご自分の気づかなかった特徴を発見できるかもしれませんので、興味のある方は試してみてください。
めんどくさく見えるかもしれませんが、考え方はごくシンプルです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回は、
Ⅰ 空間的要素 (自分/被害者および当事者/ 社会全体)
Ⅱ 時間的要素 (現在/過去/未来)
Ⅲ 位相=界層 (外面=物質空間/内面=心理)
としたわけですが、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲそれぞれに「そのすべての項目」を検討する、というのを追加します(=○で表記)。つまり、
Ⅰ 空間的要素 (自分/被害者および当事者/ 社会全体/○)
Ⅱ 時間的要素 (現在/過去/未来/○)
Ⅲ 位相=界層 (外面=物質空間/内面=心理/○)
すると、新たに以下のようなものが増えます。
(この分析は、今回のような災害だけでなく、どんなものであっても話題になったものすべてに同様の考えが適用できるので、「被害者」ではなく「当事者」という言葉を使います。)
ⅠⅡⅢ
○○○ 「あらゆる見方を俯瞰するメタな認識を求めるタイプ」
a○○ 「自分のことを幅広く見つめるタイプ」
b○○ 「当事者のことを幅広く見つめるタイプ」
c○○ 「社会全体への影響を幅広く見つめるタイプ」
○a○ 「現状を広く分析するタイプ」
○b○ 「過去のことを広く分析するタイプ」
○c○ 「将来のことを広く分析するタイプ」
○○a 「現実的なところを幅広く見つめるタイプ」
○○b 「皆の意識の動きを幅広く見つめるタイプ」
aa○ 「自分の現在の心身の状況を見つめるタイプ」
ab○ 「自分のこれまでの心身の状況を振り返るタイプ」
ac○ 「自分のこれからの心身の状態を予測するタイプ」
a○a 「自分の境遇の変化を見つめるタイプ」
a○b 「自分の心境の変化を見つめるタイプ」
ba○ 「当事者の現在の心身の状況を見つめるタイプ」
bb○ 「当事者のこれまでの心身の状況を振り返るタイプ」
bc○ 「当事者のこれからの心身の状態を予測するタイプ」
b○a 「当事者の境遇の変化を見つめるタイプ」
b○b 「当事者の心境の変化を見つめるタイプ」
ca○ 「社会全体の現在の意識や状況を見つめるタイプ」
cb○ 「社会全体のこれまでの意識や状況を振り返るタイプ」
cc○ 「社会全体のこれからの意識や状況を予測するタイプ」
c○a 「社会全体の現象的変化を見つめるタイプ」
c○b 「社会全体の意識の変化を見つめるタイプ」
○aa 「現在の客観的状況を見渡すタイプ」
○ab 「現在の意識のあり方を見渡すタイプ」
○ba 「過去の客観的状況を調査するタイプ」
○bb 「過去の意識の状態を調査するタイプ」
○ca 「将来の客観的状況を予測するタイプ」
○cb 「将来の識のあり方を予測するタイプ」
以上、計 30項目(タイプ)
昨日は計 18項目でしたから
合計 48項目。
久しぶりに、順列組み合わせの計算をやると、
昨日のは、3×3×2=18
今日のは、4×4×3=48
で、検算OKです。
読んでるだけの方には味気ない気がすると思いますが、
自分としては、なかなかスッキリして気持ち良い分析でした。
そして、実際に使えると思います。
私自身は、今は「ワールド・シフター」ですから、、
c○○ 「社会全体への影響を幅広く見つめるタイプ」
が、一番強いです。
もちろん、こういう分析をするくらいですから、
○○○ 「あらゆる見方を俯瞰するメタな認識を求めるタイプ」
というのも、あります。
これが、神智学に出会う以前の30代までは、
a○○ 「自分のことを幅広く見つめるタイプ」
でしたが、この傾向はかなり薄れています。
あと、私の性格としては、「○○○」を踏まえた上で、最も手薄なところを指摘したり、やる人が見つからなかったら自分でやる、という傾向が強いです。野口整体の体癖でいうと7種=ねじれ型で、へそ曲がりというか、あまのじゃくというか・・・一番議論されていたり、人気のあるところには、間違っても首は突っ込みません。
だから、常にマイナーな存在です。
自分にしか気づかないことを探してやる(これには正直、オンリー・ワンではなくナンバー・ワンを求める感覚、あるいは大穴を当てる感覚に近いところがあります)ことの快感を追求しているともいえます。
こういうのは、自分に正直にやらないと意味がありません。
皆さんは今回、どのタイプでしたか?
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